「そのためだったら残業だって嫌じゃないですよ」
「へえ……あ、だから、あんなに仕事引き受けてるんですか?」
「え?」
「僕が断った仕事って、たいてい武藤さんが引き受けてるじゃないですか」
ぽろ、と箸先から豆苗が落ちる。
「丸さん、案外そういうとこ気づく人だったんですね」
さすがにひどくないか?
「一度や二度ならともかく、こう何回も代打されていたら気づきますよ、さすがに」
「それでもヘルプには入らないんですね」
「なんとかなるって、学習されちゃ困るので」
毎朝、きょうのタスクを確認するたびに、泰智は餃子を思い出す。
うすい皮の辺縁を水をつけた指先ですーっとなぞり、よく練った餡を真ん中に乗せる。つい、よくばってたくさん乗せて、閉じるときになって多すぎたことに気づき、しかたなく皮をぐいぐい引っ張りながら無理やり皮に収めきる。破れないかひやひやするけど、市販の皮は厚いから、ゆっくり伸ばせばなんとかなるのだ。だからつい、減らすことを忘れてしまう。
そうしてできあがったぱつんぱつんの餃子たちは、ゆでたり焼いたりしていく中で、しずかにはじけ、ほころびていく。
「よくない前例を作ることは、将来の自分たちを苦しめます。だから引き受けもしないし、手を出すこともしない。できないことはできないままにしたいんです」
そうやって潰れてきた同僚を何人も見てきた、とまでは言わなかった。彼女も、うすうす気づいているだろう。決められた上限ぎりぎりに残業が収まっているのは、偶然ではないはずだ。
「なんか、実はすごいちゃんと考えてたんですね、仕事のこと」
めちゃくちゃ失礼なことをさらっと言ってのけながら、武藤さんは皿の上に落ちた豆苗をかき集める。まあ、どうせ空気の読めないコミュ障だとでも思われていたんだろう。それだって別に間違っていないのだから、いいけれど。
「私、丸さんって、すごく繊細なペットでも飼ってるのかと思ってました」
「は?」
「ほら、毎日きっちり定時で帰るし、土日出勤も極力ないように調整してるじゃないですか。目をつけられないぎりぎりまで出社しないし。これは大事な何かがおうちにいて、面倒みてるんじゃないかって」
いずれ紹介してもらおうって思ってたのに、先にネタばらしされちゃいました、とちょっと悔しそうに箸をくわえる。泰智はあっけにとられていた。明るいしっかり者と思っていたけど、もしかしてこの人ちょっと変な人かもしれない。
「うちには観葉植物もないですね」
「そうなんですねー残念」
「動物好きなんですか?」
「うーん、見てる分にはかわいいですけどね。旅行できなくなっちゃうので、一生飼わないと思います」
へえ、旅行するんだ。たしかに、バックパックひとつでアジアを横断してる姿が目に浮かぶ。
「旅行って言っても食い倒れですけどね。メインは食事です」
ぬか漬けの最後の一切れを大事そうに噛みしめる様子からわかっていたけれど、本当に食べることが好きみたいだ。思い返せば、話しかけられるのはいつも決まって昼時だった。なるほど、好きなものを目いっぱい食べるために残業してまで稼いでいる、ということなのだろうか。
木のお椀の裏っ側を向けてくーっと味噌汁を飲み干してから、武藤さんは、でもね、と笑った。
「実はもう一つあるんです、理由」
誰にも言わないでくださいよ、と前置きして、彼女は箸をおいた。
「私、偉くなりたいんですよね」
えへへーとはにかむ姿はお手伝いを褒められた子どもみたいなのに、意外と勇ましいことを言う。
「意外です」
「でしょう?」
「そんなに仕事が好きなんですか?」
---------ここまで前回-------
「はい」
水のグラスを手に持って、年若い彼女はためらわずに頷いた。
「なんか、友達とか同期とか、みんな仕事つらい、辞めたいってばっかりだから言いづらいんですけど、好きなんです。自分の力が誰かに感謝されること。自分の力でなにかを完成させられること。だから、もっともっと仕事をしたい。そのためにはキャリアを積んで、実績を残したい。こんな若造が言ったって生意気なだけだから、期末面談でも話したことないんですけど」
わずかにひそめられた声に、彼女の本気を感じた。ここまではっきり仕事が好きだと公言する人を見て、泰智は驚くよりも感動した。
「僕には理解できませんが、でも、応援しますよ」
「ありがとうございます。仕事のできる丸さんにそう言ってもらえると、うれしい」
「仕事ができる……?」
ついぞ馴染みのない修飾語だ。
「自分の力量を見極めたうえで、きっちり仕事をこなすのも大事な能力じゃないですか」
「そういうお世辞も出世のため?」
「丸さんにお世辞言っても、なんの得もないでしょ」
あはは、と遠慮なく笑われる。それは確かに。上長からの覚えもめでたくない、どころか若干目をつけられている自覚のある自分が何を言おうと、社内人事にさざ波ひとつ立てられないだろう。
「早く成長するために、他人のいいところをいつも観察してるんですよ。丸さんは仕事が的確で、愛想はないけど納品物のクオリティは誰よりも高い。だから、懲りずに何度もお願いされるんですよ」
「はた迷惑な……」
「じゃあ手を抜けばいいじゃないですか」
そうだけど。それはちょっと、悔しいというか。あえてソースをかけないお好み焼きを提供する気分というか。あとちょっとでぐっと良くできるなら、手を出したくなるじゃないか。
「そういうとこ、職人ですよね」
「やめてくださいよ。食べるために働いてるだけです」
「そういうことにしておきますよ」
くすくす笑った武藤さんは、スマホの時刻を見て、そろそろ戻りましょうかと立ち上がった。
「あの、ICレコーダーの声、消してもらえます?」
「え? ああ、天使?」
「別に脅したりしないってわかってますけど、自分の声を持たれてるってのはちょっと」
引き戸をあけながら、彼女はえー、とくちびるをとがらせた。
「悪用しませんよ?」
「いい活用法があるとも思えないですけど、使わないなら消してもいいでしょ」
「わかりましたよ」
代わりに、と指を立てて振り返る。
「今度、ちょっとでいいので作業画面のキャプチャログ取らせてくれません?」
「お断りします」