幾度目かなど、当に分からなくなったマグヌスエクソシズムを唱え、オーアは小さく息をつく。
(……ちょっと、よろしくねぇな)
目の前の光景を睨み据えつつ、胸中でそうごちる。
床から立ち上る破魔の光。盾を攻守共に使っているロイヤルガードの広い背中。エドアルトの振るう盾を受け、破魔の光を浴び、表情を歪ませる夢魔。
先程から変わらぬそれらは、戦況が安定しているとも言えるだろう。
「ヒール。キリエエレイソン。ブレッシング。速度増加」
軽く息を吐き、<ruby><rb>術式を紡げ</rb><rt>ディレイがあけ</rt></ruby>るようになるや否や、即座に紡いだ支援魔法はエドアルトへと降り注ぐ。
次いで、同じようにオーアは自分自身にも、それらをかける。キリエエレイソンもかけるのは、先程までオーアを守っていた結界は既に解除済みであるからだ。
あれを維持したまま、マグヌスエクソシズムを唱えるのは負荷が大きい。
ガンッ、と断続的に響く金属音と打撃音。それらを耳にし、口では次のマグヌスエクソシズムの詠唱を紡ぎつつ、オーアは、ひたと夢魔を見続ける。
その動きを、表情を、観察し、見えてくるのは未だ漂う相手の余裕だ。
対策は出来ているはずなのに。戦況はこちらに有利な状態で安定させられているのに。
夢魔に、焦りは見られない。それが――
「っ、マグヌスエクソシズム!!」
こぽり、と浮かび上がりそうになった怖れ。それを即座に蓋をする。それでも尚、纏わりつくような不安を振り払うように、オーアはマグヌスエクソシズムを発動させる。
そして、1つ息をつき、唱えるのはエックスエーテルナ。刃のような形の白い光が夢魔へと降り注ぎ、ギ、とも、ギャアともつかない短い悲鳴が女の口から漏れる。
けれど、それだけだ。
夢魔はすぐに余裕の笑みを取り戻し、エドアルトへと襲い掛かる。
取り戻しているのは、笑みだけではない。鮮烈な破魔の光に焼け爛れた肌も、エドアルトの盾によって赤く腫れあがった腕も、瞬く間に、元の様相を取り戻していた。当然、今現在対峙しているロイヤルナイトが槍を使ってる間につけた裂傷など、既に見る影すらない。
『――大丈夫かい?』
不意に響いた耳打ちに、オーアは少しだけ目を丸くする。
『……それは、こっちのセリフだと思うんだよなぁ』
実際に対峙してるのはエドアルトで、こちらは守られている側だというのに何を言っているのだろう。
半分呆れの混じった息を吐き、オーアは眼前で戦うロイヤルガードの背を見る。オーアから見る分には、未だエドアルトから疲れ等は感じられない。けれど、レンを助けにこの部屋へ飛び込んでから、そこそこの時間が経っているのも事実だ。
『――悪い。大分、長引かせてる』
故に、正直な感情を吐露すれば、目の前の光景とはかけ離れた穏やかな声が返る。
『この程度なら、何の問題もないから、気にしなくていい。けど、さっきのアレは、さすがに困るな』
代えの装備にも限りがあるし、夢魔の攻撃を全て回避する自信はない、とエドアルトは苦笑交じりの声を零す。今は問題ないが、今起動している魔法陣の効果が切れたら、少々まずいと言う事だ。それに、オーアは大丈夫だと応える。
『レンが頑張ってくれたおかげで、フルに使えてるから、まだしばらく、陣の心配はいらない。それが切れるまでには、倒す』
『倒せるかい?』
穏やかな声色はそのままに、ひたり、と冷静にエドアルトは問う。感情論などではなく、現実問題として、このままでそれが可能と見ているのかと。
その声に、オーアは一瞬、言葉に詰まる。
エドアルトも気づいているのだ。夢魔にはまだ余裕があると。間近で相対しているのだから、至極当然だ。
故に、オーアは口では次のマグヌスエクソシズムを唱えつつも、慎重に言葉を綴る。
『……正直なとこ、こんだけ保ってる上に、余裕すら剥ぎ取れないのは予想外』
『回復速度が異常だね。なにかスキルを使っている様子も見られない。自己治癒能力が高い?』
『いや、ダメージを受けた分の力を<ruby><rb>器</rb><rt>・</rt></ruby>から補充し続けてるだけだ。ダメージ分は確実に削れてる』
『器?』
『ん。器ってゆーか、依り代ってゆーか、ある意味本体ってゆーか……』
『はっきりしないね』
『核、って言えばいいのかな。さっきも言った通り、こいつは実体をとれるかとれないかって所で力を、敢えて抑えてた。じゃあ、ずっと弱いままでいたのか、って話だ。最低でも確実に人1人は憑り殺し、レンみたいなのを作り上げるなんて事やってんだ。弱いままな訳がない』
『あぁ』
『って事は、夢魔自身とは別に何か、夢魔にとって余剰な力を蓄える器があるって事で、ついでに言えば、器になりえるのは、本当に弱くて実体がとれなかった頃、夢魔が依り代にしていたものだ。本来なら、それは夢魔が実体を得られた後も核で在り続けるはずなんだけど……こんな即座に回復する程強く太いつながりがある器なんて、それくらいしか考えられない』
『なるほど。だから、器と言いつつ、そんなにあいまいな表現だった訳だ。今は別の物を核としているから、器として使用できる元核って事か』
『ん。ふっつーーーーは、そーゆーコトしないんだけどな……』
『器はここにあるのかい?』
『ある』
『なら、器を狙った方が手っ取り早いかもね』
エドアルトの言葉に、オーアは一瞬視線を揺らし、何事もなかったかのように返答する。
『――いや、それをやるには火力が足りない。ガッチガチに護ってるから』
『まぁ、当然の措置か』
『だな。レンを作り上げた時に相当力使ってるはずだし、器の守りにも力を割いてる。陣の効果でアレにとっての通常よりダメージが入りやすくなってる。こんだけ条件揃ってるんだから、正攻法で削り切れると踏んでたんだけどなぁ……』
けれど、オーアの予想以上に相手は力を蓄えていたらしく、まだ余裕すら崩せていない。
このままでも削り切れると信じてはいるが、他の手も検討するべきなのは確かだ。
そう考えるオーアに、エドアルトの声が届く。
『このまま正攻法。器の破壊。その他の手、だと……封印、とかかな?』
『封印は無理。触媒とか、それ用の準備が要る。そんなの、今回持って……』
持ってきていない。そう紡ごうとした刹那、オーアの脳裏を過ったのは、1枚のお札。
この街のシャーマンから貰い、ビョンウンゴの前で使用した振りをしたそれは、今もまだ、オーアの手元に――ある。
これを上手く仕えたのなら、封印は可能だ。
新たに見つけた光明に、パッと手が伸びそうになるが、即座に否、と思いとどまる。
お札を使って、封印する。
そこまでは良い。
問題は、どうやってやるか、だ。
仮にそのまま器に封印を施したとしても、目の前の夢魔が野放しでは意味がない。
他の魔なら、それで十分なものが大半だろう。けれど、目の前の夢魔に限って言えば、封印<ruby><rb>程度</rb><rt>・・</rt></ruby>では、器と夢魔の繋がりを絶つ事は出来ないだろう。
(――なら、どうする。封印するなら、夢魔の体と器、一緒にやらないと意味がない。けど、この札、触れたモノのみが対象のタイプだ。複数を対象にはできない。……夢魔にどーにか器を回収させるか?)
