拾い上げた木の枝は細くしっかりしていたけれど、指先には一昨日の夜に降った雨の名残があった。火の食事にするにぴったりだと思ったのに、少し残念。でもこの感じでは、乾いたものを探し当てるのは難しそうだ。手にした籠にぽいと投げ込む。今日はいい天気だから、干しておけば夕方までに乾くかな。
 目についた枝をどんどん籠に投げ入れていく。なるべく細くて、身がしっかりしていそうなもの。ついた泥は指先でなぞって剥がし取り、老いた葉も一緒に仕舞い込んだ。
 一昨日に大雨が降った森は、小枝がたくさん落ちていた。火にくべるのに大きな力にはならずとも、私みたいな子どもでも多く持てる小枝は重宝した。
 もっと森の深くへ行けば、生い茂る葉に庇われ、大樹の洞に眠る枝があるのかもしれない。けれど私は当然、奥深くへ踏み入るのを母さんに禁じられていた。正確に言うと、林檎の木より奥へ行ってはいけないと。
 林檎の木なんて森に入ってすぐそこ。幾分も歩いていないのに、顔を上げるとほんのりと赤みを帯びた果実がぶら下がっている。振り返れば私の家が見えてしまうくらい。だけど私が森に入り始めたときからずっと、母さんはそれを緩めてはくれなかった。
 でも、それにも理由があるってわかっている。森で一度迷えば、生きては帰れない。私はまだ子どもだけど、そのことはよくわかる。
 私が枝を見つけられるのは、林檎の木の手前だから。お日様が葉の隙間から梯子みたいに降り注いで、ぽかぽか陽だまりを作って、地面を照らしてくれるから。振り返れば家があって、雨が降っても風が吹いてもぐっすり眠ることができる場所に、いつだって帰ってこられるから。
 林檎の木を越えてしまえば、その全てが消えてしまう。奥に潜む何かが、ずっとこっちを見ていて、私の足が越えるのを待っている。(、、、)
 そんな気がしていた。
「……よし」
 その林檎の木の手前まで来て、一息。その頃には籠も、小枝でいっぱいになっていた。
 母さんの手伝いをして、ここまで来て。お日様も随分高くなった気がする。木漏れ日が長く伸びてなくて、ぽつぽつと丸いから。いま引き返せば、ちょうどお昼ご飯の時間くらいかな。ふうと空を仰ごうとするけど、当然のことながら空は木々が大きく伸ばした腕と飾りで覆われていて、色さえもわからなかった。
 いっぱいになった籠を、両手で抱え上げる。そうしたらぶら下げていた籠の下に、花が咲いているのを見つけた。黄色の花だった。
「あ、これ」
 思わず一人で呟いた。家で見たことのある花だった。薄黄色の小さな花が綿のように連なっていて、ぶどうのようにも見える。よく見ると萎れている花もいくつかあった。花が咲く時期が終わりかけているみたいだ。私の記憶が間違っていなければ。
「ニガヨモギ」
 そろそろ時期が終わるから、たくさん用意しておきたいな――と、母さんが先日呟いていた。
 少し迷ったけれど、私はそれをかき分けて、なるべく大振りな葉のところを地面に近いところから折った。籠もあるから多くは持てないけれど――なるべくたくさん。そう思いながら、三本目を手折った時。森の奥からさらりと、二日前の雨を含む風が吹いた。咄嗟に私は顔を上げた。
 ――血の匂いがする。
 反射的に座り込んだ。ニガヨモギの背丈が高くて助かった。息を殺しながらまずは目を閉じて、匂いの流れを辿る。――私から見て左奥。当然、林檎の木よりもさらに向こう。私が足を踏み入れてはいけない場所。耳を澄ませる。足音はしない。唸り声もしない。もう一度、嗅覚を研ぎ澄ます。きっとこれは、獣の血の匂い。
 狩られてしまった動物の匂いが、風にのって流れてきたのだろうか。飛び出してきそうな心臓を宥めながら、私はそれでもゆっくり、なるべく音を立てないように立ち上がる。だけどその時にひとつ、森に似合わない音が聞こえてきた。
 それは研ぎたてのナイフが肉を切る音、母さんが気持ち良さそうに料理をするときの音に似ていた。誰かが、奥に潜む何者かの視線を厭うことなく、生き続けようとする音だった。
 林檎の木よりもさらに奥。私が足を踏み入れてはいけない場所。
 折っていた膝を伸ばし、そうっと立ち上がった私の左奥。腕を大きく伸ばす大樹の影に、“それ”はいた。
 鬱蒼と茂る森の中。選ばれた陽の光しか降りることのできない場所で、落ちてきたお星さまのように銀色に光る“誰か”。
 綺麗だった。村中のガラスを集めて重ねて、お日様の光を当てたらあんな感じになるかしら。
