春光さんはリハビリを終えた後、少し不安定になってしまいました。最新の注意を払ってはいたのですが、トラウマ的観点から見ていくとかなり深刻な状況である事は明白で、私達も苦しくなってしまいました。
 ずっと泣いているので、ベッドに座って抱っこをして揺すります。本当はこうした慰めは、実の両親が行う事ではあるのですが、それがかなわない為私がこうして代わりをします。
「ぼくもうおトイレしない〜おむつはかない〜」
 何回もおむつを剥がそうとするのを止めて、背中をトントン叩いて落ち着かせます。自分の世話を自分で出来ない事に憤りを感じる様子も感じられました。
「今は怖いかもしれません。でも少しづつ平気になっていきます。トイレもできるようになりますからね。自分で自分に怒らなくていいんですよ」
「おトイレこわかった〜ぼくおトイレできる様になりたいのに、できない〜」
 なぜ自らが恐怖を感じてしまうのか思い出せない為、春光さん自身が自分自身に怒りを感じてしまうのは理解する事が出来ます。
「おかあさんがおむつ外したらできる様になるっていってたの……でもできないの」
「焦らなくていいですよ。必ずできる様になります。工夫をする事で生活できる様になります。焦ったらもっと嫌な思いをしてしまうかもしれません。まずは少しだけ落ち着きましょうか。今日は月が綺麗に出ているんですよ。窓開けて見てみませんか?」
 私はそう提案すると、春光さんは泣きながらうなずきました。窓を開けると、まんまるなお月さまが見え、春光さんはやっと笑顔になりました。今日はお月見。病院食のおやつにも月見団子が出ましたから、余計に嬉しいのかもしれません。
「お月さまきれい」
「ね。風も涼しいですね。ほら、お星さまも綺麗ですよ。あの星は何に見えますかね〜」
 夜空をキラキラした目で見つめる春光さん。
 少しだけ恐怖を和らげる事が出来たら私としては嬉しいのですが。今後は春光さんには相当つらい事になるのは確実です。どんなに苦痛でもリハビリは毎日数分だけでも続けていきます。本人の精神年齢が上がった時に、無理なく生活をしていける様に、今は多少しんどくても工夫をしていくしかありません。
「ねえ、春光さん……」
 私はそっと問いかけます。
「これからリハビリが続きます。つらいかもしれませんが、頑張れそうですか?」
 避ける事が出来ない、というのが本当に私としてもつらい所です。苦痛を和らげてあげる様に、最大限に工夫を凝らしてあげたいのですが、人の心というのは難しいものです。
「……またあしたもおトイレいくの? どうして?」
 本人がどうしてお手洗いが怖いのか、どうして大怪我をしているのか理解できていない中で説明をするのは難しいです。特にトイレに行けない問題というのは、深い深い恐怖を思い出させるきっかけにもなってしまうので、苦しい所です。
「病院にずっといる事はできません。もう少ししたら退院して、私のおうちで暮らす事になります。その時に病院以外のトイレに行く事になるでしょう。おむつも替えられないとどこにもでかける事はできません。生活をしやすくするために今から訓練をするのです」
 これで納得してくれるのか、私はわかりません。
 どう説明していいのか。未だに言葉をどう選べばいいのかわかりません。
「どこにもでかけたくない。ずっとここにいたい」
 
 そう答える事は十分に予測が出来た事でした。
 まだ10歳にも届かない精神年齢で、一貫した意見を持つ事は非常に難しい事です。私の家に行く、という事をうっすら理解する事が出来ていても、コンフォートゾーンから動きたくないと考えるのは当然の事です。
「春光さんにはまだ理解できるかどうかわかりませんが、病院は元気になった人は退院しないといけないのです。元気になった人がずっといたら、他の具合が悪い人が春光さんと同じ様に入院する事が出来なくなってしまいます。多分春光さんは怖いのでしょうが、私がずっと一緒にいます。お母さんの様に途中で捨てたりはしません。可能な限り、私が支援をしていきますから、どうか安心してください」
 私はそう言いながら、自分がいつの間にか涙声になっている事を自覚しました。ずっと守ってあげたい。悲しい思いをさせたくない。春光さん本人が余り理解をされていない顔をされているのが、余計に私の胸をしめつけてきます。
 
 残酷な事に、明日からもリハビリが始まります。
 真っ白な記憶の状態の春光さんに、どうか楽しい思い出を作ってあげたい。辛い事を乗り切る、またはわりきる方法を覚えさせて楽しい毎日を過ごせる様にさせてあげたい。私は一緒に月を見ながら、ふとそんな事を思いました。
「なお先生がいっしょだったら、ぼくがんばるね……ぼくのこと、一人にしないで。なお先生、もうねんねする」
「はい、わかりました。一緒に寝ましょうね」
 恐怖で緊張状態にあった身体がリラックスしていくのを感じました。どうか幸せを再びつかめますように。私も頑張ります。
 
 
カット
Latest / 71:35
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
リハビリ2
初公開日: 2022年09月10日
最終更新日: 2022年09月10日
ブックマーク
スキ!
コメント
泣かないでといえなくて、続きを書いていくよ