ォオ――――――ォン…………唸るように始まって、歌うように響くその音が佐鳥賢は嫌いだった。頭のうらっかわで反響し続けるような気がして一度聞くとどうにもそわそわとしてしまうし、足の置き場さえどこかふわついてしまうのだ。ぎゅ、と力一杯両目を閉じてしまってから、慌ててぱちりと目を開く。幸か不幸か放棄区域に近いこの場所では今の仕草を誰にも見られずにすんだらしい。
生身だと咄嗟の反応はやっぱり抑えきれないなぁ、と一人で反省会を開きながら佐鳥は右手をパーカーのポケットにつっこんでイヤホンを探した。左手に握られた三段重ねのスペシャルアイスが溶けるよりはやく右手の用事は済ませなければならない。
どうにか取り出したイヤホンで適当な音楽を耳に流し込み、佐鳥は意識をアイスクリームに向け直した。買い食い、ながら歩き、不用心……そんな言葉が関係ないような道をそもそも選んで歩いていたのだ。イヤホンの一つ二つ増やしたところでいまさら見咎められないだろう。閑散とした準・放棄区域のアスファルトをわざわざ選んで帰路にして。
「(準って言ってもねぇ)」
警戒区域の外側にあるのが放棄区域で、その「準」なんてほとんど「ただのまち」ではないかと数年前の佐鳥は考えていたが、どうにもそうではないらいしいことは足下の煤けたアスファルトが語っていた。露骨に整備が中途半端だ。学校の駅前の商店街のあたりなら、もう少し平らで艶々としていたように思う。
べつに山の方の国道みたくガッタガタというわけではないけれど……市街だと目立つなあと学生ながらに市政を思って苦笑する。
駅前は【復興、発展、再開発】。随分前に【もちろんボーダーも協働します!】と背に掲げた宣伝文句が三色のアイスに被さって思えた。チョコマシュマロ・ストロベリーピーナツ・バナナミルク、佐鳥スペシャルはこのどれが欠けても物足りない。
ォオ――ン、と音楽越しにもう一つ。二つ目が鳴ればもうその日は大当たりだ。これから数百秒間はこの厄介な残響に悩まされるだろう。
「(ということは、だ)」
この道をぼーっと歩いているのもまずいなと顔を顰めながらまだ半分しか減っていない一段目のアイスを見る。本来は安心して通れるボロ道も写真愛好家なんだか怪異愛好家なんだか、はたまたSFだか廃墟だかの愛好家だとか、一番困った勢力としては反界境防衛組織のカメラさんだとかがぞろぞろと蠢く魔窟にあと数分もすれば早変わりだろう。
理想の上では駅舎を手前に収めつつ大きめのトリオン兵をバックに写すアングルが堪らないらしい。春映画でも観て来いと毒づく荒船を筆頭に、こと狙撃手には迷惑な存在だった。換装体の視野にとって非常に煩わしい存在感なのだ。ドローンは即時撃墜の許可が降りたものの、『平和な三門市』で徒に報道規制は敷けないからと狙撃手中心に重々言い含めれていた。『ピースで写るのはやめなさい、ブーイングでもなんでもです。』ため息の透けたような通達は上層部の連名だったかメディア対策室だったか。
防衛任務中でも煩わしいそれが、非番の時にまで煩わしいのが広報担当嵐山隊の悲しさだった。春は新生活応援、夏はお祭りの告知、秋は特産品紹介、冬は火の用心の広報任務で隊長を筆頭に嵐山隊全員のバリエーションポスターが掲示板に貼られている。市外から来た人間さえ『ボーダーの人』といえば城戸や根付に次いで嵐山隊の誰かしらの顔を思い浮かべることができるだろう。
「ーーー、ーーーー」
近場の公園はどこだったろうかと思案しながら早めた足を、呼び止めるように至近距離でクラクションが二度鳴った。
「うわっ」
「イヤホンしたまま歩くと危ないぞ」
「……なんだ、東さんかびっくりしたぁ」
振り返ればいつの間にかすぐ後ろに迫っていた乗用車から東春秋が顔を覗かせていた。急ブレーキを踏むような音もしなかったので佐鳥の姿を見つけてそろそろと徐行してきたのだろう。イヤホンを片手でなんとか巻き取る姿を確認して、東は扉のロックを外す。
「乗ってくか?」
「乗る乗る!」
ラッキーとはしゃぎながら慣れた仕草で後部座席に入り込む。渡りに船とはこのことで、人目につかず移動するのに何度も世話になったこの後部座席を佐鳥賢は気に入っていた。ボーダーのステッカーが貼ってないから、スモークを覗き込もうとする人間も滅多に湧かないのだ。
