手記1
 はじめ、恐ろしいものを見たのだと、子どもたちが酷く怯えていた。日頃はよく弟とや妹たちの世話をみている長子までが、未だ幼い末の子と共に、言葉もなく母の腰に縋りついていた。
 行く宛てがあるわけでもないが、これ以上この村にもいられない。あの方が現れて、得も言われぬ化生の気配がそこかしこに感じられて、実のところわたしも嫁も子らと同様の有り様だった。
 斜向かいの家は、あの方へ下るようになってどうにも様子が変わり果てた。元より信仰心の篤い気風はあったが、あれではまるで従僕だ。すべてがあの方の思うがまま。如何様な理不尽も、村の豊穣と引き換えに、おぞましい行為を躊躇もなく。あの神は、人を人とは考えていない。わたしたちは、この村はあの神の餌にされている。
 その在りかたに不信感を抱いたのは何も、わたしたちの家だけではなく、それならば良くない噂も耳に聞こえることもあるし、と近所へ声を掛けてみることにしたのだ。密告の心配もあり、子らと嫁は一足先に川を越えた平地の方へと逃がしておいた。それが、安全だと思っていた。
 川にほど近い藪の傍で、子らと嫁の姿を見た。昨日の明け方、連れ立った近所の者たちと川を越えようと向かった矢先だった。噂に聞く、犬の仕業だったのだろうか。食い荒らされ、あるはずのものも見当たらない、散々な骸と成り果てていた。
 後ろで誰かが口にした言葉によれば、犬たちはここよりずっと向こうの、切り立った山に棲んでいると、彼の神が宣ったそうだ。奴らもまた、あれの従僕なのだろう。響き渡った遠吠えに、わたしたちは散り散りになりながら村へと駆け戻った。家族の骸を埋める余裕など残っていなかった。
 閂など上等なものはないから、鋤の柄を戸にかませて、逃げ戻った家の中でじっと息を潜めていた。一枚隔てた向こうをぐるぐると歩き回る、犬の足音がひっきりなしに聞こえている。頭の上にある格子窓から、濡れた肉質の、ひょろりと長い物が覗くように先端を漂わせている。あのガリガリに飢えた犬たちの体躯からたちのぼるのと、同じ臭いがそこからしている。
 あれは犬なんかじゃあない。犬の舌など、窓に伸ばしたとてたかが知れている。子どもらの腕、脚、頸、至る所に開いた無数の穴が、瞼の裏にこびりついている。ここへ腰を下ろして幾分も経っているというのに、息は上がるばかりで肺が震える。
 ああ、窓に。窓に
手記2
 ここを離れると言った家族の主人に付いて、賛同した旦那に連れられた先で、食い散らかされた女と子の死体を見た。野犬に食われただけとは思えない。遠吠えが近くで聞こえたから、一目散に走りだした旦那の背を必死に追いかけて家まで戻ってきた。
 戸の調子が悪くて閉まらないのを、旦那は面倒がって直さないままにしていた。屋根裏がなかったら、間に合わず犬に囲まれていたと思う。あたふたする旦那の襟首を掴んで、慌てて梯子を登って、屋根裏に引き上げた。梯子を外すことはできないから、屋根裏の引き戸をしっかり閉めて、物音を立てないようにじっと旦那の口を両手で覆っていた。
 旦那はどうしても下の様子が気になったのか、辺りが静かになってまた幾ばくもないのに、屋根裏の引き戸をそうっと開けて、身を乗り出した。途端にへどろを煮詰めたようなとんでもない唸りが、旦那目がけて突撃してきた。間一髪で戻った旦那の上半身は、冷や汗でびっしょりだった。引き戸をがちがち震える腕で抑えながら、今度こそ黙り込んだ。
 木のへし折れる嫌な音がしたから、きっと梯子が折れたのだと思う。あの馬鹿でかい犬ころたちが一斉に飛び掛かったものだから、耐えられなかったんだ。梯子がないなら、ひとたび下へ降りればもう屋根裏へは逃げて来られない。
