ギ、と時折、耳障りな音を立てつつ、階段をのぼる。
しっかりと進行方向への警戒は行いつつ。けれども、ふと、金髪のギロチンクロスは、友人が駆けて行った階下へと、少しだけ、視線を向けた。
「心配?」
刹那、かけられた声。
それに、反射的に肩が跳ねそうになるのを堪え、何てことない顔をして、声の方へと視線を向ける。
「――や、大丈夫でしょ」
軽く振り返ったヴァレリーの視線の先。
薄茶色の長い髪を一括りにしたアークビショップの女性は、そんな言葉に、えー、とどこか子供じみた声を上げた。
「私はすっごく心配!!」
予想外のその言葉に、思わず目が丸くなる。
「へ?」
呆気にとられた声を零したヴァレリーに、リーベはさも当然と言った顔で小首を傾げる。
「? 当然じゃない?」
「いやいやいやっ! 今の流れって、信頼してるから、心配いらないとか、そーゆー感じじゃねぇのっ?!」
そこまで長くもない階段だ。
ヴァレリーがそう声を上げた時には、リーベ、ヴァレリー、柚葉の3人は、2階へと辿り着いていた。そのため、ヴァレリーは、そこで一旦会話を切り上げ、周囲に視線を走らせる。
そこは、1階と同じ、木造の建物内、といった感じで、先に説明を受けていなければ、ただ、2階へ足を踏み入れただけと思っただろう。ビョンウンゴが作り出したテリトリー、位相の違う空間だなんて、この風景だけでは気づかなかったに違いない。
そう、思いかけたヴァレリーだったが、次の瞬間、否、と気づく。
1階と同様、この場所も暗い。そう感じる。けれども、リーベや柚葉が照らす光の範囲外の床や壁、奥へと続く廊下など、1階では暗くてよく見えていなかった範囲まで、今度は、ハッキリと視認する事が出来た。
それは、ここがダンジョンであれば、きっと、気付かなかった差異。けれども、先程、ここの1階で、オーアと歩き、ダンジョンとそうでない空間の差を知った今なら、ダンジョンと同程度に見通しの効くこの場所は、なるほど、確かに、普通ではないのだと、理解が出来た。
3人が、ビョンウンゴのテリトリーへと侵入してきたのを察知したのか、ざわり、と闇が濃くなり、蠢くのを感じる。
「愚かな……私の場に足を踏み入れるなど……死ぬ前にここから出ていけ……」
どこからともなく、響く声。
ラズとは異なる、不気味に歪んだ声。
けれども、何故か、この声が、ビョンウンゴのものだと確信出来た。
ざわざわと、闇がさざめく。
「オーアがいない……? 逃げた、逃げた。ふふ、お前たちよりは、賢い。……けど、愚か。アレはもう……私のモノ。どこへ逃げても、無駄なのに……」
ふふふふ、と嘲笑う声に、ヴァレリーは気色ばみ、口を開く。けれど、実際に声を上げるよりも先に、まるで、それを制止するかのように、細い手に腕を掴まれる。
それは、やけに真剣な顔をした、リーベだった。何を、と思うよりも先に、アークビショップの女性は口を開く。
 「もう私を止め――」
「あのねぇ、ヴァレリー君。信頼と心配は別物だし、両立するのよ?」
「は……?」
虚空から響く声を完全に遮る形で言われた言葉に、思わず、目が点になる。
一体何の話だと思ったが、すぐに気づく。階段をのぼりながらした会話の続きだと。
だが、あの……
「今、その話してる場合か!?」
つい、そう突っ込めば、にこり、と妙に圧のある笑顔が返る。
 「お前たちの苦し――」
「逆に聞くけど、これから討伐確定の上に、私の大事な大事な後輩に手を出した不届きものの話を真面目に聞く意味と必要って、ある?」
 「私の力とな――」
「…………ないな?」
「でしょ? で、も1回言うけど、信頼と心配は両立するわよ」
 「本当の痛みと苦――」
「そりゃ、信頼してるから、心配いらない、って言えたら、カッコいいとは思うけどね?」
 「教え――」
「私は、心配するのは、大事に思ってる相手への権利だと思ってるわ」
 「私に聞かせ――」
「だから、エドアルトさんがいるから、大丈夫って、信じてはいるけど、オーアちゃんも、エドアルトさんも、両方心配してるわよ」
 「……あの、――」
「あとね、ちょっと真面目な話。バリオに居るのが、3次推奨なだけあって、この場所も、本来、同じくらいの力量はあった方がいいくらいの魔物が発生してるわ」
 「少しは話を――」
「だから、オーアちゃんにとっては、ちょっと、背伸びした場なのよ、ここ。どうにかなっているのは、オーアちゃんがMEに特化した型と能力の退魔師だから」
 「もっと怯え――」
「オーアちゃんくらいの力量のハイプリーストの中では、威力が強いMEだから、ここでも少し時間がかかる程度で倒すことが出来て、且つ、攻撃がいかないように守ってもらえてるから、どうにかなっているのよね」
 「少しは怖が――」
「まぁ、オーアちゃん本人も、この辺は分かってるみたいではあるんだけど」
どこからともなく響いてくる声を完全に無視し、リーベは喋る。喋る。喋る。
むしろ、全く話を聞く気がありません、のアピールのために、わざわざ、こんなにつらつらと喋っているのでは? と思うような勢いだ。
「……っ、それが返答か……いいだろう、恐ろしい悪夢を見せてやる……っ」
