映画のワンシーンを見繕えば、一つくらいは丸々同じのシーンがあるのではないだろうか。
なんて、人は何も出来なくなるとどうでもいい事ばかり頭に巡らせてしまうらしい。
「大丈夫っすか、ケガはない?」
「うん、大丈夫」
やはり、その少女の纏う大人びた印象が、物寂しい。無事なことにひとまず喜んで、これから取れる選択が限りなく存在しないことに程なく気を滅した。
護衛対象である前に、一人の人間、一人の少女。自分には、立場なんて関係なく、護る義務がある。
一日目
ガードマンには正装が付き物という暗黙の了解により、なんとも堅苦しい装束に身を包んだ。
与えられた一室は広々としており、興奮は抑え切れない。なんといっても高級ホテル、耳を澄ませてみれば下の階からピアノの優雅な音色が鼓膜を揺らす。
こんなシチュエーション、心を落ち着かせる方が困難だ。
言い訳しながら、支給された白い手袋をはめていると、コンコンと扉が叩かれる。精神統一を図る程の時間は提供されないようで、いそいそと扉に駆け寄り、尋ね人を招いた。
「はーい!」
「おう、どうせ部屋にいても浮かれて落ち着かねぇと思ってな。ちょっと来い」
「む、突然っすね。いいっすけど、どうしたんすか?」
同じ格好をした先輩は、その仏頂面からガードマンらしい威圧感を携えていた。褒め言葉のつもりでそれを口に出しても、仏頂面はいつもの事だと怒り返されてしまうのがオチだろう。
部屋の鍵を閉めて、赤いカーペットの廊下を進む。中央を惜しげもなく歩む先輩の佇まいは、何処からどう見ても本職のそれだ。
そして、下の階に向かう階段を降ってゆく、一階にあるピアノの奏でる音が段々と近付いてきた。
「今回の護衛対象の娘さんに先に挨拶しとこうと思ったんだが、俺よりお前の方が子供ウケいいだろ?」
「あー、そういう......そういう事なら全然っすけど、どこにいるんすか?なんなら見た目とかも聞いてないんすよね」
護衛対象、というのはこの豪華宿泊施設に止まっているとある貴族。異種族を生かしたビジネスを我先に行い、しかと成功を収めた、ビジネスにおいて確かな手腕を持つ男という話だ。
自分としては異種族をパッケージとして扱っていたり、なんとなく癪に障る営業の仕方が薄く見えて好きではない。あくまでこれも任務のうち、誠心誠意を尽くして護ってみせるつもりではあるが。
まぁそれも、そもそも護る必要はあるのかという話なのだが。
なんでも、別に殺害予告をされたり、大切な取引があるという訳でもないらしい。ただの休息に我々銀狼隊が雇われた、というだけ。お偉いさんは休むだけでも大変だ。
「全然露出しないからな、過保護なのかなんなのか知らねえが。ただ、幸いなことに、見りゃ分かると思うぞ」
言ってる間に、足並みはホテルの外を歩いている。波風は少し冷えていた。
「ほら、あの子」
砂浜にただ立ちすくんでいる少女が、そこには居た。
少女には、水平線の先が見えているのかもしれない。そう思わせるほど、視線は一切動かずに海を眺めている。
さざ波さえなければ、時が止まっていることを疑うこともあったかもしれない。その空間は、切り取られたように静止している。
「どした」
「え、あぁいや......なんでもないっすよ。確かに、宿泊客で子連れだった人は今回の護衛対象しかいないっすもんね。声掛けてみるっす」
暗い夜空に濃青色の海、重い空気に映えるのは長い長い白の髪。小さく黒いリボンを髪に携えており、白の黒のモノトーンな雰囲気は不思議な人物に感じさせる。
少女の視界に入るように歩き、屈んで背丈を合わせた。大体中学生くらいの平均身長だろうか。
「1人で、どうしたんすか?風邪ひいちゃいますっすよ」
「────ののさまが、綺麗だから」
「え?」
誰かを訊ねられると思って切り込んだ分、全く予想だにしない返答をされてしまい言葉に詰まる。
その目は、自分の姿を入れても小揺るぎしない。ただただ澄んだ、赤色を浮かべている。
「ののさまって、どんな人なんすか?」
ひとまずは、この少女を知ることから始めよう。
すると、少女は一歩前に出る。併せて、波が満ちて、前に出た少女の足を濡らす。
少女は黙って空を指さした。目で追えば、それは空ではなく月を指さしているのが分かった。
波が引いていく、その間も、少女は喉を鳴らさない。
「あー、おれは、君のお父さんのボディーガードをやる事になった、鳴島迅っす。君は?」
会話のペースがあったもんじゃない。彼女を知る為にはまず自分を知って、興味を持ってもらおう。
「お父様の?そう」
一際大きな波風が、沈黙を誤魔化しにかかる。
