本文を打ち直しつつ推敲作業中。
いつも同じところを書いているのは、推敲が苦手すぎるため。
3章まではサンプルで公開する予定なので、テキストライブに丸出しの状態で作業しちゃいます。
13:30〜
【第一章「出所後、兄が寝込むまでの出来事」】
「兄ちゃんに、紹介したい人がいるんだ」
 出所直後、弟が運転する車の後部座席で突然聞かされた話であった。
 この時俺は、今後の生活についてだとか、これからの弟との関わり方についてだとか。そういった、人生の悩みについて。密かに思い悩んでいたところであったのだが。
 弟から告げられたその一言はそんな漠然とした不安が一瞬、頭からさっぱりと吹き飛ぶような、衝撃的な一言であった。
「…今から?」
「うん。あれ、言ってなかったっけ?」
 そう言って首を傾げる弟に大きなため息を返す。
まぁ予告をされていたところで、ムショの中で手土産や身嗜みの用意などができたわけでもなかったのだが。せめて、心の準備をする余裕くらいは欲しかった。
「ご馳走作って、待ってるからさ!」
「ったく、そういうことは先に言っておいてくれよ…」
 兄ちゃん、サプライズとか苦手なタイプなんだから。
 これから弟の彼女を紹介されるのかと思うと、緊張で少し心がざわつき始める。気を紛らわすように、外の景色へと目をやった。窓越しに見るごみごみとした東京の街の一角。何年ぶりかの外の世界だというのに、その光景が特別輝いて見えるなんてこともなくて。ドアトリムに肘をつき、忙しなく車や人が行き交う様子を、所在なくただ、ぼうっと見つめていた。こうして遠巻き人の流れを眺めていると、なんだか自分はこの世界から、ポツリと一人だけ浮いてしまったような感覚になる。実際、数年間俺は、社会活動に参加していなかったわけだし。そう思うと少し、不安な気持ちに駆られるのだが。今はそんなことを悩んでいる暇はない。
「彼女、兄ちゃんに会ってみたいって、ずっと楽しみにしてたんだよ!」
 ハンドルを切りながら、弟はそう楽しげに言った。「カレシと同じ顔をした犯罪者に会ってみたいだなんて、ずいぶん変わった女なんだな」と。危うく嫌味が零れそうになったのだが、彼女のことを話す弟の顔が、あまりにも幸せそうなものだから。俺は開きかけていた口を閉ざした。
 二時間弱のドライブを終え、着いた先は郊外によく見かけるファミリーマンションの入り口であった。
 俺の服役中に官舎を出た弟は、今目の前にあるこの民間のマンションへと引っ越し、二年前から件の彼女と同棲をしているのだという。
 弟に同棲をしている彼女がいるということは、面会の時点で既に知らされていたので、そこに驚くことはなかったのだが。まさか出所をしてすぐに対面することになるとは、思ってもみなかった。
 エレベーターに乗り込み、弟が自室のある階のボタンを押した。身体にわずかな上昇感を感じ、それがまた俺の緊張を煽る。
 俺が知る限り、初めて出来た弟の彼女だ。それも同棲をしていて、その先の将来を考えるほど、真剣な付き合いをしている相手である。写真で顔は知っていた。話で性格も聞いていた。だと言うのに、実際に会うと思うと、こうも緊張してしまうものなのだなと。俺は自分の小心な一面に気が付き、呆れてしまう。
 弟がドアノブに手をかける。いよいよご対面だ。
 扉を開いた弟が部屋の奥に向かって朗らかな声で「はるちゃーん」と呼びかけると、リビングドアの先から、パタパタという忙しない足音が駆け寄ってくるのが聞こえた。
 ガチャリ。
 ドアの開く音と、自分の唾を飲み下す音が重なる。
「はじめまして」
 そう声をかけながら扉の向こうからひょこりと姿を現したのは、小柄で優しげな雰囲気を持った、エプロン姿の女性であった。微笑む彼女の頬に、愛嬌のあるエクボが浮かぶ。
「はじめ…まして…」
 俺のぎこちない挨拶に、彼女はまたクスリと笑った。「ただいま」という弟に「おかえりなさい」と言い慣れた様子で返す彼女。玄関で茫然と立ち尽くす俺の肩を弟が後ろから押し、彼女が前から腕を引いてきた。どうやら彼女は、パーソナルスペースが狭い方のようだった。
「ずっとお兄さんにお会いしてみたかったんです。本当に、そっくりなんですね」
 そう言ってにこやかに笑う彼女に、なんと返していいのかわからず、とりあえす苦笑を返してみる。少なくとも俺は、君と会うことを。別に楽しみになどはしていなかったからであった。すると弟はそこですかさず、「なんたって俺たちは一卵性双生児だからな‼︎」と、何故だか誇らしげに胸を張ってそう言った。たぶん弟の中でこれは、決め台詞か何かになっているのだと思う。
 彼女の名前は「春香」といった。
 二七歳と俺たちよりもかなり年下ではあったものの、まだあどけなさすら残るその見た目に反して、彼女の振る舞いや言動の落ち着きっぷりには、どっしりとした安定感があった。頼りない弟のことを、そっと家庭から支えているような。そんな温かな包容力のある人物であった。
 前科者の親族を紹介されたところで、弟の彼女からは嫌悪の目を向けれられるのだろうと思っていた。それも自分の彼氏と瓜二つの顔をしているのならば尚更。しかし出会った彼女は、未だに嫌な顔ひとつ見せてこない。その屈託のない笑顔には、こちらが邪推をするのを憚られるほどの、魂の健全さが伺えた。
 二人の屈託のない歓迎ムードに、俺はすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
 食卓では彼女が腕によりをかけて作ってくれたのだという、ご馳走が振る舞われた。海鮮の乗ったパエリアに、山盛りに積まれた揚げたての唐揚げ。洋風かと思えば餃子や肉じゃがもあったりして。思わず「わぁ」と声を漏らすと、「何が好きなのかわからなかったから…」と彼女は気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「お気遣いしてもらったみたいで、どうもありがとうございます」
そう返すと、彼女は「あ、敬語じゃなくて大丈夫ですよ」と、俺があえて取っていた言葉の距離でさえ、簡単に飛び越えてきてしまった。戸惑いながらも、「はい…」と曖昧に答えて、空いていた席に腰を下ろす。言わずもがな、元々は二人用のテーブルなので、俺は誕生日席に座ることになる。不名誉を祝われることに、内心少し、複雑な気持ちを抱いていた。
いただきます、と向き合う二人の声が揃う。俺も遅れて小さく呟く。
何から食べていいのかわからず、取りあえず箸の伸ばしやすい位置にある唐揚げを口に入れてみた。胸肉を使っているのか味は思いの外さっぱりとしており、かといって、食感がパサついているなんてこともなく。丁寧に調理をしたのだなということが伝わってくる味がした。もしかしたら、俺たちの年齢に合わせてくれて調理してくれたのかもしれない。不安げにこちらの様子を伺う彼女に、「とっても美味しいよ」と素直に伝えると、パッと華やぐような笑顔が浮かぶ。それが伝染したように、弟もなぜだか嬉しそうにしていた。
