できたー!pixivにまとめるぞー!
また直すかも。
血のかおり
久しぶりの感覚に、シドーはまばたきをした。かつて無数の鱗の集まりだったことを思い出したかのように、皮膚にぶわっと微細な反応が広がるのがわかる。
それを無視して、壁のスイッチを押した。真っ暗だった部屋に一瞬で光が満ちる。
「ビルド?」
机の上に突っ伏して眠りこけている彼の顔は、白い髪に隠れて見えない。
軽く肩に触れても返事がないことはわかっている。こいつは一度寝ると、家が吹き飛ぶとかしないかぎり起きない。
いつもなら抱え上げてベッドに置いてやるけど、今日はちがう。
シドーは迷いなく部屋の隅の引き出しを開け、救急キットと両手に余るくらいのやくそうをつかみ出した。慣れていないので適量が分からないが、少ないよりはましだし、使い過ぎたとしても笑って許してくれるだろう。
静かな寝息を立てるビルドの左手が、力は抜けていながらにして、爪切りを握り込んでいる。そばには燃えつきた小さなロウソク。
シドーの目を惹くのは、右手の爪先にある黒ずんだ傷だった。よく目を凝らさないとわからないほど小さい。
そのかさぶたをガーゼでやさしく拭い、一番大ぶりの葉を巻きつけるように押し当てる。
その手を離さないまま、向かい側に座って頬杖をつき、くすんだ緑色の汁が傷に染み込んでいくのを眺めていた。
固まって黒くなった血には、水分を吸ってもまた紅く蘇って流れ出してくる様子はなかった。奇妙な安堵を覚える。こんなことをしなくても、小さな傷なら治ることも知っている。
ふと、ビルドの爪に目が止まった。ばちんばちんと雑に切られたことが窺える、四角に近い爪。そばにはやすりが転がっていて、きっと途中で寝落ちたのだろう。先の白いところが元々なかったみたいに見えるほど、ギリギリまで切られている。
シドーは自分の指先を見つめた。ビルドがいつも丁寧に整えてくれる、磨いた貝のような爪。
わからない。彼自身のそれと何が違うのだろう。
やくそうのクセのある匂いが濃く漂っている中でも、かすかなはずの血の残り香をかげるのはなぜだろう。身体の奥から湧き上がってくる、不安とも興奮ともつかないこの妙な波は何なのだろう。
カーテン越しに外を眺めてみても、暗闇が生ぬるい明るさをはらんでぼんやりと佇んでいるだけだ。ビルドの工房であるこの部屋には時計がない。
ふと気づけば、やくそうは乾いていた。皮を一緒に剥ぎ取らないように、そっと指から外して捨て、自分は手を洗い、その手でビルドをベッドに運んだ。小さな傷はもうほとんど塞がったようだ。
窓を開けると、嘘みたいにしらじらと空が明るくなっていた。シドーはひとしきり見渡して閉めようとしたが、ふと思い直して、開けっぱなしにしたままベッドに入り、目を閉じた。
たちこめた空気が風にさらわれていっても、あのにおいが、いつまでも胸に烟っている気がした。
「ふいー」
思わず息をついてしまう。昼下がりのスパリゾートは空いていて、心ゆくまでお風呂につかれた。
二、三日くらい作業三昧で疲れ切って、そのあと寝落ちたバキバキの身体をお湯の中で伸ばすのは極楽だ。
「おかえり」
「ただいま。いやーお風呂最高だった!」
「よかったな」
窓の外から差し込んでくる光に照らされて、シドーの両眼がそれぞれ違う色に見える。きらめくほおずきのような黄みのかった赤と、静脈を思わせる真紅。
手で口を隠して、シドーが大きなあくびをした。
「昨日、また運んでくれたでしょ。ありがとね」
「そうだったか?」
「うん、たぶん。寝巻きに着替えないで寝てたし…あんまり覚えてない?」
「変な夢を見たことは覚えてる。オマエ、指をケガしてたよな…」
「指?え、してたっけ」
ビルドはカーテンを閉めた。
(もしかして、今の…光の加減じゃない?)
振り返ると、シドーは意識を失うように眠ってしまっていた。
自分の指先を見る。傷はひとつもない。
昨夜、爪をできるだけ短く切ろうとしたことは覚えている。眠くて爪切りを扱うのがやっとだったことも、作業で汚れの挟まった爪の白い部分が少し憎らしく見えて、早く終わらせたかったことも。
手の甲を人差し指で引っかいてみると、軽い痛みが走る。そうだ、仕上げがまだだった。
やすりをかけながら、ビルドは目の前で閉じられた薄いまぶたをぼんやり眺めていた。