未来が見えなくなった。なんて吉兆、能力の喪失なんて一体何が起きたんだか、喜んだのも束の間だ。
校長も、先生も、生徒も、誰も彼も未来がない。
何故、分かる?
「どういうアレだ、これ」
視て、未来がないと『分かる』というのは、能力が正常に働きつつも、未来自体が異常ということを意味してる。でなければ、人を見つめて暗黒が映るように人の眼が出来ていることになる。
能力がなくなったんじゃない。
「未来が、なくなった?」
一日後の未来から、ビジョンは潰える。白月街の住民の大方は視たが、例外がない。
焦燥が俺を食む、ぼんやりと仕事は進んで、たった今夕方が終わろうとしている。
鏡に未来が映ればいいものを、所詮鏡如き物体に過ぎないと嘲笑われる。刻々と音を立てて暗黒が迫っていた。
雑誌だかテレビだかスマホだか、呑気に宣う話題の鉄板、世界最後の日に何をするか。数時間だというのに思いつくものがまるでない。大切な人も、大切な信念もないのだから、そりゃ芽生える訳がないんだ。
「これで、頭の不具合ならどんだけ怒られんだろな」
見栄で塗られた手触りのいい財布を手に、職員寮を後にする。太陽が地平に沈んでいて、その様が、何もかもの元凶だと思って仕方がない。
「おろ、先生。珍しいっすね、この時間にバス乗ってるの」
山を降りるバスの発進を待っていれば、黄髪の生徒がひょこりと乗り込んでくる。
部活もやってないこいつがこの時間ということは、今日も殊勝に自分を鍛えていたんだろう。その健気さも今日で終わりだ、大切な人や信念があったってそんな風に終わるとは、かえって不平等に思う。
「まぁな、俺にもヤケになる時くらいあんだよ」
「ヤケ?」
少し心配そうに眉を下げ、反対側の座席に奴は座る。
心の底から僅かに笑い、バスの発進を待った。関心がなくなったのかなんなのか、あいつは代わり映えもしない森林を見つめている。
「お前、世界最後の日とか考えたことあるか?」
「んぇ」
たまたま見つけた満月を見るような、無関心なりにも驚いた顔でこっちを見てきた。荒唐無稽な話を顔見て話す気にもならず、反対に俺が窓を見る。
「なんすか突然」
「そ、突然思ったことだから気にすんな」
真面目に聞いても肩透かしなだけ、振っておいてだが、適当に流してしまおう。
数秒程度の間から向こうが口を開く。
「なんでそうなるのかって感じっすけど、絶対諦めたくないっすね。あんだけ凄い人らが集まってるし、変えられるかもしんないじゃないっすか」
残念だが世界の終わりってのは親切じゃなかった。救いにもならん、独りよがりの終末に、誰も干渉できないものなんだ。
やるせなさ故にそんな返答が降って湧いて、そのまま沈める。
「すげーな」
いつもの、小バカにする笑いは出せず、窓を見る俺が眩しさに目を背けている気分になった。
「いやいや、そん時は先生にも助けてもらうっすよ」
つい目線をやる。その目は、来るはずもない未来を確かに見ていた。
「......世界が終わるってわかってんなら、俺の力は意味ないだろ」
「あ」
コントみたいなやり取りだ、世界が終わるというのに、しょうもなさで笑える。
「まぁ、お前らなら――」
俺の眼前が暗黒で包まれる。何も、何もない。
「っ」
「ん、おれらなら?」
気休めすら、許してはくれない。
「いや、なんでもねえよ」
「え、気になるじゃないっすか!」
「身ぃ乗り出すな、あぶねえだろ」
バスは無意味に俺らを運ぶ。駄目だ、すべからく無意味に思えて仕方なくなってくる。
数人の生徒に紛れてバスを降りる、幸いあいつと別方向らしい。
「んじゃ、また明日っす」
「おー」
乗るんじゃなかった。久しく思い出した、退勤ラッシュという社会の黒を煮詰め合わせた空間を。
あれから電車に乗り、俺はあてもなく車窓に思いを馳せる。つもりだったんだが、数駅乗れば都会に繋がる路線を、どうして夕暮れに使ってしまったのか。人に押しつぶされつつ暗闇に苛まれる。
そんな苦難も数十分の辛抱、人が入れ替わる中、座席というプレミアを獲得するまでに漕ぎつけた。