吐き捨てるような、そんな言葉と共に、虚空から響いていた声が消え、代わりに、ざわざわとした気配がいくつも感じるようになる。
その変化に、リーベも、気付いたらしい。
今までつらつらと紡ぎ続けていた言葉を止めると、軽く虚空を見上げ、ふん、と鼻で笑う。
「ぐちゃぐちゃうるさいのよ。私の大事な後輩に手を出しておいて、ご丁寧に話を聞いてあげる、なんて慈悲、ある訳ないでしょ。そもそも、オーアちゃんに手を出した時点で、こっちは、滅す一択なんだから」
表情こそ、にっこりと笑顔を浮かべているものの、言葉の端々から感じる棘と圧に、ヴァレリーは、ひくり、と頬を引き攣らせる。
「リーベサン、もしかしなくても、割と、結構、怒ってマス?」
「あらぁ、何言ってるの、当たり前じゃない」
「アッハイ」
にこにこ、にっこり。
表情と大いに剥離したその怒りは、自分に向いていないと分かっていても心臓に悪い。
思わず、そんな事を思うヴァレリーをどう見たのか、リーベは、少し笑みの質を変える。
「大丈夫よ。怒ってはいるけど、ちゃーんと、冷静だもの。あんなのの口車に乗せられてあげる程、優しくも甘くもないからね」
「へ?」
リーベの言葉に、ヴァレリーは瞬く。と、今度は柚葉が口を開いた。
「リーベさんの、今のアレは、ここの主への意趣返しが大半を占めていましたが、貴方がビョンウンゴの言葉を聞かないようにとの狙いもありましたので」
「あ……」
その言葉で思い出す。
ヴァレリーがビョンウンゴに向かって声を上げようとし、腕を掴まれた時、声を上げるのを制止するようだと感じた。それは、間違ってはいなかったらしい。
声を漏らしたヴァレリーに、柚葉は言葉を続ける。
「良からぬことにばかり頭の回る、どうしようもない輩は種類を問わず居りますが、悪魔に属するものは、特に言葉で、感情を揺らがせ、心の隙を突いてくる事を好むモノが多い。故に、相手のペースに呑まれない事が重要となります。”悪魔の言葉に耳を傾けるな”。アコライト系であれば、早々に、そうでなくとも、冒険者であれば、聞き覚えはあるだろう、この言葉は、これが主な理由の1つですね。とはいえ、今回の相手のように、それが難しいタイプもいるので、リーベさんのように、全く何も聞かないようにする、というのは、確かに有効手段なんですよね」
さらりと辛辣な言葉が含まれていたが、それに何か思うよりも先に気になった事を、ヴァレリーは声に乗せる。
「……それが、難しいタイプ?」
「えぇ。声に魔力を含ませ、声を聴くだけで、不安・恐怖・怒りなど、負の感情を掻き立てる……事実、ヴァレリーさんも、頭では、あんな言葉、ただの挑発と、分かっていたでしょう?」
「あー……なるほど、確かに」
「そこは、相手がどのような影響を与えてきているのか、を認知出来れば、自衛は可能ですので――」
ここから先、ビョンウンゴ本体と対峙するならば、あった方が良いだろう2人のやりとりを耳にしながら、リーベは、別行動中の2人を思う。
エドアルトもいるし、オーアもハイプリーストではあるものの、退魔班の一員、しかも、厄介事が多く集まりやすい<ruby><rb>あの班</rb><rt>・・・</rt></ruby>の一員なのだ。2人ならば、大丈夫、と、そう思うけど……
思い出すのは、ポートマラヤへ来る前、柚葉へと協力を頼んだ時の、彼女の言葉。
――「……試金石、人手不足……暗い……? 人手不足とあるのに、直接関われない感触があるのですが……」
(……行く前、柚ちゃんが言ってた<ruby><rb>試金石</rb><rt>・・・</rt></ruby>。私、心当たり、あるのよねぇ……)
自分が一緒にいるのなら、彼がそれを使う事態にはならないと思っていた。
故に、ほぼほぼ無意識に、それを可能性から除外していた。けれど、別行動となった、今、柚葉の言葉が、小さく頭に引っかかる。
(オーアちゃん……アレを使うような事に、ならないといいんだけど……)
なくはない可能性を思い、1つ、小さく息をつく。
と、視線の先で、柚葉も同じように息をついたのが見えた。それに、1つ瞬き、自然と意識をそちらへと向ける。
「――まぁ、自衛の意思があるなら良いんです。中には、極々稀に、その方が手っ取り早いと、悪魔との舌戦に応じるどころか、自ら仕掛ける方もいらっしゃいましたので」
頬に手を当て、息をつく柚葉の言葉は、リーベにとっても、非常に心当たりのあるもので、耳に入ると同時に、つい、何度も大きく頷いてしまう。
「ほんっとにねっ。何言っても、大丈夫の一点張りで……! たしかに、<ruby><rb>それでは</rb><rt>・・・・</rt></ruby>最期まで致命的な事は起こさなかったけど! でも、大丈夫でなかった事は、割と結構あったの、私知ってたんだからねっ、チルルの証言もあったしっ」
ついつい会話に乱入してしまったこの話題は、もう何年経とうとも、つい熱が入る。
けれど、今は状況が状況だ。故に、リーベは、すぐにハッと我に返る。そして、えーと、と反応に困っている様子のギロチンクロスへと、軽く手を立てて、苦笑と共に謝罪した。
