主人と初めて会った時のことは、よく覚えている。
 十数年前。母親が納められた棺が、地中に埋められようとしたその時。
 自分がいる場所から、少し離れた所に、一人で、立っていた。それが、彼だったのだ。
 鮮やかな青に、金色の刺繍が施されている華美な衣装。艶のある銀髪。瞳は涼やかなアイスブルー。
 カラスのような真っ黒な喪服の群中にいる自分の目に、その姿は、まるで光が当たっているように、浮き上がって見えた。幼い自分が、思わず、「きれい……」と呟いてしまうほど、咲き乱れる黄薔薇に囲まれている彼は、美しかったのだ。
 賞賛の声が、届いたのだろうか。彼は、微笑を浮かべ、手招きしてくる。すると、一歩、また、一歩、と、足が勝手に動きだしてしまう。まるで、糸で手繰り寄せられているかのようだ。
「イソップ、そちらへ行っては、だめだよ」
 と、注意する人は、誰も居ない。不自然なほど、棺桶に夢中だった。今思えば、あれは、主人の力によるものだったのだろう。彼はその時既に、人知を超えてしまった 何か になってしまったはずだから。勿論、幼い自分は知る由もなかった。
 一直線に向かってきた幼子を、彼は、易々と抱きあげてくれる。ふわりとした浮遊感と共に、花の香りに混じった、柔らかな香水の薫りがした。美しい人は、体臭まで美しいのだと、幼心ながら感心している間に、抗いがたい眠気が襲ってきた。
 昨日は沢山眠ったはずなのに、どうしてだろう。そもそも、人の温もりが苦手なのに、初対面のこの人の肌は心地よい。
 だから、主人が歩き出しても、どこに連れて行かれるんだろう、という不安は全く感じなかった。
 それどころか、彼が連れていってくれるのなら、どこでも良いと思ってさえいたのだ――……。
***
 イソップが話し終えると、ロビーは、首を傾げ、無邪気に言った。
「それは『ひとさらい』だよ! 
 イソップは、『しらないひとに、ついていっちゃ、いけません!』ってならわなかったの?」
「そう、ですね。習ったとは思いますけど……」
 イソップは、化粧品の手入れを止めて、ロビーに向き直る。大人用の椅子は、この子供にはまだ大きいらしく、足をぶらぶらさせていたのだった。
「微笑んでいる彼が、あまりにも綺麗だったので、誘いを断った方が、失礼だと思ったのかも、しれませんね」
「だまされてるよ……」
「騙された……、ですか」
 確かに、あの美貌を目にした途端、身体諸共、思考の自由を奪われた気がしてならない。
 だが、どちらかといえば、『主人が自分を騙した』というよりは『イソップ自らが進んで騙された』の方が正しい。
 唯一の肉親を亡くし、天涯孤独になってしまった寂しさを、誰かで埋めたいと、幼心ながらに考えたのなら。我ながら、随分と先見の明がある。
 幼児から21歳の今日に至るまで、庇護者としての役割を、主人は完璧に果たしてくれたのだから。
「そうだよ、『サギ』だよ! このあいだ、きいたもん。
 『みてくれだけのおとこには、きをつけなさい! サギしかもしれないから』って。だから──……」
「おい、待て。その『見てくれだけの男』とは、誰のことだ」
「もちろん、ジョゼフのことだよ! って……」
 ん? と言いながら、ロビーが後ろに振り向く。そこに居たのは、華美な青と金の衣装、艶のある銀髪の……。
 イソップは慌てて立ち上がった。
「ジョゼフ様、試合は済んだのですね!」
「ああ。今終わった所だ。全く。『レオの思い出』は冷えて困る」
 見ると、青い服や髪の末端が所々、湿っている。雪が溶け、濡れてしまったのだろう。イソップは、彼から上着と剣を預かると、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。すぐ、換えの服と、暖かい飲み物をご用意いたします」
「そうしてくれ……」
 今までイソップが座っていたいすに、彼はどかりと腰掛けた。
「それで、ロビー? 私のことを『みてくれだけのおとこ』と言ったのは誰だ?」
「えー? それいったら、ジョゼフはぜったいに、おこるでしょう?」
「怒らない」
「おこるってば」
「怒らない!」
「おこる!」
 未だ、子供相手に、本気で言い争っている主人を残し、イソップは、部屋を後にする。
 実年齢に反した幼稚さは、今日も健在だ。長年、彼の側に仕えている自分も、あの癇癪には、随分悩まされた。
 何が彼の不機嫌スイッチを入れるのか、法則性がまるでないのだ。「もう、イソップと口は聞かない!」と、幾度言われたことか。
