鬱蒼と茂る木立が日光をさえぎる山道を、一台の荷馬車が進んでいた。
整備を忘れられた道は深い轍が口を開けている。それに足を取られそうになりながら、荷馬車を囲んで歩く男が三人。加えて御者が一人。
幌付きの荷馬車を引く馬は小型ながらも毛づやがよく、蹄の手入れも行き届いている。馬具や荷馬車、それに男たちの格好の質素さとは対照的で、見る者が見れば、そこそこ裕福な持ち主の荷を、そうと知られないよう運んでいるように見えるだろう。
そう見えるようにしたのだ。先頭を歩く男は、荷台の隙間に隠した剣にそれとなく目をやった。
毛織のマントを身にまとい、フードを目深にかぶっている。わずかに見える鼻筋と口元は品よく整い、時おりなにかを気にかけているように、舌がちらりとのぞき、唇を湿らす。
峠のてっぺんに差し掛かった。ここは国境にあたる。本来であれば関所として警備すべき場所だが、今、国はそれどころではない。
繁栄と共に国外からなだれこんできた移民たち。その中に《スーリャ》と呼ばれる流浪の民族がいる。家も土地も持たず、最低限の財産だけを身に着けて放浪する。
土地の規律に縛られるのを嫌い、人目につかない砦や山中に住み着き、独自の文化と習慣のもとに集団で暮らす。仕事を見つける者もいるが、ほとんどは民家から家畜や作物を盗んだり、強盗まがいのことをしたりして生活している。
国境警備を強化すれば国内が荒れ、国内の犯罪を追いかけていたらどんどん人が流れ込んでくる。おりしも国は強力な海軍を整え終えたところで、視線は海の向こうに向いている。
というわけで、馬車一台ぶんの道幅しかないさびれた通行路などに割く人員はないのだった。
馬がぴくりと耳をそばだて、御者が手綱を緊張させた。
それを感じ取って、先頭の男は前方の暗がりに目をこらす。赤い布の塊が地面に落ちていた。
いや、女だ。
赤いストールにくるまった女が、道端にうずくまっている。
男は荷馬車を止めさせ、幌にぶら下げていたランタンを手に取ると、ゆっくりと女に近づいた。
「困っているなら、手を貸すが」
女が顔を上げた。
波打つ漆黒の髪に、つややかな褐色の肌。暗闇に溶け込むような容姿の中で、瞳だけが明るい青に輝いている。
男はランタンを持つ手に力を込めた。息を呑むほど美しい、若いスーリャの女だ。
女は男を見上げ、はらはらと涙をこぼした。
「市中へ向かう道中で、伴侶に捨てられましたの。わたくしはこんな身の上ですが、伴侶はれっきとしたこの国の人です」
「気の毒に。行き先は?」
「さあ……もうあてもございません」
男はさっとランタンを左右に動かし、女の背後を照らした。女一人のようだ。
「日暮れまでにふもとの村に着く予定です。そこまでご一緒しましょう。よかったら馬車の中に、座れる場所を用意します」
こくりとうなずいて、女が立ち上がる。男は先に立って荷馬車のそばに戻り、幌の先に飛び出ている金具にランタンを引っ掛けた。
そしてもう一方の手で荷台の下を探り、隠してあった剣を引き抜いた。
間一髪。女が突き出した短剣の切っ先が喉元に触れる直前、剣でそれを払いのけた。女ははっと目を見開き、うしろに飛びのく。
「罠だよ、こいつら軍人だ!」
「出てきちゃダメだ! 逃げて!」