作家に休みはあってないようなものだ。講演会の帰り際、戒善は疲労を隠せないままどこにも繋がらない電話を耳にあてた。
「やぁ、終わったよ話唱。で、夕顔さんはなんて?」
そう声をかけると、ふわりと話唱のチェシャ猫じみた笑顔が逆さまになって現れる。血の流れが逆を向くこともなければボタンを開けているはずのジャケットが落ちることもない不思議な[[rb:さかさま>・・・・]]。一瞬驚きこそすれもう慣れたような戒善の泰然とした反応にどこか退屈さを覚えた話唱はそのままの姿勢で言葉を返す。
「あぁ、こっからしばらく歩いた細道で待ってるんだってよ」
「場所わかる?」
「わかるさ。ついてきな」
話唱はすぐに体勢を立て直す。前と違い対面するだけマシか、と思いながら戒善は耳元の携帯をそのままについていった。
「……戒善?」
後ろにいる影にも気付かずに。
「よぉ、待ってたぜ」
戒善らが着くと、そこでは壁に立ちながら携帯を触っている夕顔がいた。髪の一本さえ空に落ちるように流れているのが合成みたいで現実乖離を思わせる。異形たちというのはこうも壁に立ったり逆さまになったりしがちなものか、と戒善が思ったところで夕顔は自身の姿勢にようやく気付いたように地面に降りる。両足が地に着いたところで彼の一つ結びの髪が元の重力を取り戻してぱさ、と地面に向かって流れていった。いつものスーツではなくダークグレーの着流しに濃い紫の陣羽織に一本下駄、気取っているのかハンチング帽まで被っていた。
「いやぁ、悪いな。これは俺たちの習性というか癖に近くてな。暇してるとよくこの姿勢になるんだ」
「……見られたらどうするんです?」
「少なくともこの道には結界を張ったから問題ない。それより今からの話をしよう」
要するに都合の悪いことは気にするなということらしい。しかも根回しが念入りなものだから油断ならない。にこり、と帽子を懐にしまいつつ笑んでいる『隣人』に問いかける。
「で、今日はどうして呼んだんです?」
「紹介したい奴がいる。……のだが、少々都合が変わってな。あっちはいけないらしい。代理人に任せたというからそちらに赴きたくてな」
「それ俺行かなきゃ駄目でした?」
「お前が行かなきゃ困る。俺は付き添いだ」
行くぞ、と言って細道の奥を歩き出す。戒善と話唱はお互い視線をかち合わせ、そしてため息を一つ吐きだす。
「ねぇ、このひと人の話聞く気ないよね」
「妖怪にまともな会話求めるんじゃねぇ。他連中よりまだ通じる方だ。聞いてくれと言えば聞くが」
都合よく聞かないふりをしていたであろう夕顔が振り向き、「どうした」と呼びかけたところで二人は諦めて大人しくついていった。
[newpage]
細道の奥、いくつもの建物がちょうど一つの空間になっているところ。法人ビルの入り口が集合していてちょうどビル街のようになっていた。その建物の一つ、『夜久道具店』と簡素な看板を設置したフロアに訪れた。革張りのソファとパソコンがあるデスク、そして壁ぎわに積まれに積まれたあらゆる『何かしら』が目についた。茶碗、壺、カルタ、その他その他。戒善はついこの間訪れた夕顔の家を思い出させた。ソファに代理人は足を広げて座っていた。
「なんだお前か」
「……なんで[[rb:ガキ>てめぇ]]がいるんだよ」
「あっ。その節はお世話になったよ」
「えぇ、そんなことあるんですかい」
結局その代理人というのは輪袈裟をベストの襟にあしらったスリーピーススーツを着ている、明るい緋色の丸刈りが目に入る男――勅使河原であった。夕顔の顔を見るなり勅使河原は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。戒善は実は風間の引き取り先を紹介してもらったという点で世話になっていたことから彼なりに恩義を覚えていた。当の勅使河原本人は夕顔がいたせいか未だにいい顔をしていない。夕顔はといえば羽織を雑にソファーに投げると平然とした顔で会話を続けた。