「ごめんね、分からない話出して。説明しても良いんだけど――……そうね。もし、興味あったら、後でオーアちゃんに聞いてみて。”悪魔相手に契約込みの舌戦を、自分から仕掛けた方が手っ取り早いって聞いたんだけど、どう思う?”って。オーアちゃんも、よっく知ってるから、快く教えてくれると思うわ」
「……それさー、聞いたら、俺がオーアから説教受ける羽目にならない?」
察するものがあったらしい。半眼になって、疑わし気に問う後輩の友人に、リーベはくすくすと笑みを見せる。
「大丈夫大丈夫。私にそう聞くよう言われた、って言えば、納得してくれるわよ」
そう笑ってリーベは言う。つまり、それを伝えなければ、説教を受ける羽目になるような話題と言う事だ。ため息をつくヴァレリーを尻目に、リーベはクレメンティアを唱える。続けて、カントキャンディダス。
それは、出発の合図にも等しく、ヴァレリーも柚葉も、瞬時に意識を切り替える。そんな2人に、リーベは笑った。
「さって、それじゃあ、向こうの出鼻もくじいたし、そろそろ行きましょうか。さっさと終わらせて、オーアちゃんとエドアルトさん迎えに行きましょ」
***
3人で廊下へと移動すれば、等間隔に並ぶ扉が見えた。2階は、入院患者のための場だったと聞いている。ならば、それらの部屋は病室だろう。
問題は、扉の開け放たれた病室達の奥から響く音と気配だ。
「――居るけど、どうする?」
背後に居る女性2人の方を軽く振り返り、ヴァレリーは、問いかける。
「中から出てこないのは、放置でOK。こっちに向かってくるのだけ、対処するわ」
「ん。了解」
軽く返して、前へと向き直るヴァレリーの背後で声がする。
「リーベさん。ちなみに、<ruby><rb>彼ら</rb><rt>・・</rt></ruby>はどうするつもりです?」
「後回し。一旦アレを祓ってからの方が、呪縛は解きやすいでしょ。現状だと道連れの危険性はないしね」
「なるほど。……確かに、彼らの負担は、その方が少ないですね」
話の内容に疑問符を飛ばしつつ、けれども、緊急性は低そうである事を察し、そして、こちらへと向かってくる魔物に気づいた事で、意識は完全に2人の会話から、病室の中から姿を現した魔物へと向かう。
背から大きな蝙蝠の羽を林、下半身が注射器となっている魔物、マナナンガルの攻撃を躱し、手にした刃を一閃。深手を負わせることよりも、相手の注意をこちらへ向ける事と、周りの、他の魔物がいつこちらへ来ても対応出来るよう、索敵の方に、意識を割く。
「マグヌスエクソシズム」
――そうすれば、破魔の光が、敵を一掃してくれるのは、組む相手が変わってもいつも通りだ。
部屋の奥には、まだ居そうな気配があるが、とりあえず、廊下と部屋の出入口付近の魔物は居なくなり、自然と視線は、廊下の奥、真正面にどん、と立ちふさがる扉へと向かう。
手術室、だろうか。病室とは明らかに違う、大きな扉だ。この2階で唯一閉ざされた、他とは違う場所。
ここの主、ビョンウンゴはここだと、確信する。
「っ!」
扉を開け放とうとし、ヴァレリーは軽く目を見張る。
扉がびくともしない。
仮に鍵がかかっていたとしても、力を加えれば微かに揺れるくらいの手ごたえはある。だというのに、この扉は、壁に描かれた扉の絵を押し開こうとしてるかのようだった。
 「無駄だ。……もっと、お前達の苦しみを聞かせてみろ」
ふふふと耳障りな声が虚空から響く。
ざらり、と無遠慮に、身の内を撫でられているかのような不快感。
声に魔力を含ませ、負の感情を掻き立てる。
なるほど、これが、それかと、ヴァレリーは納得する。先ほどは、友人を嘲る言葉の内容の方に気を取られ、気が付かなかった。
変わらず、声に対しての不快感もある、苛立ちもする。けれど、それが何に起因するか、分かっていれば、流されずに済む。なるほど、なるほど。
分かっていれば、自衛できる。
その言葉の意味が、柚葉とリーベがあの会話に時間を割いた理由が、よく分かった。
とはいえ、だ。
扉の向こうに居るだろう討伐対象をどうしてくれよう、とは思う訳で。
どうするべきかと、判断を仰ぐべく、ヴァレリーが後ろを振り返るのと、こういったことに慣れているだろうアークビショップが声を上げるのは、ほぼ同時だった。
「ヴァレリー君。ちょおっと、場所、変わってくれる?」
とてもとても良い笑顔を浮かべたリーベの言葉に、ヴァレリーは、即座に頷き、その場を飛びのくようにして場所を譲る。
かつん、と足音を響かせて閉ざされた扉の前に立ったアークビショップの女性は、好戦的な色を瞳に湛え、口の端を吊り上げる。
「無駄、ねぇ。……それは、こっちのセリフなのよねぇ」
扉を、否、扉の前にある結界を見据え、リーベは魔力を編む。
そして、右の手のひらを扉へと押し当てた。
――刹那。
パキィィン、と硬質なモノが壊れたかのような音が、確かに、その場に響く。続けて、リーベは、柚葉、ヴァレリーの方へと向き直り、先程かけたばかりの支援魔法をかけ直す。
「それじゃあ、さっちゃと行くわよ」
音を立て、閉ざされていた扉を開け放つ。
そうして続く空間は、とても広く、床や壁は荒れた様子が見えるものの、物が少なく、それが、だだっ広いという印象を更に強くしているように思えた。
