くるくると辺りを駆け巡るワンパチのおしりを眺めながら、ソニアは溜め息をつきつつ空を見上げた。夕暮れの空にはヨワシのように細かく連なった雲がたなびいている。これからすぐに日が暮れることだろう。
 となれば、夜を明かすにあたって必要なのはテントの準備だ。ソニアが所持しているのはジムチャレンジ用に子供でも設置できるほど簡単なテントではあるが、流石に光源がない場での組み立ては難しい。夕暮れの内に準備を整えてしまうことは、何度も読んだジムチャレンジ入門書にも載っていた心得だった。
 その知識の通りにテントで泊まる準備を進めていたソニアだったが、きゅるうり、という甲高い音でぴたりと手を止めた。今の今まで自分の尻尾を追いかけていたワンパチが、気まずそうにソニアを振り返っている。どうやら彼のお腹の音だったらしい。
 仕方ないなあ、と少し笑いながら、ソニアは並行してカレーの準備も進めた。ジムチャレンジに出る前に試作していたカレーは、ソニアの腕もあってか中々にいい出来だと自負している。今はまだそれほど流行っていない食べ物なのだが、きっとその内にガラルでもカレーが流行りだすことだろう。
 そう考えていたソニアがてきぱきとテントとカレーの準備を進めていれば、向こうの方でけたたましいブレーキ音が響き渡った。何事かと顔を上げる。見晴らしも良く、リーグ委員会のスタッフたちから見えるようなこんな場所で、まさか妙な人物には合わないと思っていたのだが。
「ソニア! こんなとこにいたのか!」
 少し身構えたソニアの肩の力を抜いたのは、けたたましいブレーキ音を立てたその人だった。
 よくよく見慣れた濃紫色の髪、太陽のようなはちみつ色の瞳、しっかり被ったキャップは旅立ちの日にソニアが一緒に選んだもの。しばらくぶりに出会う、彼女の幼馴染がそこにいた。
「どうしたの、ダンデくん」
 気を抜けば溢れ出てきそうな、色々な感情を押し込めて、ソニアはつとめて冷静に問いかける。笑顔が引きつっていないかはわからなかったが、少なくとも声には出ていないことだろう。
 そんな問いかけを聞いて、ソニアの内心を知ってか知らずか、それともあえて見ないようにしているのか。ダンデは息せき切ってソニアの近く、焚火の傍へと歩み寄ってきた。
「あのねえ、こんなとこって言うけど、どっかに行っちゃったのはそっちなんだからね」
 ソニアはワイルドエリアに入ってから、普通に真っ直ぐエンジンシティへと向かっている。どこかに行ってしまったのはダンデの方なのだ。途中までは探していたが、流石にソニアもそこまでは手に負えないと諦めて一人でキャンプをするようになったのがつい先日のこと。それ以来、割とソニアは悠々自適なワイルドエリア生活を続けている。
 肩で息をするダンデはそこのところがわかっているのだろうか。多分わかっていないのだろうな、と見当をつけながら、ソニアはこれみよがしに溜め息をついた。困っているのは君だけじゃないんだけど、という気持ちを込めて。
 けれどダンデはいい意味で空気が読めない。ソニアの溜め息の元凶が自分だとは思っていないのだろう。むしろソニアが慣れないキャンプ生活で疲れているのだとすら思ってしまっている。
「見つかってよかった」
「いやいや、だから迷子なのは君の方なんだって」
「今から夕飯か?」
「話聞かないなあまったく……」
 まあそうだけど、と言いつつソニアは大きなカレー鍋を示す。つい癖で多く作りすぎてしまったから、ダンデや彼のポケモンたちに振る舞ってもソニアたちの分は確保できるだろう。
 今一度溜め息をついたソニアは「……食べてく?」と不本意ながら声を掛けた。ダンデは勿論、彼の相棒であるリザードがとても喜んで尻尾をぶんぶんと左右に振ることはわかっていた。
   *
 結局。ソニアのテントの横にダンデのテントを張って、リザードの火で焚火を大きくしてからほんの少しの間に日は落ちた。早めに準備しておいてよかったとほっとするソニアの前で、ダンデはわくわくとカレー皿を持って盛り付けられるのをまっている。
 なんだかなあと思いつつも笑ってしまったソニアは、ほんの少し多めにカレーを盛ってダンデに差し出してやった。嬉しそうに笑うその顔が、生まれたばかりの彼の弟にとても似ていて、ソニアは自然と微笑んでしまう。
 あちこちに遊びに出かけてしまうダンデの代わりと言っては何だが、ソニアは割と彼の弟であるホップの世話を焼いていた。ミルクをあげたり、鼻水を拭いてやったり、離乳食を手ずから食べさせてやったり。
 それは、女の子がほしかったというダンデの母にとても可愛がってもらった、という背景もあるのだが、諸事情あって両親と離れて暮らしているソニアにとってはとても得難い経験だった。
 だから、ソニアにとっては至極当然のことだったのだ。あつあつのカレー、手渡したダンデが熱そうに手を引っ込めるから、ソニアはそのまま器を持ってスプーンでカレーを掬ってやるのも。そうして、そんなに熱いかなあ、と思いつつふうふうと息を吹きかけて、ダンデにスプーンを差し出してやるのも。
「はい、ダンデくん。あーん」
 普通のことだと思ってしたことだから、ソニアは一瞬どころかダンデが硬直して動くまで、どうして動かないのだろうかと思ってしまった。それほどまでに自然なことだったのだ。
「えっ……、あの、ソニア……」
「なあに? 冷ましたよ?」
 ほら、食べないの? と差し出されるスプーンを見て、ソニアを見て、もう一度スプーンを見てからダンデは意を決したかのように口を開き……、そうして震える手を伸ばした。ソニアが握ったスプーンへと。
「じ、自分で食べれる、ぜ?」
 ダンデが恥ずかしそうにそう言ったのと、ソニアが正気を取り戻したのはほぼ同時だった。ハッとして手を離し、カレー皿をダンデに押し付けるソニア。それを見て、ほっとしたように息をつくダンデ。
 うっかりしていた。ホップに食べさせるようにダンデに接してしまった。恥ずかしさのあまり両手で顔を覆うソニアを見ないようにしながら、ダンデは黙々とカレーを食べている。
 どうしたの? とばかりに見上げてくるワンパチとリザードの目が眩しい。普段の何倍かぎくしゃくとした動きで、ソニアは自分の分のカレーをよそった。
 会心の出来のカレーのはずなのに、どうしてか、その日ばかりはスパイスの味がしなかったとか。
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