そこまで考え、オーアは心の中で首を振る。
思考に意識の半分以上を割きつつも、緋色の瞳は、エドアルトと夢魔の攻防を見据え、舌は次の詠唱を紡ぎ続けている。
(――や、ダメだな。持ったくらいじゃ何の意味もない。完全に吸収同化でもしない限り、札を夢魔に使っても、器からまた夢魔が復活して終わりだ。まー、お札使って、夢魔の実体を一気に消す訳だから、器から夢魔が復活するまで数十秒くらいはかかるだろうけど、そんなんじゃ何の意味も――)
そこまで考え、オーアはハッと気づく。
夢魔が消え、器のみとなる短い間。そこで器に札を使えば、完全にあれを封印することが出来る。
その閃きを切っ掛けに、思考が加速する。
夢魔も一気に滅する。
札は1枚のみ。
夢魔の体には使えない。
別の方法。
夢魔の回復速度は異常に早い。
微かにでも火力が足りなければ今までと同じだ。即座に回復されるだけ。
そこで、思考が鈍る。オーアの眉が寄る。
(ダメだ。今の俺だと火力が足んねぇ。エーテルナ入れてのMEは何度もやってるけど、この状態だかんな。うーあーー、後、あと何かないか? 場合によっては、エドアルトさんに向こうに行ってもらって、こっち籠城の耐え一択。で、さっさとビョンウンゴ倒してリーベさん連れてきてもらうべき、かも――)
今はビョンウンゴとの戦闘真っただ中であろうリーベの姿を思い浮かべたその時、ふと、彼女の声が、脳裏を過った。
――「あら、オーアちゃん! こんな所で奇遇ね」
弾むような声が、脳裏にその時の情景を描き出す。
大聖堂の広い廊下。背後から響いた明るい声が大聖堂内特有の静謐な空気を打ち破る。
「あ。リーベさん」
振り返り、見えた姿に挨拶を返す。
そして、言われたこんな所、という言葉に、確かに、と頷きを返した。
「聖堂内で会うとか……連行されてる時くらいしか、記憶にないや」
あははと乾いた笑い声がこぼれ、つい、遠い目になる。そんなオーアに、リーベは笑みを深めた。
「うーふーふー。それはオーアちゃんの自業自得じゃないかなぁ? それはそうとして、どうしたの? 禊帰り? オーアちゃんが所属しているとこは、こっちじゃないでしょう?」
柔らかな薄茶の髪を揺らし、リーベは小首を傾げる。オーアの所属している退魔班は、こちらとは全く別の方向にある。そのため、ご最も、な質問だ。
だというのに、オーアは気まずげに視線を逸らす。
「いや、あー、えーっと……」
答えになっていない声を漏らし、視線を彷徨わせるその様はやましい事があります、と言わんばかりだ。
当然、リーベに、それを追求しない、なんて選択肢が存在している訳がない。
逃げる事は許さないと、リーベはガシッとオーアの腕を強く掴む。
「どうしたのかなぁ? まさか、ホントに逃げて来たとこだったりしないわよねーぇ?」
禊場は、こちらの方向にある。
禊なんてしなくて大丈夫だと、オーアが逃げ出した前科はいくらでもある。そして、オーアのこの態度。言葉を紡ぎつつも、またか、とリーベが確信したのは、当然の結果だろう。
後輩の腕を強く掴んだまま、リーベは足を踏み出した。その行動と、リーベの進行方向で察したらしい。オーアは慌てた声を上げる。
「違っ! 誤解っ!! 違うからっ! 腕掴むなっ、引っ張るなっ!! ホントに違うからっ!! そっちに用はないからっっ!!」
慌てふためき、必死に訴えるオーアの言葉に嘘はないと判じ、リーベは足を止めると、オーアを見る。
「じゃあ、どうしたのかしら?」
柔らかな声に反して、沈黙は許さぬと圧を放っているリーベの問いに、オーアは一瞬たじろいでから、深々と諦めのため息を落とす。
「ん、っと。その、ハイプリの方のスキル、技術保持上限まで覚えきったから、極めたって報告してきたとこだったんだよ」
思わぬ言葉だったのだろう。リーベの瞳が丸くなる。
「あら、おめでとう。……なら、転職許可が出た、という事かしら?」
言祝ぐ言葉と笑顔とは裏腹に、リーベの声色は、どこか淡々としているようにも聞こえる。
けれども、そんな事には、全く気が付かなかったらしい。オーアはそれらに何の反応も返すことなく、ただ、リーベの問いかけに眉を下げた。
「いやー、それが、その……」
煮え切らない言葉、気まずげに揺れ動く視線。朗報を告げようとしているとは思えない態度だ。
そんな様子にリーベが訝し気に首を傾げる。と、同時に、金髪のハイプリーストはガックリ、と大きく肩を落とした。
「身体能力値、足りてないから、もうちょい強くなってから来いって言われました……」
ぺしょり、とオーアはしょぼくれる。そんなオーアに、耳を伏せ落ち込む犬を幻視しつつ、リーベはほっと、小さく息を吐く。
――なるほどね……良かった……
吐息に何か、声が紛れていた気がして、オーアは顔を上げ、ぱちり、と目を瞬かせる。
「リーベさん? 今、何か言ったか?」
聞き取れなかった。と言うオーアに、リーベはにこりと笑みを作る。
「うぅん、何も?」
軽い口調で紡いでから、慰めるように、リーベはぽんぽんと軽く、オーアの肩を叩く。
「まぁ、気にしなくて良いよ思うわよ。オーアちゃん、正規転生で、しかも最年少でのスタートでしょう。知識とスキルに身体が追いつくのに時間がかかるのは当然だわ」
リーベの言葉は正しい。
正規転生とは、ヴァルキリーによる従来の転生の儀の事だ。それを受けると、肉体年齢が冒険者登録した時まで巻き戻り、冒険者を長く続けられるようにか、研鑽の時を長く取れるようにか、老化速度が緩やかになる。
老化速度が緩やかになる、と言えば聞こえはいいが、つまりそれは、未成熟な子供の体から、大人のそれへと成長する時間も同様という事だ。
オーアの場合は、冒険者登録可能最少年齢である12歳まで、肉体年齢が巻き戻った。そこから再び成長し直しているのだ。
事実、今のオーアの姿は、一応青年を呼べるものだが、<ruby><rb>プリーストだった頃</rb><rt>未転生時代</rt></ruby>、スキルを修めきった頃の姿と比べれば、間違いなく転生後の今の方が若い。幼いと言って良いくらいに。
それを、オーア自身も分かってはいるのだろう。ん、と小さく声を漏らして、頷く。
そんなオーアに微笑を浮かべるリーベだったが、はたと、何を思いついたかのように、声を上げた。
