死者の宴もたけなわである。周囲の喧騒を耳にして、降谷はゆっくりと目を開けた。
十月三十一日、ハロウィンの日に、奇怪な衣装をまとう人々であふれ返る街は渋谷。もともと日本の盆と似た行事であったはずなのだが、日本ではいつの間にか、ハロウィンは仮装をしてお菓子をもらいに街を練り歩く行事となってしまっている――けれどそれは、元の伝統が廃れたというわけではなく。
つまり、ハロウィンの日に不思議な現象が起こったとしても、何らおかしくはないわけで。
そのいわゆる「不思議な現象」を、降谷はかれこれ六年前から身をもって体験していた。
「――零!」
ゆっくりと目を開けて、まだわずかにぼやけている視界に、降谷は自分の身なりに軽く目を通した。立てられた襟に黒のマント、白のシャツ、ワインレッドのベスト。マントの内側に真っ赤な生地が使われているのを見ていつの間にかすっかり嫌いになってしまったその鮮やかさに目を細め、前髪を上げていることで肌寒さを感じる額に手をやる。その間に、先ほど降谷に声をかけた奴がすぐそばまで来ていたようで、無遠慮に降谷の肩に腕を回した。
「おい零、返事くらいしろ!いつの間に俺らのことを無視できるくらい偉くなったってんだ?」
「うるさいぞ松田。騒がしいのは相変わらずなようで」
「あ?喧嘩なら買うぞ」
舌戦が始まり、肩を組んできた男、松田がつける狼男の耳が当たりかすかな圧迫感が側頭部に生まれる。ジトリ、と松田を睨みつけるも、その瞳に映る降谷の表情は明るい。隠し切れていない口元の笑みには当然松田も気づいているようで、同じくらいニヤニヤして、ひたすら言葉の応酬を楽しんでいた。けれど困った。このままでは口喧嘩とも言えない戯れが永遠に終わらない。ブレーキを持たない二人が、少なくとも降谷がそう思ったのが天に伝わったのか、背後から三つの気配が近づいてきた。
「まーたやってんの、お二人さん?」
「お前らほんと、よく飽きないなぁ」
「殴り合いから舌戦になっただけ、進歩というべきか?」
「前にやったのは一昨年だ、またも何もないだろ!」
「会うたびにやってんだから確率的には百パーセントだろ?そりゃあまたとも言いたくなるって」
三つの揶揄いの声に、応戦する松田のそれが混ざる。それは慣れているようでどこか耳慣れない、暖かさがこもる、かつての仲間同士の応酬だ。
「――久しぶり。萩、ヒロ。そして班長」
「ああ。俺と零は七年ぶりか」
「だな。メール、返事できなくて悪かった」
「いや、気にしてねぇよ。潜入捜査中だろ?仕方ないさ」
「ゼロ、どうだった?一年間、なんとか乗り切れた?」
「随分とお疲れのご様子だけど……大丈夫か、降谷ちゃん?」
変わるがわる、返事をする間もなく声をかけられ、警察学校で過ごしたかつての日々を思い出して吹き出した。そんな降谷の様子を見て、同期たちがほっとした表情を見せる。
「大丈夫そうだな」
「ああ、心配してくれてありがとうな。……それと萩、疲れてるように見えるのは当たり前だって、毎回会うたびに言ってないか、僕?寝てはじめてここに来られるんだから」
「ああ、そういやそうだったな」
「ってか時計見ろよ時計!まだ十時だぜ?零お前、相当無茶してねじ込んだな?」
呆れ顔の松田からそっと視線をそらした。
降谷の身に起きる、ハロウィンの日の不思議な現象――降谷たちが「ハロウィンの奇跡」と呼んでいるそれは、降谷が就寝した後から始まる。寝付いた瞬間から、降谷が起きなければならない朝の五時まで。長くても七時間程度にしか及ばせられないわずかな時間の再会は、五人のうちの一人、萩原が死んだ年から始まったのだったな、と、目の前の呆れた四対の目から逃れながら思い出す。
*****
機動隊に配属された新人、萩原研二が殉職したという情報が入って来たときにはまだ降谷も景光も警視庁公安部に所属する新人で、ちょうど潜入捜査の命を下されその準備をしている最中だった。突然舞い込んできた凶報に意味がわからないと目を白黒させ、景光と顔を見合わせる。その情報を持って来てくれたのは降谷たちと同期で同じく公安配属になった奴だったのだけれど、驚くばかりで悲しみの一片も見せない降谷たちの薄情さに呆れたのだろうか、彼の教育係であった先輩に呼ばれて怪訝そうな表情のまま去っていった後ろ姿を見送って、相変わらず目を見開いて、困ったような表情の景光と、おそらく同じような顔をしているのだろう降谷は何度も視線を交わし合った。