「たくさんありますからね、食べて食べて」と勧められるまま、他の料理にも箸をつけ始める。どれを食べても、美味しいと感じるものばかりであった。
 刑務所で出される食事がいわゆる「臭い飯」ではないことを、俺は身をもって体感してきたわけなのだが。こうして人をもてなす為に作られた温かい料理を食べるのは、随分と久しぶりのような気がする。
「あっ、ポテトサラダあるじゃん!やったー」
 歓喜の声を上げた弟が、サラダの盛られた大皿に手を伸ばす。
「もう、今日のご馳走は幸くんのために用意したんじゃないんだからね?全部食べたらだめだよ」
「わかってるって〜」
 自分の取り皿にサラダを取り分けながら「兄ちゃんもいる?」と問いかけてくる弟に、俺は少し遅れて「あぁ、頼むよ」と返す。二人の間で交わされる自然なやりとりの様子に、俺はまだ慣れずにいた。
 それから俺は形式的に、「そういえば、二人はどこで出会ったんだっけ?」と改めて二人の馴れ初めを聞いてみる。話題に困ったというのもあるが、弟に彼女ができたということを初めて聞かされた時、俺は甘露の驚きにあまり話を真剣に聞けていなかったのである。だから正直、記憶が薄い。
 照れ臭そうにはにかむ二人はどちらが話すか視線で相談しあった後に、「お弁当屋さんで働いてたはるちゃんに、俺が最初に声を掛けたんだ」と、弟がまるで、恥ずかしい秘密を打ち明けるような口調で言った。
 街の一角にある、こじんまりとした弁当屋。店名を言われて、そういえばパトロールの際に、前を車で通ったことがあるなと思い出す。当時まだ学生であった彼女はその店でバイトをしていたらしく、客として来ていた弟が声をかけてきたのをきっかけに、二人は会話をする仲になったらしかった。
「最初はそんなつもり全然なかったんだ。もちろん綺麗なお嬢さんだなとは思ってたけど、歳も離れてたし、俺なんかははるちゃんからしたら、対象外のおじさんだと思ってたから」
至極健全な笑顔で、弟は続ける。
「ただ少し、話しをしてみたくて。季節のおすすめを聞いたり、お弁当の感想を伝えてみたりしてたんだ」弟の視線が一瞬、照れ臭そうに揺らぐ。「そしたらある日、はるちゃんが一緒にご飯を食べに行かないかって誘ってくれて…」
「いつも『美味しかったです!』って笑顔で伝えてくれる幸くんのことが、私ずっと気になってたんです」
 なるほど彼女の料理上手は、昔のバイト先由来するものだったのだなと、俺は呑気に推理をする。そこからはテンプレートなラブストーリー。デートを重ね、関係を深め、踏み外すことなくステップを踏んで、現在の同棲関係に至ったわけであると。
 健全だ。非の打ちどころもないほどに、健全だった。
 歳の差があるというのにもかかわらず、弟の好意には邪念がなく、こちらが恥ずかしくなるほどにピュアである。
 そしてその彼女の方もまた弟に対して、同じような感情を持っているようであった。
 最初俺は公務員である弟の収入を狙って、彼女が妥協の交際をしているのではないかと疑っていたのだが、どうやらそうではなさそうだ。そもそも話を聞く限り、彼女は大学院を出ているらしかったので、親に経済力があることはなんとなく予想がついていた。
 ならば尚更、不思議であった。
 警察官と言えど高卒で、加えて弟には無断発砲の前科がある。もしかしたらそのことはまだ伝えていないのかもしれないが、しかしお世辞にも出世の見込みのない弟が、まさかこんなにも育ちの良い女性を捕まえてくるとは、思いもしなかった。
 聞けば聞くほど、二人がなぜ通じあっているのかがわからない。
 どこかで聞いた話。「年齢や立場なんて関係ない。恋人はフィーリングの相性で決まるものだ」※
とかいうやつなのであろうか。俺はそういったこじつけじみたロマンス主義に対して
嫌悪感を抱いている人間なのだが、この二人に限っては、そうとも言えるのかもしれないと、素直に思うことができた。
「この間、はるちゃんのご両親にも会ってきて。すごく楽しい方達だったよ」
「お母さんったら、私が警察官の彼氏を連れてきたっはしゃいじゃって、はしゃいじゃって。お父さんも幸くんと仲良くなれてみたいで、安心しました」
「お義父さん。すごく貫禄がある人で、緊張したんだ…」
 情けない弟の顔に、俺は思わず笑ってしまう。
「今度お兄さんにもうちの家族、紹介させてくださいね」
 その言葉は、二人が次のステップへと進もうとしていることを予感させた。
俺はなんとなく返事に迷って、サラダを口いっぱいに頬張り、声が出せないフリをした。ふふふと笑う春香ちゃん。
「二人ともサラダが好きなら、もっとたくさん作っておけばよかったな」
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
 そんな声に呼び止められながら、俺は履き古したスニーカーに足を押し込んでいた。
「すぐに仕事も始まるし、早く新しい生活に慣れておきたいんだよ」
「もう遅いし、家まで車で送るよ」
「いや、お前の新居までの道覚えたいから、電車で帰るわ」
 それにこれ以上弟に甘えることは、俺のちっぽけな自尊心が許さなかったのだ。トントンと靴先で床のタイルを叩く。状態を起こすと、ちょうど受け取りやすい位置で春香ちゃんがこちらに荷物を手渡してくれた。どこまでも気が利く子であった。
「気軽に遊びに来てよね!俺たちいつでも大歓迎だから!!」
「またご飯作って、待ってますね」
「うん。ありがとう」
 二人に改めて礼を告げ、家を出ようとドアノブに手をかけたその時。「兄ちゃん」と再び弟の声に呼び止められる。
 背を向けたまま続きを待っていたのだが、弟はなかなか話を切り出さない。不思議に思い、首を傾げて後ろに振り向くと、目を細めて笑った弟がこちら見つめて、静かに言った。
「おかえり、兄ちゃん」
 そこは普通、「またね」だとか、せめて「いってらっしゃい」とか言うところなんじゃないのか?なんて思いつつも。なぜだか俺も、今はその挨拶が一番心にしっくりとくるように思えた。
「ああ、ただいま」
 素直にそう返事をしてみると、先ほど車の中で感じた世間からの浮遊感が、胸の底からすっと消えていくような感覚を感じた。弟が言ったその一言によって、俺はようやくこの社会に、弟のいるこの世界に戻ってこれたのだなという、強い実感を得ることができた。※
 電車に揺られ、数年ぶりの自宅へと帰宅する。
若い頃に引っ越してそのまま惰性で住み続けていた安アパートだ。愛着などは持っていないつもりであったが、建て付けの悪い扉を開いて、久しぶりに部屋の中へと足を踏み入れたとき、思わず口からはため息が漏れた。それはきっと、懐かしさや安堵からくるものだったのであろう。
