宿儺がいなくなった。行方不明だ。恵にはどうして宿儺がいなくなってしまったのか分からない。
 宿儺と付き合い始めて二年、同棲したいという話が持ち上がり、その日は恵の家で色んな物件を見ながら具体的に計画を立てていた。風呂トイレは勿論別、キッチンにこだわりたい宿儺と防音を気にする恵の希望する物件を探して、あれこれ批評しては来る日を楽しみにしていた。馬鹿みたいに恵にだけは優しい宿儺は、いつ何時も恵を不安にさせたことはない。恵が最優先で、時々仕事すらほっぽって恵との時間を作ろうとするから、その愛情の激しさなんて分かりきっていたし、馬鹿だなと呆れながらも嬉しかった。親にすらこんなに愛されたことはない。世界で唯一の相手だと互いに感じていた。
 なのに、この物件の内見に行こうと決めた日の翌朝、宿儺がいなくなっていた。荷物も何もかも置いたまま、宿儺だけがいない。ベッドにいないのはよくあることだ、キッチンにいなくても昨日使い果たしたゴムを買いに行ったのかもしれない、でも朝からそんな物を求めに恵を置いて出かける男じゃない。朝食の用意は中途半端で、今さっきまでそこにいた気配が残っているのに、宿儺がいない。どうしてだ。何か急用でもできたのか。でも、宿儺は薄情なので家族が危篤になっても駆けつけたりしない。世界一の愛情は恵にしか向けられていない。恵を放置しなければならない急用なんて、宿儺にはないはずだ。
 既に時間が経ってベッドのぬくもりは恵の分しかない。どこに消えてしまったのか、恵には何もわからなかった。
 警察に届け出れば真っ先に疑われるのは恵だ。とりあえず宿儺の身内で恵の友人である悠仁に事情を説明し、宿儺を探し出す為に五条の力まで借りた。だが、一向に手がかりがなく、捜索は途中で打ち切られた。宿儺の勤め先には五条から誤魔化してもらったが、勿論そう長くは続くまい。悠仁と五条は宿儺と恵の関係をよく理解しているし、一週間も宿儺が恵と連絡を取らないことはなかったことも知っている。どれだけ忙しくても一回は電話してきて、恵の声を聞こうとする男だ。何か事件にでも巻き込まれたのだろうかと考えたものの、宿儺は自力でその状況を打破できるだろうから、やはり宿儺の意思で出ていったのではないか。しかし、やはり恵と前日まで先の事を話し合っていたのに、いきなりいなくなる訳がない。
 最悪な結果を想像してしまいそうになる。あの男がいないなんて考えられない。なのに、毎日会社に出社しては仕事をしなければならず、集中力に欠けた状態ではまともな判断ができない。ミスを連発しては上司に追い詰められ、一日の労働時間がズルズル伸びていく。宿儺がいない。恵の会社は業種的にブラックになりやすい。転職しろと再三言いながら、宿儺が美味しい料理を作ってくれたのが遠い過去のように思われる。嫌だ、遠くに行かないでくれ。
 付き合う前は寧ろ苦手だったのに、どんどんと見せつけられる魅力と恵への強い愛情に惹かれ、宿儺がいなければまともに生活もできないようになってしまったのに、その男がいない。
 どこに行ったんだ、と恵は何度も家の中をひっくり返しては、書き置きなどがないか探している。おかげで部屋はぐちゃぐちゃだ。恵の心境そのものである。でも、あの日の朝、間違いなく宿儺はいたし、恵のために朝食を用意していた。だから、何かあるならメモを残して行くはず。しかし、スマホに連絡はなかったし、家具を退けたところで宿儺の書き置きなどは見つからなかった。