「つまりお前、[[rb:夜久>よるひさ]]と通じているわけか」
「あぁ、まぁな。昔の賭けの名残だ。ンなことはいいんだよ。それよりこれ。その夜久からてめぇへの預かり物だ」
そう言うと床に置いていたビジネスバッグから一つの箱を取り出す。片手で持てる程度の木の箱だ。夕顔が受け取り、戒善に渡される。
「俺に?」
「お前にだ。ほら、いくらなんでも物語りしか近くにいないというのは心もとなくてな。怪異であるとかそういうのを抜きにお前たち二人では出来ないことが多すぎるからな」
不本意を感じて戒善は話唱を見るが、当の話唱も腕を組みウンウンと頷いている。軽い落胆を覚えたが、そこに夕顔が付け足す。
「まず戒善、お前は怪異を感じる能力が壊滅的にない」そのまま付け足す。
「というか仮に予想できても『錯覚かもしれない』とやり過ごすというのはまずやめておいた方がいい。だからそのための、これだ」
木箱を指さす。暗に開けろと言われた戒善は、とくにこわごわとという様子もなく木箱を開けた。
中身は一つのペンデュラムであった。先が尖った形状であるそれはクリスタルとは少し違った材質で出来ているようで、硬くはあるが何であるかまでは戒善にはわからなかった。手に取って光に透かしてみれば、紫のグラデーション。赤紫から青紫に色が流れているものであり、それを金属のチェーンで首から提げられるように金色のつなぎパーツがつけられている。ご丁寧にチェーンもシルバーのものがついており、すぐに装着することが出来た。
「話唱」と呼びかければ「あいわかった」と仕方なしに話唱はペンデュラムを手に取り戒善の首にまわしてアジャスターをひっかける。
「で、これはなんなんですか」
「そのままだよ。ちょっと仕掛けを動かせば怪異のダウジングが出来るようになっている。特に生まれてばかりの怪異に敏感だ。だから物語りがいても反応しないようになっている」
どうやら同居人である隣人はそれなりに強いらしい。話唱はふふん、と少し調子に乗っているように鼻の下を擦った。夕顔は続ける。
「その接続部を見ろ、目盛りと逆三角、石の逆三角と同じ位置にある小さな縦の傷があるのがわかるか」
見る。たしかにその目盛りと逆三角、そして傷があった。まるで何かの調節ボリュームであるように。
「それを反時計回りに回せばいい。以上。段々範囲が広がるようになる」
「それだけ?」
「それだけだ。いるとしたら中が光るようになっている」
あまりにも簡単すぎて拍子抜けたようで、どのように動くのかという確認程度に捻ってみる。
そのペンデュラムはどういう仕組みをもってしてか、ぼんやりと光を放った。ニットベストにほのかに照る紫の光。
「え?」
それを見た夕顔は一瞬目を開き、そして一つため息をついた。
「お前なんというか、『もってる』な……」
当の戒善もどうしようといった様子で夕顔と勅使河原と話唱を順繰りに見る。
「どうしたらいい?」
「まぁ、しばらく、放置か……?」夕顔が探るように言葉を繋げる。話唱がそこにすかさず「待ちなさいな」と口を挟む。
「実害が出るまで放置ってか?」
「妖怪ならまだしも怪異が全て人間に実害をもたらすわけではないだろう」
「いやそれでもでしょうに」
そこからしばらく未来予測について話唱と夕顔の方針についての論争が勃発した。
「……なぁ」
勅使河原がそっと近づいて耳打ちする。
「何です?」
