あの手が汚れてしまうのはいやだな、と。
そう思ったことは、正直に言えば、あった。
伝承にすら伝わる白い手(ボーメイン)。槍を握り、戦いの中で細かな傷が付いていようとその美しさは変わらない。「綺麗な」という言葉がとても似合った。
それでも、彼女は騎士。
自ら望んでそうなった、根っからの騎士だった。サーヴァントとして、騎士として本分を果たすためならば。彼女は仮にその手が汚れようとも、むしろ騎士としての働きを遂げたことをこそ喜ぶだろう。
そう。彼女は騎士であり、仮にも自分のサーヴァント。
それは自分もよく分かっていたから、その手がもう汚れないように、なんて願いが土台無理な話だということも分かっていた。
それでも、勝手に願うことと努力することは自分の自由のはずだ。
全くは無理でも、せめて少しでも減らせるように。
仮にその手が汚れようとも、その心が崩れることのないように。彼女がずっと、彼女らしく在れるようにと、そう願うぶんには何も悪いことはないだろう。
彼女の笑顔を見ていると、それも無用な心配かとは思ったけれど。
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「ええ。確かに、思うところがなかったわけではありません」
「でも反対……というか、止めはしなかったんだね」
「それはまあ。騎士になる覚悟を本人が決めた以上は、そこに関しては口は出せませんから」
というのが、ふとオレから問われたガウェインの答えだった。
騎士になること自体は喜ばしいことであるとか、師事するのがランスロット卿であるなら滅多なことはないだろうと思いましたのでとか、要因も様々語ってくれたものの。結局のところ彼は妹が騎士であることを認めたし、今でもそれほど騎士としての彼女に大きな心配は持っていないらしい。
騎士としてならともかく、兄としてならば。ガレスに対して持っている気持ちは、もっと複雑なものだということは感じている。ランスロットに対しても、だ。生前のわだかまりはともかくとして、改めて妹に悲しみを与えるようなことがあれば……というのは、以前目にした通りだろう。
円卓の騎士たちは、このカルデアでは生前の遺恨というものは基本的に持っていない。円卓ジョークなんていう、慣れない人間が聞いていれば慌てること間違いなしの冗談に積極的に使っていく程度だ。
しかし、騎士ではなく兄としてならばそれは別。どんな形であれ妹を傷つける者が相手であれば、そこに起きる衝突は小競り合いでは済まなくなる。
とはいえ。それはガウェインがガレスを信頼していない、というわけでは当然ない。騎士としてのガウェインは、騎士としてのガレスを評価しているのも、信頼があるのも間違いないはずだ。
我が王から狼にすら例えられているのですから、腕前と度胸に関しては心配するところではありません。その言葉もそれを裏打ちするものだろう。
「ガレスは芯が強いのは確かです。それに、親しい人間となれば猶更に気を使える。察するに、マスターは相当に気を回されているものと思っているのですが?」
「その想像の通りです」
「ええ、そうでしょうとも。まあ、マスターにおかれましては存分に使われるのがよろしいかと。それで危ない行為も少しは減らしていただければ」
「うぇっ」
ガウェインはどこか得意げに微笑んでいた。対して釘を刺されたオレの方は苦笑いを浮かべるほかなかったわけだけれど。
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「ははあ。ではやっぱり、マスターは元々無茶しがちであると」
「はい。思えば最初から、人のためならどんな行動も厭わない人でした」
両手でカップを持ち上げて、そっと一口。たった今話してくれたことを思い出しているのか、それとも懐かしんでいるのか。少しの間だったけれど、彼女は紅茶の残るカップを静かに見つめたまま。
「最初から、ですか」
「最初から、はじめての特異点に行くよりも前から、先輩はそういう人でした」
特異点に行く前から。魔術に触れるその前から、マスターはそういう人で。
自分も助からない、燃え盛る瓦礫の中で、ただ人の手を握ってあげることのできる人間だったと。それがマシュ殿が話してくれた、マスターという人の、私が召喚される前のエピソードでした。
