「……」
 な、なんなんだ、この重苦しい感じは。
 弓道場の近くで仁王立ちをしていた友矢は、俺の顔を見た途端、ふん、と鼻から息を吐いた。そして「帰ろうぜ」と、俺の顔を見ないで歩き出したのだ。
 そこから、ずっと無言。
 ……一体どうすりゃいいのか。友矢は分かりやすく機嫌が悪そうなんだけど、正直心当たりがありすぎて、どこからどれがアウトだったのか分からない。
 せっかくこれから俺の家で勉強会だというのに、ずっとこんなノリでやっていかなきゃいけないのかな。それはすげぇ嫌だな。でもどうすればいいのか、今の俺にはサッパリ分からない。
 いよいよ途方に暮れたところで、俺の横で友矢が小さく息を吐くのが聞こえた。
「今日さ、木島と喋ったんだな」
 友矢から出てきたのは予想外の名前で、俺はちょっと面食らった。
「え? ……あー、昼休みな。だってお前、寝てたから」
「う、寝てたのは、悪かったけど……」
「けど?」
「……名前」
「名前?」
「木島の名前……お前、よく覚えてたな」
 悔しそうに、恨めしそうにそんなことを言われて、俺は思わず「えっ!?」と声を出してしまった。
「はぁ? そこ!?」
 思わず友矢の顔を見たら、そのままギッと睨まれた。あ、やべ。
「……いや、俺も名前ぐらい覚えるだろ。友矢の前の席の奴だし」
 驚いたと同時に、ちょっと脱力した。確かに俺は人の名前と顔を覚えるのは苦手だ。そりゃ、会話だって苦手なんだから、そんな気は使えない。でも友矢の前の席くらいのやつなら覚えられる。特に木島は、よく友矢の位置情報を叫んでくれるし。
「……」
「はぁ……なんだよ、そこかよ……」
 しみじみ考えると同時に、俺は本格的に安堵してしまった。どうやら俺が無意識的にやらかしていた、とかではないらしい。
「え? でもなんで友矢がそんなこと」
「あっ!!」
 俺が話終わる前に、横で友矢が大声をあげる。
「今ならバイト先で弁当安く買えるぞ!! 行こうぜ!!」
「は?」
 その瞬間、友矢は駅前に向かって走り出してしまった。マジで? 行くの? 今から!?
 形勢逆転。今度は俺がクソまずいものを食べたような顔をする事になった。クソ。俺も仁王立ちで立っててやろうかな。
 もちろん仁王立ちで立ってる訳にもいかず、俺はあの日遠巻きから見ていた店内に、ついに足を踏み入れる事となってしまった。
「あ! トモくんじゃん〜!」
 はぁ?
 開幕キレるかと思った。レジの方から手を振っているのは、友矢の隣でレジをしていた女性らしい。思わず睨みつけそうになったけど、目を細めてやり過ごす。
 しかし何やら友矢も女性に驚いているようで、俺にコソッと「先、見てて」と言った後、レジの方へ駆けて行った。俺はしぶしぶ弁当コーナーの方に行って、値引きシールの貼られたパックをひたすら睨みつける。
 ……トモくんかぁ。なるほどね。別にいいけどさ。仲良さそうだったし、友矢の愛称なんて星の数くらいあるし。それに、そのトモくんの恋人は俺だし。一応。
 女性と友矢は、何やら盛り上がってるようだが、俺は無視だ無視。視線も歓声も感じるし聞こえるけど、無視無視無視。俺の夕飯は鶏肉と野菜の蒸し焼き弁当にする。
 俺が弁当を手に取ったところで、友矢がいそいそと帰ってきた。何やら焦っているようで、ろくに商品も見ずに、棚から唐揚げ弁当を掴んでカゴに放り込む。ついでにおにぎりやらも選ばず放り込んでいた。
「他なんか買う?」
「いや、特に」
「じゃあもう行こうぜ! あ、飲み物」
 友矢は最後にペットボトルのお茶をカゴに放り込んで、二人でレジまで並んだ。俺は例の女性が打つレジで会計をする事になるらしく、彼女の前に商品を並べると、何やらニッコリ微笑まれた。明らかに認知されている。なんか、喋れってか……?
 ……いつも友矢がお世話になってますとか、言った方がいいのかな。いや、俺は誰だよって話になるか。ここでマウント……いやいやいや。
 
「バッ!!」
 俺が変なことをぐるぐる考えていたら、隣のレジから友矢の変な声が聞こえた。思わず俺と女性で横を見たら、この前、友矢の頭を撫でていた男と友矢が、なんかこう肩を組み合うような、変な体勢で固まっていた。俺の視線に気づいたのか、友矢が焦ったように何かを隠していて、何やらニヤけた男を睨みつけている。
「え、」
 変な状況に思わず声が出た。すると、目の前の女性がクスクスと笑い出す。
「大丈夫ですよー」
「……え、あ、はい」
 いや、何が?
