幽霊なんて始めからいなかった
 ミステリー小説が好きだ。そういうと素敵だと言ってくださる方もいれば、そんな大衆小説なんて読んでとおっしゃる方もいる。それでも僕は、あのミステリー小説の中で解かれていく謎とそれに追い込まれていく人々を見るのが好きだ。
 そう、僕はミステリー小説が好きなだけだ。間違っても探偵になりたいなんて思わないし、同じ医師だからといって探偵の助手になりたいなんて思っていない。
「先生、ミステリー小説お好きでしょう、折角の機会だと思って探偵役をやってください」
「本当は何もなかった、あったとしても見間違いだったと分かれば私達使用人も安心なんです」
「怖がる者が増えたら業務に支障をきたします。騒いでいるだけであれば良いですが、実際に支障が出ている者もいます。これが続くと穏やかな旦那様、奥様でもお怒りになるでしょう」
 先生、と強い剣幕で廊下の壁に押しやられる。いつも見ているだけの廊下の壁に背中が当たる。ひやりとしたのは、壁の冷たさかそれとも冷や汗か。
追い詰められ退路も断たれた状況は、了承するまで帰すつもりはないとでも言いたげだ。
「ですから、僕は小説が好きなだけで謎解きとかは全然得意じゃなくてですね」
「でも、以前他のお屋敷に出入りしているお医者様が先生は難しい症例を見極めるのが得意だとおっしゃってましたよ」
「それは、またまた前日に読んだ論文とそっくりな症例だったからで……」
「先生、一日付き合ってくださるだけで良いのです。一日、探偵の真似事をして頂ければ他の者が安心します」
 奥様付きの若いメイド二名と旦那様付きの執事一名に囲まれる。先程よりも距離がじわじわ近くなっている気がする。
 彼ら三名の仕事に対する真摯さは素晴らしいと思う。三名とも幽霊が怖いのではなく、業務に支障が出る前に解決したいだけなのだから。でも、僕を巻き込まないで欲しい。本業でもないことを頼まれると嫌だとか面倒だとかは関係なく困ってしまう。
 この場を凌ごうと頭を巡らせて、代わりになってくれそうな人を探す。
「あっ、料理人のアーバルドさんはどうだい彼もミステリー小説好きだだろう? 」
「アーバルドさんは怖がって暗い所に一人で行こうとしません、倉庫にだって他の人と一緒にじゃないと行かないんです」
「夜の内に仕込みをしなければならないものもあるので正直困ります」
 3人が少し暗い表情をしながらため息をついた。
 僕を見据えて、口を開く。
「頼れるのは先生だけです」
「先生しかいません」
「お屋敷内は自由に動けるように旦那様には許可を既に取ってます」
 最後の最後に三人がかりの「お願いします」三部合唱。
「分かったよ、一日、一日だけね」
僕は圧に負けました。
 屋敷の中に幽霊が出たという噂話が上がったのはひと月以上も前の事らしい。
 最初は一人のメイド ― 確かお嬢様付きだったはずだ ― で、夜遅くに廊下に出た所、白い何かが何事かを呟きながら歩いている姿を見たのだという。
 彼女は非常に怖がった。その時は、他の者も寝ぼけていたのではないか、風に揺れるカーテンか何かを見間違えたのだろうという話になったのだという。
 しかし、それでは終わらなかった。ある庭師は森の方から屋敷の中へと点々を続く濁った水を目撃し、翌日のための仕込みをしていたある料理人は廊下を歌いながら歩いている白い服を着た女の姿を見たと言い出した。
 少し気だるげな空気が漂う使用人控室で三部合唱をしたメイドと執事と一緒に今まであった幽霊の目撃証言を一から洗い出していた。
 目撃証言は幽霊騒動にありがちなものではあるが、どうにも疑問がある。
「質問なんだけど、一体いつ白い何かが、白い服を着た女性になったんだい? 」
 情報を羅列させていく中で、「白い何か」という曖昧な情報と「白い服を着た女性」というやけに具体的な情報が入り混じっている。
 怖がっていたメイドは本当だとしても、それから噂話として広がっていく内に尾ひれ・背びれは付くものだ。
 ならば、「白い服」と「女性」という情報は信用しない方が良い。
 しかし尾ひれ・背びれが付いたとしたら、その間がなさすぎるのだ。
 男か女か分からない曖昧さ、何の歌を歌っていたのか、人の想像力を掻き立てるような曖昧な情報が噂話にしては足りない。
どこかで「白い何か」から急に「白い服を着た女」という具体的なものになるような事があったはずだ。
「ああ、それは女の姿を見たという者が出たからですよ」
 その声に驚き振り向くと、若い執事が一人、ティーセットを持って立っていた。
 部屋の中で一番大きな机を陣取っている僕らに若い男が声を掛けたのだ。
常に複数人の人がいる部屋だから他の人がいるのは当然なのに、声をかけられて驚くほどに集中していたようだ。
 彼は、どうぞ、といって邪魔にならない位置にティーセットを置くと机に広げた資料を覗き込む。そして、口を開いた。
「ランプ磨きの少年達が廊下でランプを回収していると、暗い廊下の奥から白い服を着た女が歩いてきたそうで。最初はお嬢様か奥様かと思ったようなのですが、奥様にしては若く見えるし、お嬢様にしては背が高いように感じたと。まぁメイドの誰かだろうとそのまま手を動かしていたようなのですが、いつの間にか姿を消していたそうです。ああ、廊下は一本道ですよ。真っ直ぐ進むしかない廊下です」
 彼は少し怪談話を楽しんでいるように見えた。僕達の会話に混ざれたことが嬉しかったのか、純粋に怪談が好きなのか、はたまたこんな事を真面目に調べている僕らをからかいたくなったのか。
