Un Titled 2
        ドンキホーテ・ドフラミンゴ
昼まで惰眠を貪っていた私が目を覚ましたのは窓の外から聞こえる階下の住人たちがキャッキャウフフとはしゃいで遊ぶ声だった。
のっそりと欠伸をしながら起き上がると、するりと身体の上から黒い布地が滑り落ちる。見覚えの無い生地を不思議に思い視線を落とすと、床に落ちたそれは天鵞絨調の滑らかな光沢を放ち皺を深く刻んでいるのが見えた。
寝ている間に脱ぎ去ったのか昨日中途半端に肩にぶら下げたシャツはくしゃくしゃに丸められたままベッドの隅に置き去りになっていた。身に着けているのは下着一枚だけ、おまけにブラジャーのホックは外れたまま。という放漫を丸出しにした私の胸元には小さく薄い鬱血痕が残っている。状態を起こして見渡したベッドの下部には私が寝ている間に蹴飛ばしたのか、それともドフラミンゴが起き抜けにはぐったままで部屋を出たのかコンフォーターが寄せられていた。
私は床に足を下ろすと、上半身を折り曲げ床に手を伸ばし、金糸の打ち紐が飾られたフロントを掴み上げることにした。幅が広くて丈の長い上着は少し重たい。ひざにかけたそれからは嗅ぎ慣れたオードトワレの匂いがする。ベッドの脇に置かれたアトマイザーに注がれたものだろう。
こんな格好で身体を丸めて眠りこけている様子が彼の目に障ったのだろうか。と私は目元を擦りながら苦々しい気持ちを噛み殺した。
年中日差しの激しいこの国は夏場は特に蒸し暑い。窓を閉め切ったままの空気の少し籠った室内は、肌に纏わりつくような湿度の高い温度を持っていて、この状態でも温かく感じられるほどで然程寒さは感じないのだが、この風体でそこらをうろつくのは流石に忍びないので私は上着を肩にかけて、両手で前を閉じると光の差し込む窓際へと移動することにした。
磨き抜かれたガラス越しにバルコニーの外を見遣ると、城の裏側に広がる豪奢なプールの中で水着姿のオネーチャン連中がじゃれているのが目に入る。建物の傍、一階のテラスの手前に置かれた一際大きなソファの上には相も変わらず退屈しのぎに精を出す『若様』の姿があった。燦燦と照り付ける太陽が色味の薄い金髪と揺れる水面をきらきらと輝かせている。見る限りには平和でギャラント性を絵にかいたような日常だ。
そこに無邪気に混ざる気にもなれない私は、緩慢な仕草でドフラミンゴの自室を後にすると自分の寝床に戻り、熱いシャワー浴びて身支度を整えた。
着馴らしたスリーピースに身を包み、伸ばした髪を結い上げると城の内部に位置する昇降機へと足を運ぶ。活気の薄い廊下を通り抜ける最中、大きな窓から見つめた景色には行き交う人々と色とりどりの小さな建物たちを一望できる。彼らに対して私が持っている感情というのは、平和ボケしたヤツ等だ、と言う以外に何も無く、特段憎しみも煩わしさも憐れみも感じない。
青い空に浮かぶ白い雲と眩く光る太陽。普通の人生を生きる普通の人間は明日も今日と同じく日が昇ると信じて疑わないし、ある日突然、今すぐにでも空が落ちてきてはくれないだろうかなんて願いもしないのだ。その時点で、私と彼らの間には深く大きな溝がある。他の奴らはどうだろう、いや、考えるだけ無駄なことだ。
賑わう人々の声を小耳にはさみながら、歩みを進めると地下の交易港へと続く昇降機が目の前に現れた。
其処に乗り込み、レバーを引くと、ガクンと籠が大きく揺れて機械音を立てながら、ゆっくりと足場が下がっていく。
壁にもたれかかりながら大きく揺れる箱の口が開くまで私は腕を組んで瞼を閉じたままじっと時間が過ぎるのを待った。いつもよりも目は冴えていて、多少身体も軽いのは予想以上に自分がぐっすり眠れていたからだろう。次に顔を合わせたら厭味の一つでも言われて揶揄われるかもしれない、と思うと多少気が重かった。
両開きの扉が開くと、目の前には線路の敷かれた巨大なホールが広がっている。耳に入る玩具の悲鳴と何かが砕ける破裂音、野卑な男のがなり声が耳障りにも左の耳から右の耳へと通り抜ける。山のような積み荷を背負う傷だらけの玩具の群れは丁度私の腰ほどしか背丈が無く、皆一様に俯きフラフラ震えながら荷物を船に運びだしていた。