 出所をして初のライフイベントのカロリーが重すぎた。
気が抜けた俺は外着のままであることも気にせず、ベットの上に飛び込んだ。
少し埃っぽい気がする。部屋の掃除もしないとなと、ぼんやりとしながら頭のタスクの片隅に「掃除」と小さく書き込んでおく。優先順位はかなり低い。※
 何せ、本当に忙しいのはこれからであったからだ。※
これから俺は免許センターに行って運転免許証の再取得を行い、保険などの事務手続きなど諸々の手続きを、仕事が始まるまでの数日の間に、済ませる必要があった。(ここあとで調べる、長いようであれば省略。)
そして、仕事をする上で欠かせないのが携帯電話である。俺は無駄に待たされる携帯の契約手続きをするのが嫌いであった。
 所持品は基本、釈放後に返却される決まりとなっているのだが、それが犯罪の証拠品となり得るのであれば話は別である。※
 俺の場合は持っているスマートファンが犯罪の証拠そのものだ。※所有権放棄の書面にサインを書かされているため、あのスマホが俺の手元に戻ってくることはない。もっとも、ムショに入る前に契約を切ってあるので、買い直した方が楽だった。
 引越しをせずに済んだことが、本当に不幸中の幸いであった。※
それもこれも、保証人である弟が、契約の更新や管理などをしっかりとしてくれたおかげであって。弟には本当に頭が上がらない。
弟とは違い、早いうちから官舎を出ていた俺は、都内にやすアパートを借りてそこで暮らしていた。
出所後はその住居にもどることになっていたのだが、もっとも。ここに戻ることができたのも、
もともと住んでいた都内の安アパートに再び戻ることが出来たので、出所後の住居の心配はなかった。
 服役中に職員から紹介された会社の面接を受け、出所後は内定をもらったとある工場に務めることになっていた。この不景気に、仕事が見つかっただけでもありがたい話であった。※
 やることの多さに辟易としてしまう。こうしていつまでもベットの上にいても仕方がないので、のそりとシーツの海から立ち上がり、だらだらとリビングの方へと向かう。先ほどテーブルの上に置いたレシ袋の中から、缶ビールとタバコを取り出した。出先のコンビニで番号もよく見えなかったので、適当な番号を言ってタバコを購入した※。皮肉にもセブンスター。今一番高いんじゃなかったか?この銘柄。なんでもよかったとはいえ、なんだか損をした気分になる。
 家にはジッポが置いてあったし、最悪コンロか何かで火を付ければ吸えないこともないのだが。一応、使い捨てのライターも買っておいた。
 ベランダに出て、口に咥えたタバコの先に、火を灯す。
 まるで頂上に登った登山客のように深く息を吸い込み、白い煙を吐き出した。
久しぶりの不健康な刺激に期間が驚いたのか。少しむせてしまった。
ニコチンが体に染み渡る。プシュっと片手でプルタブを引く。
タバコと酒の、罪の味がした。
 初めてタバコを吸った時も、そういえばこの銘柄を吸って、先ほどのようにむせたんじゃなかったかと、思い出す。
『吸い方が下手くそなんだよ、大門くんは』
 そう言って、柄の悪いチンピラに、タバコの紫煙を吹きかけられた思い出。
のうりをあの男の影がよぎった。あいつはまだムショの中なのであろう。
 正直、いいきみだと思った。心の奥がなんだかざわつく。しかし、弟の顔を思い出す。
俺は弟のためにも、ここから立ち直ってまっとうに生きなければいけない。※
 俺はその思考を振り払う。この男のことを少しでも思い出せば、これからの生活に支障をきたす気がしてきた。迷惑をかけてしまった弟のためにも、キッパリと忘れるべきであった。
 このタバコ一本を吸い終わったら、もう金輪際、あの男のことは思い出さないようにしよう。
(苦々しい、しかしどこか甘美な思い出を?・あの日々を)かき消すように、吸い殻を灰皿に押し付ける。※
※ここの文章、後で見直し
 出所してから数日間あった空白期間のうちに事務処理などを済ませ、いよいよ新しい職場での仕事が始まった。「新入りの大門堅志郎くんだ」がたいの良い工場長に紹介をされ、俺は従業員たちの前に出る。軒並みなんだか愛想が悪そうで、感じの悪そうな男ばかりのように見えたが、玉にそれが居心地がいいなと感じた。下手な馴れ合いがなくて良い。※
 警察官という職務上、昔はそれなりに体つくりをしていたつもりだったのだが、服役中に筋力が落ちてしまっていたようだ。仕事にはなかなかハードな肉体労働や、逆に神経のすり減るような細かい作業もあったりして、バタバタの忙しい毎日を送っていた。
 そんなある日のことである。※※会話フェーズ、もう少し減らすか、繋ぎを自然に
携帯が鳴った。弟からの着信であった。こんな時間にかけてくることは珍しかった。
「どうした弟」
『ああよかった出てくれて!急にごめんよ』
「いいって別に。で、何の用?ーーとか?」※
『そんな用事じゃないよ!なにそれ、今思いついたの?兄ちゃんいつもそんなこと考えてるなんて、相変わらず世間の流行に過敏すぎないかい?』
「いいかい弟、歳食ってからこそ、そういう知識は常にアップデートしていかないといけないんだ。古臭い昭和かたぎの男だとおもわらたら、恥ずかしいじゃないか」※
それこそまるで、どこぞのゴロツキのように。
『確かにそうだ。さすが兄ちゃん!』
「それこそお前、春香ちゃんなんてお前より一回り以上若いんだから。古臭い価値観のままでいたら、恥ずかしい!って言われてあっという間に捨てられちゃうぞ」※
まあ彼女に限ってそんなことはしないであろうと思うのだが、放っておくと「Justice」と大きくプリントされたTシャツを着るような感性を持っている弟のことだから。一応、言っておいた。
『そう…だね、そうだよね…』
彼女の名前を出した途端、弟はうろたえる。
「…どうした、喧嘩でもしたのか?」
『いや、違う!仲良しだよ!!そうじゃなくって…』
電話の奥から、息を大きく吸う音が聞こえる。そして意を決したように弟は声を発した。
『実は俺、来週※はるちゃんにプロポーズをしようと思ってて…‼︎』
「…ずいぶん、いきなりだな」
『いや実は来週、付き合ってから三年目※の記念日でさ。その日にぷエロポーズできたら、思い出に残るかなって…』
 突然ではあったものの、この報告に驚くことはあまりなかった。一般と比べれば少し短い交際期間だったのかもしれないが、二人の仲の良さを目の当たりにして、結婚は秒読みであろうという確信を持っていたのだ。俺は不安げな弟に対して、努めて明るい声で言ってやる。
「いいんじゃない、かっこいいと思うよ」※
『本当!よかった〜、兄ちゃんにそう言ってもらえて』
「で、何をしたいだとかは決めてあるのか?」
