ホリデー前日、秋学期の授業最終日。
晴れて最終日だというのに生身で出席しなきゃいけない授業の億劫さ面倒さ無意味さ理不尽さと言ったら。仕方がないからタブレットを抱えて教室に行けば朝から同クラのパリピに捕まるし最悪のスタートもう無理帰りたい。しかもなに午前は四時間かけて丸ごと他学年と合同の防衛魔法て。防衛魔法の授業はオルトの出席が認められていない地獄なんだが。クソが。わざわざ式典服に着替える意味とは。でもまあ怪我はしたくない痛いし治すのも面倒だし、とパッと魔法で替えておく。メイクも魔術的防御の一つなのでそれもパッと魔法でやってしまって、フードを目深にかぶってようやく一息。メイクの意味とか理解してないのがほとんでしょ現代、面倒でしかないのにこれが制式なのも虚無ポイントが高い。たったひとつだけ良いことがあるとするならばフードが標準装備なところだ。フードは有難いよね頭も顔もある程度は隠せるから。こんなにキラキラした装飾はいらないけど。あれそうなるとやっぱ普段のパーカーが一番なのでは?
「合同の相手……一年か、面倒だな……」
廊下に張り出されたクラスの組み合わせの通りに指定された番号の実習室に向かう。合同授業はタブレットだと単位を認められないから嫌いだ。他人と組まされる授業はもっと嫌いだ。一年相手に三年が何を教えるんだよ一年なんて基礎汎用魔法ですら満足にできないペーペーなのに魔法を弾く防壁がそう簡単に構築できるわけがない。構築できもしない魔法を教えるなんて不毛な行為をどうして強いられねばならんのか。そういう苦行は教師の仕事でしょ、仕事してよ。
「あ、ケイトせんぱーい」
「おっ、エーデュースにグリちゃんに監督生ちゃん。やほやほ」
超絶に意識して距離を置いていた同クラのパリピが声をかけられて実習室を横断していく、その返す声になんとなく横目を向ければ、式典服の群れの中にちょこんと小さな『黒猫』が見えた。部屋の隅の方に誰の目も引きませんようにと祈りながら移動しつつ、耳だけは何となくそちらに向ける。同クラのパリピの何やらテンションの高い声。
「わ、監督生ちゃんの式典服超カワイイ! 入学式の時よく見えなかったけどスカートなんだ、しかもフィッシュテールなんておっしゃれー☆」
「うん。サーキュラスカート? なの。ふわふわ」
「いいねー。あ、でも気をつけてね、色々、悪戯とかされるかもだし」
「クルーウェル先生、おまじない、してくれたから、大丈夫。でも、気をつけ、ます」
「気をつけてね〜、よしよし」
「えへへ」
笑い声に目を向ければ同クラのパリピが黒猫の頭を撫でているところだった。撫でられて耳をピンと立てて、でも手の動きに合わせて倒して、黒い尻尾はローブを持ち上げながらゆわんと揺れ立っている。猫……などと思っているうちに一際鋭い声が飛んだ。
「1-A、3-B揃っているな! 防衛魔法の授業を開始する!」
ウワまさかのクルーウェル。たぶん1-Aの担任なんだろうな、うちのじゃないしこの合同授業自体は一年のための授業だろうし。というか監督生氏が担任って言ってたか。教師の声が掛かればわらわらと実習室のあちこちから式典服が集まる。あー加わりたくない関わりたくない今すぐ部屋に帰りたいと思いながら最後列に紛れるように集合すれば、その合間に『黒猫』は教師に手招かれてすぐ側に駆け寄り、何かの冊子を受け渡されていた。魔法が使えないのにわざわざ着替えて参加とは、授業補佐かなんかで流れ弾を喰らう想定でもしてるのかもしれないが、魔力が無いなんて『闇の鏡』に断言されるんならそもそもの抵抗力だってたかが知れてるはずだ、なのにその上『怖い魔法』だなんて言う年少を積極的に巻き込んでいくのはどうなんだ。群れの中には片割れの魔獣も混じってるしそっちだけでもいいんじゃないの? 成績の評価にならないなら出席点にだってならないだろうに。
「本日は事前の告知通り一年、三年の合同授業だ。一年はこの実践授業を通して初級障壁魔法の構築を習得すること、これを目的とする。三年は一年の指導だ、指導担当の一年の習熟度がお前たちの成績に影響する、精々励むように」
これだから合同授業は嫌いだ。見たくもない他人の面倒を見るのも、他人に足を引っ張られるのも勘弁。熨斗つけてお断り。しかも相手がホリデー直前で浮かれ切った一年じゃ、できないもんももっとできないに決まってる。にもかかわらず無情にペアが発表されて、案の定に知りもしない他寮の獣人。サバナクローか、嫌な寮のに当たった。各々開始しろ、の声を合図に広い実習室の端の方の適当な人目に付かない場所で「じゃあ始めますか……」とドローン型のユニットを喚んでやりたくもない『指導』を開始して。