「ゲート開いちゃったから困ってたんですよ。ナイスタイミング!」
「佐鳥が歩き食いするのは珍しいもんな……商店街の肉屋ならまだしも」
徐行からほんの少しだけ速度をあげて、するすると車は移動を開始した。速度を上げるには撮影スポットが近いことは常日頃から抜け道として活用している東にとっても常識だった。
「あの商店街はみかしんのお膝元だからむしろ喜んでもらえるんだよねぇ」
「ああ、三門信金は佐鳥のポスターだったか」
「そうそう。警察署のポスターとかだと木虎が人気なんだけど、美味しそうなものは大体オレ」
洋食屋さん肉屋さん八百屋さんの格好をした姿を背景に真っ赤な隊服の佐鳥が前面に立っているなんとも愉快なポスターはどうやら商店街受けがいいらしく、一弾二弾と企画を経るごとにコスプレの種類が増えて今では四種類のポスターの中で都合二十を越えるコスプレ姿が常時そこかしこに掲示されている。
「デパートの女子組とか、動物病院のとっきーとかはシュッとして大人気の一種類なのに佐鳥だけイロモノ枠というか、芸人枠なんですよね」
シャクッゼンとしないなぁ! と大きな口を開けて残っていた一段目をばくりと食べる。チョコマシュマロを平らげて残すは二段。そろそろスプーンを使う頃だろう。下段二つはほんの少し味を混ぜるのが佐鳥流だった。
「その店は商店街じゃなかったのか?」
「もう少しここら辺よりなんですよー。蓮乃辺にお引越し決まったので食べ納めです」
「なるほど」
「元の駅ならもう少し近かったから暑い日なんか大行列のお店だったんだけどね……いまほら引っ越すにも新中央は家賃上がってるし」
ほんっとうに惜しいなぁもっと女子が通いやすい店だったらもう連日完売狙える美味しさなんですよ! と、悔しさを滲ませながらスプーンを握る姿にミラー越しの目が笑う。佐鳥はやはり商店街受け路線が最適だろう。
「そんなにうまいならオススメ教えてくれ」
「えーっ、どれだろ。東さんそもそもアイス食べる?シェイクにしてくれるやつもあるよ?あとクリームソーダとか。大納言コーヒーフロートとかにしとく?」
「なんで変わり種なんだ……食べるよ、普通に」
「ええ、ほんとう?練乳苺スペシャルショートケーキ味ベリーソーストッピングとかでもいいの?」
「重い重い」
いきなり重いやつを挙げてきたな、と笑う東の目の先に隠れた撮影スポットと名高い傍迷惑な十字路が映った。案の定既に人集りが出来ている。道幅に余裕のある十字路の跡地であれば轢かずに進むことも可能だろう。
「たくさん種類あるから絞りきれないんですよ」
「種類が豊富なら現地で決めたほうが確実かもな。移転したら車出すよ」
「えっ本当!?自転車で行くには遠かったんだよね」
「なんなら狙撃手中心に何人か声かけていくか?」
互いに親しい隊員の中には氷菓好きのものもいた。足を使うなら複数人で集っていくのも道理だろうと挙げた提案だったが、予想に反して佐鳥は渋い顔をする。
「うーん……せっかく三門離れたのにボーダー隊員がたむろするのもなぁ」
「……難しい店か?」
「いや、お店はめっちゃ応援してくれてて、なんなら今日移転先用のサイン書いてきたけどね。……蓮乃辺でそれがどんな感じになるかわかんないし。営業妨害にならないといいんだけどなぁ」
進行方向の人集りが佐鳥の眼にも入ったらしい。後部座席のど真ん中からそそと運転席の真後ろにずれて、ピーナツバターとストロベリーソースの段の最後の一差しを口に入れた。
「完全オフで通ってるお店だから、色紙がなくなってても凹まないけどね。義人も好きな店だと思うんだけど、5歳の時の思い出話とか絶対おっちゃんぶちかますんだよなあ……お互い様だと思うけど、それもあって今もボーダーのやつとは行かないんですよね」
パリパリと湿気り始めたコーンを齧りながらバナナミルクの段に取り掛かる。コーンアイスはどのバランスで食べるかが大事なのだと半崎とは語り合ったことがある。その時のライナップがどう考えても同じ店だったのに一緒に行こうとはならなかった。