『一応…、でも一回兄ちゃんに確認してもらいたくって…。直接会える日ってあるかな?』
「兄ちゃん今週は決まった時間に上がれると思うから、お前に合わせるよ」
『ごめんね、じゃあ明後日の夕方とかどうかな?』※
後日会う約束をし、電話が切れる。予想していたとは家、あの弟が結婚か…。なんだか複雑な気持ちであった。
 約束の日に、弟と喫茶店で顔を合わせる。弟のことだから、フラッシュモブだとか、下手なサプライズを用意して相手の羞恥心を※タコ殴り※にするような企画を立ててくるのではないかという不安もあったが、案外弟の提案は素朴なものであった。それは彼女の喜びそうなことをただ純粋に突き詰めた結果、出された案のように感じた。独善的て押し付けがましいサプライズも、妙な打算※もそこには全く感じられない。本当に愛し合っているのだなと、俺は改めて感じた。
弟のプロポーズは当然のことながら無事成功。
二人は晴れて、恋人から夫婦になったわけなのだが。
 俺は二人の関係を心の底から応援していたので、この報告はとても喜ばしいことであった。
 それからトントン拍子に話は進み、俺と春香ちゃんの家族との挨拶も済んで、いよいよ残るは挙式だけとなったのだが。俺は、二人の結婚式への参加を断るつもりでいた。
 もちろん弟の晴れ姿を見たい気持ちはあった。しかし、あんな事件を起こして出所をしてすぐのことである。弟の同僚、基、俺の元同僚たちも多く参加する挙式である。俺を気遣ってプライベートウエディングにしようか?とも提案をしてくれたのだが、俺のためにそこおまできを使ってもらうわけにはいかないし、新婦側の家族は挨拶をしに行った際に、賑やかな挙式を望んでいるということを知った。彼女の家族の面子や想いもあるだろう。
加えて弟の同僚、基、俺の元同僚たちも多く参加することを考えると、やはり俺が出席するのは控えるべきであろうという結論に至った。
 だが二人は、俺の参加を強く望んでくれた。最も俺は弟にとってたった一人の家族であるわけだし、新婦の家族が参加しているというのに、新郎側の家族が誰もいないというのも、何だかかわいそうな気がしてきた。
 
★このあたりから★
 色々考えた末に、結局俺は式に直接参列をすることはなかったのだが、会場の別室で、スタッフの持つカメラから送られてくる映像を見てリモートという形で、式に参加することになったのだった。その苦肉の策とも言えるスタイルに、なんとも現代的だなという感想を持った。
 ライスシャワーの中で、幸せそうにはにかむ二人。新郎新婦を包む、温かな祝福の声。まさに幸せの絶頂といったワンシーンであった。
 ディスプレイ越しに見ているばっかりに、なんだか俺にはその光景が、他人事やフィクションのように感じられたのだが。そこに映っていたのは紛れもなく、幸せそうな弟の姿であった。
 式の途中、形式的に俺が弟に向けて書いた手紙が読みあげられた。手紙には参列できなかった無念と、二人の結婚を祝う言葉が綴られている。本当は裏に控えているのになと思うと、何だか笑いが込み上げてくる。代読者のスタッフが俺の名前を読み上げた際に、一瞬ざわついて聞こえた声は恐らく、元同僚達によるものなのであろう。
 まさに破れ鍋に綴じ蓋といった夫婦ふたり。
互いの足りない部分を埋め合うふたり。お前の足りない部分を埋めてやるのは俺のはずだったのに、いつしかお前は俺の補助などいらなくなって。代わりの伴侶を見つけたらしい。それは、素晴らしいことのはずなのに。※
 ファーストバイトはお色直しの為に裏へと戻ってきた二人の手によって、俺の元へと運ばれた。参列者の誰よりも後に食べたというのに、これでもファーストだって言えるのか?なんて、少し自嘲気味な冗談を言いながら。華やかな衣装の二人を前に、俺は甘いケーキを味わった。
 出所後一年目。この頃は物事を深く考えている余裕もなく、目まぐるしい環境の変化に、ただついていくのがやっとであった。
 だから俺は、自分自身に起こる心境の変化について。そして、無意識に芽生えた、漠然とした心の違和感について。気が付くことができずにいたのであった。
 出所してから二年の月日が流れた。
 再就職先での仕事にもようやく慣れ始め、心身ともに少し余裕が出はじめる。
 休日は家で過ごすことが多かった。昔は趣味のために外出をすることも多かったのだが、歳のせいなのか疲れきってしまい、午後まで眠りこけていることがほとんどであった。しかし休日、家にいると様々な思いが頭を巡る。正直体がというか、頭がだる重い感覚だった※
 そんな漠然とした違和感の正体に気づけぬまま、目標や楽しみなんてものもなく、ただ毎日をやり過ごすような生活を送っていた。そんな頃。
 弟夫婦から妊娠の報告を受けた。
 最初は驚きのあまり声も出なかったのだが、幸せそうな弟の姿を見ていたら、胸が締め付けられるような歓喜がこみ上げてきて、俺の目頭を熱くする。
「勲章をもらったんだ、兄ちゃんにやってもらってた仕事も出来るようになって、部下の教育とかも頼まれたんだよ!」「そうか」※的な成長を表わす会話
面会の度に俺を安心させようと、報告を受ける。弟の成長は目まぐるしかった。
 弟が順調に幸せを掴んで、一人の人間として成長していく。順調に実直に、自分の性質にみ合ったペースで出世もしているらしかった。
※そんな弟の成長が、嬉しくもあり、その反面情けなくも感じる?お前はもう、俺がいなくても立派に一人でやっていけるんだな。そう思うと、心の底が鈍く疼いた。
その成長が純粋に嬉しい気持ち、誇らしい気持ちがある一方、心のどこかに感じる違和感は日増しに大きくなっていく。果たして弟はこんなにも有能な人間だっただろうか?まるで親離れしていく子供を見ているような気持ちになる。
この不安定で黒い感情を、見てはいけない、気付いてはいけない。認めてはいけないのである。※
俺はそんな不安を振り切るように、仕事に打ち込んだ。
※病院描写、言葉短くどこだか分かるように
 落ち着かない様子の弟の隣に座る。両手を組み、膝について俯いた弟。不安げに分娩室の方を見つめる。
「大丈夫だから」
「うん…」
こんな様子の弟を見るのは久しぶりであった。
弟の丸まった背中に不安が募る。
産室から産声を聞いた。立ち上がって安堵の涙を流す弟の肩を抱いて、俺たちは喜びを分かちあった。
 数日後、仕事を終えて病室を訪れると、弟がおっかなびっくりと言った様子で子供を抱き上げている姿があった。
「見てよ兄ちゃん!すごく、すごくかわいいんだ…」
愛おしそうに子供を見つめる。
ベッドの上から、春香ちゃんがその様子を微笑ましそうに見つめていた。
「あは、ちっちゃいお猿さんみたいだ」弟が子供の顔を覗きながら、愛おしそうに言った。
「ふふふ、この子のたれ目は幸くん似だね」
