私の記憶の中にある最も新しい祖母の顔は、通夜の時に見た死化粧だ。
人間に対して抱く、恐怖と美醜について。ある方がそんな話をしていた。タイムラインにて偶然目に留まり、これまで私が怖いと思った人のことについて、ぼうっと考えてみたのだが、その中で浮かんできたのが数年前の通夜のことだった。
祖母の通夜だった。死に目には会えなかった。母からの電話で、祖母が病院で息を引き取ったことを知った。週末、仕事終わりに車を走らせ、葬儀場に到着したときには既に日が暮れていた。
故人は、祖母は棺の中で眠っていて、既に翌日の通夜のために、死化粧を施されていた。
きれいにしてもらったの、と、母が穏やかに微笑みながら言っていたことを覚えている。かわいくお化粧してもらって、きっとおっかあも喜んでいる、と、たしかそう言っていた。
促されて、故人と対面した。私は笑えなかった。
祖母の死因は癌だった。痩せ衰えて、顔からはどんどん生気が無くなっていったことを私は知っている。だが、棺の中の故人は、ほんのりと頬が赤く色付いていた。それは生前の彼女の、元気だった頃の姿に近かったのかもしれないが。
私は、怖かった。
たしかに、綺麗に化粧をしてもらって、整った顔をしていた。だがそれは、病に苦しみ、病と闘い抜き、その果てに倒れた人間の顔ではなかった。生き抜いた人間の、その、最後まで生き抜いた姿が失われている気がして、どこか冷たく思えてならなかった。
闘病の跡をすっかり覆い隠してしまった死化粧が、私は好きになれなかった。そんな死化粧を見て、よかった、と言う親族のことも、よくわからなかった。
人間は、綺麗なだけではないはずなのに。
私にとって、祖母は祖母でしかない。共に過ごした時間は、実の娘である母に敵いはしない。その母が良いと言っているのだから、あれで良かったのだと思う。
だが、あの時私が感じた違和感は、未だに忘れることができない。
死化粧を施された亡骸は、限りなく故人の生前に近付けられているし、あるいは故人の死の間際よりも、ずっと綺麗に整った顔立ちにしてもらえている。
しかしやはりそれは、死んだ人間の顔であって、ただ眠っている生者の顔とは、やはりなにかが決定的に違うのだ。
私はそこに違和感を、恐怖を感じている。
もちろん、なら亡骸とそのまま対面すればいいのだ、と言うわけではないのだが。
やはり、あのとき私は悲しかったのだろう。
……ということをもうちょっと簡潔にまとめて某フォロワーさんに送りつけてやるのだクックックと画策しているヤギチュールでした。
そろそろ眠くなってきたようなこないような、そんな感じなのでこのへんでおしまいです。
おやすみなさい。