「あれ」
久しく部屋の主を迎え入れた一室で、帰ってきたばかりの主の口からポツリと小さな驚きが零れます。
学園交流会を終え、ようやく帰路についた監督生は荷解きをしようとボストンバッグを開いた所、記念品にと贈られたマスカレードの重厚な衣装の下から『それ』は見つかりました。
「なんだろう、これ」
白いふわふわの髪、まんまるとしたピンクのほっぺ、きりりとした眉に反して暗く沈んだ瞳……。
それはノーブルベルカレッジの伝統的な制服に身を包んだ、手のひらサイズのお人形です。
てろりと重たい布に包まれて、まるでおくるみの中の赤ん坊のように無垢であどけなく、少女がそっと手のひらですくい上げては頬擦りをしそうなほど、愛らしいぬいぐるみです。
そしてそれは明らかに、かの絶対魔法絶滅テロリスト、ロロ・フランムのぬいぐるみでした。
「誰かの入っちゃったのかな」
実在している人物のぬいぐるみは、ここツイステッドワンダーランドでは特に珍しいことではありません。親しい間柄の人物を模したぬいぐるみを交換したり、推し──いわゆるアイドルや有名人などを模したぬいぐるみなんかも巷では溢れかえっています。そういうぬいぐるみ達は、愛称を込めて名前とぬいぐるみを合体させ、𓏸𓏸ぬい、と呼ばれています。そうですね、この場合は──ロロぬい、とでも呼びましょうか。
改めてロロぬいをじっくり眺めた監督生は、困ったなといったふうに眉を下げました。
「送り返すにしても、誰のか分からないし……そもそも、郵送費……」
鏡に頼んで花の都へ直接送り届けましょうか?
いいえ、あの学園長がたかだかぬいぐるみの落し物程度で鏡を使わせてくれるはずがありません。
ほんの少しばかり良心が痛みますが、何にせよ極貧生活を強いられているオンボロ寮に、はるか遠くの外国へ郵送するお金などありません。
困ったとは言いましたが、結論はもう既に出ているのです。監督生は優しくふわふわの白い頭を撫でました。
「しょうがないなぁ。君は今日からオンボロ寮の一員だ。よろしくね」
いくら憎かろうがこのようにふわふわと無垢な人形をゴミ箱に突っ込むなど、監督生には出来そうにありません。まして誰かの物であるかもしれないなら尚更です。監督生はそっとベット脇のサイドテーブルにロロぬいを座らせました。
そうして荷解きに戻る監督生の背中を、ロロぬいは深く沈んだまなざしでじっと見つめていました。
「捨てろ」
「だめ」
「ウウウ」
「何が嫌なの?」
「……何か、すっげぇヤなんだゾ」
「何か、って何?」
「ウウウ……!とにかく!イーヤーだ!」
部屋に戻ってきたグリムは、ベッドサイドに置いてあるロロぬいを真っ先に凝視して、にじりにじりと後ずさりしました。
かと思えば叫ぶように捨てろというものですから、監督生は面食らってしまいます。思わずだめだとは言いましたが、何がそんなに気に入らないか全く分からず、監督生はそっとロロぬいを手に取りました。
「こんなにかわいいのに」
「ハ!?おまえよくコレをかわいいって言えるな、オレサマの方が一億万倍!かわいいね!」
「よっ、その通り!可愛さの頂点!最高親分!」
「フフン!」
じゃない!とグリムは地団駄を踏みました。
上手く言えないモヤモヤが、彼の中で燻って上手に言葉が出せないようです。
むやむやともふもふの唇を動かして、やっぱり言葉が見つからず、グリムはツーンと拗ねました。
たしたしと苛立ちを足元で表しながら、「オレサマ、そいつと一緒になんか寝たくない。そいつをそこに置くんなら、下で寝る」とぷいとそっぽを向きました。
さてさて、監督生は困りました。何せこのふわふわの綿で出来たぬいぐるみの、どこに脅威を感じているのかさっぱり分かりません。監督生はグリムの感情を上手く読み取れず、首を傾げました。しかし今日入ってきたばっかりの新人を優先して、苦楽を共にした古株の意見を聞き入れないというのは筋が通りません。
「わかった、わかった。そんなに言うなら、この子は別の部屋に置こう。それならいいよね?」
グリムはむーんと眉間に皺を寄せます。
ぎゅうっと瞳に力を入れた後、ゆっくり瞬きをして、本当に仕方なさそうに頷きました。
そうして監督生とグリムは隣の使っていない部屋の窓際にぬいぐるみを置こうとしたのですが、暗い部屋にひとり寂しく置いていくのも忍びなく、監督生は木で編まれたバスケットにハンカチを敷き、そこにロロぬいをそっと横たえました。
それにげんなりした目を向けたグリムは、監督生の背中をぐいぐい押して部屋から出させ、ちらとロロぬいの方を見ると、イーッと歯を見せながら部屋の扉を乱暴に閉めたのでした。
(ふむ、あの魔獣。勘だけはいいようだ。)
さて、ここからが本題です。ロロぬいはゆっくりと仮初の体を動かしました。右手、左手、次に右足。順番に四肢を動かしていって、問題なく稼働することを確かめると、まるで妖精がぬいぐるみに命を吹き込んだかのように、軽やかにロロぬいは立ち上がりました。
キョロキョロと辺りを確かめ、大きい頭のバランスに四苦八苦しつつも、柔らかい布で包まれたバスケットの中からストンと飛び降ります。
ふん、と自慢げな鼻息が聞こえてきそうな素振りをして、ロロぬいは窓から外を覗きます。
(ここからナイトレイブンカレッジが見える。やはり監督生くんの荷物に紛れこませて正解だった。)
薄い雲のかかった夜空の下、月明かりに照らされて聳え立つ城にも似た校舎を見下して、ロロぬいは悪役もかくや、といったふうな悪どい(実際の表情は愛らしくあどけない顔のまま)笑みを浮かべました。
(待っていろ、マレウス・ドラコニア……!