父子を包み込むような、柔らかな声。その声はもう一人の女性ではなく、母親のものになっているように聞こえた。
窓際の銀の冊子がちょうど額縁のようで、新たにここに生まれた三人の姿には、宗教画のような美しさがあった。尊くて、美しくて。近くにあるのに、遥か遠くに感じるような。そんな光景であった。
「ほら、兄ちゃんも抱っこしてあげてよ」
その美しい光景に、俺は吸い寄せられるように一歩踏み出そうとした。その時。
脊髄に冷水を流し込まれたような、嫌な感覚が走る。
俺の体を凍らせた。血の気がさっと引いていく。
なんだかその子を抱き上げるのが。酷く罪深い行為のような気がして、俺は思わず半歩、後ずさる。
「…ほらっ、俺、仕事後で汗臭いから…」
「大丈夫だよ、それくらい」
こちらに向けられた視線に、脅迫的な何かを感じた。もちろんそれは受け取る側の俺に問題があるということには、すぐに気がついた。冷や汗が流れ、なぜだか三人の方に近づくのが、とても恐ろしくなる。
「兄ちゃん?」思わず肩が跳ね上がる。
「いや…あの…」と言葉に迷って口をはくはくとさせていると、甲高い赤ん坊の声がそれを打ち消した。
まだ目も見えぬ赤ん坊。穢れを知らぬ赤ん坊。
その声は脳で増幅し、反復し、頭の中をかき乱す。
「悪い! 俺、この後用事あるんだった。…帰るわ」
それだけ伝えて、病室を飛び退くように後にした。
背後から「兄ちゃん!」と泣き声混じりに俺を呼ぶ声が聞こえてきたが、子供を腕に抱えていてはすぐに追いかけることはできないだろう。出来るだけ早く、リノリウムの床を歩いた。
 グルグルとめまいが襲う。肌からどっと冷や汗が吹き出して、手足の先から血の気が引いて寒気が走った。
自分がどうやって帰ったのかを覚えていない。
完全なパニック症状であった。
症状が酷くなってから訪れた精神科では、原因は何か過度なストレスがかかったせいではないかと診断されたが、それでは尚更、罪深いではないかと思った。※
 あの日病室で愛おしげに子供を抱く弟の姿が、とっくに死んでしまったはずの父親に見えたのだ。
あの部屋には父親と母親がいたのだ。
 そしてこの俺を、見つめていた。
動悸が酷い。
ここ数年、体の中に巣食っていたドロドロとした不安が、羽化したような気分であった。
自覚してからは、憂鬱な気持ちは膨らむばかり。
休みの日は一日眠って過ごすことが多くなったが、寝付きは悪いので、睡眠薬を頼らざるを得なかった。
過剰に寝る日と、何をしたって寝れない日の繰り返し。
薬の量が増える一方、食欲がわかないので食事の量は減っていった。仕事も休みがちになり、
ダメもとで休職届を出してみたのだが、入社二年目かつ前科持ちの社員の休職はやはりあまりいい顔はされず、それに食ってかかる力も残っていなかったため、俺は大人しく退職届を出して再び職を失った。※
※朝起きて夜に寝て。
昔より余程、人間的な生活を送っているはずなのに、病んでいく俺の体はやはりあの時、夜に慣れきってしまったのだろうか。
 その夜俺は死んだように眠り、翌日目を覚ました時、ああこのまま目が覚めなければよかったのにと、心のそこから落胆した。体が鉛のように重いのに、頭ばかりが嫌なくらいに冴えていて、アルコールで思考を濁らせ眠りについた。
 しばらく弟には黙っていたが、頻繁に連絡を取り合っていたのでいつまでも隠し通せるはずもなく、程なくして弟に退職をしたことがバレてしまった。
弟はまず、俺の体調のことを心配してくれた。その心配が、干渉が、とても心苦しかった。
「急に連絡が取れなくなったからびっくりしたよ」
「すまない、ちょっと立て込んでてな」
努めて明るい声を絞り出す。
「仕事…やめたんだって?」
「…ごめん」
「なんで謝るんだよ!別に謝る事じゃないだろう?」
「なにか…嫌なことでもあったの?」
言葉が直ぐに出ず、沈黙が流れる。
「ねぇ、やっぱり兄ちゃん変だよ。一回うちに顔見せに来て」
「いや大丈夫。本当に、大丈夫だから。少し、上司とそりが合わなくて…。とにかくお前には迷惑をかけないようにするからさ」
「そうじゃなくて…!!」
「子供が生まれたばっかりで大変だろう?本当に、俺は大丈夫だから」
「でも、」
「お前も仕事の頑張りどきなんだから。弟、これは俺の問題だ。兄ちゃんは大丈夫だから、何も心配するな」
長い間を置いて、弟は「わかった」と渋々といった様子で呟いた。
「また落ち着いたら顔出しに行くから。お前も色々頑張れよ」
「うん…」
まだなにか言いたげな弟だったが、俺は早々に受話器を置いてその場にへたり込む。こうやって弟を言いくるめていると、なんだか昔を思い出して、また虚しい気持ちがこみ上げてきた。
 「頑張れよ」なんて、言ってしまった。
お前は俺よりもうんと頑張っているというのに。どの立場で物を言っているんだ、俺は。何も出来ない弟などもう居ない。俺がいないとダメな、従順で可愛い弟はもう…。いや違う……、もとからそんな弟はいなかったのだ。
面会の度に感じた違和感と心のゆらぎを思い出す。ついにその正体に気がついてしまった※
(俺が、俺があいつの可能性を、奪ってきたんじゃないか……)
惨めで情けなくて、その日の夜は眠れなかった。
 その後も弟は俺のことを心配して、激務の中でも度々俺の家を訪れるようになった。自分も疲れているだろうに、家では家族が待っているはずである。
ここには居られないなと思った。弟には弟の、築いていく家族というものがある。もう邪魔をする訳には行かない。
とにかくあの家族から離れよう。そうしてもう、一生あの子に出会わぬように。父と同じ顔をした犯罪者の姿など、無垢なあの子に見せてはいけないのだ。そんな、偽善もある反面、
本当は何よりも、
そして何より自分が、あの場にいるのが苦しくてたまらなかったのだ。※
腐りきった身体が布団にどこまでも沈んで行くような感覚があった。
俺なりの貫きたかったものとは、果たしてなんだったのだろうか。俺はそれすら、勤め上げられたのかもわからない。たった一人の、唯一無二の大切な存在を泣かせる行為が、果たして正義と言えたのだろうか。
身体が布団に、どこまでも沈んでいく感覚があった。
【一章めも】
なんだよ、紹介したい人がいるって。
俺は親の気持ちで構えればいいのか、
【第二章「出所後、ドブが兄宅に転がり込むまでの出来事」】
「出てってよ!!」
 目の前の女は声を荒らげ、ぐしゃりと片手で頭を掻き乱した。
 垂れた髪の間から、今にも泣き出しそうな赤い顔が覗く。
湧き上がる激情に震える白川は数秒の間俯むくと、乱れた頭髪を整えて、表面上だけでも冷静さを取り戻そうとしていた。女々しくはあったが、そういった、切り替えのできる女であった。
 例え感情的になろうとも、こうして数秒もしないうちに平静を取り戻そうとする。俺はこの女のこういう冷静さや賢さが好きだったのだ。※書き直し
