…
呪いは大抵人の住み着かなくなったボロい建物にいる。今にも底が抜けそうな床を並んで歩いていると、静かな部屋に靴音だけ響く。
幽霊でも出そうだね、となんの感情もなく傑が言った。
「見たことあんの?てか幽霊も呪いも同じようなもんだろ」
「少し違うんじゃないかな。幽霊っていうのは人の負の感情から生まれたものじゃないからね、本人の意思でそこにいるものが多いよ」
「でも怨霊になれば俺らの領分だろ?さっさと成仏してくれなきゃ困る」
この日は既に二件片付けている。本日最後の仕事は高専から割と近かったので最後に回した。さっさと片付けたあと、コンビニでスイーツでも買って帰ると予定を立てている。最近のコンビニはどれもクオリティが高い。お手ごろな値段で値段以上の美味さ。甘味は心を癒してくれる。
現場に着いた頃にはすっかり夜だった。労働時間があるようでないのは高専に入って嫌というほど経験している。優秀であればそれだけトントン拍子で片付けられるが、手こずる日だってもちろんある。今日はそうならなければいいが。
現場は大きな通りから外れたところにあるので街明かりは届かない。傑は懐中電灯で足元を照らしながら歩いていく。かたや悟は両手を頭の後ろに組み、およそ仕事中とは思えない態度だった。単に傑がいるから、というのもあったし明かりがなくとも祓えるのでなんら問題はなかった。常に掛けているサングラスだって夜道を歩くのとさほど変わらない。
「出てこねぇじゃん。早く帰りてぇのに」
「二手にわかれる?それぞれ上と下から攻めていこうか」
「賛成、じゃあ上行ってやるよ。オマエ体重そうだから階段上がるだけで息切れしそう」
「…なんだと?」
「あー今は言い争うつもりねぇし退散ー」
逃げるように、だが歩みはいつも通りに階段を上がっていく。そんな悟の背を恨みを込めて睨む。視線に気づいたのかヒラヒラと手を振られ更にイラッとする。
堪忍袋の緒は長い方だが、口を開けば悪態を吐く親友にはほとほと困っていた。反応してしまうこっちもこっちだが、先にちょっかいをかける向こうが絶対的に悪い。疲労が溜まった中そういう癇に障ることを言われるとつい乗ってしまいそうになる。
いけない、今は仕事中だ。雑念を振り払うように首を振り、さらに奥の部屋へと進んでいく。
・
「雑魚も雑魚、何これ」
屋上に行くと蠅頭がひしめきあっていた。数は多い、だが四級にも満たない呪霊はいくらいても瞬殺できる。軽くあしらうように祓い、辺りを確認し室内へ戻る。折角きたのにすべて祓えていなかったらまたこなくてはいけない。そんなのゴメンだ。
でもな、と思う。もっと張り合いのある呪いがきてくれなきゃこっちも骨折り損だ。自分達を派遣したということは、それなりに強い呪霊がいてもいいはずだが。
ひとつのフロアに部屋が三つあり、それをひとつずつ潰していく。呪いどうのではなく立て付けが悪いせいでドアが固く、それがムカついた。どうでもいいところで足止めを食らいたくない。どうせ誰も使っていないし傑もいないからと足で思い切り蹴って開けていく。
「けほっ、ホコリやば」
ムワッと舞うホコリを手で払いながら部屋に入る。窓ガラスも見事に割れていて、外からの空気も余裕で入ってきている。なんでこういうの取り壊ししないんだと毎度のことながら思う。壊すにもお金がかかるんだよ、といつだったか傑が教えてくれた。結局世の中金がなきゃなんにもならないんだな。あんな紙切れにそんな価値があるもんかね。
部屋の隅に蹲っていた呪霊を祓う。向こうは攻撃を仕掛けようとしていたみたいだがそれよりこちらが早かっただけの話。祓った数で競えば良かったな、こういうのに傑は結構ノッてくれるし。
───パァン!
