「歴史の勉強ですか」
うるさいわね。ただでさえ頭を抱えているというのに、話しかけられてはかなわない