「ドブさんにお金を借りたのも、脅されてたとしても、犯罪に加担したのは、私の落ち度でしかない」
「でも、私たちの関係はもう切れたはずでしょう?私には今の新しい生活があるの。だから…」
黙り込む白川の二の句を待った。しかしいくら待とうとも、白川は視線を泳がせるばかりで何も言わない。こちらもほとほと困り果て、頭を掻こうと手を振りあげると、白川の肩が大袈裟に跳ね上がる。
「だっ、だから……」
「もういいよ」
奥の部屋から白川を庇うような、男の声が聞こえてきた。
「小戸川さん、出てきちゃだめだって…っ」
「いいよ、どうせお前も、俺がいること分かってて来たんだろう?」
きっと、俺からの報復を恐れて白川が奥に隠していたのであろう。しかし男物の靴といい、最後に会った時の2人の関係といい。とっくに小戸川がこの家に住んでいることには気がついていた。
小戸川は封筒を俺の前に乱暴に置いた。数十枚は入ってそうな厚みだ。低く、地を這うような声で告げられる。
「帰ってくれ。これ以上なにかするようなら、警察を呼ぶ」
白川の肩を抱き、語調を強めて小戸川が告げる。
「二度と、俺たちに関わるな」
恨めしそうな視線と怯えるような視線が、こちらをじっと見つめていた。
 ひゅうと口笛を吹きながら自販機から缶コーヒーを取り出す。当分生活には困らなそうな額を手に入れた。だと言うのに気分は何故だか晴れてこない。
 今やバックに組がある訳でもないし、あの状況で警察を呼ばれるのは非常に面倒くさい。もうあの家に揺すりをかけるのは難しいだろう。
小戸川に恨みこそあれど、それを原動力に、復讐を糧に生きるほど、執着できる程、年齢的にも精神的にも若くない。それこそ俺を狙ったドクロ仮面のような人生はゴメンである。事情はよく分からないが、あの若者はそういった非合理的な生き方をしているように思えた。
まぁなんにしたって、金と拠点は必要である。
脳裏からあの目が離れない。心底俺を恨んでいるという目。洗脳が解けた人間特有の、極端なまでに俺を避けようとする嫌悪感や畏怖の念が感じられる。 
「さて、これからどうすっかな〜」
 小指の切断面が寒さでピリリと痛む。縫合も済んで落ち着いてきたものの、根強い痛みが指先には残っていた。
 ずっとネカフェで生活する訳にもいかないが、かと言って、居場所も金も、俺の手元には何も無い。借りられる家もない。後輩と言えどヤノは論外として、誰か頼る宛はなかっただろうかと、考えたその時。度々脳裏を掠める1人の人物、大門門堅志郎のことを思い出す。しかしあの男こそ、俺のことを一番拒絶するのではないかとは思ったが。僅かな希望にかけたい気持ちと共に、純粋にあの男が今どんな暮らしをしているのかということに興味があった。
最後に見たのは、十億強奪の前日の打ち合わせと、報道写真である。※書き直し
「二度と、俺たちに関わらないでください」
 どこへ行っても聞く言葉。いい加減うんざりしてしまう。目の前に座る図体のでかい男は昼間のカフェには場違いな、深刻そうな顔をしていた。
「アンタが探してる男は恐らく、いま千葉にいます。元受刑者の情報は国で厳重に管理されているので、探すのが難しいんですよ。ただ、そういうやつでも借りられるような物件を紹介してる不動産にツテがあって、とりあえずそこを当たってみました」
「そんなプロセスはどうでもいいんだよ。で?アイツ千葉のどこにいんの」
ため息を吐いた関口は無言で住所の書かれたメモを手渡す。東京からの立地が悪い、千葉の中でも田舎とされるような所であった。沈黙を店内にかけられているジャズが埋める。
「俺が言うのもなんですが」
関口の視線がこの時初めて、まっすぐに俺を捉えた。
「大門兄に集るのはリスクが高すぎるんじゃないですか?」
「身内に警察官がいますし、そもそも例の事件であんたを恨んでいたっておかしくない」畳み掛けるように関口は続ける。「千葉までの交通費だってそれなりにかかりますし、情緒的にも女に集るのよりかは遥かに面倒が多そうで。あえて大門を選ぶメリットを感じないんですよ」
サングラスの下から、こちらを射抜くような視線が向いた。
「効率重視の貴方らしくない」
いつも一言多くて、俺はこいつのこういう所がやりにくいなと感じていた。肉体派と見せかけて、聡い男である。俺は不遜な態度のまま告げる。
「それで、俺を言い負かしたつもりか?」
揚げ足をとって反論できる思案はいくつもあったが、あえて俺は関口の反応を待った。実りのない会話はしたくなかったのだ。
長い沈黙が続く。「まぁ」と切り出したのは関口であった。
「アンタが東京から出ていってくれるなら、俺としてはなんだっていいんですけど」
金にもならない動機を追求しないのは、懸命な判断である。やはりこの男は小賢しい。関口は手元にあったコーヒーを飲み干すとパソコンを閉じて立ち上がる。
「じゃあ俺はこれで。約束、守ってくださいね」
そう言ってこちらを睨む関口の目は、先日見た白川の瞳と同じ色をしていた。
「お前、友達とかいんの?」
煙草を吹かした男がこちらを茶化すように聞いてくる。少し考え、そういえば長く付き合いを持っているような人物が、自分にはいないなということに気がついた。
「普通に飲みに行ったりするやつはいるけど、そういやぁダチっていない気がするな」※書き直しと素直に答えた。
「ははっ!かわいそ、そんなんダチって言わねーよ」
じゃあお前は、友達をどう定義してるんだよ。すると男は、コップの縁にくちびるをつけたまま、しばらくの間考え込む。
「普通に遊んで…悩みとかが相談できて。一緒にいて楽しかったり、ラクだったりする関係のことを言うんじゃねえの?知らないけど」※もっと乱暴に
「知らねぇのかよ、お前も友達いないじゃん」「俺は弟が居るからいいんだよ」※
その一言がますます虚しいものだとにうことに、酔っている発言者は気がついていない。
じゃあ俺とお前は友達みたいなもんじゃないか。なんて思った自分の考えに笑ってしまう。そもそも友達なんてのは、利害関係なしに作られる関係であるだろうし、増してセックスなんかはしないはずだろうから。じゃあ俺たちの関係は、一体なんと名ずけるのが正しかったのだろうか?答えは出せぬまま、その夜はお開きとなった。
まだ若かったあの頃、俺たちは、
(※ドブは新幹線の中で夢を見る。昔の兄との思い出?ひとつの会話を思い出す。「いつかお前の周りには、誰もいなくなるだろう」という旨の話をした記憶。)
 目を覚ますと、目的地の駅に居た。 電車を降り、関口に渡されたメモを頼りに住居を探す。
 冬空の元、見知らぬ土地を歩き出す。寂れた商店街を抜けて、駅から三十分ほど歩いてきた。電柱の番地を確認し、改めてその建物を確認する。
(…ここか?)
