「なんだもう……止め忘れのアラームだなんて。電話だと思って焦っちゃった」
オタクの常なる非常に大きな一人言を言いながら、アルフィー博士はラボに戻ってきた。そして、ふと作業台の上を見ると、空っぽだった。
「……あれ?」
どうして。この異常事態に気付いた彼女は、次第に血の気が引いていった。あるはずのものが、ない。
側には取り外された手と脚が無造作に置いてある。その肝心のロボットの本体は、忽然と消えていた。
手も足もない姿で、メタトン本人が遠距離を移動できるわけがない。まさか、盗まれた? その発想に凍り付いた数秒後、彼女はようやく現実的な解決策を見いだした。
「そっ、そうだわ、防犯カメラ……! それで、ロイヤル・ガードに連絡しないと……!」
一方、その頃、珍しく仕入れのために店外へ外出していたバーガーパンツは、アルフィー博士に負けず劣らずの一人言をぶつぶつ言いながら、ホットランドへの帰路へついていた。仕入れてきた大荷物をリュックで背負っていて、ふらふらと揺れている。
「くそっ、こいつ、重すぎるだろ……なんでおれがこんなことまでしねーといけないんだよ。あー、だるい……疲れた……接客だけで疲れまくってるって言うのによ、たまには昇給しろよな、あのクソ上司……」
そうぶつくさ漏らす彼の視界の隅に、ふと妙な物が映った。やけにキョロキョロとしているその男は、妙な形の包みを背中に背負って、小走りに移動していた。相当に重い荷物のようで、ぜえぜえと息を切らしている。
(……あの形、まるでメタトンみてえ)
それこそが、彼の眼を引いた理由だった。メタトンの両肩は思いっきり尖っているが、男の背負った包みは、まるで「メタトンが包まれているかのような形」だった。ただし、メタトンにしては身長が小さく、まるで上半身だけになってしまったかのようだった。
「……ハハハ、まさかな。この期に及んであのクソ上司のことを考えちまうなんてよ、おれもヤキが回ってるぜ」
しかし、言葉とは裏腹に、妙な胸騒ぎはムクムクと大きくなっていった。
結果として、バーガーパンツは怪しい男の後をつけた。そして、男が一軒家に入るのを突き止めた。
まさか、メタトンのわけがない。そう思いながらもぐるぐると回って、窓からそうっと中を覗いた。それで、思わず目の前の光景に叫びそうになった。
杞憂だと思っていたのに、予想通りの光景が展開されている―――! つまり、大きなテーブルに、上半身だけになってしまった手も足もないメタトンが置かれていた。その前には、さっきの男が立っていて、ニヤニヤと笑っていた。
(う、うそだろ!? なんで、メタトンがこんなとこに。しかも、手も足もないだなんて……いったい、どうしちまったんだ!?)
窓の外からでは、二人が何を言っているのかまでは聞き取れなかった。ただし、二人の表情からして、なごやかな会話ではないことは明白だ。メタトンは怒ったような表情で、男の方はニヤニヤ笑っている。バーガーパンツは緊急事態を察して、迷った。
(どうする……通報するにしても、ロイヤル・ガードが来るまで待ってられねえ……)
その時、男が、メタトンに近づいた。そうしてかがんで、キスしようとしたので、バーガーパンツはブチッと何かがキレるのを感じた。
彼は考える前に動いていて、足下の石をつかんで、思い切り窓へと投げ込んだ。派手にガラスが割れて、部屋の中の両人が驚く声と同時に転がるように身体ごと中へと侵入した。
「ななななななななななんなんだ!? キミは!」
うろたえている男に、彼はズンズンと迫っていった。
「それはこっちの台詞だぜ、きたねえ手でメタトンに触るんじゃねえ! てめえ、マジでブッ殺すぞ!」
「……は? ボクのことを何も知らないくせに。ボクはね、メタトンを愛してるんだ、心の底から。決して汚い気持ちじゃないんだよ」
「汚い気持ちじゃない、んだったら、こんなおかしな真似しないだろうがよ!? ファンの風上にもおけねえ。メタトンとキスしたいとか、そういう気持ち悪い発想は妄想のだけにしとけよ。メタトンはな、てめえのものじゃねえんだよ!」
