レナの星霊との戦いを終え数年。美しい建物が並ぶペレギオンにも徐々に活気が戻りつつあった。以前の薄気味悪い静けさを思い出すと背筋に震えが走るが、しかしそれでも人間という生き物は手を取り合って立ち上がっていくことができるのだと、そう勇気づけられる光景でもある。
神聖とも言える通りに並ぶのは、雑貨や軽食、回復薬を扱う露店だった。どこか浮世離れした町並みには似つかわしくない日用品を冷やかしていくと、不思議と懐かしい気持ちにもなる。聞けば商人たちはリンウェルと同じくシスロディアの出身であり、国を出て商売を広げようと目論んでいるらしい。
国の話に花が咲き、そうしてまた来ることを約束してその露店を離れたところで、連れ歩いていたテュオハリムと目が合った。少し離れたところで微笑ましげに見つめてくる瞳に首を傾げつつ彼の隣に並ぶと、「楽しそうだったな」と声が降ってくる。
「うん! シスロディアでよく使っていた雑貨もあってなんだか懐かしいなって。商人さんたちもね、道がだいぶ整備されたしズーグルが襲ってくることもなくなって、いろんなところに行き来しやすくなったって話も聞けたの」
「そうか」とテュオハリムは小さく頷いて「グミやライフボトルを見ると懐かしくもなるな」と呟く。確かに戦う機会も減って、そういった薬の類を使うことはめっきりなくなった。リンウェルはあの何とも言えない味を口の中で思い出しながら、何やら感慨深げなテュオハリムと共にゆっくりと歩を進める。
「露店の中には気になる小物はなかったか」「あったけどお値段が張っていたから」「では戻ろう」「今は良いの!」と金銭感覚のズレや共通の趣味である考古学について身振り手振りを交えながら会話を続ける。
ちょうど昇降機の前にまで着いた時だった。その機械のボタンを押そうとして、ふと、胸中に過ぎる違和感があった。
──なぜだろう。何かがしっくり来ない。
突然立ち止まったリンウェルにテュオハリムは小首を傾げる。そのような彼を気にしないまま周囲を見渡すも、精巧な建物や塔が立ち並ぶいつも通りの光景で何らおかしいところはない。テュオハリムの靴が硬質な音を鳴らす整備された遊歩道。薄く霧のかかる神秘的な情景。
何度も訪れたことのあるペレギオンと変わらない。確かに活気づき始めたこの地域には人の通りも多くなったが、それでも他の国の首府と比べればまだまだ及ばない。
ボタンを押して、そのまま普段持ち歩いている魔道書の存在を確かめようとする。しかしそういえば今日も置いてきたのだった、と思い出した。何せ左手で大きなその本を持っていたら、右手も使えないのだから、両手が塞がって不便極まりないのだ。
──右手?
はた、とリンウェルは自分の右手を見下ろす。右手が塞がっていた理由は。
「そういえば……」
「?」
「う、ううん。なんでもない」
テュオハリムと歩く時には、彼がいつだってリンウェルの右手を握っていた。それは二人で出かけるときの暗黙の了解であり日常だった。だから、テュオハリムと一緒に過ごす際には魔道書は家や宿に置いて留守番させることにしていたのだ。
しかし今は、右手は手持ち無沙汰にただ揺れているだけ。正体に気がついてしまえば、ほんの少しだけ抱いていた違和感が大きく存在を主張し始める。
いつもいつも、手を差し出してくれるのはテュオハリムのほうだった。リンウェルはそれに甘えているだけである。じ、と横目で彼の左手を見つめてみても当の彼は気づいてくれる様子もない。
上層に着き、小さな昇降機から揃って降りる。ペレギオンを包む湿気を孕んだ冷たい空気がリンウェルの右手の温度を奪い冷たくさせる。どうして今日は繋いでくれないのか、自分から繋いでも大丈夫なのかと、とめどない戸惑いが胸の内で渦巻く。
むむむ、と頭を悩ましても答えはでない。それならちゃんと話すべきと結論づけて、勢いよくテュオハリムを見上げた。
「あのね、テュオハリム、」
手を繋いでも良い? とそのまま続けようとした時だった。頭上から、失笑の気配があった。
「え、ええ……?」
出鼻を挫かれたリンウェルが微妙な顔をしていると、テュオハリムは尚もクスクスと笑いながら言う。
「すまない。悩んでいるリンウェルが愛らしくてね」
「な、悩んでるって……。あっ、もしかして、わざと……?」
じと、と睨めつけるとやはり「すまない」と声がある。
「いつも私から手を繋ぐばかりだったから、君から繋いでもらえないものかと思ってね」
ぐ、と言葉を詰まらせると、テュオハリムは視線を合わすようにして背を屈ませる。確かに、確かに自分から繋いだことはないけれど!
嬉しそうに含み笑いをする男は、リンウェルの右手の甲に恭しく唇を落とした。
「機嫌を直しておくれ、私の愛しい姫君よ」
一人で悶々と悩んでいたというのに、手のひらの上でまんまと踊らされていたというわけだ。伺うように上目遣いで発せられた調子の良い浮かれた言葉には返事をせず、ただテュオハリムの小指だけを握って無言の抵抗を示すことにしたのだった。
おわり