バーカウンターの真ん中で一人、ちまちまとグラスを舐めるようにして飲んでいた。
数回訪れただけの店で定位置などあるわけもなく、所在なくカウンターに近づくとバーテンダーが指した席だった。何を飲むかと聞かれ答えると、バーテンダーが笑う。待ち合わせかと聞かれ、来るかわからないけど、と返せばバーテンダーが溢れんばかりに氷を入れたグラスと、ボトルをひとつ置いた。待ち合わせだと言えればよかったが半ば賭けだとわかっている。
カウンターに置いたスマートフォンがちかちかするのでバイブレーションを切り、伏せて、なんとはなしに店内を見回した。混んでいるというほどではなくとも、それなりに人がいた。額に入れて飾られたポスターや、無造作に貼られたチラシを特に興味があるわけでもないのにしげしげと眺める。それぐらいしかすることがない。考え事が捗った。何かを手放す決断を下すには思いきりと諦めが必要だが、それがなかなか手に入らない。
ボトルが空になり、氷も大方溶けてしまうと常連らしき人物と話し込んでいたバーテンダーが再び話しかけてきた。
「また同じものを?」
面白がるような、呆れるような調子で言いながら、タトゥーで覆われた腕を組む。縮れた長い金髪が顔にかかって邪魔そうだと思った。口髭が綺麗に揃っていないので、熱心に手入れはしていないらしい。ラフに伸びた髪といい、こだわりがありそうな装飾に反してどこかゆるい店を体現するようなバーテンダーは、きっと親しみやすいのだろう。個人的にはあまり得意でない。
「どうしようかな」
口は開いたものの答えが出ないまま考え込んでいると、バーテンダーが笑ってグラスを用意し始めた。先ほどと同じものが出される。
「どれくらい粘るつもり?」
「彼が来るまで」
「それって実在してる人間の話?」
バーテンダーが笑うのを冷めた目で見る。バーテンダーはそれでも笑っていた。
随分待ったような気もするし、そうでもなかったような気もする。
他の客たちの会話を聞くともなしに聞いたり、カウンターに並んだ酒瓶のラベルを一つ一つ読み、店の音楽を聴いているだけだったので時間の感覚が曖昧になっている。感傷的な気分がなお時間の輪郭を曖昧にさせた。非日常に近い店の空気に自分を溶かして、感傷を薄める。考え事をするにも真正面から受け止める余裕がない。現実から少し距離を置いて、別事として考えたかった。これからどうするのか、そんなことを考えるのではなく、今自分がどうしたいのか、どうするべきなのかを考えなくてはならない。ここを離れて帰るには答えが必要だった。思いきりも諦めも、手の届くところにあるが掴む決心がつかない。そうしているうちに突然声をかけられた。
「待たせた?」
肩を大きな手で掴まれて反射的に振り払った。熱く湿った手は気にした様子もなく、ひらひらと数回翻るとカウンターに着地した。大きな熱源が真横に座り、じっと見つめてくる。間違いなくルースターだった。一瞬目が合ったがすぐに逸らした。待っていたはずの人物が目の前に現れて、嬉しさよりも驚きが勝つ。駄目もとで彼が来るまで待つと思ってはいたものの、実際はあまり期待していなかったことを自分自身に思い知らされた。
ルースターは大きく息を吐くと笑ったが、笑ったのは口元だけだった。綺麗に整えられた口髭が歪む。彼の大きな手がカウンターに置いたスマートフォンを掴んで、見せつけるように持ち上げた。
「全然返事が来ないから持ってないのかと思った」
ルースターが恨みがましくそう言うのを無視してまたグラスを傾ける。彼の存在自体を無視し続けていると、彼もまた黙った。どこかで来ないだろうと思っていたはずが、いざ彼が現れると待たされたことに腹が立つ。
無言が続いた後、ルースターが口を開いた。
「俺、付き合ってる人がいるんだよね」
その一言に衝撃を受けてついルースターを見た。こちらを試すような目が突き刺さる。心臓が痛んで、鞭うたれた馬のように走り出す。息を飲んだきり、何も言えずにただルースターを見た。ルースターとはいい雰囲気だと思い込んでいたので他がいたことに驚きを隠せない。誰かに恋人だと紹介されたこともない、改めて確認したこともないので何かはっきりとさせる機会はなかったが、そういうことだと思っていた。ルースターの言葉は頭を混乱に陥れ、内臓をめちゃくちゃに掻き回した。気分が悪い。頭が殴られたように痛む。