——まあ結果、ほぼほぼイチから教える羽目になるわけで。プライドだけはクソ高いサバナクロー寮生なんとかならんか。座学で何を頭に突っ込んできたんだ空気か? もっと効率的に学ぶということを覚えたほうがいい。評価用紙には「センスなし」と書き殴ってしまいたいのを抑えてそれはもう的確に短所を書き連ねておく。不完全で未完成で完成したところでちょっとつついただけでもすぐに崩れ落ちそうな障壁を壊さないようにと要らない手加減に極限まで意識を割いて相手をしてやって、それでも最後まで成功率が二割を超えないまま、四時限続きの前半が終わって休憩時間に突入する。二時間でこの徒労。後半は何をするんだか、休憩の指示が聞こえればさっさと実習室の隅に避難して、壁にもたれてタブレットをいじっていると、不意にこちらに向かって駆け寄ってくる足音。
「イデア先輩」
声に呼ばれて一瞬手が強張る。フードの下から視線を向ければ、『黒猫』。良かったそこらの知らん相手ではなかった、とは思うものの、教室内では初エンカウントであり結局強張りは抜けないまま、声はなんとか絞り出した。
「か、監督生氏……な、何か御用で……」
「評価用紙の回収、先生から、頼まれた、から。記入、終わってたら」
「あ、ああ……紙ね……はいこれ……」
『ポケット』に押し込んでいたのを宙空から引っ張り出して黒猫の手元に差し出す。受け取った黒猫は引っ張り出したスリットが消えるのを、部活で見たのと同じ無表情ながらのきらきらした目でじっと見つめていて、ああこれもか、と小さく笑う。喉はちょっと、押し潰れてしまっていたので、タブレットのスピーカー音量をちょとだけ上げてそちらから声を向けた。
『ほんと好きだね、こういう魔法』
「だって、」
軽い爆発音。炎の魔法を障壁で相殺し損なった音に黒猫がびく、と全身を跳ねさせて、恐る恐るといった様子で振り返る。視線だけで確認すれば煙が立ち込めていた。休憩時間に何をしているのやら。クルーウェルが何かを言っている。
「……イデア先輩」
『……なに?』
「避難、してて、いい……?」
『……まあ、うん。お好きにしなされ』
『怖い魔法』ね。非魔法士、しかも魔法そのものが存在しない場所から来たとなれば、こんな様子に恐怖を抱くのも当然の帰結というやつだろうか。あちこちで色んなことに巻き込まれているらしいがそれでも慣れないのか、だからこそ恐怖が増しているのかとなれば、この様子では圧倒的に後者らしい。部室だってもう避難先なんだし、と許可を与えれば黒猫はあからさまにほっとしたと言わんばかりに詰めていた息を吐いて、用紙を挟んだ冊子を両腕で抱えていそいそと隣に収まってこちらと同じように壁にもたれかかる。攻撃魔法が飛び交う中を——恐らくはクルーウェルについて回っていたのだろうから負傷するなんて可能性は皆無でも——あちこち動き回るのは疲弊しただろう、そうとなれば壁際まで逃げた方がいいのはそうだが。とはいえ、なんというか。
あちこちでざわざわと騒がしい中の無音。手元に引き戻したタブレットの液晶に表示した、知りもしない誰かの論文の文字の集合が目に滑る。
「……友達の、とか、行かなくていいの」
沈黙に耐えかねて小さく落としたのは言葉足らずの問いかけだった。『猫』は、やはり耳も良いのだろう、落ちていった足りない言葉も的確に拾い上げて、変わらない表情にあまり抑揚に恵まれない声で答える。
「白熱してて……危ない、から、離れてたほうがいい、て、先輩に、言われた」
「ああ……あちこち飛び交うのはそう……」
魔法障壁には向かう魔法を相殺し消滅させるもの、減衰させ勢いを削ぐもの、勢いや威力はそのままに弾いて標的を失わせるもの、魔法そのものを掌握し支配権を上書きすることでこちらの手札として取り込んでカウンターに利用するもの、その他にも複数の種類がある。得意不得意は魔法士ごとにそれぞれだが、普遍的に簡単なのは至極単純に弾くもの。一年は最初にこれを習得することになる。つまりは障壁の構築に成功する生徒が多ければ多いほどあちこちで攻撃魔法が跳弾しまくるわけだ。その跳弾から自分とペア相手を守るのも上級生の役目なので、よって一年の相手を二年ではなく三年がやる羽目になるわけである。二年はたぶんクラスメイト相手に撃ち合いして怪我しても自己責任とか言われてんだろうな今頃。つまりは四方八方から魔法を打ち込まれるさながら戦場のようなもの、身を守る術がなければどうなるかなど火を見るより明らかであって。
うん、僕ならそんな中無防備に歩き回るとか何をどれだけ積まれたってやりたくない。絶対に嫌でござる。
「イデア先輩は、防衛魔法、得意?」
「得意と言いますか……人並み以上ではありますな。しかし拙者が得意なのは召喚術なんで」
「召喚術……あ、前に、カンテラの子……」
「そうそ、あの子喚んだ魔法が『召喚術』ね。グレイヴ・ドッグは召喚された側の存在、『召喚獣』。あの後も何度か会ったしょ、仲良くなれた?」
「うん。暗い時、いつも、来て、送ってくれる。……イデア先輩が、言ってくれた?」
「んや、拙者は初回に言っただけ。普通は命令遂行したら召喚者、この場合は拙者のところに戻ってきて、ご褒美をもらって還る、ってはずなんだけど、あの子が監督生氏のこと気に入ったんだろうね。居残りたいって言われたんでそうしてもらってまつ。なにかあげたりした?」