こうなれば勝ちも同然。なにを負かしたのかはさておいて、気長に馳せることが出来る。
何処で降りてしまおうか、豪遊する時間も残されてない以上人に振り回されながら買い物するなんて愚策。店でなにか食べるのも、待ち時間に虚無感を感じて、食べながらも感じて、どうにもならなそうだ。
『次は――」
聞き覚えのある駅名に顔を上げる。
「つい降りちまったけど、どうしたもんかね」
自分の低能に呆れるしかない。後先考えない行動は、欲という獣を身に宿している者だけに許された行為であって、俺みたいな中途半端には身に余る。
ホームでたそがれてもしょうがない、ひとまず駅を出て、適当に歩いてみようか。
この駅は、気まぐれな野良猫みたいに記憶をつついてくる。
名前を耳にしたのは随分と前の話、受験や進路だかで同級生の格が浮き出る時期だ。
とある女は口にした。
『~~高校に行くんだ!』
何故か調べた俺は、その偶然すらなさそうな距離になんとなく安心した。
二度と関わらなかったら、思い出に風化されていつか俺の世界から消えると思っていたからだ。でも、どうしてか検索する指の動きすら思い出せる程記憶に住み着いている。
たまに出ていくと思えばこうして俺の方から探してしまう形になった。
思い出の街なんて煌めいたもんじゃない、関係もない。
元カノの住む街という、寂れすぎた形容でしか表現出来ないどうしようもなさだ。
そいつは話を聞くのが好きだと言っていた、俺の目からみりゃ、かっこいい男のかっこいい話を聞いて、かっこいい過去に紛れ込もうとしているようにしか見えなかったが。
兎も角受動的な満たし方をするもんで、何度か見栄も張った記憶が俺の心臓をキュっと掴んでくる。
話を聞ける職業ってなんだろう、と悩ますそいつは、ゴシップを聞いたように浅ましく笑って友達の意見を聞いた。
『バーテンダー!確かにいいかも!』
その頃には、応援も泥と化す関係で、内心鼻で笑うくらいしかしなかった。
場面は向かう高校の話に遡る。友達に首を傾げられたそいつは、意気揚々と宣言した。ただ当たり前に返答しただけなんだろうが、俺には夢を掴むという断固たる宣言に聞こえてしまったのだ、なにもない俺には、そう映った。
『お父さんに連れてってもらったかっこいいバーがあってさ、そこで働きたいんだ!』
無鉄砲だと思ったが、そこに介入出来るほど、俺に刹那的な感情がなかった。眩しさに振り落とされた俺は、夢に向かう光を顔をしかめて見るしか出来なかったんだ。
「行ってみるか」
悪い顔をしていただろう、そんでもって、楽しそうな顔でもあったろう。
バーをしらみつぶしにする気だったが、この街にバーは一つしかなかった。達成感すら充分に感受させてくれないみたいで、ナビに従えば行き方も簡単だ。
会ったらどうしようか、大人になったら案外腹割って話せるもんかもしれない。いや、繁盛して話す時間も満足に取れないかもしれない、それならそれでいい、人は人の放つ光で酒を飲む。テレビの先の熱狂が上質なツマミになる生物と同類なんだから。
どう変わっているんだろう、明るいショートカットでミニスカートの眩しいスタイルから羽化した姿は思いの外興味を沸き立たせた。
一夜限りの邂逅に、かき集めるだけの希望を携え、俺はピンの刺された建物を見る。
少し重い扉を開ける。向こうは初見で気付くだろうか、初見のフリをするべきか、会いに来たというべきか、そんな思いは大量の希望が踏みつぶす。
女は何処にもいなかった。
自分の半生に酔いをしたためる。金に糸目をつけず、二杯目を飲み終わる。酒に弱くはないが、強くもない。このあたりでほろりと愉しくなってくるもんだ。
他に客はおらず、バーテンダーのおっさんただ一人。酔っ払いが話しかけるに余りあるハードルの低さ。
「そういや、この店にバーテンダー志望の人とかきませんでした?女の」
なに聞いてんだか、と自分を装い三杯目を頼む。これを最後にしよう、度数の高いものを思い浮かべる。
「何にしましょう」
「アースクエイク」
首肯し、作り出した。過去を混ぜ呑んだ背中が語り始める。
