「さて、私は誰なのだろうな?」
目の前に座る金髪の男は、そう言って口の端を上げるだけの微笑を浮かべた。
 町から外れたところに、もう古くなり誰の管理もされていない屋敷がある。屋敷の窓は割れ、壁は至る所にひびが入っている。何度かの嵐によって屋根も一部崩れかけているところがある。凡そ人が住んではいなさそうな屋敷。その周りの広大な土地は、その屋敷に住む(住んでいたといった方が正しいかもしれない)住人の持ち物で、その土地もろくに管理はされずに草や木は生え放題。凶暴な野犬や住むところを失った者たちが集う、所謂、治安の悪い土地だった。
しかし、だからといってその土地をどうにかしようとする者はいない。野犬や浮浪者が街に流れてこようが、大きな木の枝が伸びて路の邪魔になろうが、それらを処理しようとする者はいなかった。正確に言えば、何年かに一度は必ず正義感を持った人間がその問題について話し合いを行い、正しく処理を行おうとするのだ。けれども、それはいつだって途中で頓挫してしまう。何故だかは分からない。正義感を持った人間と、それにつられ勢いに乗った人は群れを作り、勇み足で屋敷を訪ねて人の有無を確かめに行く。どうせ誰もいない、誰かいたとしても、浮浪者であって屋敷の住人ではない。そして誰もいない事を確認出来たら、さっさと屋敷を解体してしまおう。その途中でポケットが膨れるかもしれないが、気にすることはない、だってもう誰も住んでいないんだもの。
まぁ、こんな感じなのだろう。実際、僕はそういう人達に混ざって屋敷に乗り込んだ事はないので、憶測だけれど、間違ってはいない筈だ。けれど、結局僕も彼らも、どうして屋敷に住まず、町に野犬や浮浪者が流れてくるのかを考えていなかったのだ。
つまり、今にも倒壊しそうな屋敷に誰かが住んでいる可能性を全く考えていなかった。
「また来客か。最近多いんじゃあないか、ええ?ここは個人の所有地だろう」
 月の明かりに照らされた金色の髪が揺れる。苛立ちを含んだ男の声が静寂だと思っていた屋敷に響くたびに、温度が下がっていくような気さえした。ひんやりとした空気が、そんな筈がないのに僕の足を凍らせてしまったようで、身動きが取れなかった。自分の呼吸に合わせて白い息が出てくるけれど、それが視界をふさいで男の姿を遮る度に心臓がドクドクと動いて、更に呼吸が荒くなる。金髪の男から目を逸らしてはいけない、それが平和な町で生まれ育った僕の、初めての戦闘的な本能だった。
最初二階から見下ろしていた金髪の男は、静かにゆっくりと階段を降りてきて僕の目の前までくる。それまでの仕草で、男が心底この来客対応を面倒くさがっていると分かった。そして声音ほど怒っているわけではない事も。眉根を寄せて口元は下がっているが、面倒くさいという表情より他はあまり感じられない。何より僕は、この男が思ったよりも数倍は綺麗な顔をしている事に気づいた。
「それでなんだ……君は、どうして此処に?昼間の連中のように、私に此処から出て行けというのか?」
コツコツと足音を立てて近づいてくる金髪の男は、黒いズボンの上にバスローブを引っ掛けているだけで、ほぼ半裸状態だった。
「……こ、こんな時間にすみません」
「ふん、どうせ君も、誰もいないからといってキモダメシ気分で来たんだろう?残念ながら、この屋敷には私が住んでいる。私が町の連中が噂している様な殺人犯やら人体実験をするようなマッドサイエンティストというわけでもない。ま、ちょっとは特殊な事情を持っている事は確かだがな。だが、それを君に話す筋合いはなかろう。さぁ、噂通りに私が君を殺さない内にさっさと帰れ」
もう何回も言っているのであろう言葉を水が流れる様にスラスラと話し、まるで犬でも追い払うかのような仕草をして男は黙ってしまった。
「寒くはないんですか」
「寒い?」
男は不思議そうに首を傾げて、僕の姿を頭から足の先まで観察したあと、割れた窓から外を見た。雪が降り積もった荒れ放題の庭を瞬き三つ分見つめた後、少し驚いたような顔をした。
「もう冬になっていたのか」