殉職したなどと聞かされても、到底信じられるはずもなかった。たった一週間前、ハロウィンの夜に会ったばかりだったのだ。来年からは一層忙しくなるだろうからと、萩原の宿舎で仮装をして渋谷の街に繰り出して、そこでもスリを数人捕まえて、警備をしていた警察に引き渡して。散々遊び倒したのは記憶に新しく、何ならそのときに散々撮った写真も、まだデータを消去できていないスマホのフォルダに入っているはずだ。色々な写真に隠しキャラのごとく顔をのぞかせていたからおそらく映っている数は萩原が一番多いだろうし、そんな生き生きとしていた相手が、死んだと聞かされてもすぐにああそうですかと納得できるわけもない。混乱する胸中、納得できない事実、けれどなまじ優秀なためにほとんど理解してしまった頭脳。降谷と景光はとりあえず、黙って手元の作業を進めることにしたのだった。
結局萩原の死を実感できたのは、葬式の日のことだった。
仲の良かった友人とはいえど、降谷も景光も潜入直前の公安捜査官で、親族とですら音信を絶たなければならない状況だった。当然、同期たちと連絡が取れるはずもなく。伊達から送られてきたメールを上司に見せ、必死に頼み込んで、ようやくたった五分間、告別式の会場に忍び込んで覗く許可が降りた。礼儀も何もなく申し訳なくも思ったけれど、それ以上に萩原の死を弔いたくて、そしてあわよくば、彼が死んだなんて嘘だと思いたくて。そっと覗き込んだ会場は、地獄だった。
生前の萩原の賑やかさに似合わない静寂。きっと、もし萩原がこの場にいたなら耐え切れず誰かと遊んでいただろうなと思って目を走らせた先、萩原と一緒になってふざけそうな筆頭、松田が立ち上がって。弔辞を読むべく祭壇前に進む横顔は静かで、あんなに豊かだった感情がほんの少しも浮かんでおらず。彼が当たり障りのない内容の弔辞を読み上げて、事件は起こった。
「っ、萩原、お前ふざけんな!いつもの場所で待ってるっつったろ、お前はそんなヘマするわけないんだろ!?約束破りやがって、こんの馬鹿萩……!」
「「松田!」」
親族席から萩原の姉の萩原千速が、一般席から伊達が立ち上がり、松田を止めようと動く。それに加勢しようと思わず足を踏み出したところで、降谷たちの肩が、付き添いで来てくれていた先輩に叩かれた。その渋面に目が覚める。タイムリミット、五分が経ってしまったのだ。
ゆっくりと人目を忍んで建物を出て、そこで先輩と別れた。同期の葬式を覗いたばかりの降谷たちを慮ってくれたのだろうか、随分と早い解散である。降谷には自分の表情こそわからなかったけれど、隣に立つ景光の青白い顔を見るに、きっと自分もこんな顔をしているんだろうと、気を遣ってくれた先輩に申し訳なさと感謝を持って心の中で一礼した。けれどそんな感情も瞬く間に消え、後に残るのは、ようやくやってきた喪失感と、先ほど聞いた松田の叫びだった。
殉職した、というのなら、松田はきっと萩原の死を目の当たりにしたのだろう。約束と言っていたから、いつも彼らが行っていた居酒屋で飲むというのが最後の会話だったのだろうか。荒ぶる彼を必死に止めようとしていた、一度だけ面識のある千速と、それから伊達の姿を思い出して目を伏せる。きっと、姉弟であった千速の方が、おそらく松田と一緒にいた伊達の方が、萩原の死をまざまざと長時間突きつけられ、降谷たちよりもずっと辛かったはずなのに。友人の葬式に出られない罪悪感が、重く二人にのしかかる。
初めて奇跡が起きたのは、その一年後のハロウィンの夜のことだった。
潜入捜査官として組織の中枢へと段々接触できるようになり、降谷は異例として上司に国家公務員総合職試験、つまり警察官のキャリア試験を受けるように勧められた。警視庁の採用試験を受けノンキャリアとして警察官になった降谷は本来それを受けられない立場にいるはずで、大学生であったころから官僚仕事は自分に合わないと受ける気もなかったけれど、上司の勧めという名の命令を受けて断れる立場にもなく。仕方なく受けた結果が採用で、警察大学校での研修を免除されて潜入捜査官の身でありながら警察庁に転属となり、今まで以上に忙しい日々を送っていた。同じ潜入捜査官でありながらも警視庁の所属で潜入ルートも違う景光と会うこともまともに家に帰ることも叶わず、疲れ果てて部下に仮眠室に押し込まれるのが日常だった。だから当然季節感覚も狂い、イベントごとなんて気にしている場合でもなく。その日の夜に仮眠にありつけたのは、幸運だったと言うべきか。