「あ?」
どこか遠くで、…いや下の階か。何かが弾けるような大きな音が聞こえた。傑のほうでなにかあったか。大丈夫だとは思うが一応見に行ってみることにした。
「おーい傑?大丈…」
ひょこっと覗いた部屋に傑はいた。ちょうど起き上がったところらしく、左手で膝についた砂ぼこりを払っていた。大丈夫そうだと一安心したところでツンと鉄の臭いがした。暗くてよく見えない。サングラスを外すと月明かりが入っていたこともあり、中の様子が伺えた。
と、傑がよろける。すんでのところで腕を捕まえると、悟の到着に今気づいたのかハッと顔を上げた。顔の右側を派手にやっていた。目もなにか破片が飛んできたのか目蓋が傷つき血が流れている。
「悟…」
「ヘマしたな」
「すまない。でも祓えたし一件落着、かな」
そう言ってへらっと笑う傑を見て、ふと右手が耳を覆っていることに気づいた。
「見せろ、それ」
「……」
「半分耳なくなってんぞ」
「…だろうね」
ぎこちなく手を外すと隠れていた場所は血で真っ赤に染まっていた。耳の上半分がえぐれたようになくなっていて変な感じだ。残った下側の耳はピアスのせいで引っ張られているように下がっていた。離した手のひらにもべっとり血がついている。傑がこんなに怪我するなんて珍しい。
「もしかして疲れてた?」
ポケットから簡単な応急処置セットを出しながら悟が聞く。ほとんど使ったことがないのでいまいち使い方もわかってない。自分も傑も滅多なことでは怪我をしないのでその必要がなかったからだ。傑が持つだけ持っていろというからポケットに入れていたが、まさか言った本人に使うことになるとは。
部屋の端まで連れていき座らせた。またホコリが舞う。二人して咳き込んでしまったがすぐに治まった。
意識もあるし歩けるが、軽症ではないのはひと目でわかる。
「悟、電話」
「あーはいはい」
補助監督に連絡を入れ迎えを寄越す。今日回る場所は知っているだろうから詳しい住所などは端折った。ポケットにしまい再び傑のほうに目を向ける。
「んー、止血って強めに押さえりゃいいんだよね。バイ菌入んねーようにこのガーゼでも貼っとくか。あ、ついでにハンカチで覆えば完璧じゃね?」
下手な処置をしたら硝子に叱られそうだ。綺麗に治してはくれるだろうが。
手ぇ邪魔、とまた被せていた右手をどけて耳の状態を見る。月明かりに照らされているもののはっきり見えない。そういうグロいものには耐性があったが、積極的に見たいもんでもない。
血はまだ止まってないようで、首に血の筋がいくつもできていた。こういう怪我をしたことがないのでよくわからないが、傑の顔を見ていると相当痛みが強いことがわかる。まぁそうか、体の一部がなくなったんだから痛いに決まってるよな。
「傑、痛かったら泣いてもいいよ」
「この歳で、しかも君の前で泣いたら一生からかうだろ」
「当たり前じゃん」
「……早くやってくれ」
「へーへー、っと」
「──っ!」
傑の耳にガーゼを当てた瞬間、何故か悟の頭頂部に衝撃がはしった。ゴンッとなかなかいい音が鳴ったと思う。
「ってー!なにすんだよ」
傑の仕業だった。視界に星がチラつく中声を荒らげると、それに負けないくらい大きな声が部屋に響き渡る。
「バカか!急にあんな力で押さえるな!痛みで失神するところだったぞ」
「はぁぁ?早くやれって言ったのオマエだろ!殴るこたねーだろうが、痛ってぇなクソ」
「無下限を解いてるからだ!…あーもう、貧血でクラクラしてきたじゃないか」
「勝手に血ぃ上らせたのはそっちだろこの前髪!」
あんまりな仕打ちに悟も声が大きくなったものの、右耳を押さえ蹲る傑を見て思わず喉がグッと鳴る。そういや怪我人だったコイツ、と怒りを収め丸まった傑の肩に手を乗せる。