元十字路の丁字路では車両通行禁止の看板を前にぞろりぞろりと望遠カメラが連なっている。予想通り車の迷惑を気にする様子もないのでクラクションを鳴らしてから、東はさらにほんの少しだけ速度を落とした。蜘蛛の子を散らすようには動いてくれそうもない。
「それならやっぱり俺もやめといたほうがいいか?」
眉間に皺を寄せたままそろりそろりと車を進める。人類よりも鳩の方が幾許か賢いのではないかと、この道でサイレンを聞くたび東は考えていた。
「そうねぇ……キャンプに行けなくて埃積もりそうなクーラーボックスあったじゃない。それ積んでいきましょうよ。駐車場が近くにあるかわからないし、あったらお店まで東さんも行こ」
十字路を九割も進んだかというところでまた一つサイレンが鳴った。その音に反応してカメラが一斉に方角を変える。
キュ、と目を閉じる佐鳥を写しながら、バックミラーは小さくなっていく人集りを収めていた。もう少し進まなければ速度を出すには危険だろう。
「……蓮乃辺までは流石に響かないよね」
「多分な」
うんざりとした、ほんの少し不安も滲むような言葉に東は何がとは返さない。他人の目がある所では隠すそれの正体を東はとうに知っている。嫌悪も不安も押し殺して崩れることのない換装体を佐鳥賢は育てていた。生身でも大概は器用にこなしているのだ。
「……いい店になるといいな」
「それは平気。……まあ大丈夫でしょ。ダントツで美味しいし、可愛いし、優しいもん」
佐鳥が保証しますよ、と微笑みながら最後のバナナミルクをコーンごと口に放り込む。当分の食べ納めになるだろう。
「いっぱいオススメしたいから、車あてにしてますね」
くるくると千切られた包み紙で使い終わったスプーンを包み、ポケットにしまい込む。うっかり忘れて洗濯しないように帰ったらすぐ捨てなければと自分で自分に忠告する。今のところ勝率が曖昧なやらかしだった。
「クーラーボックスいっぱいのアイスクリームってちょっとした夢じゃない?」
「食って腹壊す悪夢なら見たことあるな」
「東さんアイス食べる夢なんて見るの?」
「正確には多分かき氷だった」
「クリーム要素ゼロじゃん」
半崎がいたら絶句しますよそれ!と笑いながら佐鳥はまた後部座席の中央に座る。ミラー越しでも相手の表情を見るチャンスは欲しい。そろそろ速度を戻し始める頃合いなので言われる前にしっかりとシートベルトをつけた。
「あったかい飲み物も買ってやりましょうよアイスパーティー」
「ふたりで?」
「ふたりで」
それで帰りにラーメンでも食べましょ、と食べ盛りの男子高校生が提案する。甘いものと塩っぱいものは交互に食べたくなるのだろう。東も胸焼けがするにはまだ若かった。
「ちょうどいい公園か駐車場があるといいな」
「ドライブコースみたいなので停められると最高ですよね」
『東さんの車スモークだから公園より安心かも』キラキラと言動とはあまりに不釣り合いな顔で佐鳥は続けた。それくらいこの車は佐鳥にとって優秀な乗り物らしい。
できうる限りで期待に応えらるようにルートの確認はしておこうと東は頭にメモをする。ラーメン屋の方は佐鳥が勝手にリストを作るだろう。ドライブコースなり公園なりいくつか調べておけば場合分けでいけるだろうか。
「楽しみだな」
前向きに同意を返して佐鳥の家路にハンドルを切る。通い慣れた道で二、三角を曲がれば露骨に路面が均された。優先順位が放射線状に広がることを航空写真以外でも実感できると気が付いたのはこの道を佐鳥に教わった時だろうか。あの時よりも年度を経て差はどんどんと広がっていた。
「東さん今日寄ってく?」
「少し作業しててもいいか」
「いいよ、オレも宿題あるし」
「……手伝わないぞ」
「大丈夫、今日のはたぶん余裕でいけるはず」
多分きっと今度こそと尻すぼみになる言葉にどうだろうなと笑いながら車を走らせる。佐鳥の家の駐車場は常に空きがあるので有り難い。ボーダーのステッカーを貼っていれば駐禁やナンバー照会は三門に限り回避できたのだろうけど、それでは佐鳥を運べない。
蓮乃辺で職質されないようにだけ気を付けないとなと、佐鳥には言わずにまた頭に入れる。
日中なら多少はマシだろうけれど、佐鳥の好きなスモークガラスはお巡りさんにも人気だから。
扉を開けたらアイス祭りの笑い話ですめばまあ御の字だ。
三門と違って二人の歳の差は多少目立つだろうから。