「あ。そうだ、オーアちゃん」
「ん?」
小首を傾げるオーアの前で、リーベは己の荷を弄る。そして、取り出したのは、赤い雫型の結晶がついたアクセサリーだ。それをオーアに手渡しつつ、にこりと笑って、リーベは言う。
「ハイプリースト、極めたお祝いに、これ、あげるわ」
自身の手の上に置かれた赤い結晶に、オーアはしぱしぱと目を瞬かせる。
「……これは? アクセみたいだけど」
じんわりと温かな光を帯び、緋色から紅色のグラデーションがかって見える色合いの結晶。光加減によっては、マゼンタ色の光を反射させている。そして、強い魔力が宿っているのがありありと分かる。そんなものが、ただの装飾品であるはずがない。
故に、そう問いかけたオーアだったが、次の瞬間、耳を疑う単語が飛び込んできた。
「戦乙女の雫」
「は……?」
オーアは呆気にとられた声を零す。
ぴしり、と体が石化したかのような心地がした。
戦乙女の雫。
オーアも、ME型の聖職者だ。己の戦法に関わりのある装備の情報は、ある程度集めている。
だからこそ、今現在、己の手の上にあるコレが、<ruby><rb>そう</rb><rt>・・</rt></ruby>だとは思いたくなかった。けれど、で、あるならば、コレから感じる強力な魔力にも納得がいく訳で……
硬直したまま、思考が空回る。そんなオーアをどう見たのか、リーベは軽く肩を竦めて、言葉を付け加える。
「まぁ、今のオーアちゃんには、まだ扱えない代物ね」
そこじゃない。
オーアは反射的に声を上げる。
「や、そうじゃなくってっっ!! それっ! めっちゃ高いって聞いた覚えがあるんだけどっっ!!」
もちろん、その値段にふさわしい効果を齎す事も知ってはいる。が、再度言うが、問題はそこじゃない。慌てた声を上げたオーアに、リーベは口元に人差し指を当て、声を漏らす。
「あー……まぁ、相場は、今はまだ見ない方がいいかもね?」
にこっ、と笑ってリーベは小首を傾げて見せる。
オーアは戦慄した。ぶわっと総毛立つ。だって、それはつまり、<ruby><rb>オーアの言葉の肯定</rb><rt>超高いって事</rt></ruby>だ。
「ちょおおおおーーーっっ!! んな、おっそろしーもん貰えるかっっ!!!」
オーアは反射的に叫ぶ。同時に、手の上に在った赤い結晶を放りそうになり、慌てて、キャッチする。
仮にも、3次職用の装備である。少しくらい落としたところで、壊れるどころか、傷1つ付くことだってないだろう。分かってはいる。分かってはいるが、そういう事ではないのだ。
だというのに、薄茶色の髪のアークビショップは、オーアの慌てようを見ても、何てことないかのように言うのだ。
「いいから、持っておきなさい」
冗談じゃない。
オーアは付き返そうと試みる。繊細なガラス細工でも持つかのように、戦乙女の雫をそっと包んだ手を、リーベへと突き出した。そして、首を振って訴える。
「いやいやいやいや、リーベさんも使える奴だろそれっ。使える人が持ってた方が良いって、絶対っ!!」
「あら、私はもう持ってるから言ってるのよ」
さらりと返された言葉に思わず閉口する。
それ、相当な高級品だろ、2つも持ってるってどういう事だ。
そうは思うが、それでも、それとこれとは話が別だ。
「いや、でもさぁ――」
言い募ろうとするオーア。それを片手で制して、リーベは言う。
「それに、ただあげるって訳じゃないの。それは、万が一の時のお守りであり、試金石」
「へ?」
リーベの言葉に、オーアは呆気にとられたかのように目を瞬かせる。それを、落ち着いて話を聞ける状態になったと判じて、<ruby><rb>アークビショップは</rb><rt>オーアの先輩として</rt></ruby>話を続ける。
「そんな反応をしたって事は、効果は知ってるんでしょう? ……まぁ、そんな事はない方がいいんだけど、装備をちゃんと扱うには、力量が足りなくても、<ruby><rb>使えなくはない</rb><rt>・・・・・・・</rt></ruby>のは知ってるわよね? それ相応の反動があるから、本っ当にやって欲しくはないんだけど!!」
なら、そもそも、こんな<ruby><rb>高級品</rb><rt>もの</rt></ruby>渡そうとすんな。
そう思いはするが、彼女の言ってる事も分かる。多少の無茶でも、死ななきゃ安い。そんな窮状に陥る可能性は十分あり得る。そんな万が一の時の切り札として使えと。
そういう事だ。
「あぁ、万一のお守りってそういう……でも、確かに、そういう意味だとありだよな……」
「最近、何があるか分からないからね」
「ん」
本当に。
冒険者である以上、厄介事やトラブルは切っても切れない腐れ縁だが、出会う機会は少なければ少ない方が良いし、自力でそれを切り抜ける手段は多ければ多い方が良い。
それを思えば、確かに、少々、迷う。
「……ちなみに、試金石ってのは?」
ついでに気になった事を問いかけると、リーベはなんてことない顔で、軽く肩を竦めた。
「それを渡す条件みたいなものね。それ、ちゃんと使えるようになれば、問題なく転職水準には達してるから、扱えるようになったら、転職して、って事」
条件、なんてリーベは言うが、それは、オーアにとって利点でしかない。
「何度も測定に足を運ぶにはヤだったから、それは逆に分かりやすくてありがたいけど……お守り的にも確かにありだけど……んん~~~、さすがに貰っていいもんじゃないだろこれ」
問題はそこだ。
もし、戦乙女の雫が、オーアでも少し背伸びすれば手が届くような値段であれば、もっと素直にありがたく、受け取っていた。しかし、実際は、今のオーアでは逆立ちしたって、手が届かない金額のはずである。
オーアが<ruby><rb>冒険者登録前</rb><rt>幼い頃</rt></ruby>からの付き合いで、度々世話になっている自覚も、なんだかんだ気にかけてもらっている自覚もある。
が。
オーアとリーベの間柄は、基本的には、ただの先輩後輩だ。それを踏まえれば、それは、ただの厚意として受け取っても良い限度を超えているように思えたのだ。
そんなオーアに、リーベは、ふっと苦笑を零す。頬に手を当て、仕方なさげに笑った。
「ん-、そうねぇ。じゃあ、オーアちゃんが転職して、今よりもっと稼げるようになったら、新しく、買ってもらおうかしら」