 一体どうして。そればかりが恵の頭を占める。だめだ、夜中まで探して、最近管理会社から騒音の注意を受けたところだし、明日も仕事を七時からしないと間に合わない。もう四時だ。寝ないと。風呂にも入ってないし、そういえば食事もしてなかったのでは。キッチンに立つと、何日も洗ってない食器が目に入った。一人分を作るのが億劫で、コンビニ弁当生活になってしまった。宿儺がいたら、絶対説教される。その後に美味しい料理を作ってくれて、恵の体を労ってくれるのに。いない。どこにも。キッチンに蹲る。だらだらと流れる涙もどうでもいい。宿儺がいない現実にこれ以上耐えられない。どこ行ったんだ、お前。何か連絡寄越せよ。実は急に仕事で地球の裏側に行くことになったから連絡が付かなかった、とかでもいい。何でもいいから、どこにいるか教えてくれ。
 そこで、恵は足元がいきなり光り始めたのを見た。は? 何も光るようなものは置いていない。足元灯すら置いてないのに。涙も引っ込み、警戒心が高まる。一歩下がろうとした瞬間、恵の意識が途絶えた。
 薄暗かったキッチンがいきなり明るくなって、あまりの眩しさに目を瞑ったと思ったのだが、自宅とは違う場所にいる、と恵は目を開けてすぐに気付いた。気を失ったのは一瞬だけ、恵は膝を付いた状態で何やら広いところにいるらしかった。周囲には時代錯誤の近世ヨーロッパのような格好の人々がいて、恵を見て歓声を上げている。
 なんだこれ、新手のドッキリ……? しかし恵にそんなものを仕掛けて楽しむのは五条くらいだが、ここまで手の込んだことはしない。なんなんだ、と訝しんでいたら、正面にある玉座の男が立ち上がって、「勇者よ、よくぞ我が願いに応えてくれた……!」と感極まっていた。変な髪型と変な髭で、正しく絵画の中で見る王族のような中年のひ弱そうな男だ。心做し窶れている。
「いや、五条さんのドッキリですよね、あの人どこいるんですか」
 いくら宿儺がいなくて恵の心がぎりぎりになっているといっても、こういう現実逃避のさせ方は御免被る。それより宿儺を探し出してくれ。
「む? ゴジョ? ふむ、分からんが、勇者に必要な供の名か? すぐに探し出し連れてこよう」
 髭の男が控えていた別の男に命じると、すぐさま他の連中が動き始めた。なんだこれ。五条のドッキリではないのか。
「さて、勇者よ、名を聞かせてはくれぬか。我々を救う偉大な者の名を知らぬのは恥というもの」
「……伏黒恵ですが……」
「フシグロメグミ! フシグロメグミとな? 正しくこれは運命の導きか? 神は我々人類を見捨ててはいなかった!」
 少しどよめいた後、恵の周囲の人々も滅茶苦茶に叫びながら喜んでいる。何なんだこれ。ドッキリにしてはあまりにもおかしい。まず、空気の湿度が違う。日本の空気は湿度が高くて重いが、ここは昔宿儺と旅行したヨーロッパに近い乾いた空気だ。それだけで全然違う。それに床は大理石で、こんなものをドッキリで用意する筈がない。また、周囲の人々の着ている服装にコスプレのような不自然さや妙な新品感もなく、彼らがあの服装を常用しているのが分かる。これは彼らにとって普段着なのだ。
「勇者フシグロメグミ、そなたには魔王リョウメンスクナを倒してほしい」
 恵は聞き間違えたか、と耳の穴をかっぽじった。今、会いたくて仕方がない恋人の名前が聞こえたような……? 何やら不穏な単語とセットだったが、いや、そんな。
「魔王は百年前いきなり現れ、次々と人を殺し、残虐の限りを尽くし、今は北の森の奥の山にいるのだが、彼の者はフシグロメグミを探していると言っていた。そなたの名もまたフシグロメグミ。これが巡り合わせでなければなんとする」
 その説明を聞いて、やたらと凝った設定を出そうとしてくるな、とまだ現実逃避しつつも、恵は周りの人々が真剣に恵に期待を寄せているのをひしひしと感じていた。
「そなたに我が国の勇者に与えるべき装備を授けよう。どうか、我が国を救ってほしい」
 髭の男が恵の目の前まで来て跪いた。訳が分からないが、事情を把握するべく、恵は頷いた。
