3章
8話 銀狼との併せ馬
 厩舎の朝は早い。
 日の出前から起きて、馬房の片づけ、身の回りの世話からはじまり、日の出と同時に調教コースまでつれていって、調教師の指示に従って、コースを駆け抜ける。
 いくつかの調教コースを競争馬たちが順番に走っていくのだ。
 しかし、すべてに騎手が乗っているわけではない。騎手だってあちこちからお呼びがかかるわけだから、どうしても勝ちたいレースの前に馬と呼吸を合わせるため、志願するというのはあるが、普段は調教師の下で働く助手が請け負う。
 この日も、調教助手が一頭の競走馬にケイコをつけてやるところだった。
 朝靄で視界の悪い中、焦げ茶色の馬に、顔立ち整った金髪の青年がまたがっていた。
 ゆっくりと、さらさらとした砂地のいわゆるダートコースに脚を踏み入れる。
 徐々にスピードをあげていく。
 熱量のある馬体が朝の冷たい風を切り裂く。
 コーナーから直線に向かうとき、タイミングよく追い出しをかける。
 ギアが一段あがるように、地面を蹴る力と脚の繰り出し方が変わる。
 トップスピードに近づき、さらに乗り役からの激励でもある鞭が入る。
 パシッと高い音が響く。
 馬の尻に向かって一発、二発と入る気合い。
 今日は目一杯に追え、という調教師の指示通りに、鞭を繰り返し打つ。
 トップスピードを維持することで負荷を掛けて鍛える。
 調教師は離れた場所から双眼鏡で馬の姿を追う。
「だいぶサマになってきたな」
 フジー調教師は誰に聞かせることもなく、独り言をつぶやいた。
 たまたま通りがかった若い記者が足を止めた。
「フジー調教師、千歳(ちとせ)の具合がよろしいのでしょうか? 力強い走りに見えますが」
 記者はたった今、目一杯に追われている馬の名前を出し、コメントを引き出そうと取材アピールに余念がない。
「……馬はあんなもんだろう。問題は人の方だ」
 記者の頭にハテナが浮かぶ。
「助手の方がなにか問題でも?」
「記事にはしないでほしいが、例の彼だよ」
 記者はぴんときた。
 どちらかというとゴシップのネタだ。
「殿下の騎士様で? センセイのところに弟子入りしてきたとは噂にきいていましたが、立派につとめているじゃないですか」
「彼は真面目だよ。指示通りにこなし、馬の扱いも上達している」
「我々の目にも、他の助手の方と遜色ないように見えます。彼のことは私が記事にしなくても、そのうちに芸能記者が嗅ぎつけてくるでしょう。そもそも、彼はもうロイヤルブルーステークスには騎乗しないのでしょうか」
「……さあ、そこはわからんな」
 それ以上、師は語らず、記者も師が嘘をついてるとは思わなかったのか、追求もしない。
「お話中、失礼する」
 フジー調教師と記者は割って入ってきた、聞き慣れない声に振り返った。
 師の眉間にしわが寄った。
 リュミエールは助手用の赤色帽子をとって、しっとりと汗に濡れた金髪をそのままに、千歳のケイコが終わりました、と調教師に報告した。
「ご苦労だった。すまんがもうひとつ、頼まれてくれるか……?」
「なんなりと」
 自然に仕事の依頼を請け負う。なんでも断らず、貪欲に技術を吸収していた。
「他の厩舎だが、併せ馬用の乗り手が足りていないらしい。行ってくれるか」
「私でよろしいのですか?」
 ほぼ新人に近い助手を貸すのはどうなのか、と疑問が生じたが、
「ああ、君でいい。むしろ君をご指名だ」
 手が空いていると思われたのか、複雑な気分だ。
「君にとって厳しい内容になるだろうが」
「いえ、今はどんな内容ですら糧にいたします」
 師はすまない、と一言謝った。
 リュミエールは不思議に思った。
 それこそ、貴重な機会をもらえたことに感謝したいくらいなのに。
 だが、身に染みてわかった。
 リュミエールが騎乗した馬は千里(せんり)というタテガミも馬体も黒さが目立つ、黒鹿毛の馬だった。