「悪かったよ、平気か?」
「…死ぬほど痛い」
「ごめんって」
「…自分でする……、悟はテープで固定してくれ。頭が回らなくなってきた」
「おう」
大人しく傑の言うことに従うとすぐに応急処置はできた。押さえて止血するのはやめにして、菌が入らないようガーゼでカバーするだけにしておいた。また殴られても困る。耳を覆った真っ白なガーゼはすぐ赤く染まった。処置が終わる頃傑はすっかり静かになっていた。
悟は隣にしゃがみ大丈夫か、と声を掛ける。
「……」
反応がない。心配になっておーいと傑の目の前で手を振ってみると、俯きがちだった顔がゆっくり上がり悟のほうに顔を向けた。
「……何か言った?」
「や、大丈夫かって聞いただけ」
「…大丈夫ではない。けどごめん、こっちにきて。右の鼓膜破れてる」
「マジか」
悟が反対側に移動するのを目で追いながら、先程の失態を謝罪する。
「さっさと片付けるはずだったのにすまない」
「や、いいよ。それよりちょっと休んどけ」
「ん…」
言われるまま目を閉じたものの、より痛みに集中してしまう。ズキズキと顔の右側が痛くて仕方がない。耳の方が重症だったが、目のほうも結構ザックリいってしまっている。触ると出血は止まっているようだったので安心した。これ以上血がなくなるとキツい。
「悟」
「んー?」
「これ、目。…開くかどうか見てて」
「おう」
左目と同じように開けたつもりだが、いつまでたっても光が入ってこない。悟が顔を近づけ見てくれる。そしてあー、と言われた。
「血が固まってまつ毛引っ付いてんだわこれ。無理に開けてもいいことねーぞ」
「あー、そういう…」
眼球はやられてないはずなのに、と思っていたのでなるほどと理解した。
というか今何時だろう、硝子起きてたらいいんだけど。この痛みから解放されるのなら少しの無理を押し付けられてもいい。煙草を買ってこいとか言われそうだ。前コンビニに行ったときは買えたから次も大丈夫だろう。そのときは悟は買えなかったが自分は買えた。嬉々として戻ったとき「傑は老け顔だから」と悟に言われた。悟と比べればそうかもしれないけれど、正真正銘17歳だ。
…しょうもないことを今思い出してどうする。
「耳さ、どんくらい痛い?やっぱピアス開けるのとはわけ違う?」
軽いノリで聞いてくる悟に思わず声を出して笑ってしまった。ここでピアスが出てくるか。
「っはは、そこと比べるのか。ピアスの穴がどんなのか知らないの?悟」
「開けたことないしー、聞いてみただけだしー」
案外からかってこないんだな、と思う。こんなにやらかしてしまったのだ、てっきりどんなミスを犯したのか聞いてくると思っていた。聞かれたとこでバカ正直に報告するつもりはないが。
「ピアスは小さい穴を開けるだけだから、先にそこを冷やしておけば大して痛くはないよ。こっちのほうは…そうだな、最初はバチッと衝撃があって、そのあと熱くなった。触ったら思ったより血が出てることに気づいて……尋常じゃない痛みも襲ってきたよ」
その痛みが今も継続している。なかなか味わうことのない感覚だが、できることなら一生知りたくなかった。当たり前だが痛いのは大嫌いだ。こういう世界で生きるからには避けられないことだが、祓う以前に攻撃を喰らわないことが何より大事だと思っている。
耳が半分なくなっているのがわかったのは、悟に言われてからだった。そこまでひどい怪我だとは思ってもみなかった。…どおりで痛いはずだ。
「ふーん…」
「座ってるのにしんどいって、新鮮だな」
「キツいなら転げとくか?」