 この国は諸外国に比べて小国だが、地理的に山に囲まれ、大国の侵略を免れた平和な国だったらしい。それ故に軍事力ではなく、農耕に力を入れており、民の生活の安定を優先していたのだが、百年前唐突に現れた男の所為でその豊かで平和な日々が終わってしまったという。
 男は切り裂くような魔法と火の魔法を使い、散々暴れまわり、畑を食い荒らし、牛や豚どころか人まで食い、この国を蝕んでいた。しかしながら、軍事力の乏しいこの国に男と戦う力はなく、山に囲まれているが故に助けを求めても応えてくれるものもおらず、このままでは国が滅んでしまうと悩んだ結果、王家に伝わる秘術で勇者を呼び出そうということになったらしい。
 この説明を受ける頃には恵も今目の前の事象全てが現実であることを受け入れていた。なにせ、魔法を使われては信じるしかない。
「リョウメンスクナの正体は分からないんですか」
「誰にも分からぬ。どこからあのような邪悪な者が流れて来たのかすら、知る術もなく、我々は日々あの魔王の機嫌を損なわぬよう息を潜めて生きておる」
 国王は溜息を吐いた。哀れではあるが、恵はそんな男を止めるすべを持たない。ただの会社員だ。この国の人間のように魔法でも使えたらともかく、恵が得意なのは電話越しの調子に乗ったクソみたいなクレーム対応くらいで、与えられた装備すら着けるのがやっとだった。甲冑の重さに動けないでいれば、召喚されたてだから力が入らないのだろうと労られたが、単純に現代日本人である恵がそんなものに耐えられなかっただけである。
 断りたくて仕方がないが、追い詰められた国王とその部下達からの「何が何でも倒してほしい」という強烈な期待を向けられていると言い出しにくい。
「リョウメンスクナの顔が分かるものとかありますか」
「用意してある、この国に来た当初の手配書と、最近の絵がこれだ」
 恵は息を呑んで、その手配書を見た。名前からして嫌な予感がしていたが、手配書に写る男の顔は間違いなく、恵が探していた両面宿儺である。しかし、最近の絵では目と腕の数が増え、三メートル近くの身長になっているように見受けられる。あまりの恐怖心で誇張表現をしているのだろうか。
「とりあえず、リョウメンスクナに会ってみます。供はいりませんし、装備も遠慮します」
「勇者よ、あの男と相見えるならば、この装備でも足らんのだぞ」
 国王の心配はもっともだったが、このリョウメンスクナが恵の恋人である男ならば、却ってややこしくなるだけだ。喧嘩好きなので、恵が怒ると煽ってくるという酷いところがある。もしも重装備で物々しく宿儺の所に行けば大喜びで甚振られるだろう。恵一人なら、多少手加減もしてくれるだろうが、周囲の人々がどうなるか保証できない。もし、恵の恋人と同じ名前の別人だった場合は、恵一人が死ぬだけで済む。
 しつこく供と装備を勧められたが、どうにかして地図をもらい、一人で向かうことにした。道中については道案内がつくが、リョウメンスクナの縄張りに入ったら恵一人で行かせてくれと伝えている。案内人の若い男が密かにホッとしたのを見逃さなかった。
 この国で一番早いというスレイプニルの馬車に乗り、王城から北に向かう。山に囲まれているとは言え、西側の山はそれほど高くはない。行商なども西側からやってくるというし、西側の国々とは国交も結んでいるとのことだ。逆に北東は険しい山があり、北の山脈は確かに壁と称していいほど高い。聳え立つ山々は全ての侵略を阻んでいる。
 その北の山脈にほど近い所に、辺境伯の館があったのだが、これがリョウメンスクナに奪われてしまい、北の防衛がままならないという。幸い、後ろの山脈があるのであれを乗り越えてくるものもいないだろうが、だからといって守りを薄くしていいものではない。山賊なども油断できないとのことで、北の領地にはもうほとんど人が住んでいない。生まれ故郷を捨ててでも逃げなければリョウメンスクナに食われるか、山賊に殺されるかのどちらかしかないからだ。農地には向かないが、それなりに手工業などで生活を営んでいたそうだが、安心して暮らせないならば意味のない土地でもある。