 喉も渇いて、腹も減った。けれどここには水も、食べられるものもない。村は豊穣の神とやらの加護であれだけ栄えているはずなのに。どこぞの信仰篤いお偉い方、なんて言ってもどうせ出も身分も変わらないくせに、あの方のお世話役だとか何とかで偉そうにしている奴らが、あれこれと取り上げていくせいだ。何が神なものか、あんなの気味の悪い我儘な、ちょっとばかし若いだけの娘っこじゃあないか。いや、やっぱり気味が悪いったらない。こんな化け物をけしかけるような力があるなら、あれもまた化生の類なのかもしれない。
 二度か、三度か。日が落ちては登った。村側の壁に、屋根裏にあった農具でどうにか小さくのぞき窓をこさえた。そこからどうにか日の移りがわかった。そんな今朝、ずっとその隙間を覗くか、隅で膝を抱えてた旦那が、覗き込んだ姿勢からころりと腰を抜かして転がった。
 目が合った、とか同じ目をしてた、とか。もう少しすると、鱗が旦那の頭ほどもある巨大な蛇の腹が村の中でうねっていたとか。お迎えの近い旦那の幻覚か、それともこの村が本当にどうにかなってしまったのか、もうわからない。
 旦那が妙なことを言い出した。自分たちが逃げ出そうなんてしたから、あの方はあの家族みたいに嬲り殺してしまおうとしているのかもしれない。心を入れ替えて、これからはあなたの言うとおりに信心しますと頭を下げて懇願しよう、まだ間に合うかも。なんて呑気な頭をしているのか。
 馬鹿を言うもんじゃないと反対したのに、旦那はわたしの腕を引いて屋根裏の引き戸をすんなり開けたものだから、咄嗟に振りほどいて背を突いてしまった。転がり落ちた旦那は腰を打った呻きをあげて、ずうっと開け放たれている家の戸の方へ顔を向けて、その後はわからない。上から見下ろしていた分には、あっという間に群がった犬たちの背中しか見えなかった。
 落ちてきた旦那に気を取られたおかげか、わたしの方は放っておかれた。一度ぴったりと屋根裏の引き戸を閉めてから、ほんの少しだけ開けて下を見ていた。川の傍で見た、あの家族と同じ姿があった。貪られる悲鳴すら聞こえなかった。声の漏れる暇もなかった。わたし以上に、あの犬の飢えは底がない。
 犬は常に獲物の近くをうろついている。わたしがまだ、ここに居るからだ。犬が山へ帰る素振りがないのは、つまり例の神さまがわたしらを許す気がないってことなんだ。旦那みたいに、餌になるくらいなら、ここで飢えて死ぬ方が、わたしは、ずうっと良い
廃屋3
 戸は閉まっているが、問題なく開くようだ。この家には仄かに生活感が残っている。台所の窯の中には、今まさに火を点けようとでもしていたように細かい薪などが組まれている。その他調理台や、錆の浮き始めた包丁などの調理器具、食材を入れていたのだろう網籠やザルもその形を保っている。調理台の上では、殆ど土に還ってしまった野菜の切れ端や、もう雑草との区別も一層難しい状態の山菜が干からびている。
<目星>居間の隣に寝室がある。居間の奥側は壁ではなく雨戸になっている。縁側もあるようだ。
(RP)
 居間には火鉢と、座布団。それから、立派な造りの箪笥がある。寝室では畳まれた布団と、その上でこれまたきちんと畳まれた着流しが静かに夜を待っている。当然の光景が、寧ろ違和感となって君たちへ訴えてくる。間違いなく相当な時間、時代が過ぎているはずであるのにも関わらず、もしかするとつい最近までここで生活があったような、強い人間の匂いがあちこちから滲み出てくる。
(RP)
 居間の雨戸を引くと、縁側があった。鑑賞でも楽しんでいたのか、さすがに花弁のひとつも綺麗に浮いてはいないが、ひとつの空になった水盆がぽつんと取り残されていた。陶器の水盆には、華やかな意匠が施されており、この村の朽ちた雰囲気には随分と似合わなく感じられる。
(RP)
 箪笥には上等な取っ手があり、引き出しが八つある。順に開けていくと、中身はただひとつの引き出しを除いて全て空だった。真ん中のひとつを開けた中には、鉤付きの縄梯子が綺麗に収められていた。
