野良猫のガイア/あなたと地獄に堕ちたいひと
最初に会ったとき、俺は、彼女のことをやはりきらいだとおもった。高遠なようすの態度、警戒心を研ぎ澄ます俺を見て動揺ひとつせず、それどころか鷹揚にゆるしてみせた。わずかにほほ笑み「はじめまして」と言う。俺のようすを窺いながら、しかし、凛と正したかんばせは相手におもねることをしない。しかし、こちらの拒絶に無関心を重ねることも、また、なかった。育ちのよいにんげんというのは、こうも寛容で、ひとを従わせるかがやきに充ちている。愛されたにんげん、なにひとつ過不足なく与えられてきたひとびとというのは、いやになるほど、こんな眼をしている。
ディルックに出会ったとき、ガイアは彼を与えるのに躊躇いのないにんげんだと思った。須く、持っているから与えるのだと、それを恐れぬ傲慢さがガイアには愛おしく感じられた。それがディルックにゆるされたひび割れであり、彼に与えられた不具であったから、ガイアはそれを嗤うことができる。しかし、なまえはちがう。彼女は与えることもなければ、奪うこともしない。
無欠ということばがあるのなら、それは彼女のかおをしている。
*
「こんばんは、ガイア」
と、言って彼女はすこしだけ目もとをほころばせた。畏友に会えて嬉しい、と、そのような表情の演出──ガイアにはそんなふうに見えていた。かのなまえ・みょうじにそうほほ笑まれたとあっては、西風騎士団、騎兵隊に属するガイアも、相応の礼を尽くさなければならない。
「こんばんは、麗しのきみ」
と、ガイアは心にもないことを言った。ガイアがなまえに抱く感情は”取り扱いづらい”、ただそれのみであって、麗しいとおもったことなど、一度もない。しかし、みょうじ家は西風騎士団にとって大きなパトロンのうちのひとつであったから、ひとびとがそのような態度をとるものと期待する、西風騎士団・騎兵隊、隊長、ガイア・アルベリヒとしてふるまった。恭しく、丁重に、けれど、さりげない馴れ馴れしさで、なまえのとなりに座り、より良いお近づきを祈る。皆が知るガイアであったなら、そうふるまうであろうと予想されるとおりに、ガイアは騎兵隊隊長としてそれをなぞる。なまえが眉をひそめて、その聡明なひとみに不可解を抱いたとしても。ガイアはそうあった。なまえのつめたいひとみが、ガイアを一瞥し、訝しげにじっとガイアを探った。それから、丹念に周りを観察すると、瞬きをひとつした。それで、なまえはいままでその眼に浮かべていた不快げな感情をすべて消し去ってしまった。不感症なひとみでガイアに向き直り「どうぞ」と言う。なまえはガイアに、そのとなりをゆるしたのだ。半ば、投げやりなようすでひだりを示したなまえの手をとり、甲に口づける。騎士の忠誠、親愛、献身。ガイアのそれらをなまえは無感動に受けとった。しかし、すべてがつつがなく終わったと知るやいなや、逃げるように、恭しくなまえの左手をつつんでいたガイアの手から、己の手をぬきとる。ガイアは、なまえにどう思われようが、いまさら構わなかった。けれど、ふと彼女を見渡し、なまえが護衛のひとりも連れていないことに目を留める。
「ひとりで来たのか?」
思わず、そう尋ねたガイアに、なまえはすぐには答えなかった。じっとりと、不感症なひとみがガイアを眺めていた。しかし、なぜか、柔らかに目を細めて「ここにはひとりで来たくなるときもあります」と答える。それは明確な応えではなかったが、ガイアには彼女が首肯したように聞こえた。
「送っていく」
暫時、いっとき腰を押し付けていた丸椅子から立ち退き、ガイアはそう言った。騎士団にとっても彼女の安全は確かに、たいせつなことではあったが、勤務時間外までその限りではない。なまえはすこし戸惑ったようすだった。
「まだ、シェリー酒の一杯も飲んでいないように見えますが」
そう言って、なまえは遠回しにガイアへ再び椅子に留まることを勧めた。しかし、ガイアはじっとりとした眼で彼女を見下ろしている。
「隊長さんよ、この御方はディルックの旦那に会いに来たのさ」
と、遠まきに彼らを見ていた酔っぱらいが、次の酒を頼みしなそう言った。「ディルックに?」ガイアはなまえに尋ねる。彼はいまだ立ったままで、彼女とここでゆっくり過ごそうなんて微塵も考えてはいないようだった。結局、なまえは足の長いスツールから降り、バスケットを抱え直した。財布からモラを取り出し、すこしばかり多く支払いをすませて、チャールズに「また来ます」と言う。彼女のまえに置かれていたグラスからは、微かに桃の香りする。
「ここはあんたが思ってるより、荒っぽい場所だぞ」
先導してエンジェルズ・シェアを出、恭しくドアを開き、彼女を通したあとにうしろへ続いたガイアが、ドアを閉ざしてすぐ、そう言った。なまえはまるい眼でガイアをふり仰ぎ、「わかっているつもりです」とのたまった。──なにもわかっていはしない。ガイアはそう思った。彼女がふだん、シャンパングラスを片手にゆったりと歩き、会話を交わし、くすくす笑い、おとこと踊る──そんなテラスや大きなフロアと、ここはまったくもってちがっている。
「ディルックの旦那になんのようだったんだ?」
と、再び彼が問う。隣を歩きながら、なまえはさみしげに眼を伏せて「良いパンとチーズが入ったので、持ってきたのです」と言った。
「ピーチ・レディを飲んだか?」
「どうして?いいえ。ネクターですよ」
*
キルフェ、教会が見たいです、と彼女が言う。まっすぐお家に帰れとガイアは言いたかったが、そう口にしたところで、このおんながそれを聞くとは思えなかった。
「なぜ、わたしに騎士の真似事をしたのですか」
「真似事じゃない」
ガイアはれっきとした西風騎士団であり、いまや騎兵隊の隊長だった。ディルックとはちがって──と言っても、あの男には騎士の精神が根付いている──ガイアにとって騎士は真似事などではなかった。わずかな怒気の気配になまえは口を慎んで、しかし、言い換える。
「では、手の甲に、……キスをしたのは、なぜですか」
「挨拶だろ」
すげなくガイアは言った。彼女がそのように、いくらかの騎士へ許したことを知っている。それは宮廷風のあいさつであって、日常的に行われるものではなかった。なんらかの催しのある月、貞淑な彼女は人前で乞われれば、その手に何人ものおとこのくちびるを許した。なんの意味もない、いっときだけの忠誠の証を、彼女は喜んでいるように思えた。
「そうでしたか」
と言って、彼女はしずかに眼を伏せた。みょうじ家の屋敷はモンド城を出てしばらく歩いたところにある、ひっそりとした森の奥に存在した。決して遠い距離ではないが、完ぺきに安全であるとも言い難い。夜になればなるほど、魔物はその息吹をつよくする。
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202204050904
初公開日: 2022年04月05日
最終更新日: 2022年06月10日
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コメント
懐かないガイアさんと、秘密を知るあなた。共に地獄へ落ちてもいいと思っていても、伝わらなければ意味がないだろうなというはなし?
202204091504
原神、ディルックさん原神世界にリップクリームがあるのかは分かりませんが、そんなような軟膏があるのでは…
一枝
20220302
香水の匂いについて、原神、ガイア
一枝
20221124_だいばん
だいばんのすけべを即興で書いてみるおためし
さとうみず