「えと、送ってくれたとき、お礼に、ミルク……妖精さん、は、ミルクが好きって、ディアソムニアの同級生が前、言ってた、から……あ、あと、昨日、撫で方、教えてもらった、から、たくさん撫でた」
「犬の撫で方知らんかったんかい……」
「ほ、本物、みるの、はじめて……」
「マ??」
「そ、外、出なかった……」
「そ、それはそう……君も筋金入りでしたわ……筋金入りといいますかどちらかってと箱入りな空気のが強いですが」
「……イデア先輩の方こそ」
「ン゛ンッ。ま、まァ、毎回お礼くれてるんなら懐くのも分かりますわ、普通召喚獣って召喚者以外に歓迎されないとこあるんで」
「……そう、なの?」
「そ。どんな姿形をしていてどんなに高度な魔法を扱えてどんなに優れた知性を兼ね備えていても、魔法士の召喚に応じるってのは、一般的には『召喚者に使役される非支配層である』って認識されるんですわ。要は召喚者である魔法士の『道具』として見做される。だからあんまり敬意を払う対象ではない、ってのが一般的な魔法士非魔法士共通の認識ね。下手に触ると危ないって意味も含め」
「……よく、わからない……」
「ンヒ、君はそれでいんじゃない? わざわざこっちの『常識』に染まる必要もないだろし。あとはまあ、拙者は召喚術の天才でもありますが、召喚して応じてくれる子たちに対しては適度な敬意を持ってるもんで。こっちが支配している側、って意識をほとんどしてないと言いますか、協力してもらってるって意識のが強いと言いますか。だから君が『召喚獣』を普通の獣や妖精のように扱ってくれるんなら、あの子を召喚した魔法士としても嬉しいっすわ。彼ら元々そういう生き方をしてるところをこっちに力貸してくれてるわけなんで」
「……だめ、な、こと、では、ない?」
「ない。し、ダメならダメで先に言っとくんで。……あーでも、そういう意味なら『名付け』はダメね」
「名付け」
「そ。あの子の名前を知ってるのは拙者だけじゃないとダメなんすわ。名前ははちゃめちゃに短くて手軽な上にとんでもなく強い呪いにもなるから。第三者に知られることで横取りされたり害されたりってリスクもあって、そういうのから召喚獣を守るためでもあるし、召喚獣が拙者のコントロールから外れてしまった場合のフェイルセーフにもなる。だから名前は召喚主だけが知っている状態を維持しないといけない。加えて、第二第三の名前を与えられちゃいけない。第一の名付け親である拙者とあの子の繋がりが弱くなって、還る時にちゃんと還れなくなっちゃったりとか、変質しちゃったりとか、色々起こりかねないからね」
「……じゃあ、なんて呼んだらいい?」
「種族名ならおっけ。だから『墓守犬』か『グレイヴ・ドッグ』」
「……墓守犬さん。どうして、墓守?」
「寓話説話由来の子だからすな。元々は小さい子供とか老人が墓場を訪れたり通り過ぎたりするときに、悪霊亡霊怪異から守って家まで送るって存在なんですわ。あと墓荒らしを懲らしめて追い返したりね、だから墓守。墓を守って、墓から這い出るものから人を守る。ナイトレイブンカレッジは土地柄魔力も濃いしゴーストもいるし目に見えない悪意妄執怪異もいるんで、『そういうのから守って家に送り届ける』って性質がハマり役」
「じゃあ、優しい子、……親切な子?」
「ヒヒ、そ、親切な子」
もちろん誰にでも、というわけではないが。[[rb:墓守犬 > グレイヴ・ドッグ]]の存在を利用したり、悪意から誰かにけしかけたり、そういうことをしようとした瞬間に牙を剥くことになるだろうが、この黒猫はそういうことはしないだろう。というかそんな悪意を持つような『魂』に、『墓守』の名を冠した存在が懐くはずもないので。そういった理由もあって彼女の好きにさせている次第。一応、この黒猫には攻撃を加えないようにとは言ってはあるし。何か嫌なことがあったら[[rb:召喚主 > かいぬし]]に報告する、一番大事。
「……怪異、って、どういうの、が、あるの?」
「あーどんな……あ、監督生氏の世界にも『怪異』自体はあった感じ?」
「んと、……幽霊、とか、おばけ、とか。そういうお話は、あった。かな。……こわいの、苦手、だから、あんまり、詳しく、は、ない……」
「なる。したらば、ちとそちらとは様相が異なるやもではありますが」
ちら、とタブレットに目を向ける。時間はまだあるか。まあ知らないよりは知って怖がってくれた方が諸々危険は遠退くだろうしと、説明のための言葉を探しながら続けて口を動かしていく。——ああ、うん、いつの間にか、『口』が動いていたのか。思いながら、言葉にはなっていた。
「ほれ、こっちの世界にはゴーストってのが『存在している』って明確なわけで。オンボロ寮にもいるって噂の」
「あ。うん、おじさまたち」
「エッ複数」
「三人いるの。ふとっちょさんと、ふつうさんと、ほそっちょさん」
「ほそっ、ンッ、——ほそ……ッwww」
抑えた。吹き出すのはなんとかこらえた。堪えた。黒猫が指折りながら常の無表情で言ってくれるもんだから。ギャップが。左の袖で顔ごと覆うようにして覆った顔も壁の方に背けてなんとか声は抑え込む。黒猫が覗き込んでくる気配。