 その馬を先行させ、後ろからめがけて追い込みをかけてくる馬がいた。
 鈍い鉛色に近い芦毛の馬体。
 地を這うようなフォームで迫ってくる。別次元の加速力。
 強めに追い切っていいという指示のもと、千里に鞭を入れるが、まるで意味がなかった。
 千里に気合いが入り、一伸びしたにもかかわらず、後ろからきた灰色の馬はあっという間に並びかけ、余裕の馬なりで併走し、やがて抜いていった。
 鞍上の男は、不敵な笑みをみせつけてきた。
 騎手用の緑帽子、その帽子のツバの影で、顔の大部分は隠れていたが、それが誰かはリュミエールにはすぐにわかった。
 ウィリアム=サドラーと銀狼。
 その調教に付き合わされた。
 そして、その実力を、瞬間的な出来事で察することになった。
 並の馬ではない。
 その並の馬でない競走馬を操っているのは、本来騎手ではない、彼だ。
 思わず拳を握りしめた。
 なにかに叩きつけたい気持ちを抑えて、自分の仕事に戻ろうとする。
 今の自分は仕事を忠実におこなうことが、大事なんだと言い聞かせて。
 ウィリアムとは言葉を交わさなかった。
 意図的に無視したのではない。
 単純に機会の問題で、仕事をこなすことが精一杯で挨拶すらできないのが現状だった。
 する必要があるかといえば疑問だが、挑発されるに決まっていた。
 もっとも、会話以上のメッセージを受け取った。
 冷静さを取り戻すために、さて、次の仕事は、と柱に貼ったチェック表を見ていると、見慣れた人影に気づいた。
 あくびをしながら、髪の毛を逆立てた青年が目の前に立つ。
「よお、朝早くからご苦労さん」
 気安く、適当なノリでヒートは声をかけてくる。
 ロイヤルガードの同期で、養成学校からの友人で頼もしい存在だ。
 ただ、がさつで横柄で声が大きく、いつでも隣にいてほしいという人ではない。
 このときばかりもそうだった。
「がんばってるか? んん? なんだよ、邪魔か?」
「仕事中です、朝はこなすことがたくさんある」
「そっか。じゃあ、連絡だけな」
 リュミエールが去ったあと、新しいロイヤルガードを雇ってはいない。
 という事実だけ告げられた。
「では姫様の身の回りの雑務はどなたが?」
「もっぱらソルティーが兼務でやってる。要は俺たちがおまえの仕事を引き受けてるわけだ。俺だって本来二人でやってる仕事を一人でやってる。こう見えて忙しいんだぞ。ふあ~」
 慣れない早起きのせいか、何度もあくびをしていた。
「そんなイヤミを言うためだけに、わざわざ早起きしてきたと」
「ちげえよ。本質はそこじゃねえ」
 勘違いすんなとクギを差す。
「別におまえと仲違いするつもりはねえよ。早く戻ってこいよ、って言ってるだけだ。これは仕事が大変だからじゃない。おまえが戻ってくるとみんなが信じているから、毎日大変だけどがんばってるんだ」
 リュミエールが自分から去ったわけだが、そこは自分勝手とは言わなかった。
「姫さんはおまえと一緒に戦いたかっただけだけだぞ……あ、知ってると思うけど、俺はおまえにこんなことを言うために会いに来たんじゃないからな。今日はソルティーが疾風に調教つけるんで、見にきたんだからな」
 リュミエールの肩を叩き、言いたいことだけ言って、去った。
 肝心なことを忘れていた。
 疾風の調教がこれからおこなわれるのだ。
 いくら助手でも男性が騎乗すると暴れるわけで、同じ調教師の管理下にある馬でも遠くに位置づけられる。
 このときも意識からはずれていた。
 意図的に忘れていたわけじゃない。
 単に自分の仕事にかまけてチェックを怠っただけだ。
 見届けるのもいいが、仕事に戻るのが先だ。そう、自分に言い聞かせた。
 ウィリアムは余裕の手応えで、銀狼を仕上げようとしていた。
 次は疾風の調教の番。
 あの銀狼に勝てるのか?