「……ここ、やけに広くないか?」
中へ足を踏み入れ、薄暗いそこを見回すヴァレリーに、リーベは言う。
「病院は2階を模してる、ってだけで、ここはアレが作った場だもの。自分に都合の良くしたい所は、都合良く作り変えてるわよ」
「それもそうか」
2階に足を踏み入れてからここまで、間取り自体には違和感を感じる事がなかったからこそ、この場に違和感を感じたが、言われてみればその通りだ。
納得したように軽く頷くヴァレリーを視界に入れつつ、柚葉は密かに思う。
この場以外は、病院と同じ見た目となっていた理由。それは、その場所に捕らえられている人々がいる為だ。捕らえた人々に、<ruby><rb>己の正確な状態</rb><rt>・・・・・・・</rt></ruby>を自覚させにくくするためのものだ。今の状態になって尚も、苦しみを与え、それを自らの糧とする為だ。
「……本当に」
小さく小さく、呟く。
――本当に、私と彼女の逆鱗を逆撫でするのがお好きなようですね、ここの主は。
歩きながら、印を組み、魔力を編んで、十六夜を発動させる。符を取り出し、火霊を招来していく。
1つ、2つと歩みを進める毎に、柚葉の周りに浮かぶ赤い光が増えていく。
それが10を数える頃、それは、姿を現した。
ぶくぶくと肥大した巨体。上背は背の高いヴァレリーの倍近くもあり、全身真っ黒な肌。かろうじて頭には金のおさげのようなものがついているが、非常にアンバランスな印象を受ける。
「哀れな者共よ……本当に苦しみを教えてやろう」
そう告げるビョンウンゴを鼻で笑って、ヴァレリーは地を蹴る。
瞬きの間で肉薄し、銀の軌跡を走らせる。ビョンウンゴが、ぎょろりと気味の悪い目をこちらへと向ける。と、ぶよぶよと太く丸みを帯びた巨大な手がヴァレリー目掛けて振り下ろされた。
それを軽く地を蹴り、避け、そのまま反撃に転じようとした、その刹那。
「アスペルシオ!」
背後から、凛とした声が響き、ヴァレリーの武器が淡い輝きに包まれた。
武器に聖属性を付与され、深緑の瞳が丸くなる。けれど、それは一瞬で、ヴァレリーは軽く口の端を舐め、にやりと、好戦的に笑う。
「期待してくれるってんなら、本気で応えないとな」
短剣を振りぬき、切りつけつつも、素早く取り出したのは、形の違う2つの瓶。
アサシンクロスから扱う事が許される毒薬の瓶と、ギロチンクロスが新たに生み出した、通称新毒と言われる毒の1つだ。それらを素早く塗布し、再度切りつける。
「紅炎華!」
降り注ぐ炎。ビョンウンゴの視線がヴァレリーから逸れる。刹那、その隙をつくように、深く、切りつける。
ぎょろり、とヴァレリーを睥睨する目。自然と不快に感じるその目を見返し、嘲るように笑って見せる、そんなヴァレリーの挑発が効いたのか、はたまた、単純に、毒に濡れ、聖属性を帯びた斬撃が気に障ったのか。ビョンウンゴは目を眇めると、金髪のギロチンクロスを標的にしなおす。
狙い通りの行動にヴァレリーは薄く笑う。
スキルを使わなくとも、挑発されてくれる奴は楽でいい。力量的には決して甘く見る事は出来ない相手なのは重々承知しつつも、そんな事を思う。
ブォンと、重さと速さを併せ持ち、振り下ろされた腕を紙一重で避け、そのまま斬撃を叩き込む。
「カウンタースラッシュ!」
たたらを踏み、よろめくように数歩後退したビョンウンゴを追撃する。そのまま、斬撃を、3度4度と続けていたヴァレリーは、ふと、顔を顰めた。
ヴァレリーは短剣と毒の扱いの長けたタイプのギロチンクロスだ。当然、己が今塗布した毒の事もよくよく理解している。耐性やら、図体のでかさやらで毒が効果を発揮するまでの間はそれぞれだ。けれど、毒が作用し始まる前兆から、あとどれくらいで効くかは大体分かる。
だからこそ、理解する。
(こいつ、効いてねぇな)
パイクレシアも、猛毒の瓶の方も、毒の効果が、その兆候すらも見られない。
脳裏を過るのは、ビョンウンゴは呪いや病の化身だという情報。呪いも病も外部から侵入し、体を侵すものだ。特にパイクレシアの症状は、病と非常に良く似ている。
「っ、そういう意味では毒も病気も一緒、ってか」
小さく呟き、ヴァレリーはビョンウンゴを見やり、目を細めた。
――気に入らねぇな。
そんなヴァレリーへと、ビョンウンゴは大きく腕を振り上げる。これを先程と同じように、最小限の動きで避けようとした、その刹那。
「っ!」
それは、ほぼ直感だった。
バックステップを使い、大きくビョンウンゴから距離を取ろうと地を蹴った。と、同時に、空振りしたビョンウンゴの腕が、そのまま床に叩きつけられる。
ドン、と地が揺れ、発生した衝撃波に、くらり、と一瞬頭が揺れた。
「うっへぇ。スタン使ってくんのかよ。面倒くせぇ」
思わずボヤく。回避行動がとれなくなるスタンは、回避職にとっては天敵だ。不幸中の幸いなのは、元々行く予定だったバリオに生息している魔物もスタンを使ってくるため、耐性装備はつけている事だ。とはいえ、耐性であって、無効ではない。
リーベが唱えた破魔の光の中、痛みに悶える巨体を睨みつつ思う。
咄嗟に距離を取った今回でさえ、一瞬頭が揺れた。となれば――
「装備があっても、至近距離でくらったらまずい、って事か」
