「ひとめ惚れでした、私と結婚してください!」
「ごめんなさい」
将校服を着た細身の女は、椅子に座ったまま差し出された花束を受け取って、プロポーズをしてきた少女――女より一回りは幼く見える――に微笑んだ。
週末の午後二時、喫茶店の店内で注目を一身に浴びながら、ニコニコと微笑んで「今日のブーケも可愛いね」と、プロポーズを断ったばかりの少女相手に優しい言葉をかける女が、俺――グラースのマスターだ。
俺のマスターはこの喫茶店からバスで三十分程の士官学校に通う候補生で、寮暮らしをしている。毎週末、外出届を提出してこの喫茶店に来ては、店主の娘のプロポーズを断るのが彼女の日課だった。
「毎週毎週、どうせ断られるのに。精が出るね」
「なによっ」
たっぷり込めた嫌味に、少女はとろけるようにマスターに向けていた瞳をきっ!と吊り上げてグラースを睨んだ。
「でも、今日は二束ある。」
豪勢だね、と続けるマスターが指摘したのは、いつもと違う。ということだ。
決死のプロポーズを断られた少女は、マスターに顔を戻すと、花束を褒められて頬を赤くして「うん」と頷いて続ける。
「来週は、私、従姉妹の結婚式のお手伝いに行くの。だから、来週の分もつんできたの」
「そっかあ、寂しいね」
「本当?! 私に会えなくて、寂しい?」
花束に顔を寄せて野花の香りをかいでいたマスターは、「寂しいよ」と肯定した。普段ハッキリとした響きのあるマスターの声は、ほんの少し力が無い。誰が聞いても分かるほど素直な態度が、グラースの主の魅力の一つだった。
(こういうところに、このガキみたいなのが、ころっと落ちるわけだ)
テーブルに肘をついて、グラースは二人のやり取りを眺める。
どこからか、「お熱いねえ」と常連の客が囃し立てる声がする。「もう、やめて!」と顔を真っ赤にして怒る少女の様子は愛らしく、マスターを含めた笑い声が喫茶店に満ちる。
十歳になったばかりの少女が、マスターに告白したのは今から一か月ほど前のことだった。すでに何度かこの喫茶店に足を運んでいたマスターを見初めた少女は、やはり今日と同じように、近くの山まで足を運んで摘んだ花束を毎日用意して、見初めたマスターがやって来るのを待っていたらしい。
その頃は、マスターも休暇の度に外出をし、この喫茶店に足を運んでいたわけでは無かった。少女の告白を断り、落ち込んでいないか心配をして訪ねたのだ。
その日も少女は花束を作っていた。そして、一週間前と同じように、席に着き注文を待つマスターの前にひざまずき、プロポーズをした。
『このリボンを結べるくらい髪が伸びるまで待っていてください。その時に、大きくなった私と結婚してください』
それ以来、マスターは任務など喫緊の用事が無い限り、欠かさず毎週この喫茶店を訪れている。そして毎週、少女の花束を受け取っている。士官学校にあるマスターの部屋には、少女から贈られた花束が常に飾られる。
一度、花束をドライフラワーにしてはどうか、と提案されたことがある。マスターが断ったのを、近くにいたグラースも聞いていた。たしか、もらった花束をミネラルウォーターの空き瓶に飾っているマスターを見かねたシャスポーが、花瓶を買ってきてはどうかという話を始め、そこから、ドライフラワーにして残してはどうか。と言い出したのだ。
あれは、中庭でのことだった。マスターは、腐り出した花を選別し、捨てながら、困ったように眉を寄せていた。
「ドライフラワーは、考えたことなかったなあ。」
「良い香りがすると思うよ。ポプリみたいにしても良いんじゃないかな。枯れたら捨てちゃうんじゃなくて、ずっと取っておけるから、きっと部屋もどんどん華やかになるよ。」
シャスポーの提案に、マスターはうーん、と唸っている。最初からマスターの心は決まっていて、どう断るか答えあぐねているのだ。
「あまり荷物は増やせないから、やめておくよ」
「そっかあ。生花も綺麗だもんね。」
「そうだね。」
マスターは、その次の週末にシャスポーを連れて喫茶店に行った帰りに、彼の見立てで小さな花瓶を買っていた。
「――それでね、私ね、その時にベール・ガールをするの」
少女は簡素な椅子を持ってきて、マスターとグラースのテーブルの前に置いて座り込む。これも常連客にはすっかり見慣れた景色となっている。
「ベール・ガール?」
マスターが首をかしげると、少女は得意げに「花嫁のベールを持って、後ろをついていくの」と胸をはる。