「この店ではありませんが、数年前、近くの店でありましたね」
「へぇ、あったのか」
検索に引っかからなかっただけで、他にもあったらしい。空振りも、酔いどれた俺には笑い飛ばせた。が、そんな酔いを飛ばしかねない言葉が俺を貫く。
「それから少しして、潰れましたよ」
口を潤すものが手元になく、奇妙な間が流れた。
「へぇ、そりゃ、不景気な」
バーテンダーはそれ以上語ろうとしない。きっとその女は同一人物だ、でも、膿んだ過去をほじくろうとは思えない。不運だったな、と心中声をかけ、おしまいにしてしまおうか。
カランコロン。
「噂をすれば、ですか」
聞き流すつもりの来店音に、つい振り返った。
安物のヒール、安泰のスーツに身を包んだ長髪の女性。そして、それらが似合わない明るい髪色と童顔。
変な汗が出る。
「アンタ」
「お前」
その時点で、お互い分かるもんなんだと笑ってしまった。
「すいません、やっぱり」
顔なじみのような素振りでバーテンダーに頭を下げ、あいつは踵を返そうとする。
愉しい夜にしてしまおう。世界最後の日を俺だけが知っているという、俺以外の人類が背負うべき罪を請求するべく。
「座れよ、待ち伏せてた訳じゃねえ」
呆れとも怒りとも分からない目線を向けてくる。過去、差別的思想で俺を振ったことに、今更俺が復讐しにきたとでも考えているんだろうか、俺が憎んでいると考えているんだろうか。なら、俺の頬を見てからそういってほしいものだ、復讐者が顔を真っ赤にするなんて滑稽甚だしいだろうさ、自分と女に酔った憐れな俺で、真剣になる奴じゃないだろう?
ため息を吐き、案外嫌でもなさそうに、一つ開けて奴は座った。
「お待たせしました。アースクエイク」
「随分強いもの呑んでるじゃん、ヤケ?」
嘲るように笑う顔は、俺と何処か似ていた。在りたいものをなくして、だからこそ自分だけはなくしたくないと見つけた自衛の笑いだ。
「そんなとこだよ、でねぇとこんな遠くまで来るもんか」
気を抜くように奴は笑って、大概強い酒を頼んだ。酔ってないと話せない相手だからだ、互いに。
お互い酒を口に含みつつ、牽制のように視線ばかり飛ばす。失うものがなにもない俺が、しょうがなしと口火を開いた。
「今何やってんだよ」
痛いとこを突きまくって、ヤケにさせてやろうという魂胆だ。
あからさまに眉をひそめた後、一杯仰いで奴は答える。
「しょうもない一般企業、アンタは?」
これ以上聞かないで、と暗に伝えてくる。嫌なこった。
「教師。お前、バーテンダーはどうしたんだよ」
「そんな空気読むのヘタだったっけ、昔のことでしょ」
「言いたいことブレブレだな、話は知ってるぜ、潰れたんだっけか」
追い詰めたい訳じゃない。ただ、俺が身勝手になるのは別の話さ。
その代わり、話は聞こう。そうして、しょうもない関係同士グダグダになれば、世界の終わりなんてきっと笑い飛ばせる。
「店長が腰やってね、私だけじゃどうにもならなくってさ」
「凄いとこ務めてんね、銀ちゃん」
「だろ、俺と比になんねえバケモンばっかだよ」
積もる話もここまでくれば圧巻だ、幾ら積み重ねたことやら、五杯目を喉に流す。
数時間は経っただろう、夢の話、仕事の話、恋の話に教え子の話、大人らしく出鱈目な会話ばかりだ。でも、ただ純粋に愉しかった。厄介な身ぐるみばかりが剥がれていく気がする。
「案外ウチら、相性よかったんだね」
そう零したと思えば、グラスを回して、出来た渦を愛おしそうに見つめている。そこには、人波に溺れながらも、俺で癒す幻想でも浮かんでいるのかもしれない。まぁ、きっとこれこそが幻想だ。
そう答えればいいか見繕うフリで腕時計を見た。
「は、これからってもんだろ」
世界の摂理に隷属した物らしく、無情でドラマがない。
「なにが?」
「そーだな」
適当に考えるフリで時間を稼いだ。これに答えなんかいらないからだ、答える隙どころか、咀嚼する隙すら与えない為、よく考えるフリをする。
「アリだと思うんだがよ、やり直してみるか?」
控えめに噴き出す姿がやたらと嬉しくなった。