「あれ、何なんだよ。あの浮いてる奴」
「あれ、テレビ局で見なかった?」
「あの状況なんてまともに覚えられねぇよ。そもそもあのガキが何なのかもわからねぇ」
「あー……」
普通はそういう反応なのか、と戒善はしばらく思案していたが、やがて面倒になったのか「まぁ、深く考えない方がいいと思いますよ」と返した。
「で、結局どうなった?」
「夕顔さんから連絡来るまで放置」
「はいはいわかった。じゃあ帰るかぁ……。夕顔さん、そろそろ行ってもいいですか?また動く時あったら知らせてください」
しばらくして話唱が数年老けたかのような疲れた様子で報告してくる。そもそも講演会のせいで疲労を溜めていた戒善も一刻も早く帰宅したいという意志を伝えた。それに夕顔は掌を出す形で待機を命じる。入り口――といっても法人ビルの方の入り口を睨み、静かに何かを伺っている様子であった。そしてソファーの背にひっかけていた羽織を肩に乗せて真っ直ぐ勅使河原を睨んだ。
「裏口から表通りまで送れ、裏口だぞ。俺は少し用事が出来た」
「えぇ……あー、じゃあついてきてくれ。案内する」
戒善と話唱は勅使河原が開けた扉をくぐり、階下に向かった。
夕顔は壁に積んである多くの物の中から一つのものを取り出す。球体状のそれは香炉であり、夕顔がそれに手をかざすと、間もなく煙がふわりと内側から生まれて広がる。それをローテーブルの上にトン、と置いた。
煙が道具屋全体にに広がり、エレベーターの横の非常階段の音が聞こえなくなった頃合い。扉が開いた。
そこには、女が一人。ミルクティーのような明るく柔らかい色合いを持ったショートヘアとタイトスカートの女。鵙野だった。彼女の顔はわかりやすく焦りを見せており、それに対を成すように夕顔の笑みは余裕を持っている。
「……どうも、鵙野さん。雑誌の時はお世話になりました」
「え、あ、こんにちは。いらっしゃっていたんですね」
「ええ。ところで、鵙野さんはどうしてこちらに?何か買うものでもございましたか」
「え、と、そういうわけではなくて……」
「おや。そういえば、今日の切先先生は近隣で講演会があったとお伺いしましたが、もしかしてその足で?」
「いえ、え、っと、あ、れ……」
わかりやすくしどろもどろになる途中で、鵙野の意識は途切れてフッと倒れる。その手を取り、背中に腕を回して支える夕顔の顔はさっきのような挑発的な笑顔とは違う、その他大勢の人間に向ける端正な笑顔だ。
「貴方は何も知る必要はない。何も知らないことこそが一番の幸福だよ。あの男もまた――」
まるで指揮者が音を止めるように手をひねれば、香炉から煙の排出が止まる。鵙野を横に抱いて羽織をかぶせる。誰もいない部屋に向かって呼びかけた。
「夜久、次は顔を出してくれよ。忙しいのはいいが、こちらにもやることがあるんだ」
扉が閉まった。
[newpage]
「その怪異の内容まではわかるの?」
「わかるわけねぇだろ。いくら夕顔さんでもそこまで出来ちゃいねぇ」
次の日は特に外出する予定はなかったので、話唱と先日話した内容を確認することに注力した。ついでに怪異に対する知識がない戒善の復習も兼ねて。
「んー……怪異の発生基準って何さ。そもそも」
「さぁね。あたしらもそこはわからねぇ」
「えっ」
「まぁなんだ、なるたけ色々な人にその怪異の根本となる噂話が『本当の心霊現象』と思わせるとなる……ってのがあたしらの大意。でも実際どこからなのかっていう定量は出せねぇな」
「じゃあ妖怪は」
戒善はすかさずそう返すが、またも話唱は首を横に振る。
「まぁ妖怪ってのは『生産された怪異』って風に言い換えられるな。噂で性質が左右される怪異と違って性質が固定化させられるから何かと自由が効かない」