「へえ。親戚がいないから、そういうの見たことないや。」
見てみたかったな、とマスターに微笑まれた少女の顔が火が出たように赤くなる。
何が楽しくて、俺はここにいるんか。とグラースはコーヒーを煽る。ムカムカする胸焼けが少しでも収まればと期待したが、「あのね、あのね」と続ける少女の話に、視線を向け静かに耳を傾けるマスターの光景が面白くないことに変わりは無い。
「従姉妹のお姉ちゃんの新しいおウチはね、山を二つ超えたところに建てたの。旦那さんの住んでる村なんだよ。それでね、私のお母さんがね、サムシングオールドに、おばあちゃんから貰ったネックレスを持ってくの!」
「何か古い物……?」
「サムシング・フォーも知らないの? 本当に、結婚式のこと知らないんだね。いいよ、教えてあげる!」
二人が話している間、花束はいつも用意されている水の入ったグラスにさして、しおれないように机に飾られる。窓から差し込む午後の柔らかな日差しを受けた、素朴な花束の柔らかい花弁の質感ひとつが、グラースの気持ちにささくれのような何かを作っていく。視界に入るものすべてが不愉快で、グラースは肘をついた手に顎をあずけて目を閉じた。
*
グラースとマスターが喫茶店で週末を過ごした翌週、マスターに出動命令が出た。
「貴銃士の選別は君に任せる」
ラッセルの言葉に、マスターは迷いなく口を開く。
「では、マークスと――」
「俺が行く」
貴銃士の集まる教室に招集されたマスターは、教室の入り口でラッセルと二人並び立っている。平日の士官学校では、貴銃士は一般の生徒と分けてカリキュラムを組まれている。講義室で一堂に会している貴銃士を、わざわざマスターとともに別室に集める非効率的な事はしない。この部屋の中にいるものから選ぶのが早い。すでに講義を中断した恭遠から任務内容を聞いていた貴銃士たちは、教室の扉が開いた時から自分が選ばれるべきだと主張する心づもりをしていた。ラッセルは道すがらマスターに説明をしていたのだろう。扉を開いたラッセルの第一声が、先ほどの一言だった。マスターは迷いなくマークスの名をあげ、そして教室に視線を向けようとしていた。彼女の視線がどこに止まるのか確認するのを待たずに、グラースは名乗りを上げていた。
マスターの見開かれた目が一瞬さまよい、すぐにグラースを見つけ、視線が重なる。
任務なんて面倒だ。実践で銃を放つのは爽快だが、それは気分が乗った時の話で、義務なんて自分から背負うなんて御免だね。それがグラースの姿勢だ。そのはずだった。
「グラース?」
マスターが自分の名前を呼ぶのを耳にして、グラースは自然と口角が上がっていた。
「俺じゃ不満だなんて言わないよな? 座学ばかりじゃなまっちまう、連れていけよ」
すでにマークスを選び、絶対非道――マスターの生命力を削る力――を扱う貴銃士のみに偏った編成は難しい。マスターは一瞬難色をその顔に浮かべたが、時間が惜しいと考えたのだろう、すぐに頷いて、
「分かった。――ラッセル教官、マークスとグラース、シャスポーを任命します。」とラッセルに向き直った。
「許可する。――三人とも、こちらへ」
呼ばれた三人とマスターは、すぐに準備を整え、カサリステの用意した軍用車でアベンジャーの出没先へ派遣された。
でこぼこ道を揺れる車の中で、マスターが「あ」と小さく声を出した。
「どうした、マスター。怪我でもしたのか」隣に座るマークスが神経質にマスターの手を取り、焦る様子に、マスターは「私じゃなくて」と制する。
「ドッグタグが取れちゃった」
「なんだ、よかった」
明らかにほっとした様子のマークスに、ね、とマスターが笑いかける。
「俺が持ってる」
当然のように言うマークスに、ぎょっとしたのはマスターだけじゃない。マークスの正面に座るシャスポーがマークスの言葉に食ってかかる。
「マスターの名前が刻まれてるタグを、どうしてお前なんかが持つ話になるんだ?」
「俺はマスターの銃だ。マスターのそばを離れる分けが無い。」
「それを言ったら、僕だって同じだ。マスターのそばを離れる気は無い!」
喧嘩を始めた二人をよそに、マスターはチェーンのちぎれたドッグタグを自分の目の前にいるグラースに差し出した。
「マスター!」
マークスとシャスポーの悲鳴が重なった。マスターは、グラースにドッグタグを差し出したのと反対の手で髪をかきあげると、露わになったうなじが見えるように首をひねる。
