カードキーを投げるみたいにサイドテーブルに置く。純白のシーツで整えられたベッドに飛び込みたい欲望を抑え込んで、まずは窓際まで足を進める。一気にカーテンを閉めると、南国らしく明るかった室内もかなり明度を落とす。
 やっぱりこの日差しはちょっと、俺にはキツすぎたみたい。薄暗くなって少しは落ち着ける空間になった室内を、今度はベッドまでふらふら戻って、我慢の限界とばかりに身を投げ出す。程よく弾力のあるスプリングが軽く俺跳ね返した。
 船酔いに、日光に。まだ1番大変な場面にかすりもしていないのに、すでに散々な拒否反応を示す自分の身体に嫌気が差す。目を閉じていてもぐるぐる、ふわふわと常に揺れ動くような感覚に胃が違和感を訴え始めた。
「んっ、ぅ……」
 まだめまいも消えきらないところをベッドに揺らされたからだろうか。突然、口内に酸っぱいものが溢れてきて、ぱし、と手で口を覆う。それだけで治ってくれたらまだよかったけど、そう上手くいくわけもなくて。
 横になったまま怠さで動けない俺に構わず、胃はひとりでに動いて、ぐぶ、と熱い液体を押し上げてきた。だめだ、ホテルを汚すわけにはいかない。必死になって上体を起こせば、その動きでさらに口内に流れ込む量が増す。これではトイレまで持たないのは火を見るより明らかというやつだ。
 視界の端に映ったゴミ箱を引っ掴んで身体の前に構える。冷や汗で湿った指先に触れたビニール袋がぺたりと張り付いた。
「……っえ、……げ、ぅっ!」
 船で食べた、豪勢な料理だったものの破片が、無惨にもどろどろになって白かった袋にガサガサと一気に色をつけていく。食欲もないのに飲み物で流し込むようにして無理矢理飲み込んだ食材たちは小さく砕かれていなくて、喉を通る度に酷い不快感を生む。
「おぇ、ぇ……っ、はあ、うぇっ」
 びちゃびちゃと音を立てながら吐物が打ち付けられる。嘔吐しても吐き気の波は引く素振りすら見せてくれず、もはや吐くことが気持ち悪くてまた嘔吐する、そんな循環に入っているような気さえする。酸素が足りてなくて白んできた視界のせいで現実感もなくなってきた。
「げぇ……、ぅぶ、えぇっ」
 次から次へと込み上がってくるそれをひたすら吐き出す。袋の側面に付いた吐瀉物がドロリと垂れていく様子は、さらに吐き気を催しそうな気がして咄嗟に目を逸らした。代わりに視線を送ったゴミ箱を支える手指は、力を込めるあまり真っ白になっていた。
「けほっげほ、げ、ほ……っうぅえ……」
 咳き込んだ勢いでまた粘着質な液体が袋に溢れる。そこそこ広い室内に、聞きたくもない自分の声と吐物がゴミ箱に落ちていく音が反響した。たくさん量を食べた訳ではないから、さすがに勢いは落ち着いてきて、ほんのり安堵する。きっともう大丈夫。
 酸味と苦味が混じったような嫌な味の液を口から追い出そうと、溜まった吐瀉物の上にぺっぺっと数回唾液を吐き出す。近くにあったティッシュボックスから無造作に何枚か重ねて紙を取って口元を拭ったものも一緒にゴミ箱に捨ててやった。
 ティッシュが水分を吸い上げて茶色く染まっていくのを疲労感でぼんやりと眺めた後、上手く動かない手で何とか袋の口を結ぶ。生憎袋の処理までする元気はないから、しばらくはこのままにしておこう。どうせ、みんなは外に出て行っているみたいだし。
 水分、摂らなきゃ。ライブのとき、喉枯れてたら困るから。働かない頭でもライブを真っ先に考える自分の思考回路にちょっと驚くけど、おかげて重たい身体に鞭を打つだけの気力は持ち直せた。
 部屋に着いたときよりも確実に悪化しているめまいに負けないように、ほとんど這いつくばるみたいにして備え付けの冷蔵庫まで移動して水のペットボトルを取り出す。力の入らない指先では蓋を開けるのに苦労したけど、なんとか冷え切った水を喉に通すことができた。
 もう今日は寝てしまおう。寝て、次に起きたときにはきっともう少しは良くなってるはず。だって俺はこれからライブするんだから、こんな段階で参っている場合じゃない。みんなに迷惑をかけたくなくて、自分を鼓舞しながら意地で戻ったベッドに意識ごと沈み込んだ。
*
 微かに響くノックで目が覚める。こんな、ノック程度の音で起きてしまうなんて、深く眠れていなかったのかも。怠さに身を任せて居留守でも決め込んでしまおうか、なんて思った頃にもう1度硬い音が響いた。仕方ない。慎重に、ゆっくりゆっくり起き上がって扉の方に動き出す。
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