「侑ー、久し振りにキッチン借りていいかー?」
『いいよー』
 そんなやり取りの下、今日は久し振りに侑の家に向かった。
 中学の時に部活引退したあとの遊び三昧以来だから……一年近く振りになるのか。
 藤代書店の裏口へと回ってチャイムを押すと、引き戸を開けて侑が出てきた。
「はい、いらっしゃい」
「お邪魔しまーす」
 勝手知ったる侑の家だ。特に迷うこともなく細い階段を進み二階の居間へと上がる。
 荷物を降ろして準備に取り掛かっていると、どこかに出かける様子の侑のお姉さんがひょっこりとキッチンに顔を出してきた。
「お、朱里ちゃんじゃん、おひさー」
「あ、怜さん、お久し振りです!」
 いえー、とタッチを交わす。あたしたちよりも結構年上のはずだけど、ノリがよくって親しみやすい人だ。正直、こんなお姉ちゃんが欲しいなーなんて思うくらいには。
 もっとも侑としては違うようで、お姉さんの登場に渋い表情を浮かべていた。
「なーんだ、朱里ちゃんならいていいのー?」
 それを目敏く見咎めたお姉さんがからかうと、侑はその背中をぐいぐいと押した。
「バイトがあるって言ったのは怜ちゃんでしょー。早く行きなよもう」
「ちぇー、いーじゃんよお姉ちゃんに教えてくれたってさー」
「はい閉店ガラガラさよーならー」
 そう言って侑はぴしゃりと今の戸を閉める。そして溜め息を吐いてから、いつもの困ったような苦笑いで謝ってきた。
「ごめんねー騒がしくて」
「ウチはもっとうるさいからへーきへーき。それより今回もありがとね」
「いいんだよ、友達なんだからさ」
 本当に侑はいい奴だ。
 それが分かってるから、こうして侑ん家にお邪魔してるわけだけど。
「それじゃあ、早速作ろうか」
「うん」
 久し振りにキッチンに立つ若干の緊張を感じながら、あたしたちはそれぞれ動き出した。
 ……つまるところ、バレンタインデーに向けての準備。
 ウチじゃ恥ずかしいからと、侑ん家にお世話になるのはこれで三回目だった。
 半ば恒例行事になりつつある二人だけのチョコ作りは、大垣先輩に振られてしまった今年はもうしないものだと思っていたのだけれど……結局こうしてここに立っている。
 我ながら単純だなぁと思うけども。
 まずは二人で一緒に友チョコを作る。練習がてらではあるけれども、折角だからといつもやってる。
 こよみと菜月には「二人ともおんなじなんじゃ食い甲斐がない」なんて文句を言われるけれど、市販のチョコを渡してくるそっちに言われたくない。がんばってるんだぞこっちは。
 とりあえず事前に打ち合わせた通り、シェアガトーショコラに取りかかる。久し振りの調理だけど、隣で侑が一緒に作ってくれるのもあって、手早く生地を作ることができた。
 薄力粉とかを混ぜて型に流し込み、オーブンにイン。焼いてる間にあたしはもう一つ大切なチョコ作りへと取りかかる。
 えーと、生チョコ作るにはまず……。
 レシピに一度目を落とし、よしと顔を上げると、これまではこのあと見守るムーブに入っていた侑が、ガーナブラックとバターを湯煎にかけていた。
「あれ、侑まだ作んの?」
「あぁ、うん」
 素っ頓狂な声を上げると、なにやら歯切れ悪く頷く侑。手元にはチョコレートテリーヌのレシピ。
 ――さては。
「え、なに、誰か好きな人でもできた?!」
「好きな人というか……七海先輩に勉強教えてもらったりとか、すごくお世話になったから、お礼にって」
 びっくりして思わず問い詰めると、ぎこちなく笑いながら侑は手を振った。
「なぁんだ、つまんないのー」
 がっかりして肩を落とす。折角侑の恋バナが聞けると思ったのに。
 でも確かに新入生テストからこっち、侑の数学の成績は、急激ではないにしろ右肩上がりだ。あんなに苦手だと零していたのにと不思議に思っていたものだけど、なるほど、あの生徒会長さんが勉強を教えているというのなら納得がいく。いっそのことご利益に預かりたいくらい。
 それにしても。
「侑、なんか変わったなー」
「え、そう?」
「生徒会、入るのあんなに渋ってたのにさぁ。それに七海先輩に振り回されてばっかって愚痴ってたのに。やっぱ入って正解だったんじゃない?」
「あー……まぁ、うん」
 恥ずかしそうに侑は言葉を濁す。まぁ、あんだけ言い張ってたのに結局は言う通りだったんだから、そうもなるだろう。
 それでもなんだか楽しくやれてるようだし。今の侑はすごく活き活きしてるから、友達として嬉しい。
「ところでさー、朱里」
 湯煎を終えてもう一つのボウルを借りて生クリームとガーナミルクを泡立て器で混ぜ溶かしていると、もう一度湯煎にかけている侑が不意に声を上げた。
「なに?」
「堂島くんのどういうとこが好きなの?」
