秋の盛りを過ぎた日は短く、赤い西日がES会議室を照らす。
 備品のノートパソコンを片手に扉を開けた蓮巳は、いつも通りに照明の電源を入れようとして、ふと思い立ってやめた。目には良くないかも知れないが、あまりにも鮮烈な光だったものだから。
 静まりかえった会議室で一人、パソコンをセッティングしながら腕時計をちらりと確かめる。約束の時間の五分と少し前。遅れることは言語道断だが、今日の相手に関して言えばその心配はないだろう。……いや、機械は苦手なようだったから、万が一もあるか。
 カタカタと設定を進める内に、果たして、きっかり五分前。ビデオ通話アプリのポップアップが相手の入室を知らせた。
「――映っているかね?」
 思っていたよりも手慣れた仕草で、画面越しに斎宮宗の顔が映る。どうやら自宅から繋いでいるようで、背景の窓からのぞくパリの空は冬の晴れ間で薄青く、暗がりの会議室に映えた。
「ああ、よく見えているし声も聞こえている。こちらの声は?」
「聞こえているのだよ。そちらの画面が暗いようだけど、まぁ問題はない――では、始めようか。お互い、時候の挨拶をしているほど暇ではないだろうしね」
 斎宮の言葉にうなずいて、蓮巳は手元の資料を広げた。
 今日こうやってパリの斎宮と打ち合わせをしているのは、紅月とValkyrieに舞い込んできた合同の雑誌取材のためだった。国内ではそれなりに名が知れた文化系雑誌から依頼が来たと事務所で告げられたのは、怒濤のハロウィンから数日とたたないころ。クラシックとポップスの融合をテーマにした特集で、アイドルの代表として紅月とValkyrieに白羽の矢が立ったのだという。息長く続くその雑誌では普段アイドル文化を紹介することなどほとんどないのだが、JNLCでのValkyrieの活躍や『天下布武』における紅月の演目が目に留まったらしい。話を聞いてすぐ、蓮巳は身を乗り出すようにして依頼を引き受けた。
 仕事内容は、主に各ユニットのインタビューとグラビア撮影。事前に送られてきた構図案には一部、二つのユニットを並べての撮影予定が含まれていたため、蓮巳の方から事前打ち合わせを打診したのだった。メッセージを送信した後になって拒否される可能性が一瞬脳裏を過ったが、数時間後に返ってきたのは簡潔な了承と日時を指定する言葉だった。
「構図案はもう確認しているか」
 蓮巳の問いに、斎宮はすぐにうなずいて見せた。
「当然なのだよ。三年ほど前にもここの取材を受けたことがあるのだけど、こちらに演出を概ね任せてくれるから話が早い」
「Valkyrieがこの雑誌に? ……ああ、そういえば見た記憶があるな。確か仁兎と二人で写っていたグラビアだろう」
 斎宮の眉が意外そうにつり上がる。
「よく覚えているものだね」
「この雑誌は昔からよく読んでいてな。初心者向けの古典演目解説が勉強になるから……。当時はまさか夢ノ咲の生徒がこんな雑誌に出るとは思っていなかったから、印象に残っていたんだ」
 そう、当時は思いもしなかった。腐敗し堕落し、惰性で回ってくる仕事を食い潰しながらちやほやされるだけのアイドル崩ればかりだったあの学院で、あれだけの潔白な視線に射貫かれるとは。
 いつも通り何気なくページめくった瞬間、そこに写っているのが同級生の二人だと気がついたとき、ただ呆然と、紙面の向こうとの絶対的な断絶、そして地続きの現実に、めまいがしたのを覚えている。
 記憶を振り払うように小さく首を振った蓮巳を余所に、画面の向こうの斎宮は、どこか満足げな表情で鷹揚にうなずいた。
「僕もこの雑誌の姿勢は好ましく思っているのだよ。当時から僕の芸術を『たかだかアイドルのおままごと』扱いせずに、価値を理解して取り上げていたからね。――だから今回の話も受けたのだよ。今回は単独ではないから一緒に組まされる相手によっては断るつもりだったのだけど、」
 紫の双眸が細められる。
「――りゅ~く、鬼龍もいる紅月だしね。僕たちと一緒に作品を創り上げる以上、半端は許さないと覚悟したまえ」
 ごくりと喉を鳴らし、いつの間にか詰めていた息をはっと吐いた。一瞬瞑目して、すぐに顔を上げて見つめ返す。
「当然だ。俺たちはいつもただ粛々とやるべきことをやるだけだ。いつも通り、普通にやって、普通に勝つ」
 口角を上げた蓮巳に呼応するように、斎宮も不適な笑みで鼻を鳴らした。
 やがて始まった本題の打ち合わせは当初順風満帆に思えた、のだが。
「――だから、そのモチーフをそのまま組み込むのでは本格的すぎて伝わりづらいだろう。ここをこうアレンジして……」
「ふむ、それも一理あるのだろうけど、それならばこうした方が……」
 そんなやりとりを数度往復する内に、斎宮がふ、と笑った。
「……どうかしたのか」
「いや、君、少し影片に似ていると思ってね」
「俺が? 影片と?」
 思い当たる節がなく、つい小首をかしげてしまった。斎宮の後輩にして相方の影片みかとは、近頃はサークル活動で幾分か交流がある。しかし、今までの打ち合わせの流れで影片を彷彿とさせる部分が蓮巳には心当たりがなかった。
「ほんの少しだけだけどね。影片と打ち合わせている時も、時折、今のように食らいつかれることがある。『それでは子供達に伝わらない』と」
「……俺には影片のことも時々理解できないことがあるが……」
「僕もだよ、他人だからね」
 ――影片のことはまだよくわからないが、似ていると指摘された点についてはある程度合点がいった。これまでの打ち合わせの中で斎宮との感覚の違いを感じていたのはそこか、と腑に落ちる。
「貴様は『ふらんけん代官』のようだな」
「ふらんけん……?」
 今度は斎宮が訝しげに眉をひそめる番だったが、蓮巳は一人納得して胸の内でうなずいていた。
 大まかにしか決まっていない構図案を二人で詰めている時、斎宮は己の世界観を一本の軸として、それをひたすらに突き詰めていく方向で案を出していた。一方で、蓮巳は普段の紅月の演目を考える時と同じ――『いかに己らを大衆に伝えるか』を基軸に考えていたのだった。
「これが、俺が紅月で目指す在り方だ」
 『ばんぱいあ将軍』のように。ともすれば古くさい時代劇をわかりやすく。『今』舞台の、画面の、紙面の向こう側にいる誰かに寄り添って。己の知る素晴らしいものたちを掲げ布教するように。
 西日がギラリと反射して、画面越しの斎宮の顔が一瞬見えなくなった。
「君たちの名は、伝統の系譜の本流には載らないかもしれないね」
「それで構わない。しかし、俺たちを見てくれる『今、ここ』の客の中では俺たちはきちんと『本物』だ。俺たちを通じて価値あるものと誰かが繋がる。今は、それでいい」
 一番苛烈な、沈みゆく太陽の最後の光。
「……月のようだね、その在り方は」
 穏やかな黄昏色を映す画面の中で、斎宮が呟いた。
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