「注文は?」
何をどう言うべきかも見つけられずにいた時、バーテンダーがルースターに話しかけた。
「あー、えーと、ウォッカトニック」
「そっちは? 強い酒いる?」
表情から状況を察したのか、バーテンダーがこちらにも尋ねてきたが断った。バーテンダーはやはり笑った。
ルースターに肘を掴まれ、スツールの座面が回転して向き合う形になる。やはりじっと見てくる目に耐えかねて視線を下ろし、アロハシャツから覗くドッグタグのチェーンを見る。ルースターの手が離れた。すぐまたカウンターに肘をつくことで視線から逃れようとしたが、ルースターの捕捉範囲にいるのは変わらず、無慈悲な言葉が降って来た。
「全然そんなつもりなかったんだけど、相手が俺のことめちゃくちゃ好きでさ」
ルースターが笑いながらそう言うのを聞いて、頭と胸の痛みがひどくなる。腹の中であらゆる臓物が居場所を見失い一緒くたになってしまったような気分の悪さが手を震えさせたが、握り込んで誤魔化した。こんなところまで来て、彼を待って、馬鹿みたいだと何もかもが嫌になる。勝手にいい雰囲気だと思い込み、勝手に待っていた。ルースターの目にはさぞ滑稽に映ったことだろう。その身勝手さに付き合って現れたルースターが言い聞かせるようにゆっくり話すので、とどめを刺されようとしているのだと思った。彼がここに来たのは、これ以上困らせるなということかもしれない。もうこれまでのようには会えないかもしれないなら、この機会にじっくり見ておくべきではないかと思いつつ、ルースターを見る勇気がない。
バーテンダーがルースターにグラスを持ってくると、喉が渇いていたらしいルースターがそのほとんどを一気に煽った。即座にもう一杯頼むとしばらく沈黙が訪れる。
手元のグラスの結露を指で繋げ、意味のない行動で不安と衝撃を体から追い出そうとしていると、新たなグラスを受け取ったルースターが話し始めた。それを結露でぐずぐずになったコースターを眺めながら聞いた。逃げ場はない。
マーヴの格納庫に行った時、色々写真撮ってインスタにのせたけどコメントはほとんどつけなかったんだよ。確かにマーヴのだって伏せとこうと思ったのはあるけど、他のやつらだってそんなに色々書いたりしない。ハングマンが新しいスーツ買ったってのせてたときもブランド名だけ書いてて、しばらくそれでいじってたぐらいだし。だけどすぐマーヴのだって気づかれて、みんな見たいとか言い出したんだよ。それでマーヴに行ってもいいか聞けって言われたから聞いたら、マーヴがいいよとか言うからさ。俺は断って欲しかったんだけど、みんなでマーヴの格納庫に行く計画が始まった。計画立てるの慣れてるやつらだから計画のまま立ち消えなんてならないのは目に見えてた。水とか食い物の調達だって心得てるし。予定の擦り合わせに数か月かけるのも平気なやつらだから断って欲しかったのに、マーヴは俺が断ってって暗に言ってるの全然わかってくれなくてマジかよって思った。その時は忘れてたけどマーヴ昔から察し悪いんだよな。それどころか格納庫になかなか人が来ないから嬉しいとか言い始めて、俺はよくわからないけどムカついてた。
それで、いざ行くとマーヴはずっと楽しそうに笑ってて、俺は何回も行ってたから今更説明されないことをいちいち丁寧に教えてやって、馬鹿騒ぎするのも笑って眺めてて、マーヴって本当は人がたくさんいるところが好きだったんだなって思ったのよく覚えてるよ。静かに過ごすのが好きなのかと思ってたから。
夜は次の日運転するやつだけ寝て、あとはみんな寝ないで騒ぐって話になったとき、空調が効くのがトレーラーハウスの中だけだから寝袋広げる場所探してたら、寝室使ってもいいよってマーヴが言って、他は遠慮したけど場所がないし俺だけベッド脇の床で寝袋広げることになって。寝る前にベッド使ってもいいぞってマーヴが言ったの断って寝たときにもちょっとひっかかってはいたんだよ。