 お陰で北の領地から流れてきた人々が増えて、他の領地では食糧難にも陥ったらしい。現在はなんとかほぼ安定したが、リョウメンスクナが田畑を荒らすので、やはり安心できない。
 もしもこれが恵の知る宿儺の所業ならばどうやって罪を償わせるべきなのだろうか、と心臓がきゅうっと締め付けられる。田畑を荒らすのは、まあ、どうにかなるかもしれないが、人を喰ったというのはどういうことなのか。宿儺は美食家だ。食人は好まないはず。ただ、こんな所にいきなり放り出されてしまったら、あの横暴な男のことだ、何をしてもおかしくはない。
 スレイプニルの馬車は3日ほどで宿儺の縄張りの近くに到着した。電車よりも早そうに見えたが、舗道されていない森なども駆けていたので、若干遠回りになっていたのかも知れない。感覚で言えば鈍行列車で国の端から端まで移動したというところか。夜間はスレイプニルの目も届かないし、下手に動けば夜盗や野生動物に襲われる可能性もあったし、スレイプニルや恵達の休憩も挟んだ。軍や王族になれば騎竜篭で移動することもあったらしいが(話を聞くにヘリコプターみたいな感じだった)、ここ百年はリョウメンスクナに攻撃されるので使用していないとのこと。よって、スレイプニルが一番早い。ただ、リョウメンスクナの攻撃がなくなったとしても、もう竜の御者になるための訓練も行われなくなったため、平和を取り戻しても騎竜篭の技術は戻らないだろうと嘆息していた。文化面まで被害があるらしい。ますます宿儺の償わねばならない罪が増えた。あいつ、何やってんだよ、と恵はポーカーフェイスで聞いていたが、本当に心臓がバクバクしていた。
 いよいよ、北の領地に相応しい格好をしてリョウメンスクナの縄張りに足を踏み入れる。案内人は、少々気まずそうな顔をしていた。死地に赴く恵を見送るなんて、確かにいい気分にはならないだろう。恵は案内人の話からもリョウメンスクナの正体が宿儺であることは九割がた確信していた。だから何の心配もいらない。
「帰ったら飯食わせてください」
 それだけ言い残して、恵は案内人を置いていった。彼の手作りの携行食は美味しかったのだ。宿儺にも食わせてやりたい。
 登山は趣味じゃなかったが、なんとか山道は歩けている。雪が多いので滑らないように気をつけないといけないのがかなり疲れたが、持ち前の運動神経で誤魔化したところは多分にある。降雪していなくてよかった、と安堵しながら、与えられた横長の水平な切込みがあるスノーゴーグルを調整する。見慣れないものだったが、雪目を防ぐ目的のものらしい。速乾性のある肌着と暖かなアウター、凍傷を防ぐための目出し帽や手袋など、何もかも与えてもらった。結果を出さなければならない。ただ恋人に会うだけで終わらせるわけには行かない。
 暫く歩いていると何か建物が見えた。リョウメンスクナが現れて、北の領地が空っぽになったのは八十年前のことだから、今や建物は積雪で潰れているところばかりだったが、その建物だけはしっかりと存在している。貴族の屋敷のようだから、あれがリョウメンスクナの館だろうか。宿儺と行ったノイシュバンシュタイン城に似ている。手入れがされていないためか、塔が少し破壊されているが、景観は似たようなものだ。