最劣等従業員がキレてまくしたてている横で、肝心のメタトンは驚いた表情だった。よっぽど驚いているのか、はたまた他の理由なのか、珍しく口をつぐんでいる。そのうちにも、怒り心頭のバーガーパンツは近づいて、男の胸ぐらを掴んだ。
「ひ、ひぃいっ!? なっ、なんなんだよっ、人の家に勝手に入ってきて、ボクたちの邪魔を……」
「おまえな、消えろ。わかったか」
「…………」
「わかったか!? ああ、どうなんだ、逮捕されたいのかよ!?」
「はっ、はいっ!? わ、わかりました!」
男はもともと気が弱いらしく、バーガーパンツの凄まじい気迫の恫喝にすっかり気をのまれていた。男が逃げ出して、部屋の外へと出ていくと(実際にこの家は彼のものなのだが)、バーガーパンツとメタトンの二人きりになった。
「……ふうん、キミにしてはやるじゃないか。お礼を言ってあげてもいいよ」
「その格好はどうしたんすか? まさかあいつにバラバラにされて……」
「まさか! あの子にそんな度胸と技術はないさ。ボクはね、アルフィーのところでメンテナンス中で、手と足のパーツを外していたんだよ。そこに彼が忍び込んできて、動けないから、なすすべもなく盗まれちゃったってわけ。傷つけられたわけでもないし、そう怒ることでもないよ」
「怒ることでもない!? でもっ、今、キスされそうになって」
「……されなかったんだから、いいさ。とにかくね、落ち着いて」
誘拐されたというのにメタトンは平気そうで、熱くなっていた自分がバカみたいだ、とバーガーパンツは思った。照れ隠しに舌打ちして、「じゃあ、ラボまで運びますね」と言って、彼は上半身だけのメタトンを持ち上げようとした。そうすると、図らずも顔と顔が至近距離に来て、ふと目線があった。
「ねえ」
「な、なんすか」
「……今のボクは動けない。自由はない。キミはね、ボクを好きにすることができるんだよ」
まさか、メタトンの方からそんな際どいことを言われるとは思わなかった。ダラダラと冷や汗が浮いてくる。
「別に興味ないっすよ」
「興味ないのかい? ボクとキスしたいとは思わないの?」
「思わないっすね」
「ボクがキスしたいって言ってもかい?」
なんだか会話が変な方向に進んでいる。イケてる連中特有の罠だぜ、とバーガーパンツは思った。ここでホイホイと乗ってしまったら、どうせバカにされて罵られるに決まってる。
「バカな話はやめてくださいよ」
「……なんだよ。キミなんか大嫌い」
拗ねたような言い方は、いつもの意地悪な口調とはまるで違っていて、傷ついているようにも聞こえた。メタトンの表情もやけに寂しげで、バーガーパンツはぞくりと背筋が総毛立つのを感じた。
「……おれはボスのファンなんですよ。真のファンは、アイドルを自分の物にしたい、だなんて思いませんから」
「そうやってキミはチャンスを逃し続けるんだね」
「からかうのはやめてくださいよ! もういいでしょ。さあ、行きますよ」
バーガーパンツは強引にメタトンを抱きかかえた。ぐずぐずしていたら、さっきのヤバい男が戻ってこないとも限らない。重さはいつもの半分とは言え、金属製の重いボディを運ぶのは一苦労だった。
―――さっき、あいつにメチャクチャ腹が立ったのは、おれもメタトンにああいうことをしたいと思ってるからだ。バーガーパンツは思った。自分の中にある物を取り出されて突きつけられたみたいで、それで動揺してムカついた。でも、自分はあんな嫌な男とは違うと信じたい。自分はメタトンの側にいて、それ以上のことは何も望まない。そうありたい。
よろよろと運んでいる間、メタトンはほとんど何も喋らなかった。バーガーパンツも黙っていた。まるで抱きかかえるような格好になっていたので、頬と頬が触れ合った。
「……すいません。揺れるけど我慢して下さいね」
「別に、それくらいどうでもいいよ」
普段はぺらぺらとのべつまくなしに喋るメタトンが、ずーっと黙っているのが、どうにもいたたまれなかった。ラボの建物が見えてきて、二人を見つけたアルフィー博士が必死に走ってきた。何よりも気まずい沈黙に耐えかねていたバーガーパンツは、たまらなくほっとした。危ないファンがメタトンを誘拐したけど、特に何もされてません、と説明して、メタトンを引き渡した。