「……お水、ないから、適度で……?」
「待、っ、ハイ、ハーッ、ふ、不意打ちがすぎますぞ……!」
「む。……おじさまたちも、笑ってたけど」
「笑いもしますわwww監督生氏の語彙レベルが謎なんだがwww」
「……普通だもん」
「フヒッ、はいはい拗ねないでくだされ〜www」
ふい、とそっぽを向いてしまうのはその頭から落ちかけたフードごと黒い頭を撫でてご機嫌取りに向かう。あ、ヘアアレンジもしてるかわゆ。編み込み似合いますなー式典服に合わせた紫のタッセルリボンも良き。髪型が崩れないように撫でていれば黒い三角耳が何度がぴるると動いて、仕方がないなあと言わんばかりに背けた顔がこちらに向き直る。
「ゴーストが、なにか、あるの?」
「ンエ。や、ゴースト自体にはそんなに。問題は、さっき監督生氏が言った『幽霊』ての。それがまんまゴーストに当てはまるんですわ。言葉が指してるものが同じならね」
「……幽霊がいるなら、他のもいる?」
「に、なると思いますなあ。こっちのゴーストかて良いゴーストと悪いゴーストがいますし、ゴーストになれなかった悪霊や善霊もいる。かと思えば『悪魔』とか『悪夢』なんてモンスター、『お化け』だね、そんなのもゴロゴロしてますし、なんっかよーわからんけどもそうなっちゃってる系の怪異も多い。存在しないはずの駅に路線に街や村とか、あるはずの道が消えてるとか、『神隠し』とかね。監督生氏、ハーツラビュル寮とか行ったことある?」
「ん。何度か、お邪魔した、こと、ある」
「したらあそこの寮に薔薇の迷路あるの見たことござろ? あそこにも怪異が棲みついてる。お気に入りの子を迷路の中に閉じ込めて返してくれない、って怪異ね。巻き込まれた生徒がこれまでに何人か行方不明のまま見つかってなかったり、数人は残念な事になってたり。これは原因としてゴーストだったりモンスターが関与してるわけじゃなくて、たぶん迷路自体がそういう意識を持ってしまっているか、そういう意識を持つなにかが迷路を利用しているか。そういう、理由も原因も分からんのをひっくるめて『怪異』ね。他の寮にもそれぞれそういうネタはそこそこあるから気になっ……てもあんまり深くは踏み込まん方がいいですな君は、うん」
「……うん……」
並べるうちに自然上向いていた目を言葉の最中に引き戻して、言い変える。無表情を強張らせた黒猫は評価用紙を挟み込んだ冊子を強く抱き抱えて、黒い耳はフードの中ですっかり後ろへと向いてしまっていた。失敬失敬お猫様を怖がらせるとはなどと内心では囃しつつもう一度頭を撫でる。
「マ墓守犬氏がいる間はそういうのから守ってくれるんで。あの子が還ったら僕にもそうだって判るから自衛のタイミングは教えるし、あの子がいても怖かったらお守りとか持ってな。お守りの作り方とかはクルーウェルに訊けば最適な調合とか出してくれるでしょ」
「……うん。お守りって、自分で作るもの?」
「基本はそっすな、万が一のための身代わりでもあるんで自作がよき。上位者、氏の場合はクルーウェルとかですな、そういうのが作るんでもいいけども安定して効力発揮すんのは自作ゆえ。ハーブとか薬草とかで作るポプリみたいなもん、非魔法士でもちゃんと効果はあるって実証されてるんで信じて持っててだいじょぶ」
「……うん、わかった。……イデア先輩、詳しい……?」
「アー……まァ、詳しい方ではありますな。拙者の家系的にそういうのとは縁強いといいますか。墓守犬氏召喚できるのも家系ゆえでありますな」
「家系……えっと、シャーマン? みたいな?」
「惜しい、けど違う。まあ家系言うたら色々ありますんで。たぶんだけどレオナ氏のとこの『キングスカラー』も家系由来の召喚獣とか付いてるはずですし……召喚術ってのは家の影響を多大に受けるんでござるよ。ご先祖にこういう人がいたとか、ご先祖がこういうのと契約してたから、とかそれ系」
「……他の魔法は、影響しない?」
「基本はしませんな、個人の能力技能センスでほぼ全て。召喚術とかの、家系の影響受けるものは血統魔法の系統なんですわ、かといって血統から外れてると使えないとかの縛りも基本無し。血統の加護がないのにSSSランクふっつうに召喚する規格外とかもいますしフレーバーと多少の優遇があるくらいなんすよね血統の加護つっても。でもマ、召喚術で言えば召喚できる種とコストだけは家系にめちゃくちゃ左右されるんで、拙者なんかは一般の魔法士よか低コストで高レベルの召喚ができますな。逆に拙者は家系的に水関連の召喚獣とはあんまし相性良くない。できはしますが」
「召喚術が、得意。……家系、だから?」
「フヒ。どんな理由であれ与えられたものは最大限に活かしませんとなあ?」
「……ふふ。イデア先輩も、NRC生」
「なァにを今更」
こちとら寮長だぞ嫌々だけど。寮長特権で寮の一人部屋をはじめとする諸々が使えなかったら絶対に引き受けてなかったわこんな貧乏籤。この黒猫にはまだそのことは言わんけど。
