夜中。
 いつもの様に春光さんの様子を見守っていた訳なのですが、ここで異変が起きました。職場いじめの事を思い出してしまったのでしょう。急に泣き叫びはじめてしまいました。
「……もう俺、下手なデザインなんかしませんから……どうか許してください……お願いします。痛い、です。ねえ、もう、本当にやめて……く、ぐるじい……」
 背中を丸めた体勢になって、お尻を掻きむしりはじめました。いや、誰かの手を払おうとしている様なそんな動作をしています。幻を見ている。その様子からでも当時がどんなに酷い状況だったかというのが垣間見えます。
 バタバタと暴れ、泣いているにも関わらず何故か表情には強い快楽を感じている様な、相反する感情がないまぜになっているのがわかります。この2つの感情が本人にとっての大きな心の傷になっているのだと、私は推測しました。
 なんとかして本人を幻から解き放とうとも、暴れてしまっていてうまくいきません。繰り返し夢を見てしまうほどに、苦しく地獄の様な出来事だったのでしょう。
「は……はあっ……――ん……?」
 苦しんでいた様子の春光さんがようやく夢から覚めて目を開けました。その瞬間に、気持ち悪いという表情を浮かべます。
「……ここ、どこ……あ、びょういん。そうだここは病院だ……直、先生……おむつ、替えてください……べとべとになっちゃった……あと、吐く……」
 急に口を押さえ始めたので、急いで容器を持って口元に持っていってやりました。何回も吐いている様子をみると、私も辛くなってきます。この仕事は本当に身を引き裂かれる様な思いをする事もしばしばです。
「先生、僕の事殺して」
 辛さから逃れたい一心での言葉でした。
 もちろん、そんな事は出来ません。即効性のある事なんてありませんから、地道に治療を続けていくしかないのが本当に本人にとって辛いのです。
「それは出来ません。辛い事はとても理解する事が出来ますが……ごめんなさい」
「いいえ、僕のほうこそすみませんでした。でも、思い出したくない事をずっと思い出してしまう……本当に辛いんです」
 ええ、私も経験があります。
 妻と子供を亡くした時の事を未だに思い出すのです。私の場合は今は思い出すだけで痛みを覚える事は少なくなったのですが、他の人も同じ様な乗り越え方が出来るとは思っていません。私が私の事を必死に抑え込んだだけの結果です。
「これから、辛い事を段々思い出さなくなる治療をはじめていきます。思い出しても完全に飲まれなくなる様にしていくのです。大丈夫、きっとよくなります。死ななくてもよくなります」
 私がそうしていきますから、どうか。
 人の心は簡単なものではありません。本当に難しい事ではあるのですが、徐々に良くなっていきます。
「本当に……? この感覚もなくなります?」
 春光さんは未だに当時の身体感覚を覚えており、身体がわずかに震えています。
「ええ。保証します。苦しいですよね、着替えましょうか」
「……」
 汗ばんだ入院着を脱がし、汗を拭いていきます。
 その間も春光さんは泣いてしまいました。涙もハンカチでぬぐいながら順番に着替えさせていきます。
 下着を替える時に、一番気まずくなりました。尿と一緒にベタベタとしたものが肌にまとわりついています。
 本人も顔を反らし静かに涙を流します。
「……先生、ごめんなさい」
「謝らなくていいですよ。早く綺麗にしましょうね。夜用のつけましょうか」
 ここまでの感覚が蘇ってしまうのか。
 なんと残酷な事か。
「ふ……先生、ありがとうございます。安心、した……あったかい……」
「良かった。春光さん、私がそばで見ていますから怖くなったら呼んでくださいね。もう大丈夫ですよ」
「先生、僕……本当に安らぎました。ちょっとだけ勇気が持てそうです」
 本当に安らぎました。
 この言葉に、私は次なる回復の兆しを見ました。そして幼児退行現象は安心感を得るたびに少しずつ精神年齢が上昇していき、回復に向かっていくのです。
 早く元気になれますように。
 毎回私はそう願っているのです
 
 
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