 漸くか、と安堵して足をすすめる。宿儺がそこにいるはずだ。もしも恵の恋人ではない男がそこにいたとして、魔法を使われたら終わりだが、道中、馬車の中や休憩中に会得した魔法で道連れくらいはできると思う。この世界に呼ばれたからか、恵も奇妙な魔法が使えるようになっていた。案内人は「そんなもの、見たことがない」と始終驚いていて、流石は勇者と褒めそやしたが、恵にしてみればこんなものを得るより宿儺を連れて早く帰りたかった。
 館の寂れ荒れた門の前に立つ。リョウメンスクナは一度も現れていない。本当に今もここに住んでいるのだろうかと不安になったが、それを確かめるためにも入らなければ、と意を決して敷地内に入った。
 途端に火柱が立つ。雪が溶け、辺りが蒸気で覆われる。咄嗟に腕で視界を守り、暫くしてそこを見ると男が立っていた。身長は三メートル、腕は四本あるのがシルエットだけで分かる。あの最新の人相書き、マジだったのかよ。流石に命の危険を感じたが、顔を見て恵は泣きたくなった。
「宿儺、イメチェンしたのか?」
 相手は恵が誰なのか分かっていないようだった。急いで顔を覆っていたスノーゴーグルも目出し帽も何もかも取っ払って、駆け寄る。それで漸く相手も恵のことを分かったようだった。跪いて、駆け寄った恵を四つの腕で抱きしめた。
「本当に伏黒恵か?」
「疑うなら何でも聞け、答えてやる」
 三メートルの身長に見合うだけの大きさになった顔に口付ける。一口で頭をがぶりと食べられてしまいそうだったが、それでもいいかもしれないなんて思うくらいには今気分が高揚している。
「待て、ここではお前が凍える。屋敷に入れ」
 抱き上げられ、恵が投げ捨てたスノーゴーグル達も回収して屋敷の中に入る。中は少々埃っぽかったが、宿儺は一番広い広間で生活しているらしく、そこは暖かく、それなりに生活感があった。
 部屋に入るまでに恵が宿儺に口付けていると、擽ったそうにして時折べろりと顔を舐められた。本当にでかくなってしまって、以前も気にしていた体格差が更にひどいことになってしまった。
「お前が何故ここにいるか説明してもらおう」
「そっちこそ、いきなりいなくなりやがって」
 双方睨み合って、宿儺が溜息を吐いた。
「お前と離れてしまった日のことは覚えている。あの日、お前の家の台所に立って、朝食を用意していたが、いきなり足元が光り、ここに来ていた」
 恵と同じ経緯のようだ。あの家の台所に変な装置でも埋められているのだろうか。
「右も左も分からない状態で、俺なりに生きるため、様々なことをしたが、結果として言うならば王家に裏切られ、俺は魔物扱いされた」
「裏切られた? どういうことだ」
「連中は俺を勇者扱いしたかったそうだ。来る隣国との戦争で救いの手が欲しかったので召喚したと。俺は確かに隣国との戦争で活躍したとも。ただし、殺したのは隣国の兵士のみならず、この国の人間も含めてだ。勝手な連中の言い分に従う義理はないからな。俺を扱いきれなくなったと判断した王家は当初交わした『戦争が終われば返す』という約束を反故にし、俺を北の山に追い込んだ」
 ああ、と恵は頭を抱えた。この男が他人の命令に素直に従うはずがない。契約条項に「この国の人間を決して殺してはならない」とあったのであれば、殺しはしなかっただろうが、そうでなければ何の縛りもないと大暴れするに違いなかった。まさか殺人にも躊躇いがないとは驚きだが、学生時代の荒れっぷりを知っていれば、ないこともないとしか言えなかった。
「とりあえずお前がどうしてこんな所にいるのかは分かった……。人を食ったってのは本当か」
「胃に入れていない。噛み殺した時に少しばかり味わったが、食えたものではない」
「いやもうそれ食ったと一緒だろ」
 王家に裏切られたと言うが、かなり自業自得ではなかろうか。まあ恵以外には薄情どころか冷酷で残忍な男なので、予想外ではない。予想外なのは、殺人・食人を犯した宿儺に対して忌避感を持っていない自分自身の方だ。恵も大概宿儺に影響されているらしい。
