11話 レース前の作戦会議
新聞にロイヤルブルーステークスの詳細が載った。
馬番号が振り分けられ、新聞には馬名、騎手、オーナーと調教師、そして戦歴。
競走馬の情報が余すところなく載せられた。
その中で、金獅子の名の横にリュミエールの名前があった。
当の本人はまだ厩舎で修行を続けている。
疾風(はやて)の名の横にミスティリア殿下という書かれた方をした|蒼き髪の姉が、妹のメリーに記事を手渡した。
はじめてみる競馬新聞の情報量に目を白黒させながらも、自分たちの名前を見つけると俄然真剣な目つきになった。
「勝てると思う?」
妹の素朴な問いにミストも苦笑いだ。
「正直、やってみないと」
勝てる、と言いきりたいが、あえて素直に応えた。
「はあ。緊張して倒れそうだわ」
すぐにメリーは新聞から目を離した。
「ちょっと不安。いいえ、調教ではいい走りをみせてくれたから、期待は出来る。でも、センセイが言ってたメニュ
ーは消化できなかった。まるで、ここが弱点ですって言ってるみたい」
金獅子(きんじし)の調教。
ミストは疾風の調教が終わった直後だったので、見ることが出来なかった。
「デキはいいって聞いてるけど?」
「さすがの走りをしていたの。だけど」
同厩舎の春風(はるかぜ)と千歳(ちとせ)の二頭を先に行かせ、五~六馬身うしろから追走し、ゴール前で差しきるという本番に似たシチュエーションでケイコをした。
騎手の手綱捌きが注目された。
リュミエールは言われたとおりにしていた。
徐々に加速し、コーナーを曲がりながら、二頭の間に割り込み、抜いていくという手順。
しかし、現実はそううまくはいかなかった。
金獅子自ら、二頭の間を割って入るのを嫌がり、二頭の外側へ進路を取った。
リュミエールは金獅子の意向に逆らわないように機転をきかせた。
前回は無理矢理ひっぱってやる気をなくした手前、試しにやりたいようにやらせてみたのだ。
金獅子の加速は想像以上だった。
予想外の加速に重心がずれ、前屈みになりすぎてバランスを崩しかけた。
しかし、慌てず、考えるよりも先に体が動いて態勢をたてなおす。
これはここ最近の騎乗回数が増えたおかげだ。
すぐ前を走る春風は名前はさわやかだが、実に泥臭いよい走りをする。
じりじりと迫る脚にキレはないが、しぶとく長くいい脚をつかう。
勝負根性のある馬なので、並ぶと、一度バテたとみせかけてもう一息伸びる二の脚、三の脚を駆使して、なかなか抜かせてくれない。
併せ馬にもってこいといいたいところだが、逆にしぶとくて抜かせてもらえないのでどちらの馬もがんばってしまい、調教バテしてしまうという曰くつきだ。
なぜその馬を相手に選んだのか。
リュミエールは深く考えなかったし、考える必要もなかった。
金獅子は並ぶ間もなく、二頭を横目に見る余裕でコースの|外側から《・・・・》あっさり交わしてゴールした。
あまりに鮮やかに差しきって先着してしまい、内側に二頭いるのすら忘れてしまうくらいだ。
能力の高さを改めて感じ取れる調教になった。
しかし、本来は二頭の真ん中を割って、という注文だった。
双眼鏡でその様子を静かにじっくり見守っていた調教師は言葉少な目だった。
「デキはいい……が」
記者の前とはいえ、なんとも歯切れの悪い言い方をした。
結局新聞にはデキは抜群、古豪二頭をあっさりかわすというような評価にまとめられていた。
競馬新聞はゴシップ紙と違って悪くは書かないのね、などと地味な感想をつぶやいたら、ヒートに言わせれば今後も仲良くしたい取材対象だから飯の種を悪くは書かないんだと訳知り顔で解説が入った。
実際の調教師の説明では、弱点を克服する気のない力業の走り方をした、ということだ。
前哨戦は馬群に包まれて出られず、やる気をなくして終わり。
本番でも同じことが起きないとはいえない。
付け焼き刃ではあるが、少しでも馬群を割って入れるようにと思ったが、やはり付け焼き刃では行かないようだ。
「じゃあ、どうするの?」
「大胆なレースをしましょう」
直線一気の追い込み勝負。調教師の作戦は実にシンプルだ。