つい、ため息をつきたくなるが、耐えて、地を蹴り、再び切りかかる。
こちらの<ruby><rb>十八番</rb><rt>毒</rt></ruby>は効かないくせに、回避職にとっては非常に厄介な攻撃をしてくるとか……
「――嫌な奴」
剣呑な目を向け、自然と吐き捨てた。
***
「マグヌスエクソシズム!!」
破魔の光が立ち上り、暗い室内を照らすと共に、女の姿をした夢魔へと、容赦なくダメージを与える。
「ぐっ……ふふっ、面倒ね、厄介ね」
「オーバーブランド!」
ゆらり、と揺れる夢魔の身体にエドアルトの繰り出す槍が叩き込まれた。鈍い音と共に細い体が弾き飛ばされ、後退する。
ゆらり、と揺れる女の体。刹那、それはエドアルトの眼前へと迫り、青白い足が振りかぶられる。
ガン、と響く硬質な音。夢魔の蹴りを槍で受け止め、防ぎ、再度、ロイヤルガードは攻勢に転じる。
そんな攻防を睨み据えつつも、オーアは次のMEの詠唱を紡ぐ。
エドアルトは危なげなく、夢魔の攻撃をいなしている。
夢魔は、レンの前に立つ自分へ、否、自分達の方へと視線を向けてくるが、こちらへ接近する事は、エドアルトが許さない。
だからこそ、オーアは心置きなく、やるべきことに集中出来るのだ。
戦況は、この上なく安定している。先輩であり、恩人であるアークビショップのような火力は出せないが、このまま着実にダメージを与え続けていけば、問題なく倒せる。はずだ。
そうは思いつつも、詠唱を続けるオーアの表情は険しい。
今の状況なら、何の問題はない。そう理解しているのに。
何故か、欠片も、安心出来ない。
その理由が分からない。
ただ、訳もなく、ざわざわと、焦燥感にも似た何かが、警鐘を鳴らしていた。
そんな中、今現在、まばゆい光を発していたMEの効果が切れ始め、床から立ち上る光が弱くなる。その上から、新たに術式を張り直すべく、オーアが最後の詠唱を紡ごうとした、その刹那。夢魔がエドアルトへと、その白く細い腕を振りかぶった、その刹那。
ふわりと、女の姿が、一瞬揺らいだ。それを目にし、オーアは総毛立つ。
「――っ!! 受けるな! 避けろっっ!!」
走った悪寒に、オーアは叫ぶ。
あと一言で完成していた詠唱も、その術式の維持も、構築も、何もかもを放り投げての叫びだった。
夢魔の攻撃を槍で受ける構えだったエドアルトは、オーアの叫び、そして、オーアが声を上げる直前に見えた女の表情に、咄嗟に地を蹴り、飛びずさる。
相対していたエドアルトからは、はっきりと見えた。弱まる破魔の光の中、苦痛に顔を歪めつつも、女の口元が笑みを作ったのが。
地を蹴ったエドアルトに夢魔が迫る。その拳がエドアルトの構える槍にぶつかる――その刹那。夢魔の手が、腕が、ふっと、槍の柄をすり抜ける。
「っ!?」
思わずエドアルトは息を呑む。次の瞬間、柄をすり抜けた腕の存在感が増す。実体に戻る。
――バキリ。
エドアルトの持つ槍から、嫌な音が響く。
それは、エドアルトの槍を貫通した状態で実体化した夢魔の腕によって、槍が破壊された音だった。それを眼前で目の当たりにし、エドアルトの表情が引き攣る。
当然だろう。もし、あの時避けずに、今までのように受け流そうとしていたら、槍どころか、己の体まで、貫かれていただろう事は、想像に難くないのだから。
そんなロイヤルガードに、女は笑って囁く。
「ざんねん」
(こっわぁぁぁっっ!!)
一連の光景を目にし、オーアは内心で叫び声をあげる。
今現在、戦況が安定しているのは、夢魔の攻撃をエドアルトがいなしているからだ。それが可能なのは、ロイヤルガードである彼だからだ。
自分では無理だと、オーアは理解していた。守り耐えるだけなら、ギリギリいけるかもしれないが、攻撃に回る余裕は一切なくなると見て良い。つまり、もし、エドアルトが戦闘不能に追い込まれれば、戦況は一気にひっくり返される。
向こうもそれを狙ったのだろう。思惑通り、エドアルトがあれを真面に受けていたら、と思うと、ぞっとする所の話ではない。
が、おかげで分かった事もある。そのためにも、まずは。
MEの光が完全に消え失せ、部屋の中は一気に暗くなる。
暗い部屋の中、レンを保護する結界の淡い光だけが、闇の中、淡く浮かび上がっていた。本来なら、急いでMEを貼り直さなければならない所だ。けれど、その前にやらねばならない事があった。故に、紡ぐ、紡ぐ。そして――
「動くなっ!!」
オーアはエドアルトへと声を張り上げる。一瞬、エドアルトが足を止める。刹那、術式を発動させた。
足元から、ロイヤルガードの青年を囲むように立ち上る薄赤の光に、エドアルトは軽く目を見張る。セイフティウォール。物理攻撃を完全に弾く魔術。けれど、それで、今の異様な術を防げるのか、という疑念が一瞬脳裏を掠める。
が、即座に棄却。この手の相手なら、彼の方が専門だ、と信じる事を選ぶ。
ゆらり。
女の姿が揺れる。ぶれる。
ガン!!
女の腕を薄赤色の結界が弾く。それに、エドアルトは小さく安堵の息を零す。そして、間髪入れず、盾を――槍を破壊された際、持ち替えたのだ――振りかぶる。本来は防具であるはずのそれを手慣れた様子で振るう。しかし。
ガンっ!!