 ううん――それよりももっともっと優しくて。森から連れ出してしまったら、消えてしまいそうな柔らかな光。
 一度迷えば、生きて帰っては来られない。ずっとこっちを見ている何かが、私の足が林檎を越えるのを待っている、そんな場所に。
 綺麗な光が、生きていた。
 *
「ただいまっ」
「おかえり」
 家に駆け込むまで無我夢中だった。思いきりドアを開けた私を、台所に立った母さんがのんびりと迎えてくれる。ちりちりと膨らんだ赤い髪が湯気の向こうに見えて、私は思わずほう、とため息をついた。母さんは私を見ずに、ゆっくりと鍋をかき回している。
「遅かったね?」
「……ちょっとね。母さん」
 一番に聞きたかったことはひとまず仕舞い込むことにして、私は籠の中に手を突っ込んだ。からからと軽い枝の中から、柔らかな緑の葉を引っ張り出す。
「これ……」
 湯気の向こうで母さんは、二つのお椀を棚から取り出し始める。そうしながらも私の声に応えて、顔をあげてこちらを見てくれた。瞬間、フレッシュグリーンの大きな目が、さらにぐりぐりと見開かれる。
「ありゃ! ニガヨモギじゃない。綺麗に咲いてた?」
「萎れかけだったけど、まだ綺麗だった。良かった、これ、ニガヨモギで合ってるよね」
「そうよ。さすが私の娘だね」
 春の若葉みたいな目が綺麗に細められて笑うから、私も胸が温かくなった。
 母さんは手を休めることなく、お椀に鍋のスープを注ぎながら、まるで跳ねるような軽やかな声で言った。
「助かるよ。そろそろ時期が終わってしまうからね」
「なら良かった。枝も拾ってきたけど、まだ湿ってたの」
「じゃあ表に干してきて。ニガヨモギも一緒にね。そうしたら手を洗っておいで、ご飯にしよう」
「うんっ」
 私はすぐに踵を返して、入ってきたドアを飛び出した。
 家の壁伝いにぐるりと歩くと、私の家の西側には簡易なテーブルの上に筵を引いた場所がある。大体いつもグリーンの葉が多く敷き詰められているけど、今はところどころ小さな紫色の花や、しとやかな赤い花が干されている。確か小さいのはリンドウで、赤いのは薔薇だ。
 今干されているのはニガヨモギ、バジル、メリッサ……あとはちょっと、わからない。私は筵の端に枝を広げ、お日様の光が広く行きわたるように、重なる場所がないように悠々と並べた。ニガヨモギは整理しやすいように、他のニガヨモギの隣に干した。
 空っぽになった籠を背負い、私はもう一度家に飛び込んだ。テーブルにはほわほわと湯気の立つお椀が二つ。並べられた木製のスプーン。花々が窓際をあざやかに彩って、濃い緑の乾いた葉が天井からカーテンのように吊り下げられている。壁に掛けられたいくつものすり鉢。本棚を埋め尽くす分厚い本。食べ物の匂いはしない。酔ってしまいそうな甘い匂いにはもうすっかり慣れてしまった。
 家の西には天日干しのための筵。東には薔薇を育てる小さなガーデン。南に玄関。北には村を取り囲む広大な森。同じ村の一番近い家まで行くのに、ミサ一回分くらいの時間がかかる場所。
 そんなところで、森と共に生きる私の母さんのことを、村のみんなは“賢女”と呼んだ。
 玄関に汲んであった水で手を清めて、私はダイニングに足を踏み入れる。
「干してきたよ」
「ありがとう。さ、食べよう」
 ちょうど、母さんがスープのお椀をテーブルに置いたところだった。そんな母さんの向かいの椅子に座り、私は手を組み合わせる。母さんの呟く食前のお祈りに心を寄せて、最後の結びで声を揃えた。
 今日はパンとキャベツの入ったスープ。作りたてのそれは温かくて、ずっと外にいた身体と指先にじんわりと沁みる。その時ふと、舌を包み込む豊かな味わいを感じて思わずスプーンの動きを止めた。いつもの野菜とパンだけのスープではなく、そこには肉が――それも干し肉ではない、新鮮なものが入っていた。
「……今日はフォーゲルさんのとこ行ってきたの?」
「うん。この肉はその時にいただいてね」
 そういうことか。家畜を持たない私たちが肉を食べられるのは、母さんの薬を頼る人からの見返りが主だった。
 とはいえ、肉は足が早い。貰ったその日だけ新鮮なものをいただいて、残りは母さんが干し肉に加工する。そして少しずつ、大事に食べるのだ。嫌いな野菜もないし、母さんが作ってくれるスープは好きだ。だけどこうして新鮮なお肉が食べられるのは、ちょっと特別な感じがして嬉しい。私はおいしいものは後から食べるのが好き。だから先にキャベツを口に運んだところで、あの時のことを思い出す。そうだった、私はあのことを聞こうと思って、走って帰ってきたのだった。