つまり、譲渡ではなく、貸与。
それならば、ギリギリ、許容範囲内……と言えなくもない。オーアがそれを入手出来るようになるまでの時間諸々を考えれば、それでも思う所はまだある。けれど、目の前の恩人に残念そうな顔をさせたい訳ではないし、自分にとって非常にありがたい申し出なのは、考えるまでもない。
故に、オーアは、少しだけ眉を下げ、苦笑した。
「……ん。分かった。じゃあ、甘えさせてもらって、しばらく、貸してもらうな」
そんなやりとりを経て、借り受けた戦乙女の雫。それは、当然、今も所持している。それを使えば、火力は数段跳ね上がるだろう。
(――とはいえ、だ)
発動した破魔の光の中、呻く夢魔へとレックスエーテルナを唱えつつ、オーアは思案する。
本来であれば、3次職に至れる程の力量が無ければ扱えぬ装備だ。それを<ruby><rb>転生2次職</rb><rt>未熟者</rt></ruby>の身で使うのであれば、それ相応の反動は覚悟しなければならない。
が。正直、それ自体は大した問題ではない。
<ruby><rb>思念体シューズのような装備の</rb><rt>精神面に異常がくる</rt></ruby>反動でなければ、それこそ、死ななきゃ安い、だ。
問題なのは、その後だ。褒められた経験でない事は、百も承知だが、やむを得ない状況に陥り、術式の反作用の一部を受けた事がある。原因は、装備ではなく、<ruby><rb>ブルージェムストーン</rb><rt>反作用の中和をしてくれるもの</rt></ruby>に込める魔力が不十分な状態で術の行使を強行した事だが、おそらく似たような事になるだろうと、予測できる。
つまり、高確率で行動不能に陥る。
あの時は、術の強行後、実際に反動が来るまで、若干のタイムラグがあった。それを踏まえて考えれば、戦乙女の雫を使ったマグヌスエクソシズムを唱えた後、即封印を行えば、ギリギリイケるはず。
そう算段を立てた所で、オーアはきり、と険しい目を夢魔へと向ける。
(――問題は、<ruby><rb>それ</rb><rt>・・</rt></ruby>で本当に、アレを封印出来る状態まで持ってけるか、ってとこだ)
戦乙女の雫の力を借り、高火力で夢魔を一気に浄化。<ruby><rb>復活</rb><rt>再生</rt></ruby>する前に封印する。
オーアが描いた筋書き通りに事が運んだなら、良い。けれど、<ruby><rb>もしそうならなかったら</rb><rt>・・・・・・・・・・・</rt></ruby>。
結果がどうなろうとも、戦乙女の雫を使った時点で、運が良くて戦闘不能。そうでなければ、行動不能だ。となれば、もしも、夢魔を浄化しきれなかった場合、エドアルトが足手まとい2人を抱えて戦う事になる。
それはほぼ詰みだ。
今現在、夢魔がエドアルトと戦っているのは、そうせざるを得ない状況にしているからだ。
オーアが自衛しつつ、レンを守り、そんなオーアをエドアルトが守っている。その陣形が崩れれば、間違いなく、夢魔はエドアルトになど目もくれず、<ruby><rb>レンかオーア</rb><rt>魅力的な獲物</rt></ruby>の方を狙うだろう。
先程、エドアルトの攻撃が、結界に阻まれた時、真っ先にオーアを狙ったように。
そんな状況に陥れば、さすがのエドアルトも、2人を守り切るのは難しいだろう。故に、詰みと表現した。
(……やっぱ、どれを選んでも賭けだな)
声に出さずに呟いて、オーアは思考を整理する。
現状、取れる手は3つ。
1つは、このまま、戦闘を続ける事。
メリットは、1番戦況が安定している事。
リスクは、夢魔の様子から、陣の効果時間中に倒しきれない可能性がある事。もし、陣が切れれば、エドアルトが危険であり、それを守ろうとすれば、エドアルトは攻撃出来なくなるし、オーアも攻撃する余裕はなくなる。つまり、夢魔に対して攻撃出来なくなる。
2つめは、エドアルトにビョンウンゴの方へ加勢に行ってもらい、リーベ達を待つ事。
メリットは、エドアルトが加勢する事により、ビョンウンゴ組の決着が早くなる事。そして、エドアルトがここへの案内も出来るため、彼女達の合流が早まる事だ。リーベ達が来てくれれば、どうとでもなる。
リスクは、向こうがどのくらいでケリを付けられるが分からない事。更に言えば、リーベ達が来てくれる前に、オーアが耐えきれなくなれば、the end、だ。ついでに言えば、この作戦をエドアルトが了承してくれるかも分からない。
3つめは、今考えていた通り、戦乙女の雫の使用と封印の決行だ。
メリットは、短期決戦で、ビョンウンゴ組に頼ることなく、ケリをつけられる。
リスクは、失敗すれば、ほぼ詰み。
(――個人的には、リーベさん達に頼りっぱ、ってのも、っては思うんだけどな。ここで、優先なのは、レンだ。って、なると、リーベさんが来てくれた方が確実か。なら、2かなー。向こうケリついてんなら、パーティ会話の1つや2つ入りそうだし、戦闘中だよなぁ。向こうも長引いてるってのが、ちょい怖いとこだけど、んな事言ってる場合じゃねーしな)
時間も、体力も、魔力も有限だ。
動くなら早くしなければ。そう考え、エドアルトに声をかける――より前に、当然のように紡いでいた魔術を放つ。
「マグヌスエクソシズム!」
前回の破魔の光が薄れ、消えていくのに合わせ、唱えたマグヌスエクソシズムは、再度、床から鮮烈な破魔の光を立ち上らせる。幾度となく見た光景。
光の中で戦うエドアルトへと、耳打ちを送ろうとして、ふと、オーアは夢魔へと目を向ける。
見た目とかけ離れた、重さのある蹴りを、拳を繰り出す女性。その下半身はマグヌスエクソシズムの光で殆ど覆い隠されて、視認しづらくなっている。
自然と思った。
(運が良かったな。この状態の時に、実体化解かれてたら、たぶん、気付けなかった)
あの時、<ruby><rb>たまたま</rb><rt>・・・・</rt></ruby>、<ruby><rb>マグヌスエクソシズムが終わりかけで光が弱まった</rb><rt>丁度良い明るさだった</rt></ruby>から、気付くことが出来たのだ。
そこで、ふと、疑念が生じる。
(――運良く? たまたま? ……本当に?)