再び響いた硬質な音に、エドアルトは思わず目を見開いた。薄赤の光壁がエドアルトの攻撃をも、弾いたのだ。ここで、気付く。オーアが発動させたこれは、セイフティウォールではないと。それによく似た別の術であると。おそらくは、彼が所属している退魔班特有の魔術なのだろう。けれど、重要なのはそこではない。
女がぱちり、と瞬く。今、何が起きたのか、理解出来なかったかのように。だが、それも一瞬だ。
にぃ……と夢魔の口の端が吊り上がる。
「っ、オーアっ!!」
エドアルトが声を上げるのと、夢魔が地を蹴るのは、同時だった。
エドアルトの脇をすり抜け、夢魔が迫るは、金髪のハイプリーストの元だ。それを見据えつつ、オーアは1つ、息を吸う。
刹那、オーアの足元からも、薄赤の光が立ち上る。
ガン、と三度、硬質な音が響いた。
「ねぇ、ちょうだい」
にこり、と笑い、夢魔がオーアの張った結界へと手を叩きつける。
「――何をだよ」
舌戦は、あんま得意じゃないんだけどなぁ、なんて、ぼやきつつも、オーアは応える。
得意ではないという自覚がある故に懸念はあるが、それをしてくれるというのであれば、こちらにとっても都合が良い。ならば、これが最善手だと、判じたのだ。
「あなたを」
言う夢魔に、敢えて、オーアは笑って見せる。
「俺なんだ? レンじゃなくって」
「レンってだぁれ?」
笑みを浮かべて問う夢魔に、引っかかってくんなかったか、と胸中で舌打ち1つ。
「あんたが攫った子だよ」
「攫った子なんていないわ」
「あん――……緑の子」
あんたと一緒に居た子。そう口にしそうになったのを寸での所で押し留めると、咄嗟に別の言葉を紡ぐ。<ruby><rb>一緒に居た</rb><rt>・・・・・</rt></ruby>。その言葉は、夢魔がレンと一緒だった事を認める言葉だ。それを、ずっと<ruby><rb>一緒に居</rb><rt>・・・・</rt></ruby>るはずだっ<ruby><rb>た</rb><rt>・</rt></ruby>子、と曲解されると、非常にまずい。
早い話が、その言葉は、あちらを有利に、こちらを不利にするものだと、ギリギリで気づいたのだ。
あぁ、うるさい。と、オーアは思う。このやりとりの間も、今も、眼前の夢魔が己を守る結界をガンガンと叩きつけてきているためだ。結界を壊そうとしてるのは当然、そして、こちらの冷静さを削ぎ落すためでもあるのだろう。オーアが、今、言葉選びを間違いかけたように。
「あの子は私の」
「違う」
夢魔の言葉をキッパリと否定する。そして、問う。
「理由は?」
「かわいい子は私の子供。それで十分」
「違うだろ」
夢魔の言葉に被せるように、オーアは声を上げる。
「あんたは、あんたの言うかわいい子の親じゃない。親の体を使ってるモノですらない。ただの仇だ。あの子の親の仇でしかない」
そのままオーアは紡ぐ、紡ぐ。
「あんたは肉体を持ってない。そして、力もギリギリ実体をとれる程度に敢えて抑えてる。実体がない相手の討伐は困難だ。退魔班とか、そーゆー奴ら用の対処法、スキルがないと、どーにも出来ないからな。だからこそ、身を守るにはうってつけだ。けど、それはつまり、あんたも、実体を解いてる間は、こちら側に手出しがしにくい。だから、あの子を欲しがった。肉体を持ち、自分の望む通りに、自分の代わりに、動いてくれる奴が」
そう言って、オーアは夢魔を睨み据える。そんなオーアに、何故か夢魔は結界を叩きつける手を止め、オーアを見る。
そして、唐突に、笑った。
「ふ、ふふっ。そう、そう、そうよ。だから、あの子をつくったの。だから、あの子は私のなの」
夢魔のその言葉に、オーアは押し黙る。その様子に、夢魔はくすくすと笑い声を零した。
「けどね、でもね。代わりをしてくれるなら、あの子じゃ、緑の子じゃなくても良いの」
だから、と女は甘く囁く。
「交換しましょう。あなたをちょうだい。そうしたら、緑の子は諦めてあげる」
その言葉に、オーアは軽く目を見張る。次いで、悩むかのように、軽く顔を伏せて見せた。
本当は、手を口元にでもやれば、更にそれっぽく見えたかもしれないが、あいにく、今、手は塞がっているので、無理な相談だ。そんな様子を見せつつ、胸中でのみ、オーアは大きくため息をついた。
(何か、どっか、ミスったっぽいなぁ)
至極冷静に、そう思う。
夢魔がレンを諦める訳がない。オーアはそう確信していた。
代わりをしてくれるなら、あの子じゃなくても良い。それは、本当だろう。もし、<ruby><rb>代わりが出来る存在が他に居るのなら</rb><rt>・・・・・・・・・・・・・・・・・</rt></ruby>という注釈がついているだろうけど。
そもそも誰でも良いのなら、わざわざ手間暇かけて、レンのような存在を作る必要なんてないのだから。
(――<ruby><rb>長持ち</rb><rt>・・・</rt></ruby>するように、と、たぶん、依り代にも出来るように、だろうなー……胸くそ悪い)
レンを作った理由を推測し、胸中で吐き捨てる。
自分の思い通りに動いてくれる肉体を持つモノが欲しい。これだけなら、言い方は悪いが、代わりはいくらでもいる。夢を通じて、操ってしまえばよいのだから。そもそも、それが、実態を持たない魔の常套手段だ。しかし、好きに操れたとしても、洗脳して手元に置いておけたとしても、そうした人間は長くは保たない。
当然だろう。魔は人間の事など、殆ど省みない。まともな寝食がとれず、衰弱していく、なんて、よくある話だ。そうでなくても、魔に憑かれているだけで、魂も、身体も歪まされていく。その先にあるのは死か、魔に引きずられ、人ではないモノと化すかの2択だ。
相手を殺し、その体を自らのモノとするのが目的なら、それで良いのだろうが、今相対している夢魔からすれば、それでは意味がないのだろう。
だからこそ、レンを作った。
だからこそ、レンでなくてはならないはずだ。
夢魔と親和性が高く――当然だ、レンは目の前の夢魔がつくった存在なのだから――、人間らしい生活が出来なくとも問題がない。幼少期、劣悪な環境に居た影響もあり、レンは食物を食べずとも、その気になれば他者の魔力のみでも生きていく事が可能なのだから。まさに、これ以上ない程、夢魔にとって都合の良い存在、という事だ。
故に、故にだ。夢魔がレンを諦めるなんてありえない。そう、オーアは判じる。なのに、目の前に夢魔は言った。オーアが代わりになれば諦める、と。
この一連のやり取りはただの口約束ではない。もしも、オーアが是と言えば、言ってしまえば双方に強制力が発生する。そうなれば、本当に、夢魔はレンに手を出せなくなるのだ。
そんな条件をアレが自ら提示する訳がない。で、あるのならば、今までのやり取りのなかで、どこか、何か、向け道を作ってしまったのだろう、とオーアは理解していた。
それは<ruby><rb>舌戦で片を付けるなら</rb><rt>・・・・・・・・・・</rt></ruby>致命的なミスだ。
バシン、と再び女が結界を叩く。
「いいの? 両方、もらっても」
夢魔は嗤う。早く頷かなければ、このまま結界を壊し、実力行使で全てを得てしまおう、と。
そう笑って脅しをかけてくる。
焦らせ、是と言わせたいのだろう。いや、単純に、遊んでいるのかもしれない。おそらく、相手は今、自身の勝利を確信しているはずなのだから。
(そうであって欲しい、って楽観視も入ってるけどな)
胸中で、オーアは呟く。一撃必殺になりえる思わぬ攻撃に、焦り、慌てて仲間を守る選択をし、結界を張ったが故に、攻撃手段を喪った。その状況で、夢魔をどうにかするために、舌戦に応じたのだと。そう、夢魔が判じてくれたのなら。
それならば、オーアの<ruby><rb>狙い通り</rb><rt>・・・・</rt></ruby>だ。
(――あと、少し)
ここまで来たのなら。もう、<ruby><rb>時間稼ぎ</rb><rt>・・・・</rt></ruby>は十分だ。
窮地に追い込まれているはずのハイプリーストは、ふっと、1つ息をつく。
そして、結界を叩き続ける夢魔を睨み据え、キッパリと、言葉を紡いだ。
「断るっ!」
女が目を丸くする。オーアの言葉は、予想外だったらしい。そんな夢魔に向かって、無理にでも笑みを作り、オーアは強く宣言する。
「俺も含めてっ、この場に居る誰1人っ、あんたになんて、絶対に渡さないっ! って訳で、交・渉・決・裂・だ――っ!!」
ガァン!!