次の日、メタトンは普通に出勤してきた。二人きりでいた時の妙な感じはまるで無くて、キラキラして自信満々で、いつものスターめいた雰囲気に戻っていた。バーガーパンツも普通に挨拶して、それで終わるはずだった。
「……こねこちゃん、昨日はどうもありがとう」
「はあ、どういたしまして」
「それでね、あれから一晩考えたんだ、色々と。やっぱりこれで終わるのは納得いかない。中途半端過ぎるもの」
そう言うなり、メタトンは素早く屈んで来て、カウンター越しにキスしてきた。とっさのことで、バーガーパンツは全くリアクションを取れなかった。彼にとって、これがファーストキスだった。
「……えっ」
メタトンにキスされた。その現実が脳に到達する頃には全て終わってきて、大スターがミステリアスに微笑んでいた。
「なっ、なに、してるんですか」
「昨日のお礼だよ」
「それにしたって」
「これ以上バカにしないでよ!」
突然に怒鳴りつけられて、バーガーパンツは眼を白黒させた。目の前の上司は本気で怒っているみたいだった。
「このボクがこんなに言ってるのにっ、キミはずーっとそうやってとぼけ続けてさ……本当にムカつく! ファンだから? ファンだから、好きなアイドルとどうこうなったらいけないと思ってるの? キミらしからぬストイックな発想は偉いけど、こっちは全然嬉しくないよ」
「……はあ? えっ、どういうことですか?」
「だからっ……もういい!」
向こうはそう吐き捨てて、自動ドアを抜けて出ていってしまった。後には、ぽかんとマヌケ面をしたバーガーパンツが残された。
「な、なんだったんだ?」
メタトンには手が届かないと思っていた。そんなことは当たり前で、MTTに勤めて数年が経った今でも、何もかもが変わらなかった。
―――でも、メタトンは何かをほのめかしていて、その「何か」は、そのまま解釈すると信じられないくらいに嬉しい回答へと行き着く。そんなことがあるんだろうか。天下の大スターが、地底一美しいロボットが、自分なんかに……。
バーガーパンツは悩みまくりながら、機械的に接客して、パテを焼いていた。だが、彼の数少ない長所である思い切りの良さが、突然に発揮された。彼は客の途切れたタイミングでふと思い立って、店を出ていった。
廊下を走って、エレベーターに乗って、社長室に向かった。そういえば、MTTの最終面接も社長室で受けたんだっけ。あの時は受かるだなんて思ってなかったよな。そんな昔の記憶が走馬燈のように思い出されて、ズキリと胸が痛んだ。メタトンに連なる記憶は全てが宝物のようで、彼はぶっきらぼうでそっけない態度の奥底に非常にロマンチストな一面を隠していたので、メタトンに対する感情を誰にも触れさせたくないと思っていた。
―――その「誰にも」には、メタトン本人すら、含まれるのかもしれなかった。
社長室の扉を開けると、大スターはまるで彼が来ることを知っていたかのような態度で出迎えた。アイシャドーで派手に飾られた切れ長の瞳は、全てを見透かすような光を放っていた。
「……こねこちゃん、ボクに何か言いたいことでもあるのかい?」
「あります」
「言ってみて」
バーガーパンツは迷った。色々と言いたいことがあったはずなのに、いざメタトンの前に出ると、どう言語化したらいいのかわからなかった。
色んな思い出があって、色んな感情が行き交った。しばらく迷った後、彼はとてつもなくシンプルな一言を口にした。
「すいません。おれ、やっぱボスとキスしたいです」
すると、向こうは満足げに笑った。
「……そう言ってくれると思ってたよ」
それで、二人はなるようになった。バーガーパンツは幸せで、ほんの少し負けたような気分にもなっていた。でも、メタトン相手なら負けても幸せになれるのだから、これでいいのだと彼は思っていた。そして、あの男に感謝しないと、とも現金な考えを思い浮かべていた。
END