この夢魔は頭が良い。ただ、力を蓄え強くなるのではなく、力が弱かった頃のメリットを理解し、それを維持した上で、力を蓄えてきたこと。意図的か偶然か、断定はできないが、ビョンウンゴの陰に隠れるように動いていた事。実際に対峙しての感想、ひっくるめての判断だ。
そんな相手が、そんなミスをするだろうか。
あれは、夢魔にとって、切り札に近いもののはず。それを、そんな杜撰な使い方をするだろうか。
そもそも、初手で、アレを使われていたら、エドアルトは真面にくらった可能性が高い。
故に、オーアは考える。
もしも、あれが、たまたまでないのなら、あのタイミングである必要が、あったのであれば、それは――
ぞくっ。
紡ぎ出した答えに、冷たい高揚が走る。
突破口を見つけた興奮と、それが本当に正しいのかと言う疑念。これに賭けるべきだという直感とそれで本当に大丈夫なのかという不安。正と負の感情がぐちゃぐちゃに混ざったものだった。
緊張に、軽く頬が引き攣り、けれども、小さく口の端が上がる。
夢魔が実体を解いた状態とは、つまり、夢魔が自らを弱体化させた状態だ。もし、その状態でまともにマグヌスエクソシズムをくらう訳にはいかなかったとしたら。だから、マグヌスエクソシズムが効果を喪うタイミングを掴むまでは、アレが使えず、だからこそ、あのタイミングで、仕掛けてきたのだとしたら。
それは、つまり、実態を解いた状態でならば、オーアのマグヌスエクソシズムで、削り切る事が出来る、という事だ。
もちろん、現状が示すように、夢魔がしっかり実態を維持しているうえに、魔法陣の効果で<ruby><rb>耐久力</rb><rt>HP</rt></ruby>が底上げされてるこの状態では、どうにも出来ないだろう。
けれど、魔が<ruby><rb>小細工</rb><rt>特殊な術式や道具</rt></ruby>なしで、どの程度、己の体や力を操作できるか。オーアが起動させた陣で、どの程度魔が強化され、どの程度、破魔系の術が効きやすくなっているのか。
それらの情報は、知識、経験、どちらの観点からも、オーアの中にある。
それらの情報を踏まえ、考えれば、戦乙女の雫を使えば、十二分にイケる。そう、オーアに確信させるには十分だった。
ただし、この仮説が正しければ、という注釈がつく。
もしその前提が間違っていれば、全てがひっくり返されるだろう。
それを思えば、不安は強い。
けれど――
オーアは、大きく息を吐き、覚悟を決める。
眼前には眩い破魔の光に照らされた夢魔。そして、対峙するエドアルト。
丁度、<ruby><rb>術式反動</rb><rt>ディレイ</rt></ruby>も解けた。オーアはすぐさま、夢魔へとエックスエーテルナを唱える。続けて、もう1度、エックスエーテルナ。
そして、今まで通りなら、そろそろ次のMEの詠唱をし始めなければならないタイミングで唱えたのは、エドアルトを対象としたキリエエレイソンだ。
キン、と高い音を立て、眼前に構成された防護壁にエドアルトは一瞬目を見張る。が、即座に、何事もなかったかのように、夢魔との応戦を続行する。
ロイヤルガードの背しか見えない、オーアの視点からではエドアルトの反応に気づくことはなく、ただただ、エドアルトと夢魔の戦闘を注視する。
本来であれば、次のMEの詠唱を開始するタイミングも、敢えて放棄。
そっと、取り出した赤い雫型の結晶を、ブルージェムストーンと一緒に握りしめつつ、タイミングを計る。
狙うは、MEの光が消え始める瞬間。
「レックスエーテルナ!」
本来であれば、MEの張り直しを行うべきタイミングで夢魔に降り注ぐ、白い光。
今まさに、盾を夢魔へと、振り下ろそうとしていたエドアルトは、慌てて盾を引き戻し、そのまま夢魔からの攻撃を防ぐ。
絶えず続いていたマグヌスエクソシズムの光は途切れたが、夢魔の実体化を固定させるための陣が発している光によって、視界の確保は出来ている。故に、夢魔との戦闘に支障はない、が。
『オーア?』
『エドアルトさん悪い。ちょっと、耐えるのよろしく』
『何か、考えがあるんだね? 了解』
さすがに訝しく思ったらしい、エドアルトとそんなやりとりをさらりと交わす。
詳しく聞くことなく、信頼して任せてくれたロイヤルガードに感謝の念を送りつつ、オーアは1つ、息を吸う。
そして、術式反動が解けると同時に、戦乙女の雫<ruby><rb>に魔力を通す</rb><rt>を装備する</rt></ruby>。
刹那。
ぐわん。
「―――っっ」
頭を思い切り殴られたかのような、衝撃と眩暈がオーアを襲う。
理由は言わずもがな。
正規に扱うには、力量の足らない状態で、扱おうとしてるのだ。足りない分は、魔力で補え、とばかりにものすごい勢いで魔力が吸われていく。オーアに降り掛かった眩暈は、急激な魔力消耗によるものだ。けれど<ruby><rb>そんな事</rb><rt>・・・・</rt></ruby>に気を取られている場合ではない。急がなければ、マグヌスエクソシズムを放つ魔力まで奪われる。
そう理解したからこそ、オーアは自身を襲う不調を全て、意識の外へと放り投げ、詠唱を行い、魔力を編む。
戦乙女の雫と一緒に握り締めたブルージェムストーンが淡い光を帯び、ちかちかと瞬いた。
そして。
「っ。マグヌスエクソシズムっ!」
エドアルトと夢魔の足元から立ち昇る鮮烈な破魔の光。
無茶をしたかいはあったらしい。
夢魔は、叫ぶ間もなく、光に搔き消される。あっけないようにも思える光景。
上手くいった。
一瞬、オーアの胸に歓喜が沸き上がる。けれど、そんな場合ではない。重要なのはここからなのだから。
故に、<ruby><rb>そこ</rb><rt>・・</rt></ruby>へ向かって、駆け出――そうとして、足の力が抜けた。
そのまま、オーアは床に叩きつけられる。
「ぐっ、う……」
頭を揺さぶられているような強烈な眩暈と、猛烈な吐き気。気持ちの悪さと痛みが体中を暴れまわるかのようなそれには、覚えがあった。ジェムストーンが、術式の反作用を相殺しきれず、術者に反動が来た時の症状だ。戦乙女の雫に魔力を取られ、ブルージェムストーンに籠める魔力が足りてなかったのだと、反射的に理解する。が、それ所ではない。倒れている場合ではない。
