「これは」
「ショコラトルというらしい。この前外務卿からいただいたのだ。最近高官の間で流行しているそうだ」
 天馬の節、ヒューベルトは茶会に招かれた。フェルディナントはいつものようにヒューベルトにテフを淹れたかのように思えた。
 黒いどろどろとした液体はテフのようにも見えるが、香りが違う。ヒューベルトがすんと香りを嗅ぐと、かすかに甘い匂いが漂って顔を顰めた。
「私の飲めと?」
「きっと口に合う」
 ヒューベルトの好みなど、テフの煎り方まで知っているはずなのに。フェルディナントはにこにことヒューベルトが口にするのを眺めている。
 何か仕掛けがあるのだろう。友人の好意をただに無駄にするのもどうかと思ってヒューベルトは一口口に含んだ。文句は飲んだ後に言えばいい。
「美味しいだろう?」
「……ええ」
 その液体は予想に反して大層苦かった。それに何かの香辛料も含まれているのか、辛みも感じる。香りとは異なる味わいに感覚の不確かさを覚えた。
「現地ではそこにトウモロコシという植物の実の粉末を加えて苦味を和らげるそうなのだが、君はそのままの方がよいと思って」
「私は苦味があればなんでも美味しく感じると思っていませんか?」
「思ってはいないさ」
 そう言ってはははと笑うフェルディナントの顔に嘘はない。が、何かの含みも感じたので、目線で先の言葉を促した。
「ただ、今高官で流行っているのは香辛料の代わりに牛乳や砂糖を入れるのが主流らしい。このままじゃ君くらいしか飲めないからな」
 そう言いながら、フェルディナントは自分の茶器にも黒い液体を注ぐ。香る、甘い匂いはまるで何も知らない者を罠にかけるように、誘いをかける。
「この甘い香りはバニラという植物だそうだ。外は広いな、全く」
「貴殿は好まない味でしょう」
 端的にそう言うと、フェルディナントは笑みを深めた。そしてその甘く見える蜜色の瞳でこちらを見やって言うのだ。
「君と飲んでいると好きになれるさ」
 あれから幾年経ったのか、ヒューベルトははっきりと覚えている。前世の記憶は全く薄れることなく、ある時顕現した。初めは戸惑うことはあったが、それ以上にもう一度会いたいと強く願った。早世した彼に言ってやりたいことが沢山あった。
 彼が広いと言ったこの世界、技術が発展し、世界は繋がりやすく狭くなった。しかし、あらゆる情報が溢れ、奔流となり、その情報を漁っていてもたどり着けなかった。前世の記憶があっても、手掛かりはないのだ。
 そんな中、俳優であった彼に映像よりも先に出会えたのは、運命といってもいいだろう。ヒューベルトは運命など信じていなかったが、今世は信じてもいいかもしれないと妥協してしまうくらいには、偶然の出会いだった。
 ただ、偶然は運命だったとしても、ヒューベルトにとって全てが都合よくは動かない。
 出会った当初、フェルディナントの前世の記憶はほぼ失われていた。
 それでもよかった。たとえ記憶はなくても彼の精神性は変わっていなかったからだ。前世の文句を言えないことは残念だったが、こうして生きているフェルディナントに会えた僥倖は、恋仲の今でも新鮮にヒューベルトの心の奥底を静かに熱くするのだ。
 今日はそんな運命的な再会を果たした恋人にチョコレートを淹れた。彼はきっとこんなことを覚えてないだろう。彼の前世の記憶は何かのきっかけで思い出すこともあるが、彼にとっては大した記憶ではない。ヒューベルトにとっては同じ相手への何度目かの恋情という刺激の強い感情を覚えた瞬間だったが。
「これは」
 淹れたホットチョコレートを渡した瞬間、フェルディナントはすんと香りを嗅いだ。そのあとフェルディナントは驚きと共に嬉しそうな顔をした。いつものようにコーヒーを淹れてくると思っていたのだろう。
「君がチョコレートとは珍しい」
 そう言って一口飲んで、美味しいと笑顔を向けてくる。ただただ甘いだけのチョコレートだ。ヒューベルトが過去に飲んだものとは違う。それでよかった。
「ええ、お返しです」
 お返しの意味は伝わらないだろうが、以前、ある国ではバレンタインはチョコレートと共に愛を伝える日、だということを話していたのを思い出したのだろう。フェルディナントは少し頬を染めた。
 それを眺めながらヒューベルトは甘いチョコレートが入った自分のカップに口をつける。フェルディナントは驚いた表情を見せた。
「君は苦手だろう」
「貴殿と飲んでいると好きになれる、とは私には言えませんが試してみる価値はありますな」
「ヒューベルト、どうしたというのだ」
 困惑を他所に、ヒューベルトは一口飲み込む。やはり甘い。渋面になっているだろうが、しったことか。あの時の苦さと甘さを思い出して、ヒューベルトはゆっくりと飲み干した。フェルディナントはその様子をぽかんと口をあけながらまじまじと見ていた。
「やはり慣れませんな」
 一息ついていうと、フェルディナントは飲みかけのカップを置いて、ヒューベルトに抱き着いた。
「無理しなくてもいい。でも、その気持ちが嬉しい」
 フェルディナントのくるくると変わる情感を表す瞳が今は熱に浮かされるように揺らめいている。
「私も君に贈りたい。明日、買い物に付き合ってくれないか」
「今、欲しいのは貴殿です」
 正直に言うと、フェルディナントの目が大きく瞬いた。そして言葉を飲み込んだのか語気を弱くしながら、こちらを窺うように言った。
「……それは、そういう意味だろうか」
「そういう意味です」
「君が直截に言うのは珍しいな」
 それには答えず、ヒューベルトは自らの足を示すようにぽんと叩いた。フェルディナントはおずおずとヒューベルトの足に跨った。
「私もしたいのだから贈り物にならないと思うが」
赤く染まった頬に手を添える。そしてもう片方の
 チョコレートのお返しはまた出会う次の世で。そんな馬鹿馬鹿しい望みを抱いてしまうほど、恋に浮かれているのだと。気づかれたくはないなと思いながらフェルディナントに口づけた。
 
 
 
 そして、ヒューベルトは用意していた、もう一つの贈り物を渡した。渡された大きな薔薇の花束に顔を隠しながらフェルディナントは少し頬を染めた。
「君も用意していたとは思わなかった」
 フェルディナントは今日ヒューベルトに薔薇を贈った。バレンタインだからと、そういう気障な真似もよく似合うのがこの男だ。
「しかしこれでは、君の方は数が多いな」
 
「まさかとは思うが、あ」
、幸せというものに浸る、前世では考えられなかったことだ。何せそんなことをする前に、恋人兼伴侶は死んだ。
 
 
 
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