 見るとそこには、二階建ての古い集合住宅(プレハブボロアパート、ハイツとは名ばかりの、カビのような匂いがする)が建っていた。記されていた番号の部屋に向かうと、そこには郵便物が散乱していた。角部屋。ポストから郵便物が溢れかえっている。この光景には見覚えがあり、胸に一抹の不安が過ぎる。
「大門」とサインペンで書かれた簡易的なシールの表札。間違いない。この扉を開けた先に、大門堅志郎がいるはずだ。
薄いドアに軽くノックをする。しかし返事はない。留守かと思いドアに手をかけると、案の定、鍵はかかっていなかった。
 畳敷きの狭いワンルーム。黴臭いが鼻につく。パッと見で荒んではいるものの生活の形跡があり、腐臭がしないことに(とりあえず)(最悪の事態は間逃れたことを察してひとまず安堵した)安堵した。
 そして、散乱したごみ溜めの真ん中に、丸い布団の塊が見える。近づくと、表面が微かに呼吸で揺れていた。
「…おい」
試しに布団を軽く蹴ってみる。
もぞりと気だるげに蠢く布の塊。恐らく顔があるのであろう方の布団を剥いでみると、そこにはやつれた男の顔があった。痩せこけてかなり印象は変わっていたが、やはりそれは間違いなく、大門堅志郎の姿であった。
大門は薄く目を開きこちらを一瞥すると、一瞬、驚いたように目を見開いた。
「お前…、大門だよな?」「…見りゃわかるだろ」
乾いた声で大門がだるそうに答える。そう言って、ほんの少し言葉を交わした後。大門は布団を被って直ぐに寝込んでしまう。
「なんの用だよ今更…」
布団の中からくぐもった声が聞こえてきた。
「俺、組抜けたんだよ」
声が聞こえるように、布団の側へとしゃがみこむ。
「お前も分かるだろ?前科者に対する風当たりの強さ。それが元ヤクザなら尚更だ。仕事どころか借りる家すら見つからねぇ」
しかし返事はない。昔なら「だろうな」だとか嫌味のひとつでも言ってきそうなものなのだが。少し長すぎる間を置いて、大門が小さく呟いた。
「だから俺に、集ろうってのか?」
大門は酷く緩慢な動きで(まるで墓場から起き上がるゾンビのように)上半身を布団から起こした。
シャツの上からでもわかる痩せこけた体が痛々しい。
「…ははっ、見ろよこのザマ。跳ねさせたって何も出やしねぇ」
光の無い目がこちらに向いた。そこには目の前にいるはずの俺の姿すら映らない。
「だいも…」「俺には何も、無いんだよ」
かわいた唇が言葉を紡いだ。それだけ告げると大門はまた事切れたように布団に潜って寝てしまう。
一体この男に、何があったというのだろうか。※書き直し
 朝イチに家を出て、とりあえずポリ袋やら掃除に必要な物を買い込んできた。まったく、貴重な軍資金をこんなことに使わせるなよな。と心の中で大門に悪態をつく。
換気をしようと窓を開けると、ようやく布団の塊がもぞりと動いた。
「なにやってんだよ」「あ?掃除だよ掃除。ったく、きったねーなぁ、この部屋」
「…寒い」
それだけ言うと、大門はまた黙って布団の中に潜り込もうとする。勝手にしろと言いたげな背中だ。
「いや、そこにいられると邪魔なんだけど」
しかしまたもや返事はない。俺はしかたなく部屋の端にある押し入れを開いてみた。中には布団を仕舞うつもりだったのか、ポッカリとスペースが空いている。
大門の横にしゃがみ込み、その体格を目測しながら、少し考える。
「腰やったらお前の責任だからな」
そう宣言した後、むっと力んで大門のことを掛け布団ごと持ち上げた。鈍った体に重い負担がかかることを覚悟していたのだが、大門の身体は気持ち悪いくらいに軽かった。
驚いた様子もなく、されるがままの大門を押し入れの上段に仕舞い込む。敷布団をベランダに干して、俺は腐りきった部屋の掃除に取り掛かった。
 溜まっていたゴミの山を片付け、淡々と掃除を進めていく。幸い生ゴミは少なく、冬ということもあり、少しかび臭いだけで酷い腐臭などはしてこない。ゴミはゼリー飲料や酒の缶、市販の睡眠薬といった病んだ人間の典型的なものに溢れていた。片付けをしている最中に一年前の処方箋と、空になったデパスのアルミケースを見つけた。
しばらく使われていないであろうスマートフォンも出てきた。ロックがかかっていて中は見れなかったが、弟から何十件もの着信が入っている。
 最愛の弟からの連絡まで無視して、こんなゴミ溜めみたいな部屋で。お前は毎日、何を考えて生きてきたんだよ。
 抜け殻のような大門は押し入れの中で膝を抱えていた。その瞳にはなにも映らない。
 一通り掃除を終えた所で押し入れの前に立つ。寒そうに布団にくるまった大門。反応がないので「おい」と言って頭を掴むと、大門の頭はじっとりとした皮脂で汚れていた。
「ったく汚ねぇなぁ、風呂くらい入れよ」「うち風呂ない」「だーくそっ!じゃあ銭湯だ、確か商店街の方にあったよな?」「お前勝手に行ってこいよ、いちいち俺に構ってくんな」
つっけんどんな態度に腹が立つ。勝手に焼いたお節介とはいえ、掃除をしてやったのだから。少しは感謝の意を示して欲しい。脇の下を掴み、押し入れの中から引っ張り出す。
胸ぐらを引いて無理やり歩かせ、シンクの前に大門を立たせると後頭部を押して大門の頭をシンクの中へと突っ込ませる。
ハンドソープを適当にぶちまけ、泡立てるようにわしわしと大門の頭髪を揉んだ。しかし、しばらく洗ってない髪ではなかなか泡立たない。いっそ食器用洗剤を使ってやっても良かったかもしれない。
その最中、大門が何かを呟いたような気がした。よく聞こえなかったが、聞かない方がこいつのためのような気がした。※
ビチャビチャの頭をバスタオルで乱暴に拭いてやる。気をつけていたとはいえやはり無理な体制で髪を洗ったので、シャツがずいぶん濡れてしまった。どうせしばらく着替えていないのだろうし、ちょうどいいか。
「それ、脱いで」
またもや返事はない。いい加減その覇気のない顔に腹が立ってきた。シャツをひっぺがして、体を暴いてやる。
ガリガリの身体、うっすらと肋骨が浮いている。痛々しい。昔、お前の裸体はもっと引き締まっていて、肌には柔らかな弾力があったはずだ。そして歳に抗えず出てくる下腹を、大袈裟にからかってやるのが好きだった。
骨ばった体を濡れたタオルで拭き取った。乾いた皮膚。
 掃除を終えて、先程一緒に買ってきたレトルトの食べ物と惣菜を温める。簡易的ではあるが、夕飯を用意する。
「食えよ」「…いらない」
しかし大門は口を開かない。せっかく買ってきてやったというのに、興味すらこちらに向けてこない。