「体のサイズどころか腕と目が増えたのは?」
「知らん。勝手になっていた」
 ぎょろぎょろと動く、もう一対の眼にすら愛嬌を感じている時点で恵も手遅れである。
「伏黒恵、お前も話せ」
「俺の場合はお前を倒すために呼ばれたらしい。俺の家の台所から移動したから、全くお前と同じだ。ただ、俺はお前が消えてから一ヶ月ほどしか過ごしていないが、お前は百年こっちにいたんだよな」
「ああ、随分と長かったようにも、一瞬だったようにも思える」
 手の甲で恵の頬を撫でる手付きは優しい。これは宿儺の手だ、と嬉しくなって、その手を握る。大人と子供のようなサイズの違いに笑うしかない。ふと、くう……と恵の腹が鳴った。北の領地に踏み入れて数日の間、まともな補給ができていない。恥ずかしくなったが、宿儺は笑って恵を下ろすと「飯にする。待っていろ」と広間を出ていった。
 天然の冷凍庫に保管していたらしいイノシシ肉を焼いたものと、パンとスープが用意された。
「案外、ちゃんとした食生活送ってるんだな」
「お前のために用意しただけだ。普段は肉しか食わん」
 その中に人肉が入っていないことが幸いである。ぼたん鍋は食べたことがあるが、焼かれただけの猪の肉は少々硬かった。しかし、なんとなく今まで作ってくれた宿儺の料理の味がする。無論、本人が作ったのだから当たり前なのだが、この城には日本のような調味料や調理器具はないため、かなりシンプルな味付である。それでも宿儺の味だと感じられ、ずっとこの味に会いたかったという気持ちが込み上げてきて、前が見えなくなる。恵にとって長い一ヶ月だった。宿儺はもっと長い時間を一人で過ごした。でも漸く終わったんだ。やっと会えた。
「泣くな、この手では拭いきれん」
 宿儺の指が恵の目尻を拭う。大きすぎて細かい作業が不得手になっているかも知れない。あんなに器用な男だったのに。
「夜の方も困ったものだ。お前の小さな体で受け止めきれるはずがない」
「そこは……なんとかする。遠慮したりすんなよ」
 ぺしっと頬を叩いたら、宿儺が目を見開いた後、唇を恵に押し付けてきた。別に親指サイズほど差があるわけでもないのに、巨人の唇はとても大きく感じる。まともにキスしたら多分、大変なことになるだろう。
 数日後、宿儺に大きな首輪をつけて恵は王城に帰還した。宿儺の首輪に着いている鎖は、恵が握っている。
「フシグロメグミよ、何故そのものを連れておるのだ!」
 王都を通らずに宿儺の脚力で王城の敷地内に移動したので、大きな騒ぎにはなっていないが、王城内はてんやわんやしている。恵が平然とした態度で宿儺をつなぐ鎖を握っているから、皆はまだ正気を保てているのだろう。
「少々確認したいことがありまして」
 それからは王と恵の交渉が始まった。宿儺の今までの話を多少隠しつつも全て伝え、その後、元の世界に戻るすべがあるのかを王に確かめさせた。結局の所、確かにそういう魔法はあったが、成功する確率は低いらしい。誰も使ったことがないし、成功したかどうかはその目で確かめられない。そういう意味で不安要素しかない魔法だった。それに、宿儺の大きく変化した体が人間サイズに戻るかも怪しい。
「恐らく、人を切り裂き、焼き尽くすのに魔法を使ったからであろう。魔法は対人で使うものではない。古くから人に魔法を使えば魂が変容すると言われておる。その言い伝えを皆が守っていたから、変容とは一体何を指すのか誰にも分からなかった。しかし、リョウメンスクナ、貴様を見る限り、魔物へ変容すると知れた」