オーアの言葉に被せるように、硬いものがぶつかるような音が響く。
先程より数段強烈なそれは、夢魔がオーアを守る結界を殴りつけた音だ。
今までの脅すためのものではない、壊すための、本気の攻撃。その衝撃に、オーアは歯を食いしばり、呻き声を漏らす。
通常のセイフティーウォールとは違い、今、オーアが、自身とエドアルトの周囲に張った結界は、術者がそれを維持し続ける限り、効果が続く。しかし、結界にかかった<ruby><rb>負荷</rb><rt>ダメージ</rt></ruby>の一部が術者に圧し掛かってくるため、使い所を誤れば、ただ自滅しかねない代物だ。
そんな術式を維持しつつ、オーアは、にっ、と笑みを作り直す。
そして、手にしていたホーリーステッキの先でコン、と床を突いた。――否、床ではない。オーアの持つ杖の先、小さな、けれども小気味よい音を鳴らしたのはトパーズだ。オーアの張った結界。薄紅色の光の膜の内側、オーアの足元に、まるで、隠れるように転がっていたそれは、薄紅色の光を浴び、密かに流したオーアの血によって赤く彩られていた。元は黄色だったはずのそれは、杖の先が触れた瞬間、強い光を放つ。
鮮烈に光輝いたのは、血に濡れたトパーズだけではない。部屋の隅、随所にばら撒かれていた宝石たちも同じように光り輝いていた。それらは、レンが1人奮闘していた際にばら撒かれていたものだ。けれども、実際に使われることがなかったものだ。
それが、今、元々の用途とは別の形で役目を果たそうとしていた。
光が紡ぎ出すのは、この部屋一面の魔法陣。レンが使ったものと同じように思えるそれに、夢魔が警戒の色を見せる。
(――けど、まだどっか、余裕ある感じがするな)
オーアは冷静にそう判じる。夢魔が警戒の色を見せても、焦りは見せてないのが良い証拠だろう。
(ま、<ruby><rb>これ</rb><rt>・・</rt></ruby>そのものに関しては、警戒も何も意味ないんだけどな)
ある意味、敵にポーションを送ったようなもんだし、と胸中で呟きつつも、オーアは声を上げる。
「エドアルトさん!」
レンが発動した時のような苦痛が襲ってこない事に、訝しげな表情を浮かべていた夢魔は、その声にハッと振り返る。が、遅い。
「――!」
オーアが解除した結界からエドアルトが飛び出す。即座に夢魔との間を詰めたロイヤルガードは、大振りの盾を用いて、夢魔を思い切り、弾き飛ばす。
敵をオーアから引き離し、立ち塞がるように、金髪のハイプリーストの前に立つ。厳しく夢魔を睨み据えつつも、エドアルトは、ほっと小さく息を吐いた。
「全く……無茶をする」
「悪いけど、このくらいは無茶に入らん」
「はぁ……。それで?」
「ん。<ruby><rb>大丈夫</rb><rt>・・・</rt></ruby>」
「分かった」
短いやりとりを素早くかわし、オーアは視線を夢魔へと戻す。
白い肌の女は、オーアを守るように立つエドアルトを邪魔そうに見てから、にぃ、と嗤う。
ゆらり、ゆらり、と体を揺らし、次の瞬間、エドアルトへ肉薄する。
ガァンっ!