次の日、帰る前に色々片付けしてるとマーヴが近づいてきて、他のやつらにはわからないようにぼそぼそ喋るから屈んだら。「たまには賑やかなのもいいけどやっぱり君と二人がいい」って耳打ちするから俺はさあ、正直めちゃくちゃ掴まれてさ、うわ、この人全部わかってやってんの? プレイボーイっていうかマジで見境なしにやってない? 俺がちょっと面白くないなと思ってたところにピンポイントで落としてきた、何かとヤバい人なのに死ぬほどモテるのわかるわって思った。それで「俺のこと口説いてんの?」って冗談で言ったら黙ったまま俺を見つめて、頬撫でて、笑って、それで終わり。マジで口説かれてるって気づいて俺はもう大混乱しかないわけ。特別扱いされてるんだなっていうのは感じてたけど、昔から家族みたいに過ごしてきたからだと思ってた。びっくりしたけど、嫌ではないなってけっこうすんなり飲み込めたのにもびっくりしたな。その時まで全然そんなこと考えてなかったのに。
でも「ペニーは?」って聞いたらそれにも答えないからものすごく腹が立った。こいつ、俺のこと手ごろな寂しさを紛らわせる相手としか思ってないなって気づいて、大事にされたかと思ったら蔑ろにされて本当に他人を振り回すやつだなってキレてた。そしたらさすがにまずいと思ったのかペニーとは上手くいかなかったんだってマーヴが言うから、そう、って冷たくしたら目に見えて落ち込むからさあ、マジで、マーヴは他人を振り回しまくって自分の思い通りにするよな。
俺も思い通りにされてたまるかって意地になって、マーヴに冷たくしたまま帰ったわけだけど、車の中ですげーなじられたよ。帰り際険悪だったの何?って聞かれて、マーヴが適当に遊ぼうとして俺のこと口説いてきたから腹立って、って説明したら俺が怒られた。適当に相手探してお前にするかよ、って言われて、まあ、考えたらそうだけど、マーヴだしなって思うところもあった。あいつらは昔のマーヴ知らないし。
どうかなりたいわけじゃなく経験として歴戦のプレイボーイに口説かれてみたい、って話になって、別に大したことなかったけどなと思ってた。
確かに欲しかったところに欲しかった言葉を出してくるのは上手いよ。ものすごく嬉しくて俺が犬なら尻尾千切れてたよ。だけど俺はマーヴェリックの犬になるつもりはさらさらなくて、ハンドリング出来る相手だと思われたくなかった。というか、願書捨てられても諦めずに海軍に入ってアヴィエイターになってトップガンの首席にまでなったのに、あの人まだ俺のことコントロール出来ると思ってんのかよ、って腹が立ってさ。俺のことまだ子供だと思ってるだろ、まあ息子でもおかしくない歳だけどさ、だからってなんだよと思った。しかもそれで口説いて来るって、どういう思考なのかさっぱりわからなかった。
だけど、次会った時、マーヴが俺の家に行きたいっていうから呼んだら、ああこの人本当に俺のこと好きなんだなって思った。好きの種類とかどうでもいいとは言わないけど、俺のことマーヴ以上に愛してくれる人いないだろうなってわかったし、マーヴは何があっても俺のことずっと愛してるだろうなって思った。何がどうってわけじゃない。ただ顔見て一緒に過ごしたら、急にわかったんだよ。まあそもそも比喩じゃなくマジで俺のためなら命かけられるのもう知ってるしね。俺もマーヴのためなら大抵のもの捨てられるのも理屈じゃなく事実として知ってるし。それで俺も、考えなくてもわかることはある、それに考えるより確かめた方が手っ取り早いと思ってマーヴに直接確かめた。
「口説かれてもいいけど、俺と中途半端に関係もって駄目だったらどうすんの?」って聞いたら「駄目だったときのことなんか始める前に考えないだろ」って言うから笑ったよね。そりゃそうなんだけど、散々色んなものを駄目にしてきた人が言うと安心出来るわけない。それで、この人もしかして狙って言ってるわけじゃなくて全部ただの本心なのか? って思うと、考えるのが馬鹿馬鹿しくなった。確かに昔から向こう見ずだし、言いたくないことは何があっても言わないし、自分が間違ってたなんて絶対に言わない人だよ、だけどさあ。