 困惑してそのまま返事をすると、女性は俺の顔をまじまじ見ながら、まつ毛がビッシリ生えた大きな目を更に見開いた。
「わぁ声もイケメン! はい、ありがとうございました! またお越しくださいませ〜!」
「ええ……? どうも」
 何だか余計なことを言われた気がするけど、流れるように商品を渡されて、俺は流れるように店内を出されてしまう。友矢も大股で俺の方に追いつくと「行くぞ」と、そのままドタドタ外に出て行った。
 もう夏が来ているらしい。コンビニの店内に出ると、こっちが蒸し焼きになりそうなくらい熱気を感じた。さっきまで冷房が効いていた所に居たからか、余計に暑く感じる。アイスでも買えば良かったかもしれない。
「あ! アイス買えば良かった!」
 瞬間、横で友矢も同じことを言っていて、俺は思わず笑ってしまった。
「わかるなー。どうする? 戻る?」
「いや、それは……良いよ。お前んち早く行こうぜ」
 友矢の返事は割と淡白で、俺は少し驚いた。多分、バイトは楽しい方なのだろう。同僚とも仲良さそうで、周りに可愛がられているのがすごくよく分かった。だからもっと、居心地良く過ごすのかと思いきや、まるで俺と逃げるように去っていくのか、お前。
 今、俺の胸にすっと抜けてゆく思いは、おそらく優越感だ。バイト仲間よりも俺を優先してくれたってやつ。どんな形でも、俺はやっぱり友矢の一番になりたい。ただそれだけだ。
 俺の家に着いてからは、先に二人でササッと夕飯を食べた。泊まる用意はしていないからそんなに時間が取れないのだ。飯を食べたら、ちゃぶ台的なローテーブルに物理の教科書を広げて、二人で向かい合いながら問題に取り組む事となった。
 でも高校一年生の物理なんて、公式さえ覚えてしまえばどうとでもなるだろう。とにかく今は時間がないから、友矢にありったけの付け焼き刃をくっつける。パターンを覚えて丸暗記作戦だ。
 何度も繰り返してしばらくすると「あ、なんだ、これだけでいいのか」と、友矢はスラスラ解き始めた。単純な友矢の脳味噌って、実は暗記と相性がいい。これ悪口じゃないけど。
 所要時間は2時間少しって所だろうか。案外早かった。範囲の最低限は抑えたから、これなら物理も赤点セーフラインに入るだろう。
「うん! 大丈夫じゃね!? 分かった! やっぱお前って教えるのうまいなぁ〜」
 シャーペンを机に転がした友矢が、そんなことを言いながら大きく伸びをする。……俺に対してそんなこと言うやつって、きっと世界中を探しても友矢だけだと思う。
「お前だけだよ。バーカ」
 だから、思わず声に出てしまった。
 前から思ってたけど、友矢は相変わらずズレてる気がして、何だかちょっと笑えてくる。理解力も集中力もあるくせに、頭がいいのか悪いのか分からない。
 すると、目の前にいた友矢はぎゅっと口を紡ぐと、ちょっとだけ眉を寄せた。かと思えば、いきなり頭を下げてテーブルに額を打ち付けた。
 ゴン、と鈍い音がして、机の上にあった飲み物が揺れる。俺は突然の友矢の奇行に、持っていたシャーペンを落としてしまった。
「え……なに?」
 家の前を車が走っていく音が、やけに鮮明に聞こえた。それは、この空間が無音だからだ。俺は何を言っていいのか分からなくて、なんだか茶化してもいけない気がして。しばらくその場で固まっていた。
 すると、友矢から小さな声が聞こえてきた。
「俺さ、お前のこと……好きなんだよ」
 その瞬間、俺は心臓が止まるかと思った。
 初めて言われたかもしれない。思わず生唾を飲んでしまって、その音が友矢に聞こえた気がする。何も言えない俺とは裏腹に、友矢はゆっくり顔だけあげて、へらりと笑って喋り出した。
「だから、実は今、すげー緊張してて」
「……」
「お前は、そういうの考えてないかもしれないけど」
「……」
「好きな奴の家に、二人きりってさ……」
「…………」
 カーッて、顔に熱が集まっていくのがよく分かる。俺、今、絶対に真っ赤だ。案の定友矢に「真っ赤じゃん」と、声を上げて笑われた。そういう友矢だって涙目だ。
 それから、俺はポツリと、
「……友矢って、俺のこと好きだったんだ」
 と、漏らしてしまった。
 思わず溢れてしまった俺の一言に、やはりというか何というか、友矢はちょっとムッとした顔をした。
「それはこっちのセリフだからな」
「はぁ!?」
 しかし、思ってなかった答えに、俺は勢いよく凄んでしまった。さすがに俺の勢いに驚いたのか、今度の友矢は拗ねた子供のように唇を尖らせる。
「……だって、お前、何にもないじゃん」
「な、何にもないってなんだよ」
「相変わらず女子にはベタベタされてるし、俺のことなんか何にも興味なさそーだし、本当にからかわれて告られたのかと……」
「ンなわけねーだろ!!」
 反射的に叫んだ後、我に返って。次の瞬間には、俺はグッタリと脱力していた。
 なんだそれ。
 思い返せば、友矢に嫌われたくなくて、色々と言葉にしないようにしていたかもしれない。でもそれは、俺だって友矢の気持ちが分からなかったから、って訳で。
「……お前こそ、俺に流されたわけじゃなかったのか」
「……あ、それは……なんか、ごめん」
 あの時は動転してた、なんて、嘘かホントか分からない言い訳を言いながら、友矢は笑っていた。自覚はあったのか……
 どうやら俺たちはずっと前から、ちゃんとお互いを想い合うような恋人同士だったらしい。全然気付いてなかった気がする。なんだか馬鹿らしくなって、俺たちは二人で笑ってしまった。
「で、俺たちって、まだ恋人でいいんだよな?」
 すると友矢が、ふいと目を逸らしながらそんなことを言い始めた。
「まだっていうか、ずっとだろ」
 何を当たり前の事を。俺がそう答えた瞬間、友矢はぐっと顔を歪めた。え?
