伽羅ちゃんたちの部隊が遠征に出てすぐに、景趣が雨上がりに変わった。梅雨が明けたのだろう、白い陽光が斜に差して、蛙の鳴く声がする。外廊に吊るされた粟田口の子たちお手製のてるてる坊主が、ひらひらと裾を揺らすのをのんびりと眺める。
この頃の第3部隊は頻回に遠征へ赴いていた。資源と手伝い札が枯渇していると嘆く主を助けるための、火急の用向きというわけだ。
僕がこの本丸に顕現したのも雨上がりの日だった。その日は盛んに鍛刀が繰り返されていて、夜半に顕現した最後の一振と聞いている。
鍛刀部屋を出たところに控えていた近侍が僕を主のところへ案内してくれる。素顔は見えない審神者が僕に銘を確認した。
燭台切光忠という名を告げると、御簾が僅かに揺れる。
「長谷部、本丸を案内して。明後日には遠征、次週より出陣の予定を汲みます」
「承知いたしました」
恭しく叩頭した近侍の打刀は、僕にも礼を促してから退出した。
「運がいいな。二振目だというのに、連結も習合も免れるとは」
「連結? それ、何かな……僕が人間みたいな恰好になったのと、関係あるのかい? これ、面白いね。まるで……」
出かけた言葉は喉奥に呑み込まれた。外廊の角で係争の色を感じる。
「鬱陶しい、もう俺に構うな」
「そう聞こえないからややこしいんだよ。君の本意はどこにあるというの」
「あんたの邪魔になっていることは分かった。この足で刀解を申し入れる」
「そんなの主が許さないよ。伽羅ちゃん、待って」
そのうちのひとつの声が、まるで僕のようで、というか僕そのもので、あまりの驚愕で息が止まりそうだった。
隣の長谷部くんの顔色を窺った。聞こえていないかのような相貌だ。どうしてだろう。僕にはこの世の終わりみたいな、それほど思念がかき乱されるような心地なのに。
近侍の足は止まらずそのまま外廊の角へ向かっていった。あの諍いの中を通過しないといけないのだろうか。新しく得た身体の、上の方が詰まったような感覚になる。
角を曲がると二振に出会った。一振はやはり僕そのものだった。片目を眼帯で覆い、濡羽色の髪を光らせ、拵えを上から握って立つ姿——。
纏う戦装束は僕のものよりもずっと立派だったけれど、同じ刀の文例であることはよく分った。君も燭台切光忠だ。
もう一振は僕とは違う様相だったけれど、それが磨上の後の大倶利伽羅という打刀であることは一目で分かった。青葉にいたのだ。僕は彼の本体をよく知っている。
「伽羅、ちゃん……」
親しみを込めて呼んでいた、旧知の刀の名を口にする。僕たちはかつて違う姿であったけれど、付喪神の魂が緩やかに顕在していた頃、よく話をしていた。
折々の季節を見てたくさん言葉を交わしていたと思う。それを思い出そうとすると、俄かに覆いの下の右目が傷んだ。
「長谷部、此れは」
伽羅ちゃんが口を開いた。近侍は抑揚のない声で、先程顕現された二振目で、明後日から部隊に組まれるとだけ告げる。
「へえ、二振目かぁ」
燭台切光忠が相槌を打った。微笑に温度がない。僕がいると迷惑なのかな、と直感で汲み取った。さっきの係争が解決しない間に現れたのが、不都合なことだったのかもしれない。
長谷部くんは一振目に向き直って、ちょうど良かったとばかりに手招きした。
「ああ。燭台切、よければこの新入りの世話役を負ってはくれまいか。初期刀も短刀育成で暇がない。古株の貴様であればうまくやってくれるかと、」
「俺が」
割って入ったのは美しい打刀だった。僕の方へ伸ばした手に、見事な俱利伽羅龍が施されている。刀身の棟区あたりに彫られたその姿を思い出して、ぶわっと何かが湧くような感覚が起こった。なんだろう、これ。鍛えられている時みたいに、熱い。
足下を見ると薄紅のかけらがたくさん落ちていた。花びらみたいだ。桜? 今は春の時節なのだろうか。
伽羅ちゃんの手が僕の腕に触れる。その時に初めて彼の眼を見た。すごい、人の姿になると大倶利伽羅という刀はこんなに流麗に映るのか。逞しくて儚い、素晴らしい無二の一振りだ。
無言のまま刮目していると、彼はふいと顔を逸らして、長谷部くんに短く断った。
「部屋で預かる。朝餉の折に」
「そうか。伊達者であれば勝手も分かろう。任せる」
あっさりと受諾した近侍の脇で、一振目の僕が能面のような顔をしている。
「へえ、其方にはご執心なのかい」
その言葉に伽羅ちゃんは何も返さなかった。僕に眼だけで何かを訴えて、掴んだ手を黙って引き、外廊を去る。