俺はなんとなく、願書を捨てたことをいつかマーヴェリックが謝ってくれると思ってた。俺がそこまでされても全部乗り越えて、トップガンの首席になれば間違ってたのはマーヴェリックだって認めてくれると信じてた。だけどそんなことはなかったし、作戦で一緒になったらお前は全然駄目だって改めて突きつけられて、結局、死にかけてるのを無理矢理連れ戻しに行ってもマーヴェリックは自分が間違ってたとは言わなかった。まあ俺もまだ許してないし、今後も許すつもりないからその点では同じなんだけど。ただ俺は、本当になりたかった存在にはなれたかなと思っていて、つまりマーヴェリックにとって唯一無二の存在には。それでまあ満足してたら、マーヴが俺をその他大勢にまとめようとしてるから無性に腹が立って、でも、マーヴにとって俺は俺なんだなってわかったら気が抜けた。
マーヴェリックは俺に都合が良いことばかり言うわけじゃないのを、特別な位置を手に入れて嬉しいって思い過ぎて忘れてた。まあ口説かれてることには気づいたけど、よく考えたら俺が言われて嬉しいことをマーヴが言ってるわけじゃなくて、「俺がマーヴに言われたら嬉しいこと」がたくさんあるだけだった。
まあ、そういう、ことをさ、考えてるうちにとりあえず始めてみてそれから考えるかって思えたんだよ。駄目だったら駄目だってでどうにでもなるだろって、もう二十年近く会ってなかったのも、それだけ離れててもやっぱ愛してるって思ったのも含めて、すんなり受け止められた。まあ何があってもこの人は俺のこと愛してるだろうし、俺もこの人のこと愛してるだろうなって。そうじゃないとどうなるのか想像がつかないぐらいに確定事項だから、どうにでもなるだろって。
それで、覚悟ってほどでもない、覚悟っていうより思いつきというか気まぐれで、あ、今いけるなってタイミングで様子見ながらキスしたら見たことない顔してるから、胸がめちゃくちゃになった。そんなわけないってわかってたけど「嫌だった?」って聞いたら、もう一回って言うからさ、どうしてやろうかと思ったよね。「マーヴェリックの『あの』顔は厄介」って何度か聞かされてもよくわかってなかったのが、一発でわからされた。いや同じ顔のことなのかはわからないけど。というかあの顔を誰彼構わず見せて欲しくはないけど。
それで、けっこうぐだぐだ考えてた割にはマーヴェリックに会ったらあっさり落とされて、やたらと考えてたのが全部無駄になった。もう俺、この人のことめちゃくちゃ愛してるし、愛されてて嬉しいし、他の人に取られなくて良かったって心底思った。
車で話したやつらにマーヴとのこと言ったら「ほらみろ」「遅すぎ」「思ってたより馬鹿」とか辛辣なことしか言われなかったな。「あれだけ二人の世界作ってて、しかも口説かれたのに何言ってるの?」て言われて、まあそれもそうかと思ったよ。その発想がなかっただけで、その方向がありなら俺も最初からそうしてたかもなと思わなくもないし。俺の方が口説いてたかもなってこと。
ルースターは聞いているか確認するように時折止まりながら話したものの、考え込む素振りは一切なかったので全て本心らしかった。口を挟む余裕がないので、ただ黙ってそれを聞いていた。ルースターの静かな語り口が聞いていて心地よいが、その内容には色々と思うところがある。ゆっくり染み入るような声が好きだ。いつもスマートフォン越しに聞いていた寝る直前の話し方にも似ていて、ルースターに寝物語をしてもらっているような気にさえなる。
バーテンダーに閉店時間だと言われて場所を移すことになり、ルースターの家へ行くことになった。カードで二人分をまとめて清算したところでバーテンダーが、失恋したら次は奢ってやるよと笑うので曖昧に笑い返して店を出た。
ルースターに手を繋がれ、手を引かれる。すでに夜遅いせいか早足だった。ルースターほど早くは歩けずに小走りで後を追う形になり、しばらく進んでからようやくそのことに気づいたルースターが歩調を緩めた。手を握り直されたが汗をかいているので出来れば放して欲しい。一方的に握られている手を離そうとするとさらに握り直され、最終的には手首を掴まれてどうしようもなくなってしまった。