「じゃあさ……俺はもうちょっと、進みたいんだけど」
 そう言った友矢は、眉を寄せて唇を強く結んだ不機嫌そうな顔で、俺はそれに既視感を感じた。今日何度も見ていた、友矢のイヤそうな表情だ。
 しかし、俺は気づいてしまった。瞳はさっきよりも潤んでいるし、よく見たら耳も赤い。そんな友矢の姿に、俺はドカンと後頭部を殴られたような気分になった。
 もしかしてそれ、イヤなんじゃなくて、照れてる顔だったのか。お前、お前……っ!
 ていうか、先に進みたいって、マジか。
 先に進んでも、いいんだ……
 その潤んだ瞳がチラリとこちらを見た時、俺はもうダメだった。ゆっくり右手を伸ばして、友矢の頬に触れる。思ったよりも熱くて、緊張しているのか、友矢の大きな瞳がゆらゆら揺れているのが見えて。それから……
「ただいまー!!」
 お約束だ。
 玄関から響いてきた母さんの声に、俺は思わず身体ごとガックリと崩れてしまい、友矢は腹を抱えて笑い出した。分かってたけど。そろそろ帰ってくる頃だなって、分かってたけど!!
「ここまででいーよ! 送ってくれてありがとな。あと勉強も助かった」
「おー。……頑張れよー」
 暗闇の中で友矢が笑った。
 結局、親の帰宅からは何にもできなくて、いつも通りの俺たちに戻ってしまった。
 本当は家まで送りたかったけど、いつもの分かれ道まで来たところでお別れらしい。ここまで一緒に居られて良かったけど、やっぱりなんとなく物足りない。
「……じゃ、えっと、また明日な」
 街頭の下まで来て、友矢が小さく右手を振った。しかし、左手はぎゅっと制服を握っていて、笑った口元も、何かを噛むように結んでいる。
 あ。
 瞬間、俺はある映像を思い出していた。あの梅雨入り前の日と、夢の中で見た、むぐむぐと口を動かしていた友矢の姿だ。
 それを思い出した時、俺は咄嗟に動いていた。友矢と距離を詰めて、腕を伸ばして、後頭部を支えて。
 唇をくっつけた。
 ふわりと汗の香りがした。それから、やっぱり夏の草の匂い。でもそんなの気にならないくらい、柔らかい唇の感触で胸の内がいっぱいになった。
 夢の中じゃない。これは現実だ。現実だけど、湿った吐息がぶつかって3秒くらいで、俺は顔を離してしまった。だって、これも、勢い、だった、から……
「ん、んわぁ」
 俺はとりあえず友矢から離れて、更に2、3歩離れたところで、友矢から聞いたことのない声が聞こえた。発音もよく分からなかった。ただ、明かりに照らされた友矢の瞳が煌めいていて、ちょっと目尻に涙が浮かんでいる。
「……」
 唇の感触が消えなくて、二人してむぐむぐと口を動かしてしまった。その後、友矢は、ややあと後頭部を掻きながら、なぜかお礼を言い始めた。
「ありがと……」
「ん……」
「じゃあな……」
「おー……」
 よく分からない会話だが、深く考えちゃいけない。俺も友矢も。友矢は回れ右をして歩き出したが、途中からすごい全力で走っているのが見えた。
 友矢が暗闇へ完全に消えていったのを見届けてから、俺もめちゃくちゃ走って帰った。その場で踊り出しそうなくらい、なんだか身も心も軽かった。
 
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6話
初公開日: 2022年06月01日
最終更新日: 2022年06月02日
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