これは夕顔も言っていたな、と戒善は原稿の画面を前に思い出す。話唱は天井をふわふわと浮きながら話を続けた。
「それと、あいつらはどういうわけか燃費が激しいもんだから定期的に捕食活動が必要になるんだ。魂や魂の中にある幽と、あーこりゃ知らなくていい、まぁそれ以外、あと普通に人間食うやつもいる。夕顔さんみたいな、元が器物である連中は魂を喰う奴等の方が多いな」
「それって絶対必要なの?」
「妖怪ってのは人間の明確な悪意あるいは好意の産物だからね。人間とある程度同じじゃないと気味わるいんだろ。あたしゃよくわかりやせんが」
結局性質はわかってもその性質に至る原因はわからないというわけだ。かならず理由をもって物事が形成させられる自然と違うのも人間から生まれたと思えば納得がいく。都合の悪いところは考えないようにするのが人間というものなので。
「俺たちは怪異に勝てる?」
「現にあんたはあたしに勝っているだろ。妖怪にはどうか知らんが人間は怪異に対しての勝機がある」
が、神には勝てないさ。話唱はわかりやすくトーンを落とした。
戒善は風間の件を思い出す。陰陽師の息がかかっていた彼はあくまで完全な神ではなく姿かたちを人間として置いている。夕顔は彼に対して『手に負えない』と断じて封じ込めを命じた。今思えばそれは夕顔がけしかけた罠であったが、結局彼単体で風間を封じ込めることは出来ない、などと言っていた。つまり神というのは――たとえ人間の体を間借りしていたとしても――絶対的に妖怪や怪異を上回るということになるわけだ。何を司り守るかなんて関係なく、『神』であるから。
「神ってのは高天原から派遣されたあらゆる『[[rb:通常>ケ]]』の管理者だ。現場管理者は人間だが、その最高責任者は未だに神だ。その神に感謝と祈願をこめて行うのが『[[rb:異常>ハレ]]』――祭りであることはあんただって一般常識として知っているだろ?」
民俗学の考え方であるが、作風のこともあり何も知らない分野でもない。素直に頷いたはいいが、ここで一つ確認しなくてはいけないことが出来た。
「あのさ、風間さんって蛭じゃん。蛭子神」
「ああ」
「蛭子神って、えーと確か、イザナギとイザナミの一番上の子だよね?」
「捨てられたけどな。でも結局恵比寿神に生まれ変わってる」
「もしかしてめちゃくちゃ強かったりする?」
「うん」
「あぁ……」
どうやら彼等の中で数少ない人間である自分は相当弱い立ち位置であるらしく、そこでまた苦労も増えると思うと心労が増すばかりで、思わず戒善は眼鏡を外して目頭を揉んだ。
「で、俺はどうしたらいいかな。この後」
「特に何も。重傷を負うような真似はあたし御免だからね。そこらへんは慎重に頼むってキツく言ったよ」
原稿は来週に出さなくてはいけない分の半分も終わっていない。それ以上は何か言うような気力も残っていなかったので黙ってキーボードを叩き始めた。しかしまた数行で止まる。大きく伸びをすれば腕が当たりそうになって慌てて話唱は距離を取った。
「原稿、捗らないかい?」
「捗るわけないだろ。あー、煙草取れ」
その声の苛立ちは明らかで、話唱はこれまた大人しくリビングに置きっぱなしになっていた緑色の煙草の箱とライターを取りに行った。ひったくるように取り、乱暴に一本抜き取って火を点ける。子供の癇癪じみたそれの理由がわからなかった話唱はゆったりと戒善との距離を詰める。
「何を苛立ってんです?」
「俺がまるで全部わかって、全部出来るみたいな言動されるのが腹立つんだ」
「……ん?」