何度か部室に突撃されて理解した、この黒猫も馴れると距離感バグる系なんだと。まあ見た目小さくて挙動もなんだかぴょこぴょこしてて可愛いし猫だし話してみれば話せるし知らないことわからないことはちゃんと質問してきて教えを乞う素直さもあるし二度同じことを訊かれることもないのでストレスがないのもあるし。そう、ストレスにならない。これ大事。非常に大事。同じ空間で呼吸をしていてもHPMPが猛烈な勢いで削れないのこの学園じゃアズール氏以来の超人財である。材じゃなくて財の方。あとたぶん頭使う系のゲームも絶対強いので部活のプレイ人数増やしたさもある。二人だけだとプレイ可能なゲーム限られすぎるんだよなあ、かといって幽霊部員たちは本ッ当にたまにしか出てこないし。いつもいるのはなんかパリピ寄りな挙動してて拙者が近付きたくないし。部長とかな。せめてイグニハイド寮生は幽霊やってないで出てきて頂きたいんだが? 寮長である拙者が毎度生身で居るのに寮生が居ないとかあります? 拙者が居るから出てこれない? 知るか燃やすぞ。
思考が逸れた。——まあそんな理由により、この黒猫から距離を取られると拙者さんがちょっと、そこそこ、しょんぼりする未来が見えるので。距離詰めとことかは一切思わんが相手から詰められた分を引き剥がす必要性も今のところ感じないし。だので、必要になるまで余計なことは言わないどこを選択したわけである。さっきレオナ氏の名前出しただけでほんの少しだけど反応したしね、刺激するのはよろしくない。
「あ、」
不意に黒猫の視線が流れていき声がひとつ落ちる。その動きに何かと思って耳を澄ませれば予鈴の音が遠い。どうやらこちらが気付く前には聴こえていたらしい。五感が、とは聞いたが聴覚も相応に引き上げられているのか。思いつつ、さてそろそろかと揃って壁に預けていた背中を引き剥がした。永久にひっついていたい壁であるがそんなこと言ってたらあのツートーンに何を命じられるかわかったもんじゃないので。浮かばせていたタブレットを左手に回収しつつ、目は黒猫を見やる。
「監督生氏は、後半も見学予定?」
「うん」
「完全見学だけで午前丸ごとは暇が過ぎるでは?」
「……正直、うん。でも、今日は、クルーウェル先生が、参加必須、て」
「珍し。クルーウェル授業免除系は基本自由にさす派なのに」
「そう、なの?」
「君も普段はそでない? 免除、監督生氏の場合は出られない方だろうけど、その間にどこで何してようが自由って」
「うん、自習、してる。……イデア先輩も?」
「拙者は幾つかの授業免除されてますなあ……論文掲載で単位取れてしまったのとか。しかし言うて他のも基本リモートでタブレット出席ですしおすし。生身は基本部屋ん中っすわ」
「でも、今日は、ちゃんと出てきた?」
「実技科目と合同授業は生身必須……つらい……帰りたい……タブレット越しでも魔法障壁くらい余裕ですが? 肉体を地面に引き摺ってる時間が惜しいですわこれにかける労力も無駄でしかないそもそも学生が学生に教えるなんて行為自体が非効率実に非効率……」
「お話しするだけ、なら、オンライン、便利なの、は、確かに」
「だしょ? なのにいつまでも古臭く[[rb:対面授業の必要性とやら > フェイストゥフェイスのげんそう]]を追い求めるカビの生えた教師の多いこと多いこと……こちとら学園そのものの許可は取ってんだから好きにさせて欲しいですわ全く。大体リモートの拙者のが大概の生徒よりも成績でも上だというのにそれでも引きずり出そうとしてくるのはなんなんだ。出社日数と残業時間で能力を測ろうとする老害が如き愚かしさ……成果で測れないなんて自白を自信満々に声高にやらかしてんだから草も生えない、冥界で常識植え付けてもらってから現世に出直せクソ無意味な伝統主義者……」
「……とても、恨みが深いのは、わかった」
「か、監督生氏も同類でござろうに」
「んーん……私は、出ないのが最適解、だったから、かなあ……」
「……ご、ごめ……」
「んー。同類なのは、そう、だから。でも、今は、外もちょっと、は、楽しい」
「きょ、強者……!! 監督生氏さては根は陽の者……!?」
「それはない」
「なかったか」
安心しましたわ。言えば、黒い目を細めて口元を押さえ、くすくすと笑う。おっとこれは初めての反応。お猫様のお眼鏡には適ったようなのでダメ押しに頭を撫でてやれば小さく喉の鳴る音が聞こえた。お、お猫様……!! アッ本鈴!! くそタイミングが良い!! 仕方なしにフードを被せ直してやれば糸の細目に表情が変わり短く小さく「にゅ」と鳴いた。お猫様……!!!! 興奮がキモ顔に出ないように堪えつつ行きますぞ行きたくないけどと声をかければ、冊子を腕に抱えながら不器用にフードの据わりをなおし、小さな足音ですぐ後ろをついてくる。
「……あ、そいえば」
「にゅ」
「フヒ。ハーツラビュルの『ホラーナイト』の犯人、君なんだってね。アズール氏に聞いた」
「……怒る?」
「んや? 陽キャのSANが削れるのは喜ばしい以外にないんで」
「さん?」
「Sanity。この場合はsanity checkじゃなくてゲーム用語のほうね、基本はホラーなゲームなんだけど今度ボドゲ部来た時やってみる?」