「ねえ、母さん」
「ん?」
「森にね、何かがいたの。こう……銀色に光ってて、不思議な感じがした。なんだかわかる?」
「銀色? それは生き物なの?」
「うん、生きてた……と、思う」
 あの時はそう確信したけど、今思い返すと自信がなくなってくる。鬱蒼とした場所に馴染んではいなくて、森に差し込むお日様をぜんぶ束ねたみたいに綺麗で……どこかの貴婦人が落としていった宝石を見間違えたのかもしれない。
 だけど、確かにあそこには生き物の匂いがあって、息遣いがあった。その空気の流れはまるでせせらぎのようで、心地良いものだった――と、思う。
 私の曖昧な言葉にも、母さんは困った様子もなくふむふむと頷いていた。
「そうだな。あんたはそれを見て、どう思った?」
「どう、って?」
「怖かった? 嫌だと思った? それとも綺麗だって思った? あんたはそれを見て、どんな風に感じたの?」
 ――母さんの眼差しは真っ直ぐだった。むしろどこか楽しそうに、私を見ていた。
 どう思ったか。自然に手は止まっていた。私は、あれを見た時に感じたことを振り返る。
 落ちてきたお星さまみたいで、どこかの貴婦人が落とした宝石のようで。漂う匂いは血の怖い匂いだったけれど、それは命を繋ごうとするささやかな息遣いで。――ここまで思い出せば、ううん、思い出すまでもなく、私の答えは決まっていたのだ。
「……綺麗だと、思った。不思議だったけど、悪い感じはしなかったな」
「じゃあ、悪いものじゃないよ。きっとね」
 私が生まれる前から森と生きている、賢女である母さんがそう言い切った。林檎の木より先に行けない、まだ子どもの私の言葉で。
 最初は意味が分からなくて、ぱちぱちと大きく瞬きをした。だけど母さんの言葉が投げ槍なものでないことは、表情を見ればすぐにわかった。瞼を閉じて、唇が薄い三日月になる。優しく、そしてまっすぐに、私の言葉を聞いてくれていた。
「私の娘のあんたが言うんだ。その感覚は信じていい」
 ――私はまだ、子どもなのに。
 やっとニガヨモギの花がわかるようになった。だけど、まだ知らないことばかり。林檎の木より向こうには行けないし、薬の一つも作れない。筵に干してある草の名前も少ししか知らない。薔薇は私一人で育てたらきっと枯らせてしまう。毒草もわからないから無闇な採取はできなくて、獣から身を守る方法も知らない。母さんが水を汲んでくる川の場所も知らない。私はまだまだ、賢女にはなれない。森で生きることはできない。
 だけどその私を、母さんは信じてくれる。知識も知恵もない私が、“綺麗だと思ったもの”を信じてくれる。
 嬉しかった。だけど、母さんが信じてくれる“私”のことを、私が信じ切ることはできなかった。
「また、会えるかな」
 だからもう一度。あの綺麗なものを、確かに美しかったと信じるために。いつかどこかで、あの光に会いたいと思った。
 私の呟きを、母さんはどんな風に捉えただろう。スープの残りを飲み干しながら、まるで花の蕾に包んだような柔らかな息をつく。
「あんたが会いたいと思ったら、きっとね」
 何の答えも出さないのに、どうして母さんの言葉はこんなに安らぐのだろう。とっておいた肉の一切れを、スープと一緒に口に含む。出汁がじんわりと広がってとてもおいしかった。
 私がスープを空にしたのを見て、母さんもお椀をテーブルに置いた。
「ごちそうさま。午後はシュルツさんとこに行くよ。あんたもおいで」
「え」
 困惑がそのまま口から出た。口を噤んだところでもう間に合わない。私のお椀を引き寄せようとした母さんがこちらをじいっと見る。
「……やっぱり嫌かい?」
 困ったように垂れ下がる眉に胸が痛む。私は村に行くのがあまり好きではなかった。それよりは森に行ったり、家にある母さんの本を見たり、草花の様子を確認したりする方がずっとずっと好きだった。家の掃除も火の世話も好きだ。だけど、母さん以外の人とのかかわりは煩わしかった。声がうるさくて、頭に響いて。木々の騒めきや小鳥の囀りを聞いていたほうがずっと心地良かったから。
 黙りこくった私の心境に、きっと母さんは気付いている。母さんは困った顔のまま、私の頭に手を伸ばす。森の匂いがする大きな手が、優しく撫でてくれる。視界の端で、私の金色の髪が母さんの手に合わせて揺れていた。