「わかるかな。俺はそもそもこんな状況望んでいない。諜報活動?とかなんとかわかんないけどそれを承認しているのは彼の機嫌が俺の返答にどう作用するかするかわからないからだ。リスクヘッジだ。なのにまるで俺が自分から承認して自分からこの状況を迎え入れたというような言動をするだろ彼。それが俺にとっちゃムカついて仕方がない。
しかもお前ら言葉が足りなさすぎるんだ。俺は何も知らない。打算的に動く自覚はあるが裏を察して動いたりできるほど優秀でもないんだ」
言葉はすらすらと口から出ていた。怒気を隠す気もなく前のめりになって。
「えー、と。つまるところあんたは何を望んでるんだ?」
「君に関してはまだ許容しよう。まだ。でもこれ以上怪異――というよりそれを取り巻く面倒ごとに関わりたくないんだ」
「……あー、なるほどな」
「絶対わかってないだろ」
「まぁ、半分もわかってないですぜ」
あまりにも反応が速かったものだから、戒善はまたむすくれたような態度になる。
「子供か」と話唱の口は不意に事実を漏らし、それに対して戒善は「子供だろ。君らからしたら」と返した。
戒善の自分たちに対する呼び方が変わったから言ったことで多少の何かは発散できたらしいと察した話唱であったが、それでもやはり今後戒善を利用したやりくりをする上で対策を講じる必要があると感じた。しばしの無言、タイピングの音。
「正直さ」
口を開いたのは戒善からだった。
「はい」
「俺は正直言うと君のことを信用していない」
「あらら」
想定解だ。笑みは崩れない。
「君は俺が万が一にもこれから怪異にまつわることで死にかけていた時に、君は俺のことを助けてくれる?」
話唱はその言葉を受けて少し案じた。案じて、一言。
「気が向いたらね」
「そう。とりあえずそれだけ守ってくれるなら、あとはいい」
夕顔からの電話はまだ鳴らない。
[newpage]
『朝から済まないな』
「本当に朝じゃん。今何時って思ってるんです?」
『三時』
「人間の一般的な睡眠サイクルは十時就寝六時起床なんですよ、これを機に知ってくださいね」
『善処する』
絶対わかってないな、という言葉は抑えて。戒善は髪を結んで服装をルームウェアからシャツスタイルの服装に変える。話唱は朝日を浴びたくないのか、窓からの光が届かないキッチンの天井から蝙蝠のようにぶら下がっていた。
「で、実際どういうものなんですか?」
『物だ。それも、古い神社の御神体』
「……そんなものも怪異になるんですか」
『神社っていってもあれだ、本当の神社とは違う。戦時中にのっぴきならない事情で建立された、まじない程度のものだ』
「それどこにあるんです?」
『わかった。東京神楽坂の一角、後で住所を送っておこう。ついでに、神社の事情もな』
「車持ってるんだねぇ」
「うん。っていうか話唱、車に乗れるんだ」
「乗れるさ。あたしは何かと自由だからな。質量も好き勝手いじれるのさ。元々この[[rb:設定>からだ]]は人間だしね」
「あー、そうだったな。普通に忘れかけてた……」
「いやアンタが書いたんだろうが」
「作家が自分が書いたものを一字一句覚えてるわけがなくないか?」
「どうだかね。あたしの知ってる作家はおおむね覚えてたぜ」
車は下道を走る。戒善が後部座席をちらと向いてシートベルトをしろと言えば、話唱ははいはいとシートベルトを引っ張った。カチ、とシートベルトがバックルに収まる音を聞き流して車を走らせている。
「そういえば、夜久ってどういう人なの?知ってる?」
「知らねぇな」
「っていうか、あの道具店って本当に大丈夫だったの?」
「わかんねぇ」
「わからないことばっかじゃないか」
「あたしがわかることなんて、ほんのちょっとだぜ?」
「でも」