残念ながら、私はマスターと共に大きな区切りとなる特異点の旅に出た経験はなかったけれど。
小さな特異点であるとか、英霊の方々から聞いていた話などからそんな印象は持っていて。なのでなんとなく実感というか、納得できるものではあったのでした。
まさに体が動いてしまうといった風に行動するマスターの姿。ときに私たち英霊よりも早く動き出す、その姿。
「まあまあ妙な話だよな。ふつう魔術にも戦いにも縁のない奴ができることじゃねえ。……いや、あっても大抵は無理な話か」
片腕は机について頭を乗せたまま話を聞いていたモードレッドが、そこでふと口を開いたのでした。
空いたもう片方の手ではスプーンでくるくると紅茶をかき混ぜながら。お砂糖も何も加えていないので、きっと手持ち無沙汰に混ぜているだけでしょうけれど。
「なあガレス。例えばお前ならできると思うか?会ったばかりで、まだほとんど赤の他人の人間のために命を懸けることってさ」
できると思いました。端くれとはいえ円卓の騎士。自国の民を、善良な人間を守るためであれば命を賭しても構わない。その覚悟無くして騎士になることなどできませんでしたから。
ただ。
「ただし。騎士になる前の。いや、騎士になろうとすらする前のお前の話だ」
加えられたその一言の前では、即座に答えることはできませんでした。
騎士であるなら、当然自らの身体を駆使して、人のため、国のために事を為す。
騎士を目指すのであっても、そうあろうとする志なくしてそうなることはできません。
ですが、モードレッドが言っているのはそれ以前の話。武器も持たない、持つこともできないであろう人間が、窮地で人のために自分の命を使えるか。自分の命を捨ててまで他人のために動けるか。そういう話。
「できないとは言わねえけど、難しいだろ。それを騎士でもなんでもないヤツがやってるわけだが。今となっちゃアイツがやった無茶の数なんか数えるだけ無駄だろ」
ひとつ間をあけるように、モードレッドは紅茶をぐいと飲み干した。
数えるだけ無駄だというのも、モードレッドのことだから本心だろうし、ある意味正しい認識でもあると思ってしまった。私たちサーヴァントは全員がどんな特異点にもついていけるわけではない。マスターの行動も、他の英霊たちしかあずかり知らぬ場所で起こされたものがいくつあるか。
マスターがそういった無茶をするところ。もしくはしてしまうところは、きっと良い所でもあるのだろう。それはモードレッドを含むほとんどの英霊が思っていることで、同時にほとんどの英霊が認識している悪い所でもある。
人類で唯一のマスター。汎人類史でたった一人のマスター。その彼に無用な危険を冒してほしくないと思っている人はきっと沢山いて。しかし彼がそんな人間だからこそ、ここまで多くの英霊がカルデアというひとところに集まり、彼に協力しているということも、みんな分かっている。
そして私もその例にもれず。そんなに善良で、立派で、素晴らしいマスターだからこそ、付いていくことに迷いはない。でも私はあの人が、そんな人だからこそ危険に飛び込んでしまうことを、分かっている。
思わず考え込んでいた意識の間に、モードレッドの声が割り込んできた。紅茶を飲み干して片付けに行ったところで、何かを言おうと振り向いたところだった様子だ。
「ちなみにオレは、アイツが余計なことをしないように止めるのはもう諦めてる」
「モードレッドさん……それは、どうしてでしょうか」
簡単なことだ、と前置きしてモードレッドはマシュ殿の問いに答えたのでした。
「どうせ止めてもアイツはやるからだよ。本当にダメな時はしっかり見極めるが、そうじゃなきゃ自分の身も省みないで、やる。自分の身も省みねえってのがアイツの悪いところだが、自分にできることを全部やろうとするのはアイツの良い所だ。そういうところに引きずられてアイツについていってるんだろ、オレたちは」
「オレたちがやるべきことはな。先に危険の方を無くしてやるか、アイツに傷が付かないように守ることだけなんだよ。結局はな」
それだけ言い残して、今度こそモードレッドは食堂を後にしていった。
その言葉はきっと、マスターに召喚されたモードレッドの。マスターの騎士としての、モードレッドがやるべきだと思ったことの答えだった。