無理矢理、腕を動かす。床に手を突き、上体を起こす。時間がない。失敗する訳には。焦りが募る。
その時、声が聞こえた。
オーアに何かやろうとしているのは、分かっていた。
故に次に立ち昇ったマグヌスエクソシズムの光が夢魔を焼き、白い服の女が光に溶けるように消えても、エドアルトにとっては予定調和だった。ほっと、小さく息をつく。
だからこそ、背後から響いた重い音に振り返り、エドアルトはターコイズブルーの瞳を大きく見開いた。
「オーア!」
床へと倒れ込み、けれども、腕を床につき、支えにして、上体を起こそうとしているハイプリーストの姿に慌てて駆け寄ろうとする。その刹那。
「っ! 右の戸棚! 上段、左っ! たぶん木製っっ」
苦し気に表情を歪めつつ、オーアはエドアルトの方を見向きもせずに、声を張り上げる。その表情の険しさは、苦痛だけが原因ではない。
そう、気付く。まだ、終わっていない。
それを察したエドアルトは、反射的に地を蹴った。向かうは、オーアの視線の先。
部屋の隅に壁を背にして置いてある戸棚。2つ並んだそれらの内、右の棚の戸を力任せに引く。ずっと放置されていたためか、ギ、と軋んだ音を立て、一瞬の引っかかりを見せた後、勢いよく、戸棚が開く。
瓶やコップ、細々とした雑貨などが並べられているなか、エドアルトは視線を走らせる。棚の上部、左側。と、目に留まったのは、棚の上から2段目、左奥にひっそりとあった木塊。古びた木の心臓だ。見つけると同時に反射でそれを掴み取る。
ぞわり。
古びた木の心臓を掴んだ瞬間、怖気が強く、エドアルトの背筋を駆け抜ける。コレだと、確信した。
即座に破壊するべきだ。
直感的に、そんな衝動に襲われる。
それを行動に移しかけたところで、脳裏を過ったのは、先程、オーアと交わした会話だ。
『なら、器を狙った方が手っ取り早いかもね』
『――いや、それをやるには火力が足りない。ガッチガチに護ってるから』
確かに、そう言っていた。ならば――
ざわり。
嫌な予感と言うべき怖気が強くなる。
時間がない。そう感じた。故に。
「オーア!」
振り向き様に、エドアルトは手にした古びた木の心臓を、オーアへと投げる。
それは、直線を描き、オーアの元へ。
胸に当たって落ちそうになった古びた木の心臓を、オーアは左手で受け止める。
次の瞬間。
古びた木の心臓から、ぬっ、と半透明の指が生えてくる。
それが、指、手、腕、と伸び続けるのと、同時、それらを押し戻すかのように、オーアの右手にある札が古びた木の心臓に叩きつけられた。
刹那。
古びた木の心臓が光に包まれ、バチーーン、と強烈な高い音がその場に響き渡る。その音に、正常に封印が効力を発揮し始めた事を、勝利を確信して、オーアは不調に血の気を引かせつつも、口の端を引き上げる。
「あぁァアアああァアアーーー!!」
古びた木の心臓から、うるさい程に響く、女の叫び声。それは、だんだんと遠く、小さくなっていく。そして、声が途切れるとともに、古びた木の心臓を包んでいた光が消える。
それを見届け、オーアは、深く深く、息をついた。
「オーア! 大丈夫かいっ!?」
一目散に、オーアの元へと駆け寄るエドアルト。オーアの傍らに膝をつく。刹那、オーアの傍の床の上に転がっている赤い雫型の結晶を見、一瞬、瞳に険しさを乗せた。
そんなエドアルトに気づくことなく、オーアは顔を上げると、ぎこちない笑みを作る。
「ん。大丈夫、ちゃんと、封印は、出来てる」
「そうじゃない。オーア自身が、大丈夫か聞いてる」
そう言って、エドアルトは、床に落ちている戦乙女の雫を拾う。
「無理をしたね。これ、オーアのだろ」
「ん。お守りと、試金石に、って、リーベさんが、貸して……」
そこで、オーアはふつり、と声を途切れさせ、緩く、頭を振る。
「や、んな事、言ってる場合じゃない。俺は、平気。けど、それ、無理に、使ったから、魔力が空っぽ。なんで、エド、アルトさん。俺とレン、ここで休憩してるから、先、向こう、手伝いに行ってくんない?」
差し出された戦乙女の雫を受け取りながら、オーアはそんな事を言う。その望みに、エドアルトは眉を顰めた。
「休むなら、ここを出た方が――」
「さすがに、戦闘は無理。部屋の外、普通に、居るだろ。ここなら、夢魔の縄張りだから、他のは、来ない。魔力、回復したら、ポタで戻れる。エドアルトさんに、護衛してもらって、外に出るより、ずっと、早いし、楽だ。それに……向こうも、気になる」
エドアルトの言葉を遮り、オーアは訴える。その言葉に、エドアルトは考えるそぶりを見せた。そして、オーアの主張に正当性を認めたらしい。1つ、息をついて、了承する。
「分かった。……無理をせず、気を付けるんだよ」
幼い子供に言い聞かせるかのようなトーンで紡がれたそれに、オーアは苦笑して1つ頷く。
「ん。……あ、エドアルトさん。これ、使って」
そう言って、オーアが差し出したのはいくつかの赤や黄色のジェムストーンだ。
「……退魔班の、試作品。魔物寄せ。気を逸らすのに、使って。余計な戦闘は、ない方が、いいから」
魔物の気を逸らす。その言葉に、エドアルトは思い当たるものがあった。
「ここに来る時に、オーアが使っていたもの?」
「ん」
「分かった。使わせてもらう」
そんなやりとりをして、ジェムストーンを受け取ると、最後にもう1度、エドアルトは念を押す。
「本当に、無理はしないように。いざとなったら、蝶の羽使って、先に戻る事。2人ともだからな」
そう言い置いて、エドアルトは身を翻し、部屋の外へと駆けて行く。
その姿を見送って、オーアは深々と息を吐く。少しだけ、気が緩んだ。
次の瞬間、金髪のハイプリーストは、音を立てて床に倒れ伏す。
「ぐ……ぅ、~~~っっ!!」
苦しさに、体を丸め、体の中を暴れまわるかのような気持ちの悪さに耐える。
気持ち悪い。ぐらぐらする。キツイ。
思考の大半がそれに占められる中、微かに残ったまともな思考が、去り際のエドアルトの様子を思い描き、息を吐く。
(たぶん……エドアルトさん、バレてたな)
不調を隠し、ほぼほぼ意地と気力だけで取り繕い、エドアルトと会話をしていた事が。