「絶対に嫌」
「ひひ、でしょうなあ」
ただ怪異の話をしただけであの怖がりようだったし、卓見学はともかくPLは難しそう。何が怖いかをよくわかっているから、『ホラーナイト』なんて仕掛けられたんだろうけどさ。
——三夜に渡って、ハーツラビュル寮生が所有する全ての電子機器が混乱を来し、その中に『メネフィンさん』という電子的な怪異が瞬く間に伝染した、とされた、一つの寮を完璧な混乱と動乱に叩き込んだ事件。『ハーツラビュルのホラーナイト事件』、だ。一夜目はただただ混乱に終わり、二夜目にはどんな魔法的魔術的儀式的な手も通用しないことが判明して終わり、三夜目になってようやく「電子機器のみが影響を受けているのなら」とイグニハイドに声がかかって、調べてみればウイルスの仕業だったという、それ。ハーツラビュルの寮生だけを標的にして、正確に日没から夜明けまでの間だけ活動して朝には完璧に自壊する、なんて代物だ。しかも三日間でプログラムの使い回しもなし。
「あれって、結局何目的だったわけ?」
「暴君への嫌がらせ」
「総て赦した」
「……苦手? 嫌い?」
「無理寄りの無理」
「わかる」
ウイルスの仕業であると判明して犯人探しに躍起になっているところで寮生に任せて現場は離脱したから、その後のことは知らないが、事後少ししてからハーツラビュルの副寮長が随分と憔悴した様子でセキュリティアップデートの依頼を持ってきたので、おそらく高確率でこのお猫様の圧勝に終わったのだろうな。——あのプログラムで、あの演出で、素人が勝てるわけがないだろうから。通話を乗っ取り、通信を乗っ取り、メッセージを乗っ取り、キャリア標準搭載のちゃちな[[rb:Mira > ナビゲーションAI]]も余さず乗っ取って。本来はそんな機能備わっていないはずのスマートフォンが突如聞いたことのある声音を使って話し始めて、そしてスマートフォン同士で声を交わして、更には生身の生きている人間と『会話』までしたのだから、そりゃあ『怪異』だと勘違いもされる。それだけに終わらなかったから後を引いたのだろうけど。
「だからと言ってよくやりますなあ。コード見たけど、君そこそこのクラッカーじゃないでしょ」
「……復元できた?」
「70%くらい。その頃には収束してたんで、それ以上はやってもって判断してやらなかったけど」
「……次、頑張る」
「フヒヒ。頑張ってもろて」
話しつつノロノロと集合に従えば思った通りの最後尾。本鈴を聞き届けてから号令を掛けたクルーウェルはざっとローブたちを見渡して、その中でも黒猫を——『監督生』を見咎めて目を止めた。
「ユウ・タチバナ監督生」
「はい」
返答は隣から。そういえばこの黒猫の名前を初めて聞いた。『ユウ』か。呼んでしまわないように気をつけないとな。名とは、最も手軽な『呪詛』になり得るから。や、その気がなければ無害ですがね。その気ないから別に構わんと言えばそうだけど、万が一があるので。
「お前は一旦そこでステイだ。非魔法士にも非常に深く関わる事柄だからな、しっかり聞いていろよ」
「……はい」
ん。違和感。何だろうとは思いつつ横の人物に周囲の視線が集まるのを感じればできる限り体を引いて逃げるように片腕を抱える。『監督生』の返答に良しと頷いた教師は、では、と黒と金装飾のローブを見渡した。
「後半の授業を開始する。前半では防衛魔法の構築、発動難易度について、そう簡単に手懐けられるものではないと一年も骨身に染みたろう」
そりゃそうだ、今まで一辺倒に対象に向けて投げつければよかった魔法を、今度は自分が浴びせかけられる側に立たされて、そしてその場から一歩も動かずに魔法障壁で弾き返せ、なんて言われるんだから。事前知識だって座学で十分に教わっているはずなのに、なんてのはきっと一年の方が強く思っているはずだ、知識だけで扱えるんなら実践をやる必要がないってことに気付いてからが本番。そして、その回答を素直に示してやるほど、『先輩』も『教師』も優しくないのが、NRCの治安の悪さの一助なのだろうな、とも。
「だがそんな中で、こう考えた仔犬もいるはずだ。『防ぐよりも力で圧倒したほうが早いし確実だ』、と」
——ああ、嫌な予感。クルーウェルは指揮棒を手に、軽く握った右手を持ち上げる。見なくとも判るほど強く魔力が凝固し始める。
「確かに魔法を扱う者にはそれ相応の力がある。だが、力にはそれに釣り合うだけの『義務』がある。そうだな、三年生諸君」
凝り固まった魔力が臨界点を超えて具現する。それが炎であると目に捉えた瞬間に右腕で黒猫を背に押しやり左手にユニットを喚び出して防壁を二重に組み上げた。爆発音、空気そのものが燃焼する激しい轟音、背中に悲鳴、肉薄した炎の一発目を相殺した一層目が役目を終えて崩れ落ちる。立て続けに二発目が、その臨界へ向かう構えが見えた瞬間に咄嗟に手を伸ばして『命じた』。
「ッ、『[[rb:鎖よ > アリスィダ]]』……!」