寝付いたと思ったら、どこか知らない街にいた、などというのは潜入捜査官にとっては大失態だ。知らぬ間に拉致されたのかと思いきや拘束された痕跡もないし、何なら身にまとう服もおかしい。どこかで見たような、黒に赤の裏地のマント、白のシャツ。これではまるで――。
一年前に、萩原によって用意された衣装じゃないか。
そう思った時だった。
「……降谷、ちゃん?」
「は……?」
恐る恐る、といった風にかけられた声は、かつて散々聞いたもので。呼び方も、降谷をそう呼んだ奴は、今まで一人しかいなかった。
「はぎ、わら……?」
困惑し震える手でお互いに相手を指し示す。ようやく我に返って念入りに相手を観察するも、変装の形跡も武器を所持している様子も見当たらず、しかも彼も、一年前に着ていた衣装を纏っていて。
「「え、本物……?」」
「……どこだ、ここ?」
見事に唱和された二人の声に、もう一つの声が割り込む。こちらは聞き慣れたものだ。少なくとも、一ヶ月に一回は定例報告で会うことが叶っている。
「ヒロ……!」
「諸伏ちゃんまで!?」
「え、ゼロに……萩原!?」
景光まで一年前の仮装を纏っていたことに驚いていると、がしりと萩原に肩を掴まれた。なるほど、目の前の奴はやはり本物らしい。簡単に降谷のパーソナルスペースへ易々と侵入できる相手は限られているのだから。そんな現実逃避じみた考えを振り払い、掴まれた手をやんわり外した。
「萩。説明はあるよな?」
「え、説明?説明って言われても、俺にも何が何だか……。ってか一つ確認させて、何、降谷ちゃんたち死んだの?」
「は?死?」
脈絡もなく投げられた問いに、それはお前だろと返しそうになって口をつぐむ。萩原がそんな問いを投げかけてきた意図。汲み取って、ああなるほど、と理解した。
「もしかして、ここっていわゆる『あの世』ってやつ?」
オレは仮眠室で寝てただけだよ、と。そう付け加える景光も同じ答えにたどり着いたようで、そう萩原に問いかけていた。それに同調を示してうなずき萩原を見ると、困ったように首を傾げている。
「いや、多分違うんだよ、それが」
ほらこれ見て、と萩原が取り出したスマートフォンを示されるままに覗きこむ。表示されているのは時間と日付、それから、曜日……。
はっと顔を上げる降谷と景光。気づいたか、と確認するように萩原が二人の顔を覗き込み、肩をすくめた。
「おかしいだろ?十月三十一日が日曜だったのは、去年だ」
「じゃあ、つまり」
「未来にしては街並みがあまりにも変わってなさすぎるもんな」
顔を見合わせ、うなずき合った。どうやら至った結論は同じなようだ。
ここは過去の世界であり、降谷も景光もただ仮眠室へ向かっただけでこうなったのだから、きっと夢の中なのだ。ということだ。萩原や景光が降谷の夢の中に生まれた幻影に過ぎないのかそれとも本物なのかは、目覚めてから景光に聞きに行くしかないけれど、きっと本物なのだろうと降谷には妙な確信があった。昔から勘は鋭いのだ、きっと今回も間違ってはいないだろう。納得し、三人の中で一番適応能力が高い降谷は考えていても始まらないと、他二人を引っ張った。
「ちょっ、ゼロ!」
「降谷ちゃん!?」
「考えていても始まらないだろ?せっかくの再会だ、班長や松田がいないのが残念ではあるが……楽しまなきゃ損、だろ?」
最近めっきり浮かべる機会のなくなった心からの笑みを見せ、振り返る。それに景光と萩原は二人、顔を見合わせて。
「おう!」
「そうだな!」
個々の衣装を翻し、妙にリアルな夢の世界へと、三人は賑やかに繰り出していった――。
*****
「――ろ、ぜろ、零!おい、零!」
「うわっ!?」
気がつくと、両肩を掴まれぐらぐらと前後に揺らされていた。目の前にせまるのは松田の顔、その周りから、心配そうな顔をした伊達と萩原と景光が降谷を見ている。どうやら過去を思い出していてしばらく意識がなかったらしいと気づき、頭をかいて苦笑した。