囁くような声は、けれど静寂に包まれた屋敷の中だったので僕にも聞き取れた。男の言葉はつまり、雪が降って凍り付くような冬の夜においても全く寒さを感じず、そして長い事、それこそ季節が変化している事も分からないほど世間に関わらず、ずっとこの屋敷に閉じこもっていた、という意味が含まれていた。
「そんなに着込むほど、今は寒いのか?」
「えぇ、寒いですよ」
「そうか……ならば暖めなくては」
男はバスローブを翻して屋敷の奥に行ってしまった。
男がいなくなってしまえば、自分がたてる呼吸の音以外は風が吹く音のみで、そこは決して人が住めるような環境ではない事が際立つ。外からも見れた通り、屋根は崩れて曇った空が見えるし、壁はひび割れて風が入ってくる。男が外の景色を見た窓は半分以上が割れて原型を留めていないし、それ以外の窓も辛うじて窓枠があって初めて窓だと認識できたくらいだ。控えめにいって廃墟といって差し支えない。他の部屋がどうかは知らないが、どの部屋もこの広間とさして変わらないのではないかと思う。暖めなくては、と男が言っていたが、例え暖炉に火を着けようが、風の入る部屋なのであれば対して変わりは無いんじゃあないかと考えてしまった。
残された僕はというと、残されてしまった戸惑いと、そしてそれ以上の歓喜の感情によって興奮していた。
「本当に、いたんだ」
 僕がこの屋敷に来た理由。それは、男の存在を確かめる為だった。
屋敷の近くの町で生まれ育った僕は幼い頃、危ないからと近づくのを禁止されていたこの屋敷の周りで遊んでいた。草木が生え放題で色々な生き物がいて、来るたびに知らない生き物と遭遇したのが楽しかった。野犬は確かにいたが、彼らにもテリトリーがあり、そこに入らない限りは野犬は何もしてこなかった。浮浪者もいた。けれど家のない彼らは、食べ物さえ持ってくればむしろ自分の知らない事を教えてくれる存在だった。知らない生き物と野犬と浮浪者。それは同年代の友達と馴染むことができなかった僕の、少し変わっているだけの立派な友達だった。
結局はそれも数年だけで、両親にバレてしまい全寮制の学校に入れられてしまったが、それまではずっと僕は彼らと交流し続けていた。金髪の何者かの存在を知ったのもその時だ。
とある浮浪者のお爺さんが、暖をとっていた野犬を撫でながらぽつぽつと話してくれた話にソレはでてきた。
「坊、どうして俺らがあの屋敷に住まずに、ここらで寝てると思う?」
お爺さんが話す内容はいつもホラ話ばかりだったので、これも嘘なのだろうと思いながら当時の僕は話を聞いていた。例え本当の話ではなかったとしても、お爺さんは話し方がとても上手く、幼い僕でも充分に楽しめたのだ。
「俺らも好きで屋根のない所で寝起きしている訳じゃあない。あのデカい屋敷で眠れりゃどんなに良い事かと思いもするさ。だけれどな、あの屋敷には入っちゃあいけないんだ」
「それは、どうして?」
「あそこにゃ、吸血鬼が住んでいるんだよ」
 金髪の吸血鬼。ずっとずっと何年も昔から住んでいる、恐ろしい化け物。どうして屋敷が解体されないのか、どうして草木が生え放題なのか、野犬や浮浪者があの屋敷に近づかず、その周りにいるのか。それは全て、吸血鬼を恐れての事だと。お爺さんは話した。犬を撫でながら、全く怖がる素振り見せず、けれどいつもの様に半笑いで話すこともなく、一度会ったという吸血鬼の話をした。
「俺と一緒に流れてきた奴が一人、食われちまったんだ」
 人を食うらしい恐ろしい吸血鬼がいるという話を聞いてから、僕はそれまで余り興味を持てなった屋敷に一気に興味を持った。
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向き
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朝日で君を焼く
初公開日: 2022年03月13日
最終更新日: 2022年03月13日
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