「結んでくれないかな。自分じゃ絡まらせてしまいそうで」
「……ま、コイツらよりは俺の方が"慣れてる"からな」
グラースは、受け取ったドッグタグのチェーンを後ろで二本にまとめ、方結びをする。
「ほらよ」背中をポンと叩き、完成を知らせると、マスターは嬉しそうに「ありがとう」とグラースに笑いかけた。
「俺だって、それくらい出来るぞ、マスター。」すっかり落ち込んでしまったマークスに、
「マークスはシャスポーと話してたから」とマスターが珍しく軽口をたたく。弱った様子のシャスポーは、「マスター」とすがるように主を呼ぶ。二人とも、喧嘩して叱られた子供のようだった。母親に嫌われていないか不安になり、なんとか機嫌を取ろうとしている。
「それじゃ髪が絡まってしまうよ。僕にまとめさせて」
「ふふ、お願いしようかな」
「任せてよ」
安堵した声のシャスポーが、「あれ」と首をかしげた。
「マスター、教室に来た時はリボンをしていたよね。」
無くても出来るけど、あれを使った方が可愛いんじゃないかな。と言うシャスポーの言葉に、グラースは呆れる。これから戦闘に向かうのに、着飾ってどうするんだか。普段なら考えるより先に口が動くのに、甘い物を食べ過ぎた時のように胸がムカムカして気分が悪く、とても口論を始める気になれない。
サムシング・フォーも知らない子供が、ドッグタグを肌身離さず身に付けようとしていることが胸くそ悪い。
自分の主のドッグタグ――原型もとどめずに死んだ者の最期の身分証明――を、自分より先に出会っていただけの甘ったれが当たり前の顔をして受け取ろうとしたことが、胸くそ悪い。
「汚れちゃうから、置いてきたの」
この女がどこに行くかも知らない子供が渡してきた花束のリボンを、後生大事に取っておいているこの女が。
「そっか。分かった。――マスターの髪、伸びてきたね。」
シャスポーはグラースが一つ結びにしたドッグタグを解くと、なるべく結び目が端になるように結びなおす。
「本当? 自分じゃあ、分からないから」
弾んだマスターの声に、マークスが横から「五センチは伸びた」と続ける。何それ、と笑うマスターの声は軽やかだ。とてもこれから野外戦を控えているとは思えない。
「これじゃあ、あの店の子供は間に合いそうにないな」とシャスポーも気楽な軽口を続ける。
けれど、その三十分後、戦闘中にマスタ―の髪が制服の腕章に絡まった。半端に伸びた髪をピンでまとめる暇が無かったことを後悔するのも惜しく、マスターはすぐに携帯しているナイフで髪を切った。
「マスター!」マークスが声をあげる。
「馬鹿野郎、集中しろ!」グラースは声を張り上げながら、報告より数の多いアベンジャーを制圧して行く。
戦闘が終了し、戦闘に絶対非道を使って憔悴したマスターの下にマークスとグラースが駆け寄る。
「マスター、痛くないか」
「お前はちょっと静かに出来ないのか」イライラした声でシャスポーが叱咤する。
「悪い……」
シャスポーがふん、と鼻を鳴らすが、すぐに絶対高貴で癒すマスターに哀れっぽい声をかける。
「ごめんね、マスター。僕の力で髪も戻せたらいいんだけど……」
「大丈夫だよ。」
ありがとう、楽になってきた。と答えるマスターは、マークスが駆け寄った直後よりも眉間の皺をゆるめている。
四人の下に将校が近づき、手当を受けるマスターにねぎらいの言葉をかけていく。アベンジャーが発見される場合、たいていは近くの戦闘部隊が真っ先に出動する。民間人にアベンジャーの区別がつく者は少ない。アベンジャー出現と判断され始めて一報がカサリステに入り、現在出動可能な貴銃士が選別される。
今回の市街地へのアベンジャー出現でも、グラース達が到着した時にはすでに市民の避難は完了しており、合流する形となっていた。士官学校から現地までを運ぶ運転手役でもあったカサリステの兵士が後から来て、マスターの容態を確認する。マスターは青い顔だが、「大丈夫です」と答えてすぐに帰ろうとする。シャスポーも戦闘に参加していたため、あまり早急な回復ができていないようだった。
兵士も心配そうにはするが、カサリステ本部に所属するラッセル教官の居る士官学校からマスターを離している状態は避けたい。すぐにまたアベンジャーが現れるかもしれないのだ。
「シャスポー、ありがとう」手でそっとシャスポーの体を押しのけて、マスターが立ち上がった。
「帰ろっか」