教師の足元に光陣が浮かぶ。即座に魔力が鎖を象り指揮棒を握る腕を絡め取り固定する。魔力を遮断する鎖、だが指揮棒に垂れた魔法石に凝る魔力が霧散しない。舌打ち、声を張った。
「寮長権限により通達、捕縛命令!!」
弾かれたように七色の魔法石が白黒の『対象』に向き魔力で作られた縄に鎖がさらに教師の全身に絡む。だが引き倒すまでには至らない。眉根を強く引き寄せて『鎖』にこめた魔力に強く命じて、それでも動かない。嘘だろ学生相手とはいえこの人数この数の捕縛魔法にたった一人で抵抗しきるとかどれだけ化け物なんだNRCの教員は。周辺の三年たちが困惑する一年を背に庇いながら少しずつ後退するのに合わせて、足を引く。背中の一人がぎこちなく、だが素直に下がってくれるのに安堵しつつ一歩、二歩で足を止める。『対象』の灰色の目はローブたちの動きをゆっくりと見渡しているが、決して目を合わせてはいけない。合わせないまま見据えて、霧散しないままの魔力が、だがそれ以上臨界へと向かう動きを見せないのを確認してから口を開いた。
「左三名、特殊警護。……ハーツラビュル第三位寮生、対象の武装解除を」
「了解」
他人の魔力で織られた結界が背後の非魔法士——恐らく『対象』が標的とする一人を三重に覆う。更に『対象』への接近に最も危険度の低い一人を選んで告げれば、取り出されたトランプが一枚、寸分違わず同じ姿形へと変わる。分身が魔法石を『対象』へと据えたままゆっくりと近付き、拘束された手からゆっくりと指揮棒を抜き取り、ゆっくりと後退して距離を取る。ケイトの分身から指揮棒を受け取り視線は『対象』へと据えたまま魔法石を封印術式の中へと封じ込める。そこまでをただ無言、無表情で見届けた教師が、式典服の動きが失せてようやく、口角を上げた。
「Well done. Good boyだ仔犬ども。緊急時対応訓練も多少は身についているじゃあないか」
ああクソこういう輩だよなNRCの教師はさ。その声に反応しかけた一年たちをそれぞれ背に押しやった三年が黙らせる。その動きが一過して、妙な動きを見せる一年がいないのを目だけで確認して、それから『対象』に視線を戻した。なおも正面から鉢合わせることのないようにとその胸元を睨みつけながら、嘆息をして『見せる』。
「……紛れもなく、言い逃れの余地すら無い『パワー』ハラスメントでは? これ」
「なに、見事に防がれた以上一年に見せ付けるデモンストレーションとしては上々だ。構わん、外せ。武装解除もされている、もう何もしないさ」
「……総員、捕縛解除」
ユニットを引き、手を下ろしてそう号令を下せば教師の全身に絡みついていた縄に鎖が解けて消えていった。一枚だけ残った防壁と共に咄嗟に召喚してしまった鎖も帰還させれば薬学教師はまず真っ先にこちらへと足を向けて踏み出した。ウワ何事と身構える間も無く赤い革手袋が手招くように閃いて、即座に声。
「タチバナ監督生」
は、と背後を見遣る。咄嗟に掴んだままだった腕から右手を引けば、返すようにこちらの右の袖をきつく握った黒猫が、見開いた瞳に今にも溢れそうなほどの涙を浮かべてガタガタと震えていた。
「、え、」
「よし、よしGood girlだ監督生。よく我慢した」
口早に言うクルーウェルが黒い頭を撫で、浮かんだ涙をハンカチで拭いツートーンのコートの中に覆うようにして黒猫を抱きしめる。頭を撫でながら背を叩いて、子供をあやすように。
「もう大丈夫だ、もう何もしない。怖かったな。Good、よく静かに待っていられたな、偉いぞ。ゆっくり呼吸しろ。そう、……よし、よし。大丈夫か? よし、いい子だ」
何度も何度も繰り返し言う薬学教師の声が、そこで途切れる。コートの中から解放された黒猫は耳を完全に伏せていて、その頭を撫でた赤い革手袋が細い肩を押せば今度は袖を越えてこちらの背中に張り付いた。え、なぜ。説明も何もしない手袋は、次はこちらを向く。
「シュラウド、指揮棒を」
「……っス」
嫌味を込めて封印魔法ごと押し返す。片眉を跳ねた教師は指先でそれをくるりと宙に踊らせ、ものの五秒で封印式を突破して魔法石を取り戻していた。確かに全力の封印じゃなかったとはいえ腹立つなこの演出。カツカツと靴の音を鳴らしながら式典服の中央へと舞い戻った教師の声は、転じていつも通りのそれに戻っていた。
「さて、一年には刺激が強かったようだが、大人しく上級生の指示に従ったのはGoodだ。そしてこれで判ったな? 一年ども、お前たちは、他を守るばかりか、『対象』へ攻撃を行うことも、自身の身の安全を確保することすらできなかった」
平常を取り戻した教師の様子にざわめいていた一年たちが一斉に静まり返る。——果たしてそのうちの何人が、三年の誰一人としてマジカルペンを手放していないことに気付いているのか。視線を『対象』から外すことなく見据えている事には。『対象』が標的として選んだ非魔法士が、まだ魔法の影響を遮断する魔法障壁と結界の中にいると、誰が思い至るのか。
