「そういや俺、バイト始めたんだよね」
「は?」
 ボト、と、俺の箸で摘んでいた卵焼きが落下した。辛うじて弁当箱の上だったため品質的にはセーフだが、ちょっと形は崩れてしまった。
 今日は時間と材料があったのか、母親が弁当を作ってくれた日だった。久しぶりに食べる母親の味は美味しくて、改めて親の有り難みを実感したし、これからも感謝を忘れずに生きていかねーとなって思った。
 いや、そこじゃなくて。
「……え? 友矢、バイト始めたの?」
「おー。週にちょっとだけな。駅前のコンビニ」
「へー……」
 崩れた卵焼きを口に入れてみたはいいものの、さっきと比べて味がない気がする。そんな俺の様子もつゆ知らず、今日の友矢は、焼きそばパンをもぐもぐと食べていた。膨らんだほっぺたがリスみたいで可愛い。……いやだから、そこじゃなくて。
「……いつから?」
「ん? お前が部活の修羅場だった頃かなー」
「まじかー、知らなかったなー。もう一ヶ月近くやってんのかー」
「……あ、言ったほうが良かった?」
「や、別に、いいけど」
 はい、嘘。本当は事前に知りたかったし、なんなら今も根掘り葉掘り聞きたい。なんでいきなりバイト? デビューしたかったのか? つーか高校1年の1学期も終わってねえのにバイトって、色々と早くないか!? 
 なんて疑問はもちろん口に出せない。どう考えてもめんどくせえだろ、俺。いくら恋人とはいえ……これを全部ぶつけるのはちょっと重い気がする。
 踏み込んだことを言って、友矢に面倒臭がられたりしたら、今のポジションすら無くなってしまうだろう。せっかくちょっと進展したばかりなのだ。だからここはとりあえず何でもない風を装うしかない。俺はすっかり味がしなくなってしまった弁当をせっせと口に運びながら、いつも通りの会話を心がけた。
 駅前のコンビニという言葉だけは忘れずに。
 思えば、友矢とはずっと一緒に過ごしてきたし、何なら塾とかの習い事も一緒だった。そうやってお互いの交友関係は自然と把握できていたんだと思う。
 だから、これが初めてなのだ。俺の知らない世界に属する友矢というのは。
 俺の知らない所で、知らない人間たちと仲良くなってゆく友矢の事を考えると、俺は情けないことに、すげー不安になった。
 という訳で、俺はストーカーみたいにコソコソと、友矢のバイト先を見に来ている訳なんだけど。
 部活の大会も終わって(結果はなんとか上位入賞できた)詰め詰めだった部活もなくなり、俺は割と余裕ができて暇なのだ。という言い訳を引っ提げて、一人で駅前まで来た。
 友矢のテニス部は結構ゆるいらしく、そこまで出欠を厳しく取らないらしい。だから夕方からガッツリシフトを入れてる、と、ちょうど今朝、友矢から聞いた。
 そんな話をしている時に、俺はノリと勢いで今日バイト先行くわーとか、言えたら良かった。本当に。言えなかったから現在進行形でストーカー予備軍なんだけど。
 きっと友達のままなら何も考えずに言えたんだろうな。でも今の俺には、言葉にちょっとドロッとしたものが乗ってしまう。そしてそれは、俺達の関係が恋人に変わってしまったからこそ、友矢に悟られてしまう可能性がある。
 俺のドロドロを友矢に知られて、あいつがどう思うかなんて、考えたくなかった。
 結果的に、友矢に無断で仕事姿を見学するという、バレたらどうしようもなくキモい事態になってるんだけどな。ほら、保護者参観ならぬ彼氏参観、的な。……俺はクソです。
 駅前のコンビニは一軒しかないため、探さなくても分かった。ちょうどガラス越しにレジの方が見える。おまけに今日は小雨が降っているから、傘で身を隠しやすかった。
 夕方のコンビニは忙しく、レジに列ができていた。友矢のレジは二人体制らしく、隣にいるのは明るい髪色の若い女性だった。
 二人はテキパキと商品の読み込みやレジ打ち、袋詰めなどをこなしていて、俺から見ても息ぴったりだった。人がようやく掃けると、二人はお互いを労うかのように笑い合っていて、至近距離の隣同士でちょっと談笑なんかしたりして。
 気づくと陳列作業をしていた人もその会話に加わっていて、それから、バックヤードから出てきた大柄な男が、会話に入るなり友矢の頭を勢いよく撫でた。
 そんな光景を、俺は物陰からじっと見つめていた。
 ……やっぱり、分かってたけど。
 友矢は人に好かれる魅力がある。誰とでも仲良くなれる。だから、どんな環境でも馴染めるし、そこで輝く事ができる。
 楽しそうにバイトをしている姿を見て、ガラス一枚とちょっとの距離なのに何故か無性に遠く感じて。俺って本当に心が狭いというか、余裕がないというか。己の弱さを実感してちょっと気分が悪くなった。
 どれくらいそこにいたのだろうか。気づいたら雨が強くなってきたから、俺は無意識的に踵を返していた。
 前に友矢がやってくれたように、友矢のバイトが終わるまでどこかで待つとか、俺はそういうことすらできないらしい。我ながら小さい人間で悲しくなる。でもきっと友矢は、バイトが終わったらバイト仲間と楽しく帰るのだろう。その光景が目に浮かぶようで、そして、きっとそこに俺の居場所はない。
 本当は怖いだけだ。
 なんで突然バイトを始めたのか、とか、俺が友矢にそれすらも聞けないのは、俺の知らない友矢を目の当たりにするのが怖いからだと思う。学校の七不思議に騙されて男と付き合うくらいのバカだったはずだ。そんな友矢がちょっと広い世界を見て我に返ったら、俺との関係はきっと終わりだ。
 抱きしめあって、手を繋いで、それっきり。むしろそこまで丸め込めたのが奇跡なのかもしれない。ここ数ヶ月で、俺には一生忘れられない思い出がたくさんできた。
 でももちろん、その先だって進みたい。キスはまだ夢の中でしかしてねえし。
……早いとこどうにかして縺れこめねーかな。なんて、最低なことまで考えてしまう。そんな自分がつくづく嫌で、何も知らない友矢には罪悪感しかない。
「……はぁ」
 俺はそんな悶々とした気持ちを抱えたまま、一人静かに帰路に着いた。
 もう梅雨も終わりだというのにな。
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