<目星>鉤部分は錆びておらず、縄も傷んでいる様子はない。試しに強く引っ張ってみれば、しっかり編み込まれた頑丈さを体感できた。問題なく使えるだろう。
(RP)
 箪笥は中身がないおかげで簡単に動かすことができた。ずりずりと底面を畳に滑らせながら壁から離すと、その後ろでぱたりと何か倒れた。背に糸を通して縛った、冊子だ。表紙部分には、擦れているものの辛うじて日誌と読める文字がある。
 日誌を開くと、中は滲んでその大部分が読めなくなってしまっているが、最後の数頁だけは無事なようだ。よく整った文字が、はっきりと並んでいる。
 以下、日誌の一部。
 天気、とても良い。子どもたちが世話になったと、その母親が礼として薪をいくらか分けてくださった。腰を痛めているものだから、随分と助かると言えば、子どもたちの方が今度遊びに来た時に薪割りを手伝うと言ってくれた。いつも幼い兄妹まで一緒にいるのを考えると、少し危なっかしくて目が離せないし、怪我なんてさせられないから、気持ちだけ貰って、ばあばの相手をしてくれるだけで十分だと伝えておいた。あの子どもたちは、親によく似た良い子らで、可愛げもある。
 天気、良好。今日は、洗濯場で末の小さな子を連れていた。後ろ髪の結いが解けかかっていたのを教えると、川面を覗き込みながら直していた。顔立ちも凛として、彼女の快活さがよくあらわれている。日頃、何かと家のことに手を貸してくれたり、夫が先立って以来億劫な力仕事にも協力してくれることが多くて、感謝が絶えない。ふと、懐に仕舞っていた手鏡を思い出して、彼女へ贈ることにした。大事なものではないのか、こんな上等なもの、と遠慮するのを、私の我儘だからと受け取ってもらった。鏡なんて持ったことがないから、と嬉しそうに綻ぶ様子に、私まで嬉しくなってしまった。夫の下へ嫁ぐ際に持ち込んだ物の数少ないひとつで、思い入れもそれなりにあるものの、今となっては使うこともそうあるものではない。それに、あの娘なら私が逝った後でも大事にしてくれるだろうと安心もあった。
 天気、曇り。風が湿っていてとても重たい。あの家族と、近所の夫婦の家の周りが騒がしい。それに、村全体の雰囲気も何だか、歪んでしまっている。夫の後に村長として座っているあの男は、すでに村長を名乗っておらず、世話役であるとふれまわっている。私ももう起きている時間の方が短く、床に臥せってしばらく経つ身だから、耳に入る話も多くない。その世話役は、きっと、とても良くないものを村へよんでしまったのだと私は感じている。あの男は金回りが良くなっているそうだけど、村の中でもここ一帯、村の端の方面では寧ろ生活が苦しくなっているそうだ。もっと身体が自由であれば、力が健在であれば、何か手立てを戴くこともできたかもしれないが、それも難しい。昔は、水盆とあの手鏡を合わせて、あらわれた者にあれこれと助言を貰ったり、たまに叱責を受けたり、何かと役立ったものだけど。けれどあれは胆力の要るものだから、年を重ねるごとに覗く機会も、みることも難しくなって、すっかり衰えてしまった。今一度、あれが出来れば。もう出来ないことを言ってみても、仕方のないことだけれど。
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向き
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第一部に出す手記を書くやつ。タイトルもいい加減決めたい
初公開日: 2021年08月24日
最終更新日: 2021年08月24日
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コメント
キャンペーンシナリオ第一部にあたる、TRPGのシナリオ中に登場する手記(3つ)を書きます。
システムはクトゥルフです。
シナリオのタイトルもぼちぼち絞るか、決めたい気持ち。
音楽聴きながらのんびり執筆します。