知らない人
 電車から降り、階段を降りているところで話しかけられた。誰だろう。中学のときのクラスメイトかもしれないが、気のせいかもしれない。振り向いて顔を見る。うん、知らない人だ。中学のときのクラスメイトだった、知らない人。沢渡明弥という名前の、知らない人。
「下田、久しぶり」
 彼は私に笑顔を向ける。純粋そうなその笑顔に私は嫌な思い出しかない。なるべく目を合わせないようにしつつ私は言った。「すみません、人違いではないですか?」
「人違いじゃないよ。中学のとき同じクラスだった沢渡だよ。覚えてない?」
 覚えていないわけない。中学時代なんて、私の中では地獄の日々だった。その地獄を作った彼を忘れられるほど私の頭は単純じゃない。
「覚えていないです。すみません、私、急いでいて」
 嘘を吐くことは嫌いだ。嘘を吐く行為自体が私は大嫌いだった。これも彼のせいだ。今の私がいるのは彼のおかげと言えるほど、彼が私に与えたものは大きい。
 私の言葉に彼は眉を下げた。「そう、ですか」あからさまに元気を失った声に罪悪感のようなものが生まれる。でも、その感情を無視して私は言った。
「それじゃあ、私は行くので」
 一刻も早くこの場所から立ち去りたかった。彼といると中学のことを思い出して気分が悪くなる。だが、歩き出すと彼に腕を掴まれた。
「なんですか」
「あの、本当に人違いですか」
 多分、この時の私の表情は酷いものだったと思う。嫌悪感丸出しの顔。彼は私を見つめていて、そんな顔を見られていたのかと思うと死にたくなる。
 私は今すぐ振り解きたい腕から意識を逸らすように彼を見つめた。もちろん、表情は取り繕って。
「あなたの勘違いですよ。私はあなたを知りません」
 そう、彼は知らない人だ。自分に言い聞かせるように心の中で呟く。知らない人。知らない人。知らない人。こんな行為に効果がないことなんてとっくに解っている。それでも、やらずにはいられなかった。
「……すみません。やっぱり俺の勘違いでした。すみません」
 彼はそう言って私の腕から手を離した。彼の顔を怖くて見れなかった。嘘は嫌いだ。それでも、彼から逃げる為ならいくらでも嘘は吐く。なのに、嘘を吐かなければよかったのかもしれないと、そう思ってしまいそうで、彼の顔を見れなかった。
「すみません」
 そう言って彼は去っていった。彼から逃げられてよかったはずなのに、私の心には何かがつっかかっていた。喉の奥に何かがあるみたいで気持ち悪い。どうして。彼の後ろ姿を見ながら私はただ立っていた。
 沢渡明弥。私の前の席の名前だった。
 中二のクラス替え。友達は同じクラスで、担任は当たりで、クラスの雰囲気も悪くはなさそうだった。ただ、沢渡明弥と同じクラスになったことだけが駄目だった。
「下田さんだっけ。よろしくね」
「うん。よろしく。沢渡君」
 最初の印象は悪くなかった。男子なのに「さん」付けなのかと驚いた。真面目な人なんだろうとそのときは思った。
「下田はいないの? 彼氏」
 七月、話の流れで沢渡からそう振られた。この頃にはもうすっかり仲良くなっていて、苗字を呼び捨てで呼ばれることが当たり前になっていた。それでも名前で呼ばれることはなくて、その距離感が快適だった。
「いないよ。なに、急に」
「いや、そろそろ夏休みでしょ。デートとかしたりするじゃん、リア充は。下田はどうなのかなーと思って」
「恋愛とか興味ないし。そう言う沢渡はどうなの。彼女」
「いないよ。俺も興味ない」
 ここで、私は思い出す。
「いや、前男子と話してなかった? 彼女欲しいって」
「あれはその場のノリに合わせただけ。別に彼女なんていらないよ」
「ふぅん」
 沢渡は人に合わせる奴だった。周りが笑っていたら笑うような、とにかく周りを気にしていた。
カット
Latest / 52:19
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
短編
初公開日: 2023年03月08日
最終更新日: 2023年03月08日
ブックマーク
スキ!
コメント
オリジナルの短編小説