最早問い掛けすら意に返してくれない──。肩を落としながら、踵を返そうと思えば。
「君って、あぁ......私のこと?」
「え、うん、お名前は?」
単純にピンときていないと来た、どうやら自身に向けられている感情を読み取る処理が希薄に見える。
何故そうなったのか、何か特別な理由があるように思えてしまい、俄然興味が湧く。最初は形だけと屈めた姿勢も、今や待ち受けるようにしゃがみこんで、少女を見上げている。
「文乃、海藤文乃」
「あやのちゃんか、よろしくね」
様子を見ても、特段それ以上のことを言う素振りを見せない。3日間の付き合いだとしても、急いで仲を深める程の理由にはならない、3日間をゆっくり、文乃ちゃんと享受していこう。
「じゃ、おれはあっちにいるんで、早めに戻るんすよ」
少し離れて、砂浜に出る階段に立って見守ってくれていた先輩に合流する。成り行きでこのまま文乃ちゃんと付き添う事になったが、それを聞いていた先輩の顔にお申し立ては浮かんでいない。
「お待たせしました、不思議な子っすね......」
「”盗み聞き”してたが、どうも俺には無理だな。お前に任せるわ」
「えぇ......」
任務に関係のある人物と仲良くするというスタンスは、先輩と共有しつつも、なんだか面倒事を押し付けられている気がする。
面倒とは思ってないが、好印象を与えるのは骨が折れそうだ。
左腕が上手く動かない。瓦礫を退かすために動かそうとする度、鋭い痛みが奔る。
骨にまでダメージが入っている訳じゃないようで、痛みさえ支払えば問題なく行動はできるだろう。
「ッ......と、それじゃあ合流を目指して、犯人を捕まえないと。絶対はぐれないでね、文乃ちゃん」
「うん」
文乃ちゃんのペースに合わせて、高級感の見る影もない建物を闊歩し始める。
二日目
「まだ目ぇ覚めないんすか」
欠伸を噛み殺す表情を浮かべ続ける先輩を傍目に、呆れを隠さず言い放つ。
時刻は五時半、護衛対象がいる部屋の扉の前で暇を持て余していた。既に三十分はここにいる、早起きに慣れている自分はまだしも、そうではないらしい先輩はずっとぼんやりとした頭だ。
共に来ているもう一組の護衛とバトンタッチした手前、その眠気を解消するにはただ起き続けて自然消滅を祈るしかないというのは、中々どうして暇が過ぎる。
平穏は最も望むべきものだと理解しつつ、程よい刺激を求めてやまない心持ちは手癖に出始めていた。
手袋越しのリングを撫でながら、ただ平穏に時が過ぎるよう祈る。
祈って――数分。祈祷師でも神主でもないのだ、意識は別の事柄へ吸い込まれた。少女の事だ。
ののさまという単語、聞き慣れないがばかりに部屋へ戻った際調べた訳だが、なんでも神様などを意味する言葉らしい。彼女は月を指してそう言っていたが、月が神様なんて随分と昔ながらな感性だな、と思う。
護衛対象の情報は、大物で一枚岩ではないばかりに最低限しか教えられていない。その娘なんてもっての外だ。しかし、あの背丈なら小学生でも低学年ではないだろう、中学生の中頃と捉えた方がしっくりくる。それは背丈だけではなく、佇まいや表情の作り方も含めての印象だった。
中学生の少女が、月を神様と思う理由。
「――って、なんすかね」
行き詰った思考を、詰まる程進みもしてないねぼすけ先輩に投げかけてみる。
「んー?藪から棒だな」
「ほら、昨日の子っす」
少し声を落としながら、会話を始める。自分で考えずとも端からこれで良かったかもしれない。
「分かる訳あるか、男子校出身舐めんな」
良くなかったかもしれない。
「もうちょっと真面目に考えてくださいっすよ~」
「って言われてもなぁ、細かいことを考えるのは俺の分野じゃねえからな。ただ、お前もそうだろ?なら、聞いてみるのが手っ取り早いだろ」
それはそうだが、困難だから言ってるということに気が付いてほしい。
「出来たら苦労しないっす」
口を尖らせている間に、扉の鍵が開く音がした。どうやらお目覚めらしい。
アイコンタクトを取り、話す為若干近付いていた距離を離し、厳かな空気を発しながら背を伸ばす。
護衛対象の見た目は、随分とイメージに背いた若々しさを持っていた。年季が入っていたり、小難しそうな顔、或いは辛気臭そうな顔をしている訳ではない。ハツラツとした大きな紫の眼が特徴の青年だった。
最低限の中に存在した年齢は40代なはずだ。なのにこれはどうして、並外れている――――
気取られないようにホテルの部屋番号を見る。それはすっかり眠気を払い尽くした先輩も同じようで、しかし別人ではないことが分かる。