(本当に、子供っぽい人だ……)
(でも、そこが、良いんだろうな……)
 イソップ・カールは、彼こと主人ことジョゼフ・デソルニエーズの専属執事。
 自分の仕事は、ジョゼフが望むような仕事をすること。
 イソップは、これ以上主人の機嫌が損なわないよう願いつつ、廊下を走りだしたのだった。
***
 イソップの仕事の殆どは、ジョゼフの身の回りの世話だった。
 武器の管理、着替えの補助、衣服ごとに異なる化粧を施すのも専属執事の役目である。
 ゲーム時以外は、常に彼の後ろに控えている事になるので、美形の主人の恥にならぬよう、自身の格好にも気をつけるのも仕事の内であった。例え、自身が、華美な服装を好まないとしても、だ。
 今日、ジョゼフは『マクベス』の衣装を着るといった。なので、自分は『ハムレット』の扮装をしていた。
「なるほど、シェイクスピアの悲劇衣装合わせですか。」
「三大悲劇には、『リア王』が足りないけどな」
「四大悲劇ともいうそうですよ。その場合は『オセロ』もありませんね。
 ……しかし、シェイクスピア由来の服装が、悲劇ばかりとは」
「衣装を用意した荘園の主も、なかなかご立派な趣味を持っているようだな」
 リッパーは細長い指で器用にティーカップを掴むと、これまた器用に仮面を付けたまま口を付けた。
 ジョゼフは、足を組み、ソファの肘置きに片腕で頬杖を付いている。だらしのない格好だが、それでも絵になっているのは、彼の美貌がなせる技だろう。イソップは、主人の横に立ち、男同士の茶会を見守っていた。
 食卓に並ぶ茶道具一式は、全て執事たる己が用意した。食事も、洋服と同様、興味が無いので、仕事し始めの頃は、紅茶がぬるいだの、渋いだのと、散々失敗したものだ。今は、そのような、ヘマはしていない……と信じたい。
 ミルクピッチャーやシュガーポットの中身は足りているか。ティースプーンの位置は間違ってなかっただろうか。心配事は尽きず、どうにも、落ち着かない。そわそわしているイソップの事を、一切気にすることなく、ハンターたちは会話を続けている。
「主催者の考える事なんて、知る由も無いでしょう」
「一つ確かなのは、どこぞのヴァイオリニストが、馬鹿騒ぎしたのを受け、禁酒令を出すぐらいには、常識があることぐらいか」
「さすがの主も、酔ったハンターが美術品を壊したら怒るようですね」
「全く。酒が飲みたい所だったのに……」
 ジョゼフは、苛立たしげに、前髪をかき乱す。禁酒もそうだが、今日はゲームの最中で、いやなことがあったと聞いたので、それも不機嫌の一因となっているのだろう。詳細は知られてないが、大方、ゲームで惨敗したに違いない。
 ジョゼフがハンターとして、どこで何をしているのか。イソップは知らされることがなかった。他のハンターにも、口止めをしているらしく、相手方である『サバイバー』の情報も含めて、専属執事の耳に入ってこないのだ。
 「せめて、カメラの設置を手伝わせていただけないか」とかけあったこともあるにはあるけども。「お前は、居館内で、私の世話だけをしていれば良い」と言われ、それきりとなってしまった。
(イドーラさんの信者さんや、アンさんの猫がよくて、どうして、僕はだめなんだろう)
(少しでもジョゼフ様のお役に立ちたいのに……)
 ハンターの居住区で働く一般の執事でさえ、待機しているサバイバーたちの、給仕をするというのに。
 どうして、自分だけ……と、考えていたせいか、リッパーの発言に対する反応が遅れてしまった。
「不思議と言えば、イソップさんも不思議ですよねぇ」
 突然名前を呼ばれ、イソップは思わず「はい?」と聞き返してしまう。
「他の執事は、幽霊のように、用事が済めば、消えてしまうというのに。
 あなたは、ずっと居続けるじゃないですか」
「僕は……ジョゼフ様の専属ですから……」
 久々に口にした自分の声は、みっともないぐらい小さかった。
 けたけたと笑いながら、リッパーは言う。
「答えになってませんよ!
 第一、ハンターでもないあなたが、このハンターの居館にいるのがおかしいのではないのですか?」
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写納原稿
初公開日: 2021年02月07日
最終更新日: 2021年02月07日
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写納新刊の原稿(冒頭部分)。
タイトルは『カール君はジョゼフさんの執事』