疾風が逃げる。
一番後ろから金獅子が最後の直線に賭ける。
「それは最初にも聞いたわね。わかりやすいけど、大丈夫なの?」
ミストにはそれがどういうことか、もうちょっと詳しくわかる。
先頭を走る疾風がレースをつくるのだ。
金獅子のためのペースをつくりだす。
まさにペースメーカーだ。
「青空賞みたいに逃げ切ってもいい?」
前哨戦は伏兵扱いだった。
鞍上のソルティーのがんばりもあって、逃げ切りをおさめることができた。同じようになるとは限らないが、ならないともいえない。
前走で走りがイマイチだったとはいえ、世間では金獅子対銀狼の構図が変わるわけではない。
少なくても三番手以下の評価。またしても伏兵として見られるならチャンスはある。
「他にも逃げる馬がいるんでしょ」
「そう。聞いてた? けっこう大逃げをする馬がいるって話だから、簡単じゃないよね」
それならそれで二頭でガンガン飛ばして、レース全体のペースを極端に前がかりにして直後についてくる先行馬をバテさせられる。
そうなると馬群の後ろで脚を温存している差し馬、追い込み馬の出番である。
作戦の真の狙いはそちらだ。
前に行く馬たちをバテさせて、金獅子が外から差しきる。
問題は前に行く馬たちの体力が余っていると金獅子が届かない可能性がある。
「金獅子を信じてあげて」
本命を勝たせるためのトリックスター、それが疾風の役割。
他の馬を潰すために自分も潰れる。
だから、言葉ではもしかしたら逃げ切りもあるかもなんていいながら、まず、現実にはそうはならない。
いわゆるオトリ、当て馬。
その立場からして、勝つためには金獅子を信じるしかない。
逆に信頼に足りる能力があってこそ、成り立つ作戦でもある。
ふぅ~と深くため息を吐くのはメリーだった。
「わかってるけど……」
その先の言葉に困り、言葉に詰まっていた。
「応援してて。きっとその言葉が力になるから」
軽く肩を抱いて、笑顔で励ました。
そして、ミストは騎手用の帽子と鞭を手に取る。
「こういう時、一番いい席ってどこだと思う?」
質問の意味が分からず、メリーはきょとんと首を傾けた。
「ゴール前の最前列」
姉がおどけて楽しみ方を教えてくれる。
「……みなの前ではしゃぐのはちょっと」
想像して、少し頬が赤くなってしまった。
まだお客さんも入らない朝の時間。
リュミエールは特別に馬場の下見をさせてもらった。
鉛色の雲が空を支配し、時折雨がぽつぽつと落ちてくる。
湿った芝生の上を大股で歩いていた。
ぬかるんだ馬場と言えば、前走を思い出す。
あまりよい記憶ではない。
調教師のフジーも言葉少な目に隣を歩いた。
1コーナーを過ぎたところで最初に口を開いたのは、リュミエールだった。
「このあたりから、外へ出たがっていました」
そのまま手綱を絞って、じっと耐えた。
そのときは耐えてくれた。
黙々と早足で歩きながら、2コーナー過ぎで再びつぶやく。
「バックストレートでも外に出ようとしていました」
観客スタンド前のゴール前のデッドヒートを演じる直線とは正反対の直線、いわゆる向こう正面の直線・バックストレートで再び金獅子は馬群の外に出る意思を示してきた。
しかし、リュミエールは馬群でじっとしていろと手綱を絞る。
基本に忠実に後方待機策を採った。
徐々に嫌気が差してきたのか、金獅子の走りに異変が出てくる。
騎手が馬と喧嘩するとはよく言ったものだが、この場合、金獅子が呆れていたとリュミエールは証言する。
「おまえは闘う気がないのか、そう問われているような気がします。作戦に目を奪われて、金獅子の気持ちを汲めなかったのは私の責任です」
うむ、と調教師はうなずく。
「あれだけの馬の数があって、馬群の中にいたら、思いっきり走ることができないって金獅子はわかっているんです。だから、馬群の外に出て思いっきり走ろうとした。でも、それはあまりにコースロスになる。外周に出れば出るほど、他の馬よりも多く距離を走らされる。まだ3コーナーもありました。そう考えているうちに他の馬に被されてしまい、外へ出る機会を逸しました。そこで完全に金獅子のやる気がなくなったと言えます」