昔から何かと世話になってるロイヤルガードに、この醜態を見せたら、彼は、リーベ達の加勢に向かうよりも、こちらを優先しただろう。だからこそ、何が何でも、絶対に、取り繕う必要があった。
のだが、その辺りも含めて、丸っと察せられたらしい。でなければ、もうひと悶着あったはずだ。オーアの希望に沿う事が、オーアが1番気を張らずに済む。そう判断したからこそ、あっさりとビョンウンゴ組の方へ向かってくれたのだろう。
魔力枯渇と術式の反動に呻きつつ、感謝7割、情けなさ3割な、何とも言い難い感情を持て余していると、オーアの背後から、ギ、と床のきしむ音が響く。
それにオーアが反応を示すよりも先に、疲れが滲んだ、けれども、どこか小生意気な声が響く。
「ちょっと、キツいよ。耐えてね」
その声に何か反応を返す間もなく、背に何かが当たる感触と共に、パリン、と小さく儚い音が耳に届く。
――次の瞬間。
「ぐっ、がッハっ、ゲほっ、けほっっ」
最初に感じたのは、魔力の回復する感覚。本来であれば、足りてないモノが満ちる感覚に安堵にも気持ちよさにも似た心地がするはずのもの。
けれど、今回は真逆の事が起こった。先程とは比べ物にならない程の吐き気に抗えず、オーアは嘔吐する。不幸中の幸いと言うべきか、一連の騒動で昼食などとっている場合ではなかったため、胃の中は空になっていたらしい。吐きだされるのは胃液のみだ。それでも、口の中に残る嫌な酸味に顔を顰め、えずくオーアの背に、そっと、小柄な手が触れる。
その手が、指が、ゆっくりと背を撫でていく。
触れられたところから、するすると、せっかく回復した魔力が抜けていく感覚がする。
それと共にだんだんと、けれども確実に、オーアの中で暴れまわるモノも抜けていくのが分かる。
ゆるゆると引いていく不調に、オーアは深々と息を零した。
こんな事が出来るのは、1人しかいない。
「……大丈夫なのか?」
「鏡に向かって言ってくれる?」
それは、こっちのセリフ。と、ぴしゃりとした言葉が返る。
声色は隠しようのない疲労に濡れているが、そんな遠慮のない物言いが出来るくらいには回復したらしい。
それにほっと息を吐き、オーアは腕に力を籠める。
どうにかこうにか、上体を起こし、身体ごと振り向けば、そこに居たのは予想通りの姿だ。
「こっちは大分良くなったから、言ってんだよ。レン。あんなの引き受けて大丈夫なのか?」
未だ床に描かれたままの魔法陣に照らされた若草色の髪の少年。レンは、オーアと同じように座り込んだ体勢のまま、軽く肩を竦めて見せた。
「<ruby><rb>そっち</rb><rt>・・・</rt></ruby>の心配はいらないよ。かなり変質して、オーアさんの魔力なのに、全然、全く美味しくなくなっちゃってたけど、それでも、<ruby><rb>僕</rb><rt>・</rt></ruby>にとってはただの<ruby><rb>魔力</rb><rt>ご飯</rt></ruby>だ。ホントはもうちょっとしっかり取り除いてあげたかったけど、これ以上は魔力枯渇の方がまずい状態になりそうだったからね」
そう告げるレンの顔色は、疲労の色が濃いものの、オーアがこの部屋に踏み込んだ時に見たそれよりは、格段に良い。
部屋の隅に張った結界の中から、ここまでの移動も――――そこで、オーアは気づく。
「え!? レン! おま、結界はっ!?」
「人の話聞いてた?」
気付いた状況に、驚きの声を上げる。そんなオーアを、レンは半眼で見やった。
次いで、やれやれといった様子で息を吐き、質問に答える。
「消えたよ。ほんのついさっきだけど。じゃなきゃ、僕がここに居る訳ないでしょ。僕も結界の外側に居たんだから」
結界が消えない限り、あそこから動ける訳がない。
至極当然の事を言う若草色の少年に、オーアは頭を抱えつつも、己の選択の正しさを噛み締める。
「だよなぁっ。あーーーっっ、良かったっ、ギリギリじゃんっっ。そっちは全然考えてなかったわ……余裕で持つもんだと」
結界の変則的な形状指定は、オーアの想定以上に燃費が悪かったらしい。もしもオーアが別の選択肢を選んでいたら、レンへの守りがなくなった状態で戦闘続行。しかも、長期戦になる可能性が高かった。なんて、ぞっとする所の話ではない。
故に、深々と安堵の息を吐く金髪のハイプリーストに、レンは軽く肩を竦めて見せた。
「すごい変則的な事やるからでしょ」
「だって、そうしなきゃ、レンに悪影響あるかもじゃん」
「それは、すごくありがたかったけどね」
素直にそう言ってから、レンは横道に逸れた話題を元に戻す。
「で、オーアさんは大丈夫な訳?」
その言葉に、オーアはきょとんと緋色の瞳を瞬かせる。
「何が? あ、や、まだスキル使える気はしないし、頭ぐらぐらするし、気持ちの悪さも残ってるけど、粗方レンがどうにかしてくれたから、普通に話せるくらいには楽になってるよ」
ありがとな、と、オーアは笑う。
レンからすれば、能天気としか思えない反応を示され、少年は深々と息を吐いた。片手で額を押え、頭が痛いと言わんばかりのそぶりを見せてから、レンは言う。
「あのねぇ、キミさぁ、術式の反作用による魔力の変質も、魔力枯渇も、十分死因になりえる、って分かってる訳? それをダブルでとか、バっっカじゃないのっ!?」
実際に言葉にしていくうちにヒートアップしてきたらしい。眦が吊り上がり、語気が荒くなる。
「わっ、ちょっ、落ち着けってっっ」
「誰のせいだと思――っっ」
勢いに任せ、感情のまま立ち上がろうとした、その刹那。
カクン、と足に力が入らず、レンは床に倒れ込む。それを受け止めようと、咄嗟にオーアはレンへと両腕を伸ばす。
が、調子が悪いのは、オーアも同様だ。受け止めきる事が出来ず、結果、2人揃って、床に転がる事になった。
「あー……ましにはなったけど、まだ、全然、力、入んねぇ」
小柄な少年を腕の中に囲い、庇って、床に倒れた体勢のまま、オーアはそんな事をぼやく。
そして、レンへと視線を向ける。
「だから言ったじゃん、落ち着けって。ボロボロ具合は、俺もレンも変わんないっての。ちゃんと休まないとこっから帰る事も出来ねーし……」
