この日、花の街には古くから 愛しき人に赤い薔薇を贈る風習があった。
「毎年のことながら、すごい数の薔薇ですね、会長」
 二月十四日。その日の放課後、生徒会室の扉を開けたロロの姿を一目見て、先に部屋にいた補佐は感嘆の声をあげた。顔が赤に埋もれて見えなくなりそうなほど沢山の薔薇の花を抱えた生徒会長は、親愛の念が込められたそれを、少し不審げに眺める。
「こんな厚遇をうける覚えは無いのだが…」
「それだけロロ会長が皆から慕われている証拠ですよ。
実を言うと、僕も会長に花を用意していたのだけれど、これほどまで薔薇を貰っているのなら、却って迷惑になってしまいそうだなぁ」
白く細いリボンが巻かれた一輪の赤い薔薇を携えながら、長髪の青年は天真爛漫に笑う。信頼している後輩からの贈り物に、ロロは固く引き締めていた頬をほんの少し緩めた。
「いや…。有り難く受け取ろう」
補佐の手からそっと薔薇を受け取ると、包まれていたリボンを丁寧に解き、部屋に置かれていた空の花瓶に生ける。
「それにしても、もっと大きな花瓶を用意しないと、この花全てを生けるのは難しいですね」
 「全くだ。押し花にしようにも、学園中の本をかき集めても足りなさそうだ」
机に置かれた赤い束を見遣りながら、二人は軽口を叩く。捧げられた薔薇の処遇をああでもない、こうでもないと語り合っているうちに、扉を控えめにノックする音が届いた。
「お疲れ様です。遅くなりました」
「あぁ、副会長。お疲れ様です」
遅れて部屋に入ってきた、生徒会役員のもう一人のメンバーである栗毛の青年は 目の前に置かれた一面の赤色に一瞬目を丸くさせると、口角を少し上げてロロの顔を見た。
「この薔薇の量、会長が貰ったのでしょう。
年々本数が増えていませんか」
「ちょっと副会長、僕が貰った可能性も少しぐらいは考えてくださいよ」
「あはは、ごめんごめん。でも仕方ないさ、だって会長は皆から愛されているのだから」
戯れる二人の会話を、ロロの咳払いが途切れさせる。
「二人とも、戯れはここまでにしよう。そろそろ今日の議題を進めるぞ」
薔薇をもらった張本人の一声で、副会長は椅子に腰を下ろす。
その横顔は笑みを浮かべていたが、何処となく哀愁を孕んでいた。
生徒会業務は滞りなく終わり、夕食の時間も過ぎて消灯までの自由な時間が学生たちに訪れる。
生徒たちは汗を流す為シャワールームへ足を運んだり、談話室で学友と雑談を楽しんだりと、思い思いの時間を過ごす。
ロロは自室で一人、その日習った魔法薬学の復習に勤しんでいた。
小さなストーブとブランケットくらいしか暖房器具のないこの部屋に吹き込む二月の冷たい空気が、ノートの罫線に揃えて几帳面に文字を連ねるロロの指先を強張らせる。
ペンを握る手がかじかみ、少しばかり痛みを感じたロロは、何か温かい飲み物でも口にしようと席を立った。
ロロに当てがわれた部屋から生徒共用の給湯室まで行くには、階段を登って寮の最奥まで歩く必要がある。夜間遅くまで開いている売店が街中至る所に点在するようになってからは、学生たちも夜間外出届を出して軽食を買い出しに行くようになり、必然的に給湯室の出番は少なくなっていた。
しかし利便性に長けたものを漫然と使い続けることを良しとしないロロは、こうして時々人の往来の少ない給湯室へ足を運ぶことがあった。
手持ちのマグカップに湯を注いで温め、中身を捨ててから用意していたティーバッグを入れて再び湯を淹れる。ベルガモットの香りを湛えた湯気が、冷えたロロの鼻先と頬を温めた。
外気に触れて少し赤くなった指先を労るようにマグカップに手を添えながら、ロロは来た道を戻る。学生たちが多く集う談話室付近と対照的に、寮部屋が並ぶ廊下はとても静かだった。
石造りの螺旋階段を、冷たい足音を立てながらゆっくりと降りる。初めはロロの履く革靴の音だけが響いていたが、しばらくしてその音を迎え入れるように、階下から靴音が届いてきた。
「副会長?」
ロロの声に、俯き加減で階段を登っていた青年が顔を引き上げる。予期していなかった知人との遭遇に、副会長は驚きを隠せないといった表情で声の主を見つめた。
「会長…! お疲れ様です。会長も給湯室へ行かれたのですか?」
「あぁ。今日は冷えるから、温かい紅茶を淹れに来た」
「僕もです。スープでも用意しようかなと思って」
副会長は、いつも通り人当たりの良い笑みを浮かべる。しかしロロには、その瞳の奥にほんの僅かな悲しみが宿っているように映った。
「体調でも優れないのかね、いつもと違って元気がないように見えるが」
ロロの問いかけに、栗毛の青年は虚を突かれたような顔をして浮かべていた笑みを消す。
そして物を言うべきか悩むように口を結ぶと、視線を外らせたまま二、三歩ロロの元に寄り、マグカップを持つ手と反対の腕を、壊れ物を抱えるような所作で抱きしめた。
「副会長「嘲笑ってください、ロロ会長。僕は、今日貴方が貰った薔薇の花に嫉妬したのです」
ロロの声を掻き消す勢いで、副会長は秘めていた思いを吐露する。
「しかし、今この姿を誰かに見られては…」
「お許しください。どうか、今日この時間だけは貴方を僕に独り占めさせてください」
密かに愛し合っていた恋人の大胆な行動に、ロロは声のトーンを落としながら嗜めようとする。しかし常日頃から分別を持ち、一歩引いたところから自らを眺めてきた彼の、激情のままに此方を求める仕草に、彼はこれ以上恋人を咎めることができなかった。
「…お前からは、まだ薔薇を貰っていない」
二段上に佇むロロから落ちてきた言葉に、副会長は抱きつき口付けを落としていた袖から視線を上げる。ロロは、一度恋人と視線を絡ませると、腕を引き抜いて首元のボタン数個を器用に外した。そして辺りに人が居ないことを確認すると、礼をするように、恭しく青年の元に膝を曲げる。
「赤い花弁を落としなさい。お前の好きな所に」
婚礼の場で神に誓いを立てる乙女のように、咎なき身で処刑人に首を差し出す女王のように、ロロは副会長へ身体を委ねた。
副会長は一瞬目を見開くと、誰にもその白い肌を見られぬように手で囲いを作りながら、シャツの下で輝く胸元に唇を寄せた。
ロロが自室に戻ると、花瓶に収まりきらなかった赤い花束が目に飛び込んだ。
シンクに水を張り、それらをかき集めて無造作に生けた後、部屋のカーテンを閉めるべく窓際へ歩み寄る。
薄暗がりの中に救いの鐘と、正義の判事像が窓越しに散らつき、きっちりとボタンが留められた制服の胸元をそっと手で押さえた。
秘密の花弁が、そこに咲いている。
判事は見ていなかっただろうか、君が袖を抱くのを。
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