分かっている。マスターがそういった行動をするのは。きっとそうしたいからで、きっとそうしてしまうからで、きっとそうするべきだと思っているからで───そしてきっと、みんなを信じているから。だから、自分にできる精一杯をやろうとする。
モードレッドが言ったことも、きっと正しい。
傷付いてほしくないと願うなら、その場にいる私たちも精一杯をやるしかない。
私が汚れることになっても、傷付くことになっても……ううん、そんな考えじゃダメだ。自分も含めて無事でいるつもりじゃないと。
それにたぶん、自分の代わりに私が……いいえ。私に限らず、誰かが代わりに傷付いてしまったら。マスターは自分が傷付くよりずっと悲しんでしまうから。
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「やめたいなって思ったこと、ありませんか?」
何を、とは聞き返さなかった。それが何を指すかは分かったから。
この部屋にいるのはオレとガレスの二人きり。真剣に聞かれているのは分かっていたけれど、緊張感のある聞き方ではなかった。だから、誤魔化すこともなく、すんなり答えることができた。
「正直に言うと、ある。もうだいぶ前だけどね」
「そうですよね」
魔法の「ま」どころか、魔術の「ま」の字も知らない人間が、いきなり魔術世界の、それどころか人類の一大事に巻き込まれて、しかもマスターという役目を果たせるのは自分だけ。重圧を感じなかったなんてことは、当然だけどない。
それでも行動できたのは。
もちろんマシュやドクター、ダ・ヴィンチちゃんに……助けてくれるみんながいたからだ。
でもそれ以上に。自分にしかできないんならやらないと、と思ったから。
目の前にある「できること」を諦めたくなかったから。
やることが変わった今でも、戦う相手が変わった今でもその根幹は変わっていない。
「今でもさ、戦いが全然怖くなくなったわけでもないし」
「それ、きっとマシュ殿も同じですよ」
「ああ、そうかも。……いや、マシュなら絶対そうかな」
どこまで行っても戦いを怖がっていたマシュのことだから、きっとそれは今でもそうだろう。
オレと同じで、そういうところは変わらないものなんだと思う。
「オレもね、戦うのも怖いし、ケガするのも怖いよ。皆が助けてくれるから、最初の頃よりはずいぶん安心できるようになったけどね」
助けるからって危ないことをするなとは皆に言われそう……というか、たまに実際に言われている。
この前ガウェインに釘を刺されたことを話したら、ガレスは「兄様らしいです」なんて笑ってくれた。
ただ、意外なことに。ガレスは「私はそのままでいいと思うんです」と続けてきた。
「兄様も、絶対に止めたいわけではないと思うんです。マスターの良い所でもありますし。それは兄様だけではなくて、私含めて皆さん分かっていることだと思いますから。モードレッドも同じことを言っていましたから」
モードレッドはオレに直接伝える気なさそうだなあ、と思ってしまって、心の中で少し苦笑い。そう思ってくれているのには、正直嬉しさも感じる。
「私もそれに賛成です。この身でマスターを無事に護ることができれば、マスターも私も悔いは残らないはずですから」
ガレスが浮かべた笑い顔は、いつもの晴れやかなそれだった。見ているだけで不思議と元気が出てくるような、そんな笑顔。
「これでも円卓の騎士ですので。マスターは当然のこと、私も負傷なく!万全に守ってみせます!」
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「なあ、これ本当にリソースなんかあるのか?」
『観測ではそのはずですが……』
「……見事なまでに森の中、だねえ」
木々の間を縫うように進んで、目線の奥には更なる木々。ここまではある程度まばらな木の集まりだったが、この先は「森」と呼んで差し支えないだろう密度の木の集合。
それが、今回の魔力リソース回収の目的地らしかった。
ここまで通ってきた道のりはそこそこに見晴らしがよく、魔獣をはじめとする敵性個体が現れても対応は取りやすかった。
しかし目の前に広がる森はどうしたってそうはいかない。視線は木々に遮られるし、日の光もその葉に遮られて地表を照らすことはできていない。反応が遅れる条件が勢ぞろいという感じだ。
「なあ、この森微妙に強めの魔力が漂ってねえか?」