はぁ、とため息をついて、オーアは言う。
「大丈夫。ちゃんと分かってやってっから。そもそも魔力枯渇の方は、ガチでまずい水準になったら、意識飛ぶから、自分の意思とは関係なく魔力奪われてるような状況じゃない限り、万一の事にはなんねーし、反作用の方も、俺の魔力質なら、青石が7割砕けずに残っても、死にはしないって、お墨付き貰ってっから。……まー、その分、普通の人より、変質した魔力の処理にてこずるから、不調が長引くらしいけど」
だから、どうにかしてくれたのは、すごくありがたい。
小さく笑ってそんな事を言う金髪の青年に、若草色の少年は、一瞬言葉に詰まった後、深々と息を吐きだした。
「分かっててやってる方が性質悪い、って、分かってて言ってる?」
じとり、とした視線を向けるレンに、オーアは、あはは、と誤魔化すような笑い声をあげる。
そんなオーアに、ため息をもう1つ。そして、レンにとって、誰よりも大切な少女を思い浮かべ、そして、この目の前の青年が、自分よりも彼女との付き合いが長いという事実を思い出す。
類は友を呼ぶ。
頭にでかでかと、そんな言葉が浮かんだのは仕方のない事だろう。それを、もう1つ息をつく事で、強制的に頭の隅に追いやる。そして、気になっていた事を問いかけた。
「そういえば、ソレはどうするの」
床に転がった札の張られた木の心臓。無事、封印出来たソレを示して言葉を紡げば、オーアの口から呻き声が漏れる。
「うー……本来なら、封印物として、大聖堂……退魔班の保管庫へ収容、ってとこなんだろーけど……封印は、問題なくしっかり出来てるし……正直言うなら、ココに放置していきたい……」
ただでさえ、あそこ、物多いんに……
これ以上、管理物、増やしたくない……
そもそも、持ってったら、確実に、報告書と申請書、出さないといけなくなる奴じゃん……
等々、力なく、ぼやいている。
その弱弱しさが、不調由来か、気が進まないという心理的由来か、はたまた両方か。
その辺りの判断はつかなかったが、何にせよ、自身の希望は変わらない。
そんな考えの元、レンは口を開く。
「俺としては、ソレがもう、僕やルキナに近寄んない、なら、何でもいーけど……」
本気でそう思ってはいる。大事なのは、今口にした点のみなのだから。
けれども、と、レンの脳裏に浮かぶのは、今この場には居ない、もう1人の聖職者。オーアの先輩らしい、女性のアークビショップだ。
彼女はどう、判断するのだろうか。
それを言おうと口を開くが、肝心のその言葉を押しのけて、欠伸が飛び出す。
「ねむい……」
一緒にぽろりと零れた言葉に、オーアは少し目を丸くした。次いで、気づかわし気に、眉を下げる。
「大丈夫か? 昨日寝てない上に、元々寝不足、って言ってただろ。ちょっと、寝とくか?」
その言葉に、レンは、紅の瞳にありありと呆れの色を浮かべ、じとりとオーアを見返す。
「あのねぇ。今、俺がそれをしたら、困るのキミの方でしょ。ここでの戦闘で、結構かなり、消耗したし、元々の寝不足もあるから、今、俺が寝たら、しばらく起きれないよ。オーアさん、今、この状況で、意識失った俺、運べる?」
「うっ……」
レンの指摘に、オーアは視線を彷徨わせる。
「元気なら……おんぶなら、たぶん……」
気まずげに、ぼそぼそと言うオーアに、レンは1つ息をついた。
「素直に今は無理、って言いなよ」
「悪ぃ……」
しょんぼりと、オーアは肩を落とす。
そんなオーアに、別に……と、小さな声が耳に届く。
「どうせ寝るなら、ちゃんとしたとこで寝たいし。こんなとこで寝たいとか、欠片も思ってないから……オーアさんこそ、休んで、さっさとココ出れるくらいには回復しなよ」
ふいっ、と視線を逸らし、そんな事を言う少年に、オーアは小さく笑う。
自分の体とは思えない程に、非常に重く感じる腕を持ち上げ、若草色の頭へと乗せた。わっ、とレンの口から驚いたような声が上がる。
が、頭に置いた手を振り払われる事はなかった。その理由を、オーアは理解していた。
単純だ。振り払う。その程度の事も出来ないくらいには、未だ、レンも疲弊しているのだ。
でなければ、こんな2人揃って、床に転がっている状態から、さっさと抜け出している事だろう。
オーア自身も、身を起こさないのではなく、起こせない、が正しい状態であるので。
(ホント、2人そろってボロボロだな)
しみじみと、そう思う。
(まぁ、何にせよ、早く回復しないと、な。<ruby><rb>レンをちゃんと休ませる</rb><rt>・・・・・・・・・・・</rt></ruby>ためにも)
分かっていた。
今のレンの状態では、こうやって大人しくしていても、休むことにはならないと。
――「あーのーねぇ。忘れてない? 僕は半分夢魔なの。その気になれば、睡眠のコントロールなんていくらでも好きにできるの。まぁ、眠らないにしろ、眠りすぎにしろ、自然のそれじゃない分は、それ相応の魔力は消費する事になるから、必要に迫らせないとしないけどね。でも、そうやって睡眠のコントロールをしてる間は、寝不足とか不調は発生しないから安心してよ。この辺は俺が半魔で良かった点だよね」
そう、確かに聞いた。
で、あるのなら、今はまだ<ruby><rb>寝ないように</rb><rt>・・・・・・</rt></ruby>している状態なのだろう。
それを、戦闘が終わって尚、未だに維持させてしまっている事に、少々の申し訳なさを感じる。が、レンの主張の方が全面的に正しいので、どうしようもない。故に。
「ありがとな」
そう、オーアは礼を紡ぐ。
そして、少しでも、体を休めるため。1つ息を吐き、
軽く目を伏せたのだった。
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ルキナ
夢魔戦後半かんりょー!
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その呼び声は過去との決別7 夢魔戦後半部分
初公開日: 2023年10月30日
最終更新日: 2023年10月30日
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