第一話
 蓋の閉まった便座に座ってタバコを吹かしている。ぷかぷか、ぷかぷかと。青嶋は労働が嫌いで、朝が嫌いで、掃除が嫌いで、つまるところ事務所で当番が決まっている『早朝トイレ掃除当番』などというものはとっとと廃止すべきだと思っていた。
 何故朝の五時から出勤して、大して汚れてもいない便器をブラシで擦る非生産的な行為に興じなければいけないのか。まあ、トイレがあまり汚れていないのは前日の当番である後輩の四島が頑張ってくれたおかげなのだが、青嶋はそんなことを欠片も考えない。自分のことしか頭にない。
 小さな窓から九月の空が見える。残暑も去り、ずいぶんと過ごしやすくなった。だがすぐに天気は移り変わり、木枯らしが吹いて寒い冬が来ることを青嶋は知っている。やれやれ。
「あー。タバコ、ラスト一本かいな。めんどくさ」
 朝の五時から五時十五分までトイレや手洗いのある一連の空間にいれば、ひとまず『当番』の義務は果たされると青嶋は勝手に思っている。よって、ここでタバコが切れたからといって、補充のためにコンビニなどに行くのは少しだけ気が引けた。さすがに買い物に行っているところを、後から出勤してきた他のメンバーに見つかったりしたら言い訳に困る。
「しゃーない、黒井さんにもらお」
 そう言って立ち上がり、個室のドアを開けて目指すはロッカールーム。同じ事務所の中なら、万が一鉢合わせても、掃除の休憩に来ただのなんだのといくらでも言いくるめられるだろう。
 狭い事務所に七人のメンバーとあって、とにかく収まれば良い、と、人数分のロッカーがぎゅうぎゅうに押し込まれている窮屈な部屋。勝手知ったるリーダーのロッカーを許可もなく開ける。もちろんタバコを拝借するためだ。返す予定などない。
 そして、青嶋は大きな異変に気づく。
 いつも掃除中や残業中にタバコがなくなったときは、こっそりリーダーである黒井春治のロッカーから同じ銘柄のお気に入りを頂いているのだが、そのときはいつだってロッカーの中は物で一杯になっている。パソコンのコードや書類一式、寒い時期には上着が何枚か、など、整頓こそされているものの、小さなロッカーによくこれだけの荷物が収まるものだと感心してしまうほどだ。
 だが、今日はそれがない。
 ロッカーの中は空っぽだ。
「……は?」
 タバコがなくて期待外れ、というよりも、妙な胸騒ぎを覚える。まるで夜逃げのような状態のロッカーをまじまじと見て、青嶋は一旦ロッカーを閉めた。
 深呼吸をし、今度は十分程前カバンを放り込んだ自分のロッカーを確かめた。
 いつも通り、汚い散らかったロッカーだ。
 さて、変化があるのは黒井のロッカーだけだろうか?
 まるで小説の中に出てくる探偵になったような気分で、捜査開始だと言わんばかりに七つのロッカーを一通り開ける。
 結果、黒井のロッカーを含め三つのロッカーがもぬけの殻になっていた。
 サブリーダーの遠藤のロッカーと、古参メンバーの針山のロッカーだ。
 自分のような後輩メンバーのロッカーは特に変化が見られず、青嶋は改めて謎に悩まされた。
 一体何が起こっているのか?
 へっぽこ探偵はヒントを求め、もう一度空っぽのロッカーを開けてみる。
 黒井のロッカー。何もない。ほんのり鉄の臭いがする。
 遠藤のロッカー。何もない。彼が好む香水の香りが残っているだけ。
 針山のロッカー。
 ……そこには、青嶋が求めていた『答え』、あるいは『ヒント』と言うべきものがあった。
 ロッカーの内壁の上の方に、セロテープでメモが貼られている。身長が高い針山だからこんなわかりにくい場所に貼ったのだろう。迷惑な話だ。
 背伸びしてメモを剥がし、内容を読む。簡潔で荒っぽい書き殴り。
『会議室の黒井さんのノーパソ。動画が入ってるから見ろ』
 メモの右下に小さく、矢印と『ウラ』という文字があったので、素直にメモを裏返す。
『パスワードは【Forest】』
 そういうことか、針山から何かを受け取ったような青嶋は急いで会議室へ向かう。
 パソコンは机の上に放り出してあった。ケーブルを繋いで、パスワードを入力。デスクトップにはゴミ箱とユーザーフォルダの他にはひとつしかアイコンがない。その名は『諸君らへ.mp4』。
 再生時間は三分もない。
 青嶋はそれを再生した。
 最後まで見て、少しだけくらくらする思いを噛み締めて、もう一度その三分のメッセージを拝聴した。
 情報を得た探偵はワトソンに電話をかける。
「二原。全員集めろ。大変なことになっとるわ」
 なくなったタバコのことを思い出してため息をつくほど、青嶋は薄情にはなれなかった。
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タイピングが鬼早い
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君が呼んでいる 第一話
初公開日: 2022年08月09日
最終更新日: 2022年08月09日
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コメント
数年寝かした小説がいよいよ書けるようになったので走り出します