ぷー、ぱー。
そうやって夜にラッパを鳴らして屋台を引くのが俺の仕事だ。雨の日はさすがにやらねぇが、風が強かろうが寒かろうがこうやって相棒を引き連れて夜の東京の街を練り歩く。特に寒い日なんて稼ぎ時だ。厚ぼったい袢纏を着た学生さんやら若いお嬢さんやらがしみったれたアパートかなんかから出てきて「おじさん、ラーメン一杯」と声をかけてくる。
「おじさん、ラーメン一杯半って出来るかい?」
だからその日、そう声をかけてきた袢纏姿の男のことはよく覚えている。綿の入った冬用の浴衣に大きめの袢纏姿。その左目には大きな傷があり、左耳の一部が欠けている。それなりの男前だというのにその頭は吐く息と同様、真っ白で、顔立ちは若く見えるのにもしかしてこの男は60ぐらいなのかと思うようだった。
「一杯半でも二杯分の値段貰うよ?」
引きずっていた屋台をよこせ、と止めて男を見やると、その片手で五歳ぐらいだろうか? 小さな男の子の手を引いて薄暗い夜の街に佇んでいた。
「そうか。なら二杯でいいや」
「ちゅるちゅる、ちゅるちゅる」
「待て待て」
「あんたの子かい?」
それにしては似てねぇ。そう続けるか悩みながら屋台の支度に取りかかる。茶色い髪の幼子は前髪がうっとしくて右目しか見えない。それでも、男の垂れ目の瞳と全く違う形だとわかる子供の目は何もかも見透かすようでなんとなく俺は直視できずにいた。
椅子を出してやって引きずっていた屋台から棚をせり出させる。寸胴に火を入れているうちにあちこち適当に拭いて、割り箸を出してやった。粗末な丸椅子に小さな子供を座らせた男は、俺の質問に曖昧に相づちを打った。
「自分の子のように育てたいとは思っているが、まぁ、いわゆる拾い子なんだ」
「へぇ?」
「忘れてしまったが、誰だったか、酷く大切な友人の忘れ形見のような気がするんだ」
「忘れてんのに大切な友人たぁ変な話だ」
「そうだな」
苦笑するように頬を緩める男のその表情はやはりどこか年寄りめいていて。益々男を年齢不詳にさせていた。
つゆが温まるころには麺も茹だってくる。ジャッジャッと湯切りをして、つゆを入れたどんぶりに充分に湯切りした麺をドボンと放り込む。そうして、切っておいたチャーシューと卵、それからメンマとほうれん草、ネギを載せれば当店自慢の唯一のメニュー、醤油ラーメンの出来上がりだ。
「おじさん、悪いがお椀を一つくれないか?」
子連れの客の大概がそう言うので、小さな椀を用意してある。男は二杯のラーメンの片方から少しだけ麺を取り出すと、ふーふーと息を吹きかけ、片目の坊主に「気をつけろよ」と食べさせていた。
「ふーふー」
「そう。あっちっちだからゆっくり食べろよ?」
男の真似をするように子供がふーふーと大仰に息を吹きかけて麺を啜る。ちゅるちゅる、と小さな音を立てて食べるその様を見て男はホッとするような笑みを浮かべていた。
「熱くないか? 美味いか?」
「ちゅるちゅる、すき」
「そうか。美味いか。チャーシューと野菜も食べろよ?」
「ちゃーしゅー」
子供につきっきりでそうやって麺を食べさせる男は、全く自分のラーメンに手をつけない。そんな暇も惜しいのだろう。だが、あまりほったらかしていると冷めるし、何より麺が延びちまう。そう、声をかけてやろうかとも思ったが、男が何やら満足そうに幸せそうに子供にラーメンを食べさせる様はなんだか口を挟めそうにない雰囲気が醸し出されていた。
子供というやつはそんなに多くは食べやしない。半分食べたか食べないかといったところで「ごちしょーしゃま」と舌っ足らずに言ったかと思うと、キョトンと男を見上げ、それから湯気の出なくなった大きなどんぶり二つを眺め、「みじゅ」と鳴き声のように言った。
「みじゅ、ちゅるちゅるたべた?」
「おぉ。これから食べるぞ」
「じゃぁ、きたろがふーふーしゅる?」
「俺は大人だからふーふーしなくても食べれるから気にするな」
「きたろがふーふーしゅる」
「そうか? ありがとな」
履いてきていた下駄を脱いで子供が丸椅子の上に立つ。そうして、男が子供にしていたように麺を箸でつまみ(と言っても大して量を掴めていない)男を真似るように湯気など立っていない麺にふーふーと息を吹きかけ、「あーん」と言って男の口に箸ごと麺を突っ込んでいた。
「鬼太郎、上手に箸使えてるなぁ」
「きたろじょーず?」
「あぁ。じょーずだ」
延びきっているだろう麺なんてそんなに美味いものじゃ無いだろう。冷え切った夜空の下食べる冷え切った延び延びの麺など不味い以外の想像が付かない。それにもかかわらず、男は美味いものを食べたかのように笑う。そうして下手くそな箸使いの子供を上手、上手と手放しで褒めそやす。
俺にも昔、息子が一人居た。しかし、お国のためと戦地に向かい、あっさりと戦地の花と散った。妻は大いに泣き叫び、隣組やらからは白い目で見られた。俺だって本当は泣きたかった。そんな事を今、なぜか思い出していた。
「にいさん、チャーシュー、一枚足してやるよ」
冷え切った二つめのどんぶりに手をかけた男の目の前からポチャンと一枚チャーシューをそのどんぶりの中に入れてやる。目を丸くした男がこちらを見たが、そのキョトンとした表情を直視できるほど俺は若くなかった。
「ありがとう、ございます」
そんな細やかなおまけさえも子供に「食べるか?」と訊いて、断られるのを確かめてからでないと箸をつけない様子も、掻き込むように残りの麺を平らげて満足そうにする様も。
「あんた、良い親父さんだな」
呟いた俺の言葉は、次に来た客の「ラーメン一杯」という威勢の良い声でかき消され、冬の白い息だけがふわりと浮かんだ。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「ごそさま!」
男と子供は、そう言って二杯分のラーメン代を机に置き、暗闇に沈む街に消えていった。カランコロンという子供の履くゲタの音だけがなぜか耳に残る夜だった。
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ゲ謎屋台
初公開日: 2024年01月10日
最終更新日: 2024年01月10日
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短い子育て風景