 いや。
 金獅子だって、相当のはずだ。
 たしかに銀狼を真横で感じた迫力は凄かった。
 だが、圧倒的という実力差ではない。
 そのわずかな差を埋めるのが騎手の力量。
 ウィリアムは本来の騎手ではない。そこにつけいる隙があるのだ。
 青空賞で競った陽炎もウィリアムの持ち馬だが、銀狼と並べると見劣りする。
 馬体の立派さではいい勝負だが、バネが違う。
 疾風だってそうだ。青空賞では結果を出したが、あれはレース展開に左右されたものだ。
 本番はマークされるから、あんな簡単に逃げ切ることはできない。
 どうしたって、銀狼と対等に戦えるのは金獅子だけなのだ。
 その金獅子に乗るのは自分ではない――
 厩舎に戻る準備をしながら、自分の考えを反芻する。
 勝たなければいけない戦いは手段を選ぶべきではない。
 手段にこだわって負けてしまえば、元も子もない。
 だから―― リュミエールはメリーの元から離れた。
 疾風の調教が気にならないと言えば嘘になる。しかも、レースで騎乗するソルティー自らまたがるという。
 面白半分で見にきたヒートとは違う。
 表情に色を出さず、ただ淡々と調教師に一言断りを入れた。
 疾風の調教を一緒に見てよいか。
 ダメとは言われなかった。
 ただ黙って、調教師の隣に立っていた。
 コースで追い切りをする疾風がいた。
 その背にはソルティーの姿。長い後ろ髪をひとつにしばったものが、風に乗って揺れていた。
「尻尾が二つあるみたいですね」
 馬の尻尾も風に乗るから、馬と人と同じように見えた。
「人馬一体とはこういうことでしょうか」
 思わず、うらやましいとつぶやいた。
「腕力や技術的にはおまえさんの方が上だ。見た目は似たように見えるが、単に馬に任せているだけだ。緊張があるのか、制御し切れていない」
 双眼鏡で疾風とソルティーの様子を追いかける調教師の評価。
「疾風は逃げ馬だからペース配分が非常に重要になってくる。コースのどこかで息を入れないとゴールまでもたない。馬は最初から最後まで全力で走ることはできんよ。前回は同じような逃げ馬がいなかったから、マイペースで走れた。疾風はコーナーで加速するのが苦手だ。三コーナーあたりで後ろから馬がやってくる。焦らずにゆっくりコーナーを曲がってから、直線で気合いを入れろと指示をしたが、彼女はその通りにしたようだ」
 指示した作戦を忠実にこなすことができたので、成果を上げられた。それも期待以上の。
「小手先の技術に頼らないのが彼女のいいところだ。できないことは諦めて、出来ることだけを精一杯やりきる。それでうまくいくかいかないかはそのときになってみないとわからない」
「職業騎手の方であれば、もっと柔軟に動けるのでは?」
「柔軟に動けても、必ず勝てるとは限らない。これが難しい。何十戦としたら、勝率でいえばおまえさんの考えてる通りだ。きっと彼女が勝てるのはほんのわずかだろう」
「でも、今回は一戦だけ勝てればいい」
「それは相手にもいえることだ」
 ウィリアムにも同じことがあてはまる。
 その道の者から見れば付け焼き刃。ただ、その付け焼き刃でも、たった一戦だけ勝つために徹底的に対策を採ればいい。
 だが、リュミエールの主張は変わらない。
「だからこそ、確実に勝つためには職業騎手の方に頼むことが最善の選択に思えます」
「間違いではない。通算勝率の高い騎手に頼むというのはその通りだ。現にアイアンブルーの殿下はその考えを採用してきた。必ず主戦騎手はその年の最多勝騎手だ」
 勝利にこだわるアイアンブルーの名を出されて、同じ考えだとすると、勝つためだけなら間違いない手段のはずだ。
「ではなぜ、おまえさんはここで修行してる」
「わたしにもわかりません」
 核心を突く質問に、ムキになっているつもりはなかった。
 メリーが大事にしているものがあるのもわかっている。
 でも、今のままでは勝てない。
 そこで、ひとつのシンプルな結論にたどり着いた。
 いや、もとからわかっていたことだ。
「わたしはうまくなりたいです」
おしまい
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皇女殿下の競走馬 web用直し作業 8話
初公開日: 2021年06月26日
最終更新日: 2021年06月26日
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