愛銃たちに笑いかけたマスターの髪は左右不揃いで、不格好だ。
すぐに背中を向け、軍用車に向かう兵士の後に続くマスターの背中を、マークスとシャスポーが競うように追いかける。遅れて歩き出そうとしたグラースは、視界の端で光るものを見つけて眩しさに目を細めた。
「なんだ?」
何かが太陽の光で反射したような光だった。振り返った先は民家の花壇があるだけだ。割れたガラスでも落ちているのかと思ったが、周辺の建物でガラスが割れたような痕跡は無い。(戦闘は数十メートル先で行われた)近づき、しゃがみ込むと、花壇の足元にマスターのドッグタグが落ちていた。
「……」
グラースは、カスミソウの上に乗ったドッグタグを、花ごと足で踏みつける。
「ガキと約束して伸ばしてたくせに……」
足をふりあげて、もう一度踏みつける。
「簡単に切りやがって……」
何度も何度も足を振り下ろす。
「そうやって簡単に死ぬつもりかよ……」
足を挙げるのももどかしくなって、踏みつけた足の踵に体重をかけて、ぐりぐりとドッグタグを押さえつける。そんなことをしたって割れるわけでも無いドッグタグの下で、小さな花が見る影もなく摺りつぶされて行く。
少しも気が晴れないことが、何よりグラースには腹正しかった。
「俺は、力づくで奪えるんだよ。こんな、落としたものを拾うようなセコい真似を誰がするかっ」
一人吐き捨て、最後にもう一度地面を蹴った。地団駄のようだ。ガキみたいだ。なんで、この俺がこんなところで一人でこんな風にくすぶっていなくちゃいけないんだ。
腹が立つ。
何もかもに腹が立つ。
異国で過ごしてきた俺でも知ってる結婚の風習も知らないまま、戦地で死のうとしてるガキがいることも。
何も知らないくせに、荷物を増やさないような生き方をしていることも。
何にも知らない、そんなガキが俺のマスターだってことも。
そんなガキの隣に、別の銃が当たり前のようにいることに苛立つ俺にも。
「グラース?」
マスターが呼ぶ自分の名前が耳に届く。
五メートルは先にいるはずなのに、耳元で呼ばれたように、しっかりと聞き取る。いつの間にそんな風になったのか、と自嘲しそうになる。
出会った頃、グラースはグラースでは無かった。マスターでは無い別の主にグラースは召喚され、偽の名前を名乗った。欲しいものは力づくで奪う。栄誉だって、俺の物だ。
「グラース?」怪訝な声は、シャスポーのものだ。
グラースは彼らに背を向けていた姿勢のまま、はっと小さく笑うと、振り返って歩き出す。
「そう呼ばなくたって聞こえてる! それとも、そんなに俺がいないと寂しいのか」
口に手を当てて大声で嫌味を言えば、すぐにシャスポーが苦虫をかみつぶしたような顔をするのが見えた。マスターに何か話しかけている。どうせ、「アイツは置いていこう」とかなんとか言っているに違いない。マスターはおかしそうに笑っているので、ムッとする。マークスはどこかの兵士が持ってきた毛布をマスターの肩にかけている。(かいがいしいことで)
あの喫茶店の子供は、マスターを見つけると、いつも小さく息を吐いている。店に寄れない日があれば、マスターは手の空いた貴銃士か、いなければ士官学校の友人に言伝を頼んでいる。店に寄れないのは十中八九が任務だ。そうして、マスターの無事を願って一週間待ち、ドアのベルが揺れるたびにきっと少女はマスターの姿を探している。やっと現れた想い人の無事な姿に安堵の息をこぼしている。
マスターが約束しているのは、ただ毎週喫茶店に行くことじゃない。ただ髪を伸ばすことじゃない。ただお茶を飲みながら、たわいもない話をする時間じゃない。無事に生きのびること、彼女たちの生活を守ること。それくらい、知っている。
知っていたって、面倒な髪の手入れをライク・ツーに教えを乞いながら始め、慣れないと珍しく弱音を吐きながら、ドライフラワーを抱えきれないことさえ頼まれてもいないのに申し訳なさそうにする主の姿だって知っている。
「そうだよ、グラース、走ってきてよ」
マスターも両手を口に添えて、無理に明るい声を出したので、呆気にとられたのはグラースの方だ。
くそっ、と口走って軍帽を目深にかぶったグラースを、シャスポーが指さして笑っているのが視界の端に見える。うるせえ、と吐き捨てて、グラースは早足になって帰る。ドッグタグが無いことは、帰るまで士官学校に帰るまで伝えないでおこう、と心に決める。それまで、せめてそれまでは。