今度こそ貴様の弱点を探り出し、這い上がれぬ絶望の淵に叩き落としてやる!)
……と、固く拳を握りました。(とても柔らかいもちもちの手で)
もうお分かりかとは思いますが、このふわふわで柔らかい綿のつまった愛らしいぬいぐるみはカムフラージュ。その真の姿は、ロロ・フランムがマレウス・ドラコニアの弱みを探るために用意した世にも恐ろしい魔道具なのです!(見た目はとても愛らしいので恐ろしさは半減)
まさかあれほどこてんぱんにやられたその日に、次の計画を立てる為の下準備を行うなど、いっそ
感服するほどの執念深さ。マレウス・ドラコニアも見上げた根性だと拍手を送りそうです。
(時間が無い。監督生くんとあの魔獣が眠っている間に、行動しなくては。)
(……確か監督生くんの部屋は、隣だったはず。)
てちてち、という効果音が相応しいように歩くロロぬいは、はるか遠くに見えるドアノブを見据え、ちいさいおみ足の下に広がる崖下を見下ろします。一瞬くらり、としそうになりましたが、あの高い鐘楼を日頃昇り降りしている彼です。えいや、と1歩踏み出しました。ぽむん。ぽむ、ぽむ……と、落ちた衝撃で弾みながら、ころころころ……とあっという間にドアノブの下まで転がっていきます。あまりの非力さに多少ムッとしながら立ち上がったロロぬいは、綿の中に仕込まれた魔法石を使って、かちゃり、とドアノブを開きました。
僅かに開いた隙間に体をどうにか捩じ込んで、ようやくロロぬいは広い廊下に飛び出ます。
(マレウス・ドラコニアを、『ツノ太郎』などとふざけた渾名で呼ぶくらいなのだ。よほど彼奴と親しいのだろう……馬鹿め。アレと仲良くした所で、行き着く先は地獄だというのに。)
ぽみぽみと廊下を歩きながら割と時間をかけて隣の部屋に辿り着くと、ロロぬいは今度は音を立てないように、そーっとドアノブを開けました。
大聖堂のように広い室内を見渡し、ぬいぐるみの小さい命の視点からでも、塵の一つも見られない床をそろそろと歩きます。そして壁にくっつくように置かれた巨大な机に目をつけると、つるつるの面に足を滑らせながら登っていきます。
何度も何度も落っこちた末、ようやく平面まで登りつめたロロぬいは、心なしかくたびれた表情で思いました。
(思っているよりも操作に手間取る。今後鍛錬しなければ)
とまぁそれはさておき、さっそくめぼしい缶かんや日記のノート、写真が乗ったアルバムなどを集めようとしたときです。
ロロぬいの頭上に大きな大きな影が落ちました。
「おやおやおや……。フランム、人の物を勝手に盗み見るとは、随分とお行儀が良い事だな?」
まさかそんな!それはまさに、ロロ・フランムの絶対の敵、マレウス・ドラコニアの声ではありませんか!
ロロぬいはピタリと動きを止め、一瞬の後弾かれたように走りだそうとしましたが、それより先に大きな手のひらでがしりと鷲掴まれてしまいます。そして宵闇の中でなお、鮮やかな翠の瞳の前に差し出されました。
(なぜ此奴がここに……!?くそ、離せ!)
「ふむ。人の子の一時の安らぎの邪魔をする、お前に何の罰を与えるのが良いか……。フフ、しかし、なぁ?フランム。僕は少しわくわくする」
妖精の粉が絶えず大きな黒い影の周りに舞い散っています。視界を埋める眩い光に、思わず閉じれない瞼を閉じようとしたロロぬい。その体が緑の鱗粉で覆われていき、最早何もかもが真っ白になった世界で、判決が言い渡されます。
「決めた。お前は永遠にその体に閉じ込められる。なに、気にするな。お前の元の体は元のように動く」
お前も不法侵入しているではないか!何を勝手に!と叫びたいのに、先程まで画面を眺めているようだった視界が迫り来て、コントローラーで動かしている感覚だった手足が、まるで生まれてからずっとこの四肢だったと錯覚するほど馴染んでいきます。
あぁ、可哀想なロロ・フランム。
彼はどうやら、その綿の詰まった小さな布で生涯を過ごさねばならないようです。
「しかし、ひとつだけお前に祝福を授けよう。その体に真実の愛のキスを受けたなら、お前は元の体に戻る」
「さぁ、精々足掻くといい。またお前と鐘の下で会うのを楽しみにしている」
清廉な空気の塊が通り抜けたような気配の後、そこにはもう誰もいませんでした。
ロロぬい……いいえ、ロロ・フランムは、ひとしきりそのふわふわな体で打ち震えた後、万感の思いを込めて叫びました。
(ぬいぐるみがっ、真実の愛など育めるかぁーーーーーーーーーーーーーっ!!!許さんぞ!マレウス・ドラコニアーーーーーーーーーーーッ!!!!!!)
間抜けな寝息が二つ分しか聞こえないはずの室内が、大きく震えたような気がしました。
さて、これから一体どうなってしまうのでしょうか?
何だかんだあって監督生から真実の愛のキスを受けたロロ・フランムが、ナイトレイブンカレッジに押しかけて来るや否や、監督生にプロポーズをして断られ、あわやオンボロ寮が大炎上するまでのお話はまた今度にしておきますね。