 ぶふっと吹き出しそうになった。
「そ、それ聞くぅ?」
 若干身構える。
 堂島くんが好きというのはまだ侑にしか話してない。なんせこよみと菜月は出歯亀好きだ、素直に認めたら四六時中からかわれるに決まってる。
 その点、侑もからかわないわけじゃないけど、親身に相談に乗ってくれるし、秘密にしといて欲しいことはきちんと黙ってくれる。だからこそこうして一緒にチョコを作るようになったのだし。
 そんな侑がこういう話を振ってくるのは、ちょっと珍しい。つい警戒してしまう程度には。
 ただ、それはあたしの過剰反応だったらしい。
「いやー、なんてゆーか、大垣先輩とは全然違うタイプじゃん? 気になりはするかな」
 手元に集中しながら、ちらりと窺ってくる。
 とりあえずからかうって感じじゃないようなので安心する。
「ん、んー」
 とはいえ、だ。それはそれで返答に困るというか。
「なんてーか、ほら……最初の切っ掛けはあの時なんだけどさ。だから、なんていうか、どこが好きっていうのも難しいっつーか」
 あのあと、見かけたら彼を見ていることに気が付いた。一挙手一投足が気になりだして、彼のことばかり考えるようになった。
 あんまりに自然にそうなったものだから、本当に言葉にするのが難しい。
「あー」
「まぁ、意外と気は回るし? 割とかっこいい、し?」
 いやまぁ、軽薄なとことか、ちょっとどうかなって思うところもないわけじゃないけど、うん。
「かっこいい……」
 それっぽい答えを自信なく答えていると、徐に侑があたしの言葉を繰り返した。
「なんだよぉ」
「いや、わたしの中で堂島くんとかっこいいが結び付かなくって……」
 そう言って苦笑する。
 そうなのか? 確かにぼさぼさの髪とか眼鏡のイメージが強い気はするけど、かっこいい方だと思うんだけどな……。
 あたしと一緒に侑も考え込んだのだけれど、突然納得の声を上げた。
「あー、でも確かにそんな話は聞くかも。こないだクラスの子から堂島くんのこと聞かれたし」
「えっ」
 驚きのあまりに勢いよく振り返る。
「なんか文化祭の劇で堂島くん割と目立ってた……のかな? ちょくちょく生徒会で同じだからって質問されたりするよ」
 侑自身の意見ではないけれど、堂島くんがかっこいいというのは変ではないらしい。
「う、うー」
 ただそれはあたしの安心材料どころか、不安材料となる情報だった。
「多分、告白されてるんだったら自慢してると思うから、まだなんだとは思うけどね」
 侑のフォローは嬉しいけれど、結局のところ問題なのは。
「……告白、するの?」
 侑の目が、じっとあたしを見つめる。
 まるで自分のことみたいな不安と思いやりの色。いつもと同じ、優しい目。
 ……まだ想いを伝えることに怖さはある。傷は残ってる。それでも。
「……うん」
 あたしは頷いた。
 その答えに侑は、一段と優しく微笑んだ。
「……そっか。じゃあ、美味しいの作ろうね」
「あぁ」
 上手く笑い返せただろうか。
 ……うん。本当にいい友達に恵まれてる。あたしは。
 ふぅと息を吐く。
 せめて――告白が上手くいった時に、美味しさに喜んでもらえるように。
 あたしと侑は、再びチョコへと向き直った。
「それで朱里、いつ渡すの?」
 いい雰囲気で一度会話が途切れたのだけれど、思い出したように侑がそんなことを聞いてきた。
「いつって?」
「ほら、今年は日曜じゃん、バレンタインデー。どうすんのかなって」
「……あ」
 侑の言葉に、初めてそのことに気付く。
 ……忘れてた。完っ全に学校で渡すつもりでいた。
「え、ど、どうしよ、侑」
 テンパっておろおろと侑にしがみ付くと、なされるがままの侑は呆れたように口を開いた。
「そりゃあ、金曜か月曜に渡すか、日曜渡しに行くしかなくない?」
「日曜って、つまり、渡しに行かないとじゃん?」
「そう言ってるんだけど」
 取り付く島もねぇ!
「えぇー無理無理無理……まだ二人で遊び行ったこともないのに……」
「でも連絡先交換はしてるんでしょ? 大丈夫だって」
「でもさぁ」
「だったら金曜にした方がいいと思うよ。月曜だと先越されてるかもしれないし」
「それはそれで、なんてーか……そもそも断られるかもしんないし……」
 あーだめだ。予想外のことで急に
「……そうだね。でもさ、人との関係なんて変えようとしなくたって変わるもんだよ。自分で変わることも、他人が割って入ってくることもある、……って、これは受け売りだけど」
「だから、その……朱里は大丈夫だよ。その気持ちを伝えたら、きっと伝わってくれるって」
「……だと、いいなぁ」
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