3コーナーを曲がり始めて、回想は続く。
「常識やセオリーを考えるのも必要だが、馬の性格や弱点を知って、実力を信じてやるのも大事だと学べたかな。泥をかぶっただけが敗因ではないということだな」
「はい」
3コーナーから4コーナーへまわり、やがて最後の直線が見えてくる。
直線へ向いた時は、今は徒歩とはいえ、握った拳に力が入る。
もう勝負はこの直線しかないのだ。
前哨戦では馬群がばらけず、進路がなかった。
バテた馬が下がってくるのをさばきながら、ようやく少しだけ前に進むことができた。
レースの大勢にはなんの影響もない後方での入線。
ただ後ろにくっついてきて最後になんとなく前の方に陣取っただけでレースが終わってしまった。
4コーナーの出口から直線を眺めると、壁のように見える坂がある。
坂下から眺めると、長く続く最後の試練に生唾を飲み込む。
「この坂で勝負は決まる」
調教師は断言する。
「疾風をはじめ、他の逃げ馬もここで脱落するだろう。ここを金獅子とともに一気に駆け上がるのだ」
「ええ……」
比較的、芝の状態の良いコースの真ん中を歩いていた。
内側のコースは距離ロスが少ない。
競争に有利なため、よりたくさんの馬が通り、一番先に荒れる。
現に、リュミエールの眼にも蹄で掘り返されている芝生が目に付く。芝生がはげてしまっている場所もある。そういった荒れ馬場を得意とする馬もいるが、たいていの馬は綺麗な芝生が生え揃った方が走りやすい。金獅子もその一頭だ。
いかに綺麗なコースを選択し、前に邪魔のない進路を確保するかが騎手のポイントだ。
一番外側からマクって抜いていけば邪魔はないが、距離損が大きすぎる。
その境目の判断が非常に難しい。
坂を歩き出して、コースの内側の柵に設置されたゴール板が見えてきた。
今日この日のために、鮮やかな青色のリボンが掛けられ、華やかな装飾がされている。
雨露がしたたり、しんなりしているのが残念だ。
直線を歩いている途中で、リュミエールは左手側に振り向き、観客席を望む。
外柵の向こう側は石畳が続き、立ち見客が溢れかえるところとなる。
今は誰もいない。
貴賓席の位置を確認した。
大きな庇のある観客席の三階にある。バルコニーから一望できるつくりだ。
もう、いらっしゃるのだろうか。
リュミエールの今日の任務はロイヤルガードではない。
いつもは細かく刻まれた姫様のスケジュールも頭になかった。
今は、レースにだけ集中する。
目を瞑れば、不満げに口をとがらせ、なにか言いたそうなメリーの表情が浮かんでくる。
その姫様がロイヤルガードのリュミエールを騎手に登録します、と裁定委員に申し出たのは締め切りぎりぎりの時間だ。わざわざ事務所に御自ら乗り込んで、そう告げたという。
金獅子の調教後、ろくに会話をしていない。
だが、手続き上はロイヤルガードの身分で騎乗する。
調教助手ではレースに乗ることはできない。規則で決まっている。
騎手以外での騎乗は競馬を生業にしていない第三者である場合に限り、特別に認められるという規則にのっとり、ウィリアムもミストも、そしてロイヤルガードのソルティーも騎乗できた。
だから、騎手である時はロイヤルガードだ。
いつでも姫様の元に馳せ参じる頼れる騎士でなければならない。
調教助手という隠れ簑のような肩書きはもう通用しない。
そして、そのロイヤルガードに決闘を挑んできた男がいたら、返り討ちにしなければならない。
メリーの信頼に応えることは全力で挑んで勝つこと。
不思議と前哨戦のあとのような気持ちとは違った。
短期間であるが、実践で身につけた技術が自信を裏打ちしているのだろうか。
けっして完璧ではないし、職業騎手と比べたら見劣りするのは当たり前だ。
あのとき。
厩舎で修行してきます……そう単純に言えたら、また違っただろうな。
本降りになってきた雨に、全身を打たれながら、ひとりでほほえんでいた。
貴賓席に向かって、頭を垂れ、そして再び歩き始めた。
ゴールまでの残りの道筋を。
おしまい。