 王は疲れ果てた顔をして俯いた。リョウメンスクナの話は、王家の恥も含まれている。あまり大っぴらにしたくはないだろう。宿儺の話を信じるような人は多くはないだろうが、万が一吹聴され、捻じ曲げられ、王家に反感を持たれても困る。北の領地を住めないようにしたのが王家だという噂が流れでもしたら、未だに残る領民同士の諍いに火がつくだけだ。八十年経とうとも、北以外の領地の人々は北の領民を受け入れきれていないし、北の領民は差別にあって苦しんでいる。国内だからといって、平等な生活を送れるわけではない。土地も仕事も失った彼らがどのような人生を強いられてきたか容易に想像がつく。これらは北の領民の祖父母を持つ案内人が教えてくれたことだ。
「この男が元の人間に戻れないことは分かりました。見捨てるわけにも行かないので俺もここに残ります。元の世界に戻さなくて構いません」
 最終的に、王には「リョウメンスクナは流れてきた勇者によって倒され、今は従者になっている」ということにしてもらった。殺したくはないと何度も説得をして漸く了承を得られたが、確かに魔物を生かしたくない彼らの気持ちは分かる。しかし恵にとってはやっとの思い出探しだした恋人だ。殺すなんて許せない。
 北の領地の主にならないかとも誘われたが、恵はそれを断った。宿儺と生きていきたいだけなので、名誉や地位は不要だったし、だいたい一会社員がいきなり政治家になれるわけがない。王としては北の山脈があるとは言えども、強い軍隊を持たないこの国の貴重な戦力になりうる恵と宿儺を留めておきたかったようだ。百年前の王はともかく、目の前の王は追い詰められて恵を召喚しただけの平凡な男だ。特別善人でもなければ、悪人でもない。それなりによくしてもらったので、少々申し訳なかったが恵は宿儺を連れて旅に出るつもりである。一所に留めておいたら、宿儺のような男はストレスが溜まって何をしでかすかわからないし、この世界を見て回りたいのも事実だった。
「いつでも立ち寄るが良い。そなたならば喜んで迎え入れよう」
 さらっと宿儺を無視して王が恵みに別れの挨拶をする。宿儺はどうでもいい輩の礼儀作法にうるさくないので、無視されたことも気にしていないらしい。
「何処に行きたいんだ?」
 王城を出て、人気のない山を通りながら宿儺に尋ねる。宿儺は百年間、この国でぐうたらしていたのでこの国以外を知らないらしかった。
「とにかく南だ。雪は暫く見るつもりはない」
「南か、海にでも行くか? 魚が食べたい」
「承知した。海に出たらなにか作ってやろう」
「楽しみだ。その前に潮とか調味料買わねえと」
 人一倍大きくなってしまったので、思い切り見上げないといけない。顔を見ようとしたら眩しくて目をつぶってしまった恵を、宿儺が抱き上げた。
「道中は俺を馬とでも思え。この方がいい」
 恵は宿儺の頬に口付けて、「海まで走ってみろよ」と軽口を叩いた。結果としては、スレイプニルの三倍は早かったので、途中で気を失った。そんなことですら楽しくて、宿儺と二人でやりたいことを羅列する。この世界で何ができるかまだ把握しきれていないが、宿儺と二人ならなんとでもなるだろう。
カット
Latest / 232:17
カットモードOFF
107:02
あぼだ
なんかめっちゃハート送ってくださってありがとうございます!
チャットコメント
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
彼氏が異世界で魔王になっていた件
初公開日: 2021年08月14日
最終更新日: 2021年08月20日
ブックマーク
スキ!
コメント
現パロ宿伏が異世界召喚される話
寝台列車
寝台列車に乗ってヤッてるだけの宿伏。短い。
あぼだ
影人形
宿伏の、よくわからない話です。語り手は恵の息子のはず
あぼだ
穹ヴェル前提の虚ヴェ(寝取られ
💫と結婚してて人妻の👓おじちゃんがなんかよくわからん理由で🟨に手を出されて寝取られる話
fz