ルースターの家までは無言だった。二人とも何も言わずにただ歩く。暗闇と沈黙に浸ると消えてしまいたくなった。何もかもなかったことにしてしまいたいが、ルースターに掴まれているのでどうにもならない。
ルースターは器用にも利き手で手首を握ったまま、空いている手で家の鍵を開けた。家に入る瞬間に逃げ出そうかと思いながらも、ルースターは手首を握ったまま先に入らせようとするので出来るはずもない。
玄関扉を閉めたルースターがキスしようとしてきて、咄嗟に避けるとひどく傷ついた顔をするのでいたたまれなくなった。そんな顔をしなくても、と思いつつ、だからといってすんなり受け入れられるほどにはまだ苛立ちや腹立たしさがおさまっていない。随分自分勝手なことを言っているのはわかっていても、ルースターに少なくない責任を押しつけたい気持ちがあった。
ルースターはまだ手首を握ったままで、先にソファに座ると隣に座れと言わんばかりに手を引いてきた。最後の抵抗で少し距離をあけて座る。ルースターがすぐに近寄ってきて手首は放したが代わりに腰を抱えられて本格的に逃げ場がなくなった。距離がずっと近くなり、ルースターは耳元で話し始める。
ルースターの声が好きだった。その声が耳のすぐそばから直接流れ込むのを聞き半ば酩酊状態に陥りながら、なんとか正気を保とうと努力することになった。ただ黙って話を聞くしかない。抱え込まれ手を握られるとルースターの大きさと、単に擦り寄られているのではなく絶対に逃がさないという意図を感じて得たいの知れない緊張感を抱えつつも受け入れるしかない。
「マーヴってボトムとトップどっちやりたいの」って聞いたときさ、「俺相手にたつのか?」って返されて何言ってんだこの人って思った。キスとか触り合いぐらいは何回もしてたし、準備がいることだから認識の擦り合わせをしようと思って聞いたけど、マーヴの認識がズレすぎててびっくりしたよね。「俺の抜いてくれたの忘れた?」って聞いたら入れるのはまた違うだろって言うから、まあそれはそうだけど、話しぶり的にマーヴは俺に入れるつもりだったみたいだからさすが往年のプレイボーイだなとは思った。俺が知ってるマーヴの恋人ってみんな美人の女性ばっかりだったから急に俺に来たの未だによくわからないんだよな。俺のことめちゃくちゃ好きなんだなってことはわかるけど。
「想定では俺がトップだった」って言った時、ちょっと黙ってたから本気で俺を抱くことしか考えてなかったんだろうな。「結論ありきの問いかけはやめなさい」って言って窘めて、やっぱりまた間があってからやっとわかったって言ったし。別にその場ですぐ答えを出すつもりはなくて、とりあえずお互いに思ってることを言ってから次どうするか考えればいいって俺とは違って、マーヴはすぐに話を終わらせたがるから本当にいいのか聞いたら「君と出来るならどっちでもいいんだよ」ってマジで、本当に、本心で言ってるってわかる顔と声だったから、ほんと、ほんとさあ、俺のことどうしたいんだ? そんな簡単に俺のことぐちゃぐちゃにして楽しい? どっちにしろ必要だからって色々買ってあったし、マーヴは俺相手だと最後までやらなくていいのかなって少しでも思ってたのが馬鹿馬鹿しくてもっと早く言えば良かった。まあこれもそりゃそうだろって感じだよ、だけどやっぱ頭がいかれてる時にはそんなことわかんないから。俺が考えすぎる方なのもあるかもしれないけど。
初めてした時、マジですげー良かったし感動したな。散々言ったけど本当に、重々わかってたつもりだけど改めて、この人俺のことものすごく好きなんだってもうだだ漏れで、ちょっと怖がってるのとか緊張してるのも含めて全部俺のためなんだなって思ったらこっちもいっぱいになった。しかも「あの」マーヴが俺にいいようにされて喜んでるのとか、「あの」マーヴが尻に入れて欲しいっていうのとか、そもそも馬鹿になってる時にそんなの処理できないから嬉しい、愛してる、気持ちよくしてあげたいしかわからなくなるのも仕方ないと思う。あまりにも愛されてる実感がすごくて入れた時ちょっと泣いた。しかもさあ、俺が萎えずに入れられたこととか、中折れしなかったからって嬉しいって言ったり褒めたりされるとさ、色々歪むかと思った。これまでの思い出が、全然そんなつもりなかった子供の頃のあれこれが急に色変えそうでいっそ怖かったよ。昔から何しても褒めてくれたけど、意味がさ……違うだろ、それは。