「少年達が怯えてしまっています。その子達を宥めすかして仕事をさせるもの忍びないのですよ。私も家に戻れば同じくらいの弟、妹がいますから」
 そういって若い執事はテーブルから離れていった。
 僕は彼に対する邪推を恥じた。少年達を案じているのは本当だろう。しかしそれでも、尾ひれ・背びれが完全についていないという確証は持てなかった。
「私が直接聞いた話ですと、森へ向かう女の姿を見たというものがあります。お嬢様付きのメイドで、お嬢様のドレスやアクセサリーの管理を主に担当しているメイドです。しっかりしていて、旦那様、奥様共に信頼の篤い方です」
 そのメイドによれば、お嬢様のドレスとアクセサリーの組み合わせを考えている内に随分と夜遅くなってしまい、慌てて自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていたのだそうだ。
 暗い廊下を早足で歩いていたが、ふと視線を外に向けた。すると妙な人影が庭を歩いている。右へ左へふらふらと歩いている。まるで、夢を見たまま動いているようだった。
 庭を横切って真っすぐ行くと森の入る小道があるのだが、どうやらその小道に向かって歩いているようだったという。
 最初は散歩している使用人の誰かだろうと思ったが、お嬢様だったら大変だと思い至って足を止めてじっとその人影を見ていた。
 曇っていて少し暗い夜だったが、幾分もしない内に雲が晴れ月明りが出た。
 その月明りの下、人影が鮮明になるとそれは白い服を着た茶髪の人だった。お嬢様は綺麗なブロンドのため、一安心したそうだ。しかし、服から伸びる腕の異様な細さを見て、メイドは恐ろしくなったという。
 骨に皮を貼り付けたような腕、いつ手入れされたのかも分からない茶色の髪。少なくともメイドではない。
 では、その人物はどこからやってきたのか。そう考えると、浮浪者が入り込んだか、本物の幽霊を見てしまったか、そう思えてならないと。
「ちなみに、そのメイドは浮浪者や不審者であったら大変だと、直ぐに警備の者を呼びました。その結果、警備の者が向かった庭には森への歩いて行く足跡が見つかりました」
「しかし、その人の姿を森で見つけることは出来なかったんです。奥様もお嬢様も獣がいる森の中を入っていっただなんて心配だとおっしゃって、時間をかけて探したのですが……」
 十数名いる部屋の中が一瞬静かになった。誰かが咳払いをして、皆めいめいに動き出す。
 ソファでくつろいでいたのだろう料理人のアーバルドさんは無言で立ち上がって、腕を摩りながら休憩室を出て行った。
 彼がいた事に全く気付いておらず、本当に申し訳ないことをした。これからディナーと明日の仕込みがあるだろうに、きちんと休めているのなら良いのだけれど。
「ちなみに、その時見つかった足跡のサイズと髪の長さから、まぁ女だろうという共通認識になりました」
 なので、言いながらメイドの一人が紙に対して縦方向に矢印を書き、更に矢印の真ん中あたりに横線を引く。そして、目撃証言を簡単に書き込んでいくと、横線の上では、曖昧な「白い何か」、「歌っていた」という情報に対して、下では、「女」と「白い服」、「茶髪」といった具体的な言葉が出るようになる。
「噂話で尾ひれ・背びれが付いたといよりは、それぞれの目撃証言から共通認識が出来上がったということになるね」
「まぁ、目撃証言が多いからそう思い込んでいる可能性もありますが、アーバルドさんやランプ磨きの少年達のように業務に支障が出ている人もいますし、お嬢様はそれに対して苛立っておいでです」
 最近妙に苛立ってらっしゃるんですよねぇとメイドの一人が溜息をついた。
「お嬢様はたしか夜会に行かれることも度々ありますよね。一週間程度お稽古事をお休みになってしっかり休まれてはいかがでしょう? 疲れていると苛立ちやすくなりますから 」
 まだはっきりと病とは言えない症状であれば薬なども出す必要もなく、まずは体の回復に努めることが大切だろう。あとはハーブティーなどを試してみてもいいかもしれない。きっと体質的には奥様と似てらっしゃるだろうから奥様への処方を元にお嬢様の処方も考えておこう。
「先生、お嬢様へご診断が後日お願いさせてください。今はもう少し幽霊騒動にお付き合いを」
 執事が紅茶を注ぎながら、続きを促す。
 メイドの二人が書き直したり、書き足りたりしてくれたおかげて噂話の時系列と変遷は大分整理されたかと思う。
 しかし、現状ではここまでで手詰まりだろう。
「情報の整理は付きましたが、現状はここまでですね。あとは話しに上がった廊下や庭を見ない事には何とも言えません。お屋敷内にいない人なのであれば、どこから侵入し、どこへ去っていったのかも気になる所です」
 頂いたカップからは紅茶の香が広がり、喉を潤していく。
 見るべき場所は、廊下、庭、あとは森だろうか。他にも関連しそうな所は全て見て回った方が良いのだろう。
 あらゆる可能性を加味しながら、一つ一つ不可能なものを除外していけば真実に辿り着けるのだろう。
「では、一休みしたら確認すべき所まで案内していただけますか? 」
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幽霊なんて始めからいなかった
初公開日: 2022年02月22日
最終更新日: 2022年05月07日
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コメント
テーマ:なんちゃってミステリ
イギリスイメージでとあるお屋敷に出入りする医者が探偵の真似事をする話になる予定。
恐らく、今日だけでは書き終わらない