親友は自身の膝をポンと叩いた。このタイミングでその提案は魅力的だった。返事の代わりに頷いた。あぐらをかいていた足がズズっと動き、長い足が伸びた。膝枕をしてもらうことに若干恥じらいがあったが、それを気にしていられないほど今は辛い。片耳は聞こえないし血は止まらない。こんなはずじゃなかったのに。
「右を上に…いやでも血が奥に入るか。じゃあ仰向けになれ」
「…悪いね」
貧血の症状が出始めている。少し動くだけで視界だけやたらグラグラして気持ち悪い。悟の膝は固かったが地面に寝転がるより幾分マシだった。ふー、と息を吐くと悟が上から覗き込む。
「死ぬなよー」
「…死なないよ、多分」
「怖いこと言うなよ。別行動提案したのはそっちってこと忘れんな、…次からは二人行動するぞ」
多少時間がかかっても、二人揃って派遣されているのだから協力すればいい。そうすればこんなことになる確率もグンと低くなるはず。
悟の言葉に頷き、目を閉じた。片目だけ見えているのもおかしな感覚になる。そして疲れる。
「ん、それがいい。…こんな怪我二度としたくない」
「ガチで弱ってんな」
「痛い。ほんとに痛い。車きたら声掛けて」
「わかった」
多分今寝たらそのまま意識も飛びそうだ。悟に運んでもらうのは気が引けるので、何としてでも意識は保っておきたい。
「あーあ、俺も反転術式使えたらいいのに」
「そうだね。頑張って悟、応援だけはしとくよ」
頑張ればできるようになりそうなのが、悟の怖いところだ。
しばらくするとブー、ブーと悟の携帯に着信が入った。どうやら車が到着したらしく、電話を切ってすぐ声を掛けられる。
「きたってよ、起きれそう?」
「…頑張る」
気合いでどうにかなるものでもなかったが、なんとか上半身を起こした。それだけでグラッと頭が揺れる。思わず目頭に手を当て背を丸める。目眩は割とすぐ治まってくれたが、今度は痛みが主張し始めた。低いところから高いところへいくとガンと殴られたように頭が痛む。血を流したせいでそうなってしまうのだろう。吐くまではいかないが気持ち悪さもある。
「手ぇ貸すから車まで頑張れ」
ほら、と出された手をとる。
「ごめん、ゆっくりじゃないとキツい」
「オッケーゆっくりね」
時間をかけて立ち上がると多少痛みは軽減されたのか、我慢できる程度だった。肩を借り部屋を出る。ここは二階なので階段を降りなければいけない。
「行ける?」
「目も片方ダメだから距離感掴めない」
「あー、だよな」
それでも降りなければどうにもならないので、足元を見ながら一段一段降りていく。途中運転手もきてくれたので、両方から支えてもらってようやく外に出られた。遠くで救急車の音が聞こえる。
「じゃあ帰ろ、んでさっさと治してもらお」
「うん、ちゃんと治るといいんだけど」
「大丈夫っしょ!」
座席の右側に悟が座ったので、声が少し聞き取りにくかった。
「ガーゼ真っ赤。やっぱ押さえたほうがよかったんじゃねぇの?」
「んー、でももっと痛くなるって考えると嫌なんだよね」
痛いのより貧血で動けなくなるほうがよっぽどいい。しばらく休むことにはなりそうだが、許してくれるはずだ。
あーあ、と悟がため息混じりに口を開く。
「俺一人で祓うことになりそう、つまんね」
「悪いね、今回は色々と浅慮だった。二人でいるなら二人で祓えばよかった」
「だろ?そうだよな、俺いたら絶対こんな怪我させねぇもん」
「守ってもらえるのは嬉しいけど…悟そういうのずっと覚えてるでしょ。あのときの貸しはどうしたとか、嫌なタイミングで言い出しそう」
「それが嫌なら死ぬ気で身を守ることだな」
へへっ、と完全無傷の悟が笑う。彼がよく口にする「最強」に恥じぬよう、もっと強くならなければ。傑は心の中でそう戒めるのだった。
おわり!かな
…