俺本当に、子供の頃はマーヴェリックのことそんな目で見てなかったよ。彼女といるの見てマーヴいつも美人とばっかり付き合ってるなとしか思ってなかった。なのにさあ、セックスのとき褒められると昔のマーヴ思い出したりするし、興奮するから俺はもう、子供の頃の俺に申し訳ない気持ちになったりもする。マーヴとそういうことする仲になったのは全く後悔してないけどね。それにそんなこと言ってるけど昔と変わらずにマーヴが全身で俺のこと好きって表現してくれるの嬉しいよ。なにかと褒めてくれるのだって俺のこと大好きだからだってわかってるし。
腹立つことがないわけではないけど、そんなの誰にだってあることだろうし、マーヴは嫌がるけどちゃんと話をして解決させていけばいいだけだから、俺としてはこれから先もマーヴとずっと付き合っていければいいなと思ってる。ただマーヴがすぐ逃げようとするのは直して欲しい。
そもそも願書捨てられた時もマーヴは俺から逃げたと思ってるから。今になって話を掘り起こすなとは言わせないよ。俺は一生この話する。マーヴはきっと一生謝らないだろうし、俺も一生許さない。願書捨てられたのも、そのあと俺のこと見捨てたのも、俺が死ぬ気で努力してマーヴに追いついたのに見もしなかったのも、それなのに俺のこと庇って死にかけるし、俺が助けに行ったら怒るし、また話せるようになって嬉しいって、全身で愛してるって叫ぶのも、何もかも理不尽で許せない。何だよ、俺のこと本当はずっと嫌いだったから邪魔したんだって言われた方がもっと簡単だった。何もかもで俺のこと愛してるって伝えながら、何で。だから一生許せないけど嫌いになれない。
お願いだから俺から逃げないで。何言ってもいいよ、今さら何があったって、絶対にマーヴのこと嫌いになったりなんかしない。嫌なら嫌って、言って。俺のこと嫌いになったらならそう言って欲しい。そうじゃないと俺はずっとマーヴを追いかけることになる。マーヴが嫌がることは絶対しないよ。お互いに思ってることを話して、お互いにとっていい結論を探したい。一人で何もかも解決しようとしないで。マーヴが真剣に話する空気苦手なのも知ってる。だけど、俺はずっとマーヴと一緒にいたいから話して欲しい。また二十年も逃げられたら辛いよ。愛してるんだ。
本当は、願書を捨てられた後、マーヴが会いに来てくれなくなって死ぬほど落ち込んだ。マーヴが褒めてくれてたのは全部嘘だったのかと思った。大好きだよって言ってくれたのも嘘で、全部母さんがいるから言ってただけなのかと思った。俺はずっとマーヴが好きで、マーヴが会いに来てくれるのをずっと待ってた。結局一度も来てくれなかったね。誕生日カードだけ十八になるまでくれたけど、次の年から来なくなって、父さんと母さんの子供だから、「子供」だからだったんだって思った。昔は一カ月ずれてでも誕生日プレゼントを持ってきてくれて、カードにはメッセージが書いてあった。それが宛先以外に手書きの文字がひとつもない、差出人も書いてない、ただの既製品になっても嬉しかったんだ。毎年十八までにもらった誕生日カードを見返してたよ。俺はずっとマーヴェリックが好きで、どうして願書を捨てられたのか、ずっと知りたかった。マーヴェリックは俺のこと母さんがいたから大事にしてくれただけなのかもしれないと思っても、嫌いになれなかった。マーヴェリックはきっと俺のことどうでもいいんだろうなって、考えてたんだ。
それなのにさ、あんな、好きなものだけ集めたみたいな格納庫に俺の写真飾って、俺のこと、今さら、好きだって言って、特別にしてくれて、今まで誰にも許さなかったこと俺にはさせてくれて、それでまた逃げられたら、俺はマーヴ追いかけ続けるよ。どこにいたって絶対追いつく。お願いだから、逃げないで、頼むよ。