俺はなんだか腹が立ってきて、惣菜を挟んだ箸の先を大門の口に押し付ける。少し不快そうな顔をして、仕方なく開かれた大門の口にそのまま揚げ物を押し込んだ。
その後も大門は渋々といった様子でおかずをつまむも、数口食べただけで箸を置いてしまう。
「押し付けがましいんだよ、掃除も飯の用意も」
生気のない瞳が、ようやくこちらに向いた。
「どうせ、誰も頼れなくなってここに来たんだろ?ここに置いてもらおうってんで、世話妬いてんの?はさっ、随分必死だな」
「それとも贖罪のつもりか?らしくないことしてんじゃねーよ、滑稽だぞ」
悪態ひとつとっても、キレがない。その酷く投げやりな八つ当たりの言葉に、俺は苛立って言葉を返す。
「贖罪なんてするつもりもねぇ。お前が勝手に自滅しただけだろうが」
物言わぬ大門の全身を改めて見る。
「だいたいお前こそ、なんだよそのザマは。自分から身を引いてやったみたいな顔してるけど、本当は弟から見捨てられただけなんじゃねぇの?」
「汚職して捕まって。こんなゴミ屋敷で引きこもりか、俺より悲惨じゃねぇか」
苦々しく顔を歪める大門。
「それはお前が……っ」
「なんだよ、今さら俺のせいだって言いたいのかよ。お前自分でも分かってんだろ?どうやったって自業自得なんだよ」
「自業自得なのはお前もそうだろう。銀行強盗ミスって、組から捨てられたのはお前のほうなんじゃねぇのか?」
ガシャン。料理がひっくり返る音。机に乗り出して、大門の胸ぐらを掴み上げる。
あぁ、あの目だ。俺が恨めしくて仕方ないという、冷たい目。慣れているはずなのに、お前からそんな目を向けられることに何故だか動揺してしまい、一瞬怯んだ。
するとこちらを鋭く見つめていた大門の顔色が急に悪くなる。身体が
「ゔぉぇ……」
俺から顔を背け、大門がフローリングに吐瀉をした。久しぶりの固形物に胃が驚いたのか、それとも急激なストレスのせいか。
はぁと長い溜息をつき、俺はタオルを手に持った。体調の悪そうな大門を横目に、吐瀉物を片ずける。
「やめろよ…」「はいはい」「出てげよ」「やだね」
ぐすぐすと、鼻をすする音が聞こえてくる。
「なんなんだよ、ほんとに…。放っておいてくれよ…」
それだけ吐き捨てるように言うと、大門は傍に敷いていた布団に潜って黙り込む。
先程反抗的な態度をとった大門であるが、感情が高ぶったというよりは、俺が出ていくようにとわざと怒りを駆り立てるような物言いをしていたような気がした。悪態をついた大門は疲れ果てていた。
布団を被った、弱々しい背中を見つめる。
 あれは大門では無い。大門堅志郎の抜け殻だ。
 お前はもっと図太いやつだったではないか。俺と癒着関係を持っておきながら、弟にそしらぬ顔をして正義を語れる人間だった。それがこんなにやつれて、感傷に浸って、まるで廃人のような顔をして布団から出られなくなるなんて。
当時から本人の中で葛藤があるのは知っていた。家族を裏切り、こちらに加担している罪悪感。そして二重生活による純粋なストレスも。
ーーーー刑務所での生活がそんなに苦痛だったのだろうか。確信的な原因がわからないでいた。
アイツは帰ってくるのだろうかと、俺は珍しく感傷に浸る。
 千葉まで来たは言いものの、結局これといってやることも無いため、大門の世話をするのが日課になっていた。固形物は胃が驚くのか、吐き出すことが分かったので、しばらくは粥を作ってやった。 
 大門は基本、俺に対して無視を決め込んでいたのだが、「弟に連絡するぞ」と言うと、渋々言うことをきくことが多かった。まったくポーカーフェイスの割に、つくづくウィークポイントがわかりやすい男である。
 自分でもどうしてここまで世話を焼いてやってるのか、不思議であった。
 俺は内省を試みる。掃除をするのは自分の生活空間を確保するためであって。それに同居人が臭いんじゃ、俺だって居心地が悪い。そういった衛生観念が行動の動機なのではないか、とは思ったとのの。もっと根本的な所に、何か別の動機があるような気がして。俺はそこで考えるのをやめた。
 たまにしか喋らない大門の言葉を集めると、どうやら少し前までは東京の工場で働いていたらしかったが、何かをきっかけにこちらに
引っ越してきたらしかった。しかし何があったのかを、大門は頑なに口にしない。いや、その口ぶりから、本人もよく分かっていない様子であった。
 洋服ダンスの中から、大門の通帳を見つけた。よく見ると、少し前までは個人口座からの定期的な送金があったようだが、ここ1年程は送られていないようだ。
 その事について大門に言及すると、どうやら兄の生活を心配した弟が出所してからしばらくの間、送金をしていたようなのだが、大門がそれを断ったのだという。
「お前…、必要な時に金受け取らなくてどうすんだよ。なんのプライドなんだよ」
呆れたように言ってやると、大門が俯く。
「…もう弟の足引っ張りたくねぇんだよ……」
そう言って、泣き出しそうな顔をするものだから。もう俺は何もいえなくなってしまった。
こうして自滅をしていく人間は珍しくはない。それこそ俺は数年前までは、そういった人間達を追い詰める側にいたわけだし、この男の境遇だって、生い立ちこそは同情されるものがあるのかもしれないが、結局こんなあり様になったのは、自業自得としか言いようがない。
しかし、家のことを抜きにしたって、どうにもこの男を放っておけなかったのは何故だろう。
そこには未練と執着があった。※この男ならば、俺を受け入れてくれるのではないかという、淡い期待を持っていたのかもしれない。自分の弱さと甘さに腹が立つ。
こいつの人生にはどこまでも、弟の存在が付きまとっていた。大事に大切に思う反面、その存在は大門の精神に、人生に対して、プラスに働いている様子はない※ここ書き直し
どこまでいってもこいつは兄であり、
〈ストーリーめも〉
「連絡もしばらくしていない。俺が距離をとるようにしているんだ。忙しいはずなのに弟は引っ越してからもよく連絡をくれていたが、俺が忙しいといって断り続けていたら最近は遠慮をしてかけてこなくなった。」
会話のテンポがひどく悪い。かなりの間を置いて、大門から返事が帰ってくる。
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2022/02/14
初公開日: 2022年02月14日
最終更新日: 2022年02月15日
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db兄。
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