通気口から時々入り込む風は生ぬるく、潮の匂いが却って生臭く感じる。此処はいつでも日の当たらず新鮮な空気も入らないせいで、妙に蒸し暑く、その上機械油のような鉄臭い重油の匂いが充満していて息苦しい。きっと、この暑さは同じ階層にある、人口果実の栽培上の上部に取り付けられた植物育成用のライトのせいもあるのだろう。年がら年中点けっぱなしのそれは凄まじい熱と光を放って、植物の成長を速めているので、その光に照らされながら労働に勤しむあの小さな小人たちもさぞかし暑いことであろう。勿論、他人事なのだけれど。
ドレスローザ国の中央部分に位置する城の地下には、このようにドンキホーテ海賊団が取り仕切る裏取引用の隠し港湾が作られている。
元々ドレスローザは頑強な岩の塊が隆起したその上に草木が生え、そこに人が建造物を作り栄えた国であるから、国全体が大きな一つの岩礁の上に成り立っているのだ。そのせいか、海面とこの島の地面とでは幅広い高低差があり、出入りできる場所も限られている。そこで、ドフラミンゴは城の地下に作ったこのホールから国土を横向きに掘り進めることで、海軍にもこの島の住人にも気づかれずに出入りできる秘密の通路を確保したのだ。
ホールの中央に円形に作られた生簀には取引先の船が幾つも並んで荷物の積み下ろしを待っていた。中央には玩具のスクラップ場に繋がる幹部塔がある。よく、トレーボルやシュガーが出入りしている区域だ。
私は積載される貨物を横切ると、玩具の群れとそれをどやしつける破落戸連中を横目に観察しつつ、ホールの隅に立てられた如何ともし難く描写に困るメルヘンチックな建物の扉を開いた。
二階建ての小さなドールハウスみたいなこの建物が私の主たる職場である。
海賊同士、時には国を相手にした武器や違法薬物の裏取引、それによって生じる契約内容の審査や金銭授受などの事務的作業を取り仕切るのが此処で与えられた私の仕事である。取引内容が世界政府から見ても違法であること、諸外国や関係外の人物に不必要な情報を漏らしてはいけないという事情から、契約に関する書類の一切かっさいは残していてはこちらが不利益を被る。そのため、取引が終われば無用の長物と化した書類の数々は全て焼却処分することと相成っているのだ。
しかし、普通の貿易と差異はあるものの、下手な口約束で生じるトラブルを未然に防ぐためにもどうしても書面での契約は必要である。紙で残す、と言うことは後から何を言おうとそこに文字で記載されたことが契約になってしまう。だから、こちらに不利益が働くような不備、誤字や貨物の数量の記載に間違いが無いか確かめる作業も自然と発生するのだ。小難しい書類と日がな一日にらめっこして、最後にサインと捺印をするだけの簡単な作業なので特段困ったことは無い。
面倒くさくて誰もやりたがらないこの地味な作業が私の日課だ。
二階に繋がる階段を昇っていくと、広々としたオフィスの中に一つ大きなデスクが窓に背を向けるように鎮座している。その上には昨日私が出た後誰かが置いていったのか、分厚い書類の束が置かれていた。
デスク用のライトにガチョウの羽根を削ったペンが刺さったペン立て、ボトル上のインクが置かれたデスクに着席すると私は一も二も無く書類の束を手に取り、その上にびっしりと書かれた文字の羅列を見渡した。
交易港を開いた当初はまだ七武海でも新参であったドフラミンゴを甘く見て、取引で発生する請求金を踏み倒そうなんてする不逞の輩もよく見かけたが、今ではそんな危篤で身の程知らずの輩も殆ど居ない。
この新世界でもおそらく指折りの戦闘力を持つ幹部たちだが、皆一様にどこか間抜けたところがあるせいか、それを口に出さずともドフラミンゴは私にこの仕事を依頼したのだ。
ある日唐突に『任せる。』などと告げられた私が柄にもなく狼狽えた。
幹部を呼びつけて大事な話をするとき、よく使われるスートの間にはその日呼び出された私とドフラミンゴしか居なかったことをよく覚えてる。政府の監視の目を潜り抜けての裏取引に関わる気など毛頭無かったのだ。何しろ大事な仕事であるし、万が一でもしくじれば全員首が飛びかねない。
ましてや、剣術から棒体術に至るまでその手の才を持ち合わせない、こと戦闘スキルに置いてはからっきしの私では修羅離れした海賊団を相手に交渉するなどできるわけがないのだ。精々ナメられて終わりだろう。荷が重すぎる、と私はその時はじめて彼の言葉に首を振りかけた。
『そう硬くなるな。お前に任せる。何かあったらすぐに呼べ。』
窓の桟に腰掛けて、硝子越しに浮かんだ雲に視線を向けたドフラミンゴは静かに笑うとそう告げた。爽やかに吹き抜けた風が短い髪を揺らして、暗赤色のグラスが日の光を反射する。通った鼻筋や滑らかな頬に翳りが生まれて、それが一層彼の横顔の優美で洗練された美しさを際立たせていた。