ルースターの声は途中から震えだし、最後には掠れて消え入りそうになっていた。切々と語られるのが響いて胸が苦しい。とにかくその場を去りたいと家を飛び出したことが、思いがけず彼の心の傷を開いたようだった。話せと言われても何から話せばいいのかがわからず、とにかくルースターを抱き締めた。
「機嫌直った? 直ったならキスして」
昔あやしていたのと全く同じことを言われて、つい笑いが漏れる。年齢も体重も今の六分の一以下だった頃のブラッドリーを真似て頬にキスをした。
「悪かった」
「素直に謝れてえらいね」
ルースターがまだ子供のように扱ってくるのは湿っぽくなってしまった雰囲気を変えようとしているからだとわかっている。昔からこういうところで気を遣う子だった。
初めて戦闘機で曲芸飛行をしたときのような気分の悪さはいつの間にかなくなっていた。ルースターが丁寧に説明してくれたので何をどう受け取られたのかよくわかった。そして、話をしたいというのがどういうことかもわかった。しかしその手の類のことは苦手で、どういうことかわかったからといってすぐに出来るわけではない。とにかく思っていることを伝えた方がいいと、言う時機を逃していたことを口にした。
「僕ら付き合ってたんだな」
「……待って、そこから? 俺のことなんだと思ってたの」
ルースターが顔を覗き込んでまで言うので、本当に信じられないと思っているようだった。付き合っている人がいると聞いた時は本気で他に誰かいるのかと思った。一緒に暮らしているわけでもなく、お互いの仕事や生活圏の違いもあり他にいたとしても気づくのは難しいだろうと、おかしいとも思わなかった。しかし話を聞いているうちにどうも着地が予想とは全く違うことに気づき、結局ルースターからどれだけ愛しているかを教えられただけだった。
「だって、誰かに紹介されたわけでもないし、確かめたわけでもないだろ」
「出たよ。だからってさ、俺がマーヴと寝といて付き合ってるつもりはなかったとか言うと思う? 思うならすぐ認識を改めて。言っとくけど俺はすげー重いから、マジでマーヴのこと一生追いかけるから」
「追いかけるもなにも、逃げないよ」
「水しか飲んでないでよく言うね。いざとなったらバイク乗るためだろ」
バーで水ばかり飲んでいたことに気づかれていて、落ち着いたはずの心臓がぎくりと歪に身じろぎした。
「別に、逃げるためじゃない。単にバイクに乗って気分転換したり、考えるのが好きなだけで、」
ルースターが大袈裟にため息を吐いて、抱き締めてきた。話して欲しいというわりには、もうこれ以上喋るなとばかりに力いっぱい抱き締めるので苦しい。
「ちょっと出てくるって出たけど全然帰って来ないし、連絡もつかないから焦った……本当に、また置いてかれたかと思った。頭冷やして来るだけかと思ってたのに」
ルースターの声はまた少し震えていて、切実さが伝わってくる。罪悪感が刺激されて、さすがに反省するしかない。
「悪かったよ。ちょっとした思いつきだったんだ」
苦しいなりに声を出すとルースターが少し力を緩めた。
「思いつきって?」
「君が追いかけてくるか、来ないか。本当に来たから驚いた」
「来なかったらどうするつもりだった?」
「さあ」
ルースターはしばらく黙った後、両手で顔を掴んできた。手が大きいので頬どころか後ろ頭近くまで包まれ顔を固定される。口元は辛うじて片方の口角が上がり笑っているが、目は暗く笑っていない。無言の圧に負けて逃げたくなったが逃げられない。言ったそばから逃げようとしていることに自分で気づいて、逃げ場を探すべく走らせていた視線をルースターに戻した。
「マーヴ、俺から逃げられると思わないでよ」
考えていたことをずばり言われてどきりとする。
「逃げないよ」
もう一度同じことを言ったが、ルースターは全く信じていなさそうに見える。
「さっきは、君が色々言うから、ちょっと、嫌になって出たけど、帰って来ただろ」
「俺が連れ戻したからね」
大丈夫だと続けたが、ルースターがはっきりした口調で苦し紛れの主張を撃ち落とす。何も言えなくなって黙るしかない。さっきバーですすめられた時に強い酒を飲んでおけば良かったかもしれないと、僅かな後悔が胸とも腹ともつかないところから滲み出る。
「愛してるよ」
ルースターがそう言ってキスをした。