「あたしを信用することが怖いか?」
話唱の発現に含まれた『怖い』という言葉に、戒善ははたと押し黙った。
「――昨日からやけに饒舌だね。夕顔さんになんか吹き込まれたか?」
「別に。ただね、あたしはあんたがこのままあたしら隣人を知ることがつまらねぇんだ」
「つまらない。どういうこと?」
「あんたはただでさえ冷めやすい人間だからよぉ。知識を与えないまんま、毎回異例のケースかつ新鮮な体験じゃなきゃいけねえ。そうじゃなきゃあんたはあたしの体になるための話が書けないからね。この意味、わかるかい?」
「……お前、要するに俺に寄生してるの?」
「せいかぁい」
「むしゃくしゃしてきたな、煙草を取ってくれ」
「あいよ」
身を乗り出して助手席に置いてある戒善の鞄をがさ入れして煙草とライターを渡せば、戒善は昨晩のように乱暴にタバコに火をつけた。車の中は白い煙が満ちていく。芳香剤のサンダルウッドの香りと煙草のメンソールの匂いが混ざって話唱の死体の鼻を効かなくさせた。車はもうすぐコインパーキングを目指す。
「ところで、あたしはまた口裂け女になった方がいいかい?」
「あー、それなんだけどさ。俺、新刊出したわけ」
「! ……ああ、そういうことか」
「君もその身体気に入ったかわからないけど、新しい小説が流行ればそっちに依ることも出来るだろ」
「いよっし。じゃあやるとするかぁ。戒善さん、駐車一発でやってみろよ」
「俺苦手なんだよなぁ」
[newpage]
「神楽坂ってそんなに行かないんだよね」
「あれ、そうなんですかい。たしかあんたの作品の舞台って」
「俺大まかにしか書かないもん。入れたとしても帝都とかそんな感じでざっくりしてる。たまに入れるとしても結局千代田区とかそこらへんだからね」
「あー、なるほど。で、神社はどっちだい?」
「こっちこっち。住宅街にあるんだって」
コインパーキングから駅前まで歩き、そこから再び歩いている。戒善の横からスマホを覗き込んでいる話唱は、額から血を流したスーツ姿の青年とはまた違った出で立ちだ。Tシャツとジーンズの姿こそまったく普通の人と変わらないそれであるが、腹に山々の植物が詰まっているとわかる人間は早々いないだろう。山のカミの加護を受けた男という奇異な設定であったが、そもそも人物の話の中でしか出てこないという描写もあってか上手いこと捏造できたようだ。体が動きやすいものになって機嫌がいいのか、話唱は率先して歩き出していた。[[rb:げんきん>・・・・]]な、と思いつつ話唱のあとをついていった。神楽坂は大通りと細道のギャップが少ないが、とにかく入り組んでいる。一歩間違えれば酷いほど似た家々に惑わされるが、地図を睨みながら二人は進んでいった。
「ここか」
「本当に、神社の形態をとってるんだね」
指定されたところに訪れれば、まだ古さの残る戸建ての間に隠すようにその神社は見えた。そこらへんの木材と針金で作ったぐらぐらの鳥居。コケもあればヒビもあるくせに、しめ縄はない。ちょっとでも触れば崩れそうなものを、家で挟む形で支えている。その奥の社も、薄い板に釘で打って作られた素人の出来のものだった。
「――あンれ」
「どうしたの」
「この神社の社、釘使ってんじゃねぇか」
「あぁ、そういえばそうだね」
神社に限らず宮大工というのは、基本的に釘を使わない。古来の建築技術を維持するためだ。しかしこの神社は、そうではない。しかもかなりボロボロで、黒ずんでいる板には鉄錆の赤色も混ざっていた。金物を雑に使った鳥居と社、そして供え物のない小さな小さなもの。戒善の膝下ほどしかなかった。
「これ、クシティ、あー、地蔵菩薩とか道祖神じゃございませんよね」