「むむ、そう言われればそうかも……」
『先輩、モードレッドさんの言う通りのようです。それに、その森の中になると探知の精度が下がるような……』
しかも厄介なのは目に見えないところにまで及んでいたらしい。
逆に言えば、こんな場所だからこそ大きめの魔力リソースの反応が出ているのかもしれないけど。
ハロウィンの時にはモードレッドが宝具で森を吹き飛ばしていたけれど、流石にカルデアと契約した英霊であるモードレッドにやらせるのは気が引ける。それに万が一リソースも一緒に吹き飛んでしまえば、ここまで来た労力も水の泡。ついでに発動した宝具分そこそこのマイナスだろうから手段としてはリスキーすぎる。
「どうする、マスター?どうにもならないことはなさそうだし、お前さんの判断に任せる」
「んー……」
割の合わないリスクをとるのは正直に言って避けるべきだ。
だけど、今回のリソースは多少の危険なら冒しても吊り合いが取れるくらいのもの。手に入るのなら手に入れておきたくはある。
参考としてマシュに目的地の大体の目星を尋ねてみる。森の中でも深い場所となると考え物だが、そう遠くないのであれば手を出す価値はあるんじゃないか、と思ったからだ。
『反応的にはそこまで遠くはないのではと思いますが……ダ・ヴィンチちゃん、どうでしょうか』
『ふむ、ちょっと観測精度を上げてみようか。代わりに藤丸君を中心とした感知範囲は少し狭まるけど、どうする藤丸君?』
「お願い、ダ・ヴィンチちゃん」
『オッケー。ちょっと待ってね』
少し間があいて、目標の座標データが送られてくる。想像よりは遠くなく、位置が把握できているなら行く価値はあるだろう。
「そんなに遠くはないし、行ってみようか。マシュ、方向の指示お願い」
『お任せください』
意を決して森に足を踏み入れることにした。
モードレッドが前、その次が自分でガレスがその後ろ。窮屈そうに、槍を木に引っかけないようにして進むガレスのペースを基準にして、自分たちは進みだした。
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(このページ丸々カットはあり)
「なあマスター。やっぱこれ薙ぎ払っちゃダメか?」
「オレが倒れて背負って帰るのとこれまでの努力が無駄になるのとどっちがいい?」
「ダメかー」
森に入って進むこと十数分、代わり映えのしない景色と刺激の無さからかモードレッドが早速飽きを見せ始めた。
とは言っても仕方ないところもある。本当に木だらけで目を引くものは現れないし、足元も木の根が這っている部分ばかりで歩くのも簡単じゃない。たった今目の前で鎧だけを霊体化させたモードレッドの気持ちも分かるというものだ。鎧なんか着てたら単純にもっと歩きづらい。一方のガレスはというと鎧は付けたままなのだから、性格が見える。
「二人とも、位置的にはもう少しのはずだから頑張ってー」
「はい!」といつも通りの礼儀正しい元気の声、そして少し気の抜け気味な「しょうがねえなぁ」という返事の二つが返ってくる。モードレッドがガレスに返事の仕方について小言を言われているが、それに反応できるくらいならまだ大丈夫だろう。
なんにせよ、目的地までもう少しなのは確かなはずだ。進路上の木を避けて進み、方向のズレを適宜通信越しのマシュに修正してもらいつつ進む。
そうして更に歩くこと十分弱。木々で埋められた視界の間に入り込んできた、この場にあって異質なもの。それが今回の目的地であることは明白だった。
そんなものが本当にあるのか、とは思ったが、現に目の前にあるのだから"ここにはある"としか捉えようがない。
「──綺麗、ですね」
森の中の一角に、鉱脈のようなものがぽつんと露出していた。
本物の鉱物の鉱脈であれば、そこに結晶が生えていることもあるだろうか。今回そこに生えていたのは、一見すればその鉱物の結晶のように見える。しかし、ここから魔力リソースの反応があるということは、実際はあの結晶には魔力が溜め込まれているんだろう。
視点を上げてみると、そこは空を覆う木の葉が及びきっていないことに気が付いた。この鉱脈があるから木が生えなかったのか、木が生えなかったから魔力を含む結晶ができあがったのか。真偽は分からないが、やるべきことは簡単だ。この結晶を持ち替えれば目的は達成できる。