はい、なんとか最終上映に間に合ったので行ってきましたサンサン劇場。
本日見てきたのはこの2本。
2本ともポスターに記載してある情報以外は前情報ゼロの完全初見。
では早速感想を。
まず「ピストルオペラ」なんですが、どう見てもシルバー事件です本当にありがとうございました。
まあ両者の共通点は「殺し屋が出る」「訳がわからん」の2点しかないんですが。
話の筋は要するに殺し屋ギルドの内ゲバなんですが、映像の見せ方が断片的でなんかもうテリー・ギリアム風味。
なので感想を書く以前に解釈するのに一苦労するタイプの作品です。
wiki先生によれば、本作はいわゆる「フィルム・ノワール」に分類される作品とのこと。
「フィルム・ノワール」作品の定義についてはぼんやりとしか知りませんでしたが、調べてみたらまあ典型的なフィルム・ノワール作品なんだなあと納得。
「考えるな感じろ」系の映画ではあるんですが、なんか感じる部分については自分がなにを感じたのかを言語化するのも難しい作品です。確かになにか感じるものはあるんですが……。
あー……いやこれほんと、今まで見てきた映画の中でダントツに感想を書くのが難しいぞ……。
なんというか、地に足のついた場面とそうでない場面が断片的に出てくるので、アクション映画7日舞台演劇なのか、はたまた生身の人間を画材とした芸術作品なのか、作品に対する感想や印象自体が混濁していくんですよね。
なので正直はっきりした感想が言えません。
ただ、ビジュアルはやはり強烈ですよね。特に江角マキコ演じる殺し屋No.3「野良猫」と山口小夜子演じるギルドの代理人上京小夜子のビジュアルインパクトは、もうそこにいるだけで絵になるのでずるい。というか、この映画におけるビジュアルは全部絵になる。
次、「神在月のこども」。
いわゆる「欠落を埋める」系の話なんですが、もう冒頭から主人公であるカンナの抱えている哀しみが的確に表現されてて辛い。
カンナは母親を亡くしたばかりで父親と二人暮らし。普段は気丈に振る舞っているものの、やはり小学6年制ということもあって、まだその哀しみを消化することはできていません。
そしてそれは彼女の父親である典正も同じ。
この父親と娘の微妙なすれ違いを、「娘のマラソン大会のために買ってきたランニングシューズのサイズが合っていない」で表現するのでもうこういうのほんとグッサリ来るんだよお……。
大げさに泣いたり喚いたりって言うのはごく悪い意味で「お芝居」的になってしまいますが、こういう描写をされると、もうこういう哀しみが日常に染み込んでる感があっておごごごごとなってしまいます。過呼吸に陥るシーンよりこっちのがキたわ……。
さて本作は、総体として「好きを取り戻す物語」と言えるでしょう。
本作で言うところの「好き」とは、主人公カンナの母、そしてカンナがかつて好きだった「走ること」。
これを取り戻すのが本作の表の目的である「各地の神様から預かった馳走を持って刻限までに出雲にたどり着く」に対する裏の目的となっています。
このふたつのプロセスがうまい具合に融合しているのが脚本の妙と言えるでしょう。
前述の目的を達成するためには今まで忌避してきた「走る」という行為と向き合わざるを得ず、そして「走る」という行為は取りも直さず自分の母親の生きてきた軌跡を知ることになる。
カンナはまだ12歳、小学6年生という幼い少女ですが、それでも己の過去と向き合わざるを得なくなる中盤でのシーンはかなり重いものがありました。
そして、カンナは母の形見であり、韋駄天心としての神通力を宿した神器を一度は紐を引きちぎって外してしまいます。このシーンの容赦なくあっさりとシロと夜叉が消えてしまうシーンの残酷さたるや。
そこから、カンナが幼い頃の自分の幻影を見たことから自分を取り戻すシーンで、一度は引きちぎった神具の紐で髪を「結び直す」シーン。
このシーン、劇中で度々言及される「縁を結ぶ」がここで象徴的に使われてるんですね。
そこからの出雲大社のシーンの絢爛さよ。
わたくしかつてはこういう作品にひねくれた視線を向けてもいましたが、素直に感動できる作品でした。
最終的にカンナが母親に直接的に再会しなかったという結末と、そこからのエンドロールがまたいいんだ……。