「あんたがそう思うのは、私の力が足りないからだ。私ももっと頑張らないといけない。だけどね、……アシュリー」
 アシュリー。それはこの辺りでは珍しい響きの、私の名だった。
「薬師には、森を知ることや薬の作り方を学ぶことより、大切なことがある。それが、人々の笑顔を愛すること(、、、)だ」
 ――人々の、笑顔。
 その言葉にぴんとは来なくて、ただ母さんの顔を見上げた。母さんは優しい、まるで秋の昼間の陽射しのような笑顔で、私のことを見つめていた。
「だから、おいで。今すぐ理解しろとは言わないさ。少しずつでいい」
 子どもの我儘さえ受容する母さんの言葉に、私はたっぷり五つ迷ったけれど、結果的には頷いた。
 私の頷きを見た母さんがそれはそれは嬉しそうで、ひとつくらい呟こうかと思った不満も飲みこんでしまった。
 *
カット
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カットモードOFF
04:39
ななし@739bae
👀
05:30
gamehand
ログイン忘れてた案件
05:45
gamehand
聞こえた気がする
06:47
ななし@d3f962
めりです!遊びに来たよ!
06:57
ななし@d3f962
聞こえてるよ!
20:11
ななし@ae8e5d
はじめまして☺︎
21:28
ななし@ae8e5d
書くのはやっw
23:14
ななし@ae8e5d
ゆべしさんの文章好きです…!
26:06
ななし@ae8e5d
字書きさんのライブが見れるなんて感動…!
33:41
ななし@ae8e5d
描写が綺麗だなー
35:07
ななし@ae8e5d
お声が聴けて幸せです☺︎
36:25
ななし@ae8e5d
文章も素敵ですけど作者様も素敵だったのね…
37:50
ななし@ae8e5d
ゆべしさんを最近知りました、FGO作品で☺︎
40:37
ななし@9dda23
黄色の花………
41:31
ななし@9dda23
ミスリード😂
41:39
gamehand
人の文章書くプロセス見てたらスランプ解消しそう 気のせいかもしれない
42:07
ななし@9dda23
分かる 監視されてると進む
42:07
ななし@ae8e5d
文章のプロセス見れるの感動ですね…
43:34
ななし@3fbfb3
ミモザ?
43:51
ななし@9dda23
キャメロットの花…
44:14
ななし@9dda23
www
47:08
ななし@9dda23
ニガヨモギ!
59:44
ななし@ae8e5d
小説がどんどん進んでいく…😳
72:04
ななし@f493d0
生の小説はじめて拝見しました!楽しい!
72:26
ななし@ae8e5d
楽しいですよね☺️
74:36
ななし@ae8e5d
またやってください💕
74:51
gamehand
次も来ますわね
78:11
gamehand
👀
85:02
ななし@f0373f
こんばんは!
174:18
gamehand
覗きに来ました
189:17
来橋石榴
いえ~い こんばんは
259:55
ななし@e6bedb
こんばんは☺️
260:23
ななし@e6bedb
今きました!拝読しますー♡
261:15
ななし@e6bedb
御本楽しみですっ
269:25
ななし@e6bedb
またきます♡
269:39
ななし@e6bedb
お疲れ様ですー!
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向き
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森の白い妖精さんの話(えふご)(ほぼモブ)
初公開日: 2021年06月07日
最終更新日: 2021年06月21日
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べディのお話ですが、べディはほぼ出ずモブばっかりのお話です。
ちまちま少しずつ書き進める予定です。
絆レベル2のモードレッドのお話
前回配信で書いたものの続きです。制限時間は1時間が目標。
ゆべし
FGO二次創作/ワンライ企画
カルデアのモードレッドとマスターの邂逅についてのお話。1時間で配信しながらどれだけ書けるかしら。
ゆべし
皇女殿下の競走馬 web用直し作業3話
コメントに適当書いておいてもらえれば余裕がある時返します。お名前も教えてね!
みすてー