「魔法士には力がある。そしてその力に釣り合うだけの義務が存在する。その義務の一つ、魔法の力に理不尽に侵される人民を守護すること。防衛魔法の授業を通して習得する種々の魔法とは、その義務を果たすための、魔法士として必須の知識であり必須の技術だ。そしてその義務がためナイトレイブンカレッジでは『緊急時対応訓練』を全生徒に課している。教員に姿形まで成りすまして悪事を働こうとする者が、いつ侵入しないとも限らん、重々注意しておくことだ。……訓練終了だ。シュラウド」
その宣言があって、ようやく力が抜ける。抜けたと同時に溜息も吐き出されていって、だから寮長なんてやりたくなかったんだと内心に吐き捨てた。疲れた。喋りたくない。タブレットを浮かす。
『お疲れ様っした。指揮系統は通常に戻しますんで』
言えば、それでようやく三年らは身構えを解いて各々溜息なり悪態なり文句なりを吐き出し始める。一年は何事かと周囲を見渡すばかりで、そしてすぐ近くに残ったままだった『ユニーク魔法の分身』も、こちらの背中に張り付いたままの非魔法士から結界が剥がれ落ちていくのを確認してから、他の三年たちと同様にがくりと肩を落とした。
「っあー、久々すぎて焦ったぁ……イデアくん監督生ちゃんの護衛ありがとねえ、俺じゃ防壁の射程と速度届かなかったや」
『や、ま、まあ、近かったんで……はい……』
「監督生ちゃんも怖かったねえ、よしよし。だいじょーぶだいじょーぶ、おにーさんたちがちゃんと守ったげるからねー」
手を伸ばし、黒猫をそう言って撫でた分身が、次の瞬間にはトランプの一枚に戻り、そのトランプすら空気に溶けて消える。本体の方はどうやらハーツラビュルの一年を落ち着かせようとしている様子で、そこに指揮棒のしなる音が響いた。
「静粛に! まずは一年、お前たちは早急に『己を守る術』を学べ。それができないうちは強者の陰に隠され守られることを恥とは思うな。力を持たない者に義務は課せられようもないのだからな」
誰も何も答えない。返事は、と大喝があってようやく一年たちが声を揃えて「はい」と返した。よく躾けられてますなぁ一年は。
「次に三年、久々の抜き打ちだが反応は上々だ。数名構えが遅い者もいたが……指揮構築も良し、寮長の捕縛命令に即座に反応できたのは褒めてやる。シュラウドの非魔法士への護衛・防衛構築、及び各々の一年への防衛構築、対処は見事だった」
『……あざす』
「残る時間は各寮での緊急時対応の指揮系統、基本方針の周知と確認に使え。実習室Aから順に寮ごとに集合、以後は寮長副寮長の指示に従うように」
だから寮長なんて以下略。寮順ならイグニハイドはFか、遠いな、歩くのだるいな。肺の中身を吐き出すうちにローブたちは動き出していて、薬学教師は再びこちらに足を向けていた。用件は分かっていたので、できる限り体は動かさないようにしつつ首を回して背後を見やる。
「……監督生氏ー、終わったでござるよー……」
小声で呼びかけてみるが振り返った先でフードを落とした黒い頭は耳をぺったりと伏せたままで、どうやら尻尾もきゅっと巻いているようで、そして声に対する反応がない。確かに『怖い』とは言っていたが——いや、そんなにか。こんなにも、なのか。ここまで魔法に対して恐怖を露わにする人間は見たことがない。どうしよ、とこちらに向かってくる薬学教師に眼をやれば、見やった先のクルーウェルも、今度こそは明らかに苦い表情を浮かべていた。
「……ハーツラビュルの件は聞いているな?」
「あー……リドル氏の」
「ああ、その場に居合わせて巻き込まれてな。肋骨と脚を持っていかれた上に重度の火傷を負って、以来『対象』を取る魔法に対して過敏だ。攻撃魔法だけですらなくなってきているからな……」
「……そりゃなりますて……」
「その上サバナクロー、オクタヴィネルの件にも居合わせているとなれば、尚更であることも否めない」
話には聞いてたけど、凶運が過ぎる。オーバーブロットを、『アレ』を目の前にして、しかも何の手立ても持たない身だ。恐ろしいなんて言葉じゃきかない事態だったはずだ。しかも初回があの暴君だったんじゃ恐怖の度合いだって倍ドンだろうに。——なら、だったら。
「……いくら訓練でもやって良いことと悪いことあるんじゃないすかね」
「心情は理解するが慣れてもらわんことには学園の外にも出せないからな。パニックや過換気を起こさないだけ進歩している」
「荒療治……」
「本人も了解済みの療法だ」
それは、本当に、本心から頷いたものなのか。赤い革手袋が黒い頭を撫でれば、その感触があってようやく、ふらふらと黒猫が顔を上げる。見るからに焦点の合わない眼のまま教師を見上げるのには赤い革手袋が丁寧に頭を耳を頬を撫で、それからいつの間にか足元でふなふな言っていた魔獣を冊子の代わりに抱かせる。そうしてから教師は、改めて明確にこちらに目を向けた。
「ご苦労、シュラウド。この仔犬は俺が引き取る。お前は自分の寮の子犬の面倒を見に行け」
「……りょ」
——ほんの少し前までは、喉まで鳴らしてご機嫌だったのに。扉に向かって足を進めて、途中で振り返れば、その場に崩れ落ちるように座り込んだ一人を根気強く撫でる一人と一匹が見えただけだった。