うちの床下に海が広がっていることは僕ら兄弟だけの秘密だった。
その海はきっと太平洋へとつながっていた。真夜中に呪文を唱えながら床下収納の蓋を開けると、そこには黒々としたさざ波が揺れていて、手をめいいっぱい突き入れると回遊魚の背びれが指先をかすめた。
弟は糸巻きの先にお菓子を吊るしてウツボを釣ろうとしていた。
僕は懐中電灯で照らした先の海底に、眠るサメの姿を探した。
激しい喧嘩をした夜、どちらも自分たちが散らかしたものを片付けずに家出してしまう両親だった。だから、その四角形の海の周りには、いつも割れた皿や投げつけられた包丁が散らばっていた。
瓶に手紙を詰めて、その海に流したのは覚えている。
僕らがその手紙に何を書いたのかは覚えていなかった。
あれからもう三十年以上経つはずだけど、つい先日、その手紙を拾った。ビルの解体作業現場でのことだ。瓦礫の破片に混じって、そのラムネ瓶は転がっていた。
一人で開ける勇気がなかったので、もう何年も顔を合わせていない弟と連絡を取ろうとした。
しかし教えられていた連絡先は電話が繋がらなくなっていた。
最後に顔を合わせたのは、離婚の時に弟を引き取った母が亡くなった葬式だったはずだ。頼る相手を常に求めている、一人では生きていけない弱い母親だった。
海のあったあのアパートは、老朽化を理由に、とっくの昔に取り壊されたはずだった。
仕方なく一人で、コンクリートブロックの角にラムネ瓶をぶつけて割る。
中の黄ばんだくしゃくしゃの手紙を開く。
弟の字で短く「お父さんとお母さんが仲良くなりますように」と書いてある。