見た目を知らされてなかった為に、青天の霹靂とも言える衝撃だったが、それに足を止めている暇はない。おれ達を意に返さず、護衛対象は前進する。そして、おれ達の他に追随する影が一人。
少女、文乃ちゃんだった。
娘というのは相違ないらしいが、似つかわしい二人だ。母親似ならば説明できるだろうか。
ただ、おれに募る疑心は更に加速していく。父親は遅れて出た娘に視線の一つも向けず歩き続ける。少女がいなければ、右肩上がりの企業を牽引する姿として立派かもしれないが、父親として、一人の人間として、許容し難い姿だった。
言いたいことを纏めず、一歩踏み込んで口を開く。
「なん――
肩が強く掴まれる。
先輩だ。
目を細めて、視線は声に振り向いた護衛対象らに向けられている。
「なんだ」
「いやぁ、こいつが転びかけただけなんで、なんでもないです」
にんまりと笑うその姿は、あまり見ないものだった。その為に作ったものと分かるが、納得だけで憤りは収まらない。
「今は抑えろ」
冷淡な声が耳元で聞こえ、その冷ややかさで目を覚ます。
「すんませんっす、どうぞ気にせず」
伝播するように、おれも笑顔を作った。屈辱だとか、そういう感情はあるに決まっているが、それでもこの場に呼ばれた以上、最後までやり通さなくてはいけない。
「はぁ、選ぶ相手を間違えたな」
不満気に護衛対象は先へ進んだ。
おれらも不満気に、先へ進む。
朝食を取る為に向かったのは大きなホールだった。
しかし、それは一瞬のうちに遮断される。
特別なものではなく、単に護衛対象と文乃ちゃんがホール内に行き、俺らは外で待っているだけの話だ。
「お前はやっぱり向かないよなぁ、こういうの」
後輩はあたかも不機嫌に、眉をひそめて相槌を打った。
「まぁ、訳があんだよ。今は、抑えろって言っただけだ」
「それって、どういう事っすか」
「ちょっと待ってろ」
そうして、俺はゆっくり目を瞑る。後輩もなにかを察したのかこれ以上追求することはなく、静寂に包まれる――――というのは廊下だけの話だった。
「はてさて、早速と行きましょうか」
「気の早い人ですね」
続け様に、卑しいトーンで男性達が喋る。
ホール内の会話だ。無論、豪奢なホテルで防音機能を疎かにしている訳がない。ただ、俺の前に一般規格の防音は無意味なだけだ。
【強化五感】それが俺の地味な能力。
「進化の段階は順調です」
護衛――否、捕縛対象の声がする。それだけでホール内の人々が押し黙り、期待を向けているのが扉越しでもありありと分かる。
「我らはここで進化を起こし、牽引するのです。この世を」
「このグラスが奏でる音こそが、我らの福音です。乾杯」
そこからは、盛り上がる声に悪趣味な話といった、拾うに値しない音がホールを包んだ。
「やっぱり黒か」
「なにがっすか」
我慢の限界とでも言いたげに、後輩が食いついてくる。
秘匿命令は、もう要らないだろう。
「あいつらが、だよ」
親指でホールの扉を指す。続けて説明を挟んだ。
「俺らは護衛じゃなくて調査を依頼されたんだ、本来の警護会社からな」
一変して押し黙り、神妙な顔が俺を見つめる。
「あの容姿、異常だろ」
40代でありながら、髭は見当たらずきっちりと整えられた髪、衰えることを知らなかったのであろう体格。見積もっても30前半のそれだ。
寿命の差?残念ながら人間のはずだ。出生は共に人間の親からであり、異常はない。
でも――――
「例外があるんだよ。後天的な、異種族化ってやつがな」
「まさか、それがあの集まりってことっすか」
「多分。な」
対象がグレーなら、鳴島迅は間違いなくボロを出す、という上の評価は何も間違っていなかったようだ。むしろあの一瞬でグレーだと察する頭を評価したいところだが、置いておこう。
「これから粗を取って、四日目の朝に事情聴取だ。ここを逃せば、野放しになるだけじゃあなく、依頼してきた方にも申し訳が立たないからな。悪いが、やらかしそうなお前はもう留守番だ」
「え、なんでそうなるんすか」
声を抑えながらも勢いは問い詰めるに等しいものだ。
「調査になると、お前はやれることがないからな。それに、準備期間みたいなもんがあっちにある以上、突然なにかか起きるのもそうないだろ。だから、言っちゃ悪いがお役御免でな」
「それでも、ずっと指咥えてるなんて無理っすよ。おれも――――
「なにがあっても、自分の信念を曲げて押し黙る覚悟を持てるか?」
後輩は目を見開いて、合点がいったように力を抜く。
「無理っす」
「あぁ」
それでいい、汚れ仕事なんてやらず、誰かの敵じゃなくて、誰かの味方になれるということなんだから。
眩しいほどに、未熟で、それがいいのだろう。