「そうだね。しかも『神様でもない』」
「民間信仰、神楽坂でか?」
「信仰、うーん、とりあえず帰りの車の中で話そうか。とりあえず、物の回収が先だ」
そう言って戒善は屈むや否や、社に腕を突っ込んで何の遠慮もなく御扉を開けた。いくら無礼講が自慢の怪異である話唱もその無神経な行動にぎょっとなる。
「戒善さん?何考えてんだ」
「いやだから、ん、これ小さいな、この中身、ご神体が今回改修しなきゃいけないものなんだって」
「えぇ……?」
やがて何か掴んだのであろう戒善が立ち上がり、手の中にあったものを見せる。それは懐中時計だった。とっくに針を止めた、古いものだと明らかにわかる時計。しかし気品を感じられる舶来品を話唱はしげしげと眺めていた。
「へぇ、これが夕顔さんに回収をお願いされたものか」
「そうだね。……ねぇ、周りに人いないよね。流石に怒られたくはないんだ」
「いない。っていうか、この時間帯だぜ。人がいた方がおかしい」
「そうだよね」
懐中時計の時間は、午前七時五十分で動かない。自分の携帯電話で確認すれば、まだその時間にさえなっていないことがわかった。そう思うと人間である彼の体に溜まっていた乳酸が疲れのアラートを示す。
「帰ろう。とりあえず、これについても話したいし」
「そうだな。あ、御扉閉めておきますぜ」
「あ、ありがとう」
話唱も戒善と同じようにしゃがむ。やはり屈んで近くで見てもボロボロな社の中には一つ、キラと光るものがあった。
「ん?」
「どうしたの」
「あー……まぁ、いいや」
ばたん、と扉が閉まった。
扉を開けて車に乗り込む。駐車場に赴く前に買ったミントガムを口の中に放り込めば、そのガムの硬さとミントと言っていいのかさえわからない清涼感に目を開く。話唱も一つ貰って、口の中に放り込んだあとに驚いたような戸惑うような顔をしていた。
「今のガムってこんな味がしたんですかい!」
「うん。っていうか、ガム食べたことあるの」
「生憎あたしはハイカラ趣味が好きでな。米人が食ってたのをよくくすねてたさ」
「どうやって」
「そこばかりは企業秘密ですぜ」
「そう」
車は再び下道を通る。
「で、結局あの神社って誰が建てたんだい?」
「――子供だ」
戒善の神妙な口ぶりに、助手席に座っていた彼も「子供」と思わず反復する。戒善は続けた。
「まだ日中戦争が開戦したくらいかな。その時代にね、近所の子供が建てたんだって。そのご神体がこれ。何をもってこの時計を祀ったのかはわからない。でもこの時はまだ金属系が武器のために回収される時期じゃなかった」
「大日本帝国もまだそこまで焦っちゃいなかったしな。呑気とも言えますが」
「俺はそのあたりどうも言わないつもりだけど――ほら、当時って日本型政教分離でさ。色々なところで日本の宗教が神道である、としてきたでしょ」
「そうですな」
「だから壊そうにも神社と主張されたそれは壊せなかったわけだ。そして大空襲を奇跡的に生き延びて、」
「あれが残ったってわけだ」と話唱が彼の言葉を乗っ取る。「そうだね」と戒善の返答。
「で、この時計ってのは――まぁわかるぜ。反米感情が高まるっていうか、一応日本と亜米利加が戦争をする前のわずかな時間に何らかをもってあの神社を建てたガキの親父だかお袋だかが貰ったんだろうな」
「単純に綺麗だから祀ったのかな」
「さてな。これが怪異っていうなら、どういう怪異かによる。単純に怨霊由来の怪異が中に閉じ込められてるってなら話は早い」
「そうなったら君はその怪異を殺せる?」
「ああ」
あっけらかんと彼は答えた。戒善はまだ釈然としない様子だったが、「そう」と返して車を走らせた。もうすぐ恵比寿だ。
[newpage]