『他に出来る奴がいるならとっくの昔に選んでるさ。』
お前にしかできないから頼んでいるのだ。と、暗に諭されてしまうと、喉から出かかる言葉を呑み込むほかなく私はおずおずと頷いた。私は特に、彼のそういう部分に弱かったのだ。時々気障でわざとらしい誉め言葉にも、ホントか嘘かもわからない口元だけの微笑みにも。つくづく人を動かすのが上手い男だと思う。
冷静に考えてみると、ドフラミンゴはどうだか知らないけれど、この海賊団の中にまともに学校教育を受けてきた人間が一体どれほど居るのだろうか。出会った頃からみんながみんな札付きの悪であり、はぐれ者であり、世間からは煙たがられる厄介者の集まりだ。その厄介者に至るまでの事情はそれぞれ多々あるものの、みんな多くを語りはしない。過去の記憶をさらけ出し、他人に見せたところで何がどうなるわけでもないからだ。その点においては私も深く頷ける。
彼らはみんな馬鹿ではない。しかし彼らの持ち得る知識と言うのは、世間一般の常識や知識の範疇とはかけ離れているので、ドフラミンゴが何故私を選出したのかも、時間が経った今では多少理解はできる。
頭の中でその時の記憶を呼び起こしながら、一枚一枚ページをめくり、判を押していくと、閉じた扉の向こうからノックの音が聞こえて私は一度顔を上げた。
「どうぞ。」
声をかけるかかけないかのタイミングで開いたそこから出てきたのは、丁度同じ年頃くらいの青年だった。青年と言っても重たい一重目蓋に剃りの入った薄い眉、ノースリーブのシャツに裾の破けたハーフパンツは見るからに老けて見えるし人相が悪い。
ここで作業に勤しむ人間を私は毛ほども覚えていない。何しろ入れ替わりが激しくて覚えていられないのだ。へまをやらかせば幹部たちに海の藻屑にされてしまうし、辛うじて生きて居られてもシュガーの力で玩具にされてしまうから、最初は名前を覚えようという気概もあったが、それが徒労であることはすぐに思い知らされた。だから、大体私は彼らを『キミ』としか呼ばない。
「どうも。明日搬入する荷物のリスト、渡しに来やした。あと、コイツにサインを。」
恭しく頭を下げた男の手から書類を一束受け取ると、私はそれをデスクに置いて、一番上に重ねられた紙を一枚抓んでしげしげと眺めた。先日セニョール・ピンクがとってきた新規の取引先との契約書だ。
「キミ、昨日も会ったね。」
「へえ、まあ…。」
堅い天板の上に置かれた紙を手のひらで押さえると私はペンをインクに浸して、署名欄にサインを施した。紙面に視線を走らせている最中俯いた頭頂部に感じる怪訝な視線が無性に気になる。滑らせるように手早くサインを済ませると、ありもののスタンプでサインに被らせるように印を押す。それから、顔を上げて紙を彼に差し出した時、何とも言えない顔で私を見つめる男と視線がかち合った。
「どうかした?」
「ああ、いえ……何と言いますか。」
「海賊には見えないって?」
「っ!…その、悪い意味じゃなく。」
「アハハ。よく言われる。」
慌てふためき視線を逸らした男の姿が可笑しく、少しだけ口角が上がる。実際、こんな小娘が?なんていう風に驚かれるのは過去にも多々あった経験であり、大して悪くは思わない。私が彼の立場であってもそう思うから。
悪気無く笑った私に多少安心したのか、男は胸をなでおろすように深く息を吐き出すと『おっかねぇ人が多いもんだから。』と一つ本音を零した。
「”おっかない”ねぇ」
デスクに頬付けをつき独り言ちると男はまだ何か疑問がありそうな顔つきをぶら下げたまま、踵を返した。確かに、奇人変人の大博覧会みたいなこの海賊団で、私みたいな見るからにどこにでもいるような普通っぽい女はむしろ異質な存在だ。一体どうしてこうなったのか?と聞きたい気持ちは山ほどあるのだろう。
そう思いながら、立ち去る男の背中を見届けると私は椅子の背もたれにぐったりと背中を預けて瞼を閉じた。そうして、記憶の欠片を呼び起こすように、その出来事を瞼の裏に思い描いたのだった。
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初公開日: 2022年02月19日
最終更新日: 2022年02月20日
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コメント
🃏さんの海賊夢の続きを書いていくよ。