「悪い悪い、少しボーッとしてた」
「ったく、お前な……」
「やっぱ無茶がたたってんだろ。普段からちゃんと休めよ、体が資本だ」
「わかってるって」
返すと、ならいいけど、としかたなさそうな顔をして、四人は別の話題に移っていく。それに参加しながら、降谷はいつの間にか、五人揃ってしまうようになったこの日にふと複雑な思いを抱いた。
六年前のハロウィンの夜、仮眠から目が覚めたのは朝の五時。しっかり睡眠をとってしまったことにあせったけれどその日は一日中警察庁に籠る予定であったのが幸いだった。案件を手早くこなして夕方に何とか時間をもぎ取り、警視庁に向かって景光と会って、夢は半分現実であったことがわかった。五年前は六年前と同じように、今度は新しく購入したセーフティハウスで睡眠をとっている間にかつての渋谷に飛ばされ、景光も警視庁の仮眠室から飛ばされていた。四年前、組織で同時期にネームドになった三人で組まされたスリーマンセルの拠点で飛ばされ、慌てる二人を見かねた萩原が何とかして二人を現実に戻してくれた……物理行使は痛かった、というのは鮮明に覚えている。三年前には、いつものメンバーの三分の二が死者となり、その時から約一年前の景光の死の真相を降谷はそこで知らされた。辛くて、情けなくて、号泣した。それでもライ改め赤井秀一を許すことができない、自分自身も絶対に許せないと絞り出した降谷の背中を、景光と萩原は黙ってさすってくれた。二年前、三人が四人になり、少しばかり吹っ切れた顔の松田を見て、降谷は色々物申したい気持ちを抑え込まなければならなかった。吹っ切れたような友人の表情に何で死んだんだという悔しさは覚えたけれど、最期まで松田は松田なりに駆け抜けられたのだということへの祝福の気持ちの方が強かった。自分よりもずっと早くにずっと一緒にいた片割れを亡くし、しかも降谷のように会えるわけでもなかったのに、彼はずっと踏ん張ってきたのだ。久しぶりに会うことができた友人と、ただただ黙って肩を組んだ。一年前のハロウィンの夜は徹夜で任務をこなしていて、次の日に寝ても同期たちに会うことは叶わず、任務中に強制的に飛ばされるシステムでなくてよかったと喜ぶべきなのか、せっかくのチャンスを不意にしてしまったと残念がるべきなのか、そんな複雑な感情を抱いて十一月二日の朝を迎えたのを覚えている。
そして、今年。再会劇は三人から四人に、そしてついに五人揃った。それはつまり、降谷以外の同期が、皆職に殉じてしまったということである。伊達の死について、彼の後輩からすでに話を聞いていたのが幸いだったか。そうでなければ呆然として目の前の事実に崩れ落ちていたかもしれない、なんて。
久々に会えたという喜びと、悲しみとが交雑してドス黒く濁った感情とともに、奇跡をもたらすハロウィンの夜は更けていく。
「それじゃあ、そろそろ行くとしますか!」
萩原が出発の音頭をとり、小突き合いながら五人は街を進んでいった。思う存分に話し、笑い合い、かつての日常を過ごしているうちに夜はさらに更け、気がついたら時間は残りわずかで。別れを惜しむように同期たちと視線を交わし、けれど未練が残るから言葉には出さず、やってくる目覚めの合図、夢の中での眠気を受け入れるべく降谷は目を閉じた。ふと意識が途絶えたかと思いきや、襲ってくる光の波。その奔流の中を歩き、出口の先にある現実へと向かっていく。
ところで、ハロウィンとは日本においては盆にあたる、死者のための祭りである。それなのになぜ降谷は、そしてかつての景光は、死者と融合する世界へと足を踏み入れることができたのだろうか。もしかすると彼らは、その身のどこかに小さな死を迎え入れていたのではないだろうか。生と死、生者と死者の区別は一体どこでつくのだろう。年に一度の奇跡の夜は、どうして彼らが待ち合わせることを許してくれるのだろうか。
夢の世界に五人が揃い、それによって降谷の心のうちに小さく巣喰った疑問は、本人も気がつかないうちに大きな網となり、架け橋となって。
――今こそ終わりの時である。
それを表すかのように光の波は一層輝き、道の先の出口は、いつもと同じように降谷の目を眩ませて、けれどどこか違うように思えてならなかった。