中心星
「オレはいいけど、いいのか?」
「うん。見たって、どうせ道なんかすぐ忘れちゃうし」
大きめの黒っぽいスカーフを三角巾の形にキュッと結んで目の上まで下ろす。まぶただけでは光が透けるし、あまりにも頼りない。
「よし、行くか」手を引いてシドーが歩き出す。
彼にしか行けない場所に、この先自分ひとりで行こうとも思わなかった。
風が吹き抜けて、ビルドの耳をかすかにくすぐる。
「あ、ほらこれだよ」
向こうから声が聞こえる、と思ったら、鼻に指先らしきものがちょんと触れた。
「…え〜、匂いなんてする?」
「しないか?まぁ、これからもっと濃くなるだろ」
いつもよりゆっくりしたペースで歩いてくれているのがわかる。さらりと乾いた手のひらの質感が、一瞬空気に溶け込んでいるような錯覚。
空気に導かれているのではなく、シドーが連れて行ってくれてる。言い聞かせるまでもなく、小石を踏んだり軽く蹴飛ばしたりして進んでいく足取りが目に見えるようだ。
「いい考えかもな、それ」
「え?目隠し?」
「あぁ。なんというか、シンセンに見えるだろ」
「だといいけど、まぶしすぎて見えないかもね」
スカーフ越しでも、笑っているのがわかった。
どれだけ歩いただろう。疲れてはいなかったけど、だいぶ遠くに来たような気がする。
手をやる前に、シドーが前から腕を回してそっとほどいてくれた。
知らない声ばかりのざわめきが耳に飛び込んでくる。
「明日の夜はお祭りだからね、早めに帰ってくるのよ」
彼の返事を待たずに背中を向けたその声を、遠く思い出す。
歓声が上がった。
慣れない視界を切り裂くように、白く細い軌跡が光り、消える。
一瞬だけ曲線状の雷に見えたのは、流星。きらめく粉をつかの間だけ残して、あっという間に消えては、いくつも同時に夜空を駆ける。
しばらく経って、ただ無言で見上げていた自分に気づいた。何も、思い浮かばなかった。
その時だけ透明人間になって息を止めていたかのように、綺麗とか、懐かしいとか、星座がどうとか、暦ではどのあたりだとか、脳の中でそちらにつながらない。
ふいに隣の横顔に目を向ける。
静かな瞳に、瞬くような光がさざめいては消える。いつも見惚れる紅い虹彩がその暗さで色をほとんど失っていた。
視線に気づいていないのか、あえてそうしているのか、空にまっすぐに注がれている。シドーの口がかすかに開いている。何か言うつもりだろうか?ビルドにはわからない。
風が強い。首に巻き直したスカーフをあごに寄せようとしたら、隣から声が聞こえる。
「いいモノ見たな!オマエが教えてくれなかったら、見れなかった」
今は、こっちを見ている。無邪気な、輝くような笑顔を向けられて、じんわりと胸に暖かさが広がった。静まり返っていた湖の底から、温かい流れが湧き出してきたみたいだ。
このところ、誰かの笑顔や声、贈りもののリボン、樹も岩山の肌も、魔物の皮膚も、この目に映るなにもかもが、何かを作るためのヒントとしか捉えられなくなっているような気がして、ビルドは少し嫌気が差していた。
見えない傷が透けていたかのように、シドーは時々ほのかに痛ましい表情を浮かべた。
「…ここがよくわかったね。まさか、本当に来れるとは思わなかった」
微笑むビルドに、シドーは胸を張ってみせた。「また来たくなったらいつでも言えよな」
「ふふ、それにしてもさ。いい隠れ場所が見つかったじゃん」ちょっとだけ意地悪に目を細めて言ってみる。
「隠れ場所?ここが?」
「うん。ぼくとケンカとかして、嫌になっちゃったらここに来れば静かに作戦立てられるよ」
「あのなー」シドーは少し眉をひそめたが、すぐに何かを考えこむような顔になった。「…まあいい。オマエこそ、一人で来れるようになっておいた方がいいんじゃないか?」
「それはいやだ」
「嫌なのかよ」
「うん。道を覚えても、シドーがいなかったら帰れなくなる気がする」
「……?」珍しく、あっけにとられるような顔で見つめられた。その頬にかすかに光が流れる。
「そんなにびっくりする?ぼく、方向音痴だし…」ビルドはなんとなく気恥ずかしくなって目をそらした。
シドーはある光を思い出していた。
自分の身体が鱗に覆われていたあの時。重く、燃えるような力に満ちながら、暗闇の中で襲ってくる痛み。
あの時に、目を刺した小さなきらめき。それはみるみるうちにまぶしく際立って広がり、飲み込まれた瞬間、言葉にならない無数のものが全部溶けていくように感じられた、あの光…。
「…目印ってことか」
彼には珍しく、小さな声でつぶやいた。
「なに?どの星?」のんきな返事。聞き逃さなかったようだ。
その声の明るさに、つい頬が緩んだ。「そりゃ、一番まぶしいやつだろ。あれとか」
「帰ったら、もっとたくさん見えたりしないかな」
「見えるかもな。場所によっては…」うーんと伸びをするビルドを見ていたら、立ちすくんでいたからか足が少し固まっていることに気づいた。軽く屈伸していると、ビルドが遠くの方を指差す。
「あ、あれだ。ぼくの街だよ」
「小さくてよく見えないな…寄ってくか?」
「ううん、いい。来たくなったら言ってよ。道案内する」
並んだ建物や街の灯りが、まるでお菓子の飾りみたいにぼんやり見える。
「たしか今日はお祭りだから、いつもより灯りが多いんだ。今日は空が明るいから目立たないけど」
見上げると、澄んだ暗い青。まだらに紫や影や淡い明るさがにじみ、ほのかにその色を変えている。
帰路につく。あれこれ話していたら、自分たちの歩みがやけに速い。
ちらちらと星の細かい光が二人の背中を追っていたが、そのうち届かなくなって、あてもなく空気に散った。
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中心星(アルニラム)
初公開日: 2021年12月31日
最終更新日: 2021年12月31日
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