突き出した女の腕をエドアルトの盾が弾き、見た目にそぐわない重く硬質な音が響く。それに、夢魔は淀んだ赤の瞳を見張る。
エドアルトは何ら、特別な事はしていない。だというのに、一瞬、予想外だという反応を、夢魔は確かに、見せた。
それを目にし、オーアは口の端を上げる。
「もう、さっきのは使えねーぞ。実体が確立する程度まで、強化させたからな」
ガァン!! と先程より、重い音が響く。夢魔の蹴りを盾で受け止めたエドアルトは、一瞬、眉を寄せる。が、やるべき事は変わらぬと、敵の攻撃を防ぎ、お返しとばかりに盾を振るう。
そこで、気付く。手ごたえが変わった。
それを解説するかのように響くのはオーアの声だ。
「ま、その分、こっちの攻撃も届きやすくなってるからな。――覚悟しろ」
口の端を吊り上げ、笑みを作り、オーアは宣言する。
心配してくれたエドアルトには悪いとは思うが、このくらいは、自身が所属する退魔班の上司から、にっこり笑顔でちょいちょい要求される水準だ。本当に無茶はしていない。
が。
ふざっけんなっっ!! と喚き散らしたいくらいには、しんどかった。
何せ、自分とエドアルトを守る結界を維持しつつ、夢魔の舌戦に応じ、それらと同時進行で、本命である、<ruby><rb>己の血を触媒に、レンが使用した宝石に刻まれた術式を書き換え</rb><rt>この魔法陣の発動準備</rt></ruby>をしていたのだから。
4つ同時の術式展開はさすがにしんどかった……本気でしみじみとそう思う。
けれど、<ruby><rb>そのかいはあった</rb><rt>・・・・・・・・</rt></ruby>。
レンがぎりぎりまで頑張ってくれたおかげで、宝石に込められていた魔力はほぼほぼ満タン。長期戦にならないかぎり、問題なく保つだろう。範囲もきっちり、部屋全体――まぁ、つまりは、レンが休んでいる所も範囲内であったが故に、彼にも影響のある、魔に対して攻撃性のある術式は使えなかった側面もあるのだが――。この陣が発する光で視界の確保も充分。となれば――
「あとは、さっさとこいつをどーにかすりゃいい、ってな」
後半戦の開始だ、と、緋色の瞳に好戦的な光を煌めかせ、オーアはマグヌスエクソシズムの詠唱を紡ぎ始めたのだった。
***
「マグヌスエクソシズム!」
ビョンウンゴを中心に立ち上る破魔の光。自分たちにとっては無害なそれが、暗色の巨体にダメージを与えるのを見据えつつ、ヴァレリーは手にした刃を振るう。
戦況は概ね安定していた。
ビョンウンゴの攻撃は、ヴァレリーにとって、ひやりとするものもある。しかし、それも、何度も躱していれば、要領もつかめてくるというものだ。<ruby><rb>十八番</rb><rt>毒</rt></ruby>が効かない事に面白く無さはあるが、そんなものは割り切って、可能な範囲でダメージを与え続けていけば良いだけの話だ。
少し、余裕が出て来たのもあり、ふと、脳裏を過るのは、ここにはいない友人の事だ。
(……向こうはどうなってんだか)
いや、どうなっているも何も、向こうは向こうで絶賛戦闘中だろう。それは分かっている。分かっているからこそ、気になるのだ。
「紅炎華!」
響く柚葉の声に、ビョンウンゴへと降り注ぐ炎。
その赤い光に、ヴァレリーはハッと我に返る。余計な事に気を散らしてないで、まずは、目の前の事に集中だと、意識を新たにした。その時だった。
くつり。ぐつり。
奇妙な音が響く。そう、大きくもない音のはずなのに、妙に反響し、耳の奥をざらりと擦るような、嫌な音。
すぐ気づく。それは、ヴァレリーが睨み据える巨体、ビョンウンゴから聞こえてくる事に。
この部屋に突入する前に聞いたものとは、また違うが、これは。
「……笑ってる?」
眉を顰め、訝し気に、ヴァレリーが呟いた。その直後だった。
「うわぁぁあああっ!!」
「ぎゃあぁぁああっっ!!」
この部屋の外から響くいくつもの絶叫に、ヴァレリーは目を見開く。
一体何が。
反射的にそう思うが、即座にこちらの気を逸らすための罠の可能性に気付き、ビョンウンゴに油断なく向き直る。
反対に、顔色を変えたのが、リーベと柚葉の女性2人だ。
「っ、リーベさん!」
「うん、任せたっ!!」
短く言葉を投げ合い、リーベは身を翻した。ビョンウンゴに背を向け、この場から駆け去っていく。
対ビョンウンゴ戦において、メイン火力であった彼女の突然の行動に、金髪のギロチンクロスは再度目を見開く。
「え、ちょっ!? 何が――」
「上っ!」
つい、ヴァレリーの意識がリーベへと逸れた。刹那響く、朧の声。
ハッと意識を引き戻せば、迫るビョンウンゴの腕。咄嗟に、バックステップで飛びずさる。直後、太く弛んだ青黒い腕が床を叩き、轟音を響かせる。
それにヴァレリーは舌打ちを1つ。間髪入れずに前方へと飛び出した。銀の軌跡が走る。
『何があったっ!?』
反撃とばかりにビョンウンゴを切りつけ、ヴァレリーは同時に、耳打ちを叩きつける。
相手は、この場に残った朧の女性だ。PT会話にしなかったのは、この場にいない友人への配慮だ。
『今の悲鳴は、ビョンウンゴにとらわれているモノ達の叫びです』
淡々と、柚葉は告げる。思わぬ言葉に、ヴァレリーは軽く目を見開いた。
『じゃあ、オーア、あんたらが助けに来た奴、やっぱこっちに居たって事――いや、今の声は複数だった。他にも人が居たのか?』
言葉を紡ぎつつも、ヴァレリーは違和感に襲われる。2階に、ビョンウンゴのテリトリーに足を踏み入れてから、魔物の気配ならいくつもあった。けれども、<ruby><rb>人</rb><rt>・</rt></ruby>の気配なんて――
その思考を遮るかのように、柚葉の声が響く。
そしてそれは、ヴァレリーの思考を肯定するものだった。
『いいえ、あの子はここには居ません。オーアさんが確信をもって向かったのですもの。そちらに居るのでしょう。そして――』
一呼吸置き、柚葉は言う。
『この場に、アレのテリトリー内に、私達以外の<ruby><rb>生存者</rb><rt>・・・</rt></ruby>は居ません』
その言葉に納得する。ヴァレリーが他者の気配を読み逃していた訳ではなかったらしい。
『モノ達、ね』
『えぇ。人だったモノ達です。死して尚、アレが力を蓄えるために囚われている人々です。アレを見てください。気付きませんか?』
柚葉の言葉に、ヴァレリーは巨体に目を走らせ、そして気付く。
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02:40
ルキナ
とりま、ビョンウンゴ戦中盤開始くらいまで。先に夢魔戦書き上げてから続き書くので、しばし、このまま放置
22:31
ルキナ
はーーー。緊迫感のある戦闘シーンを書けるようになりたい……
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その呼び声は過去との決別7
初公開日: 2023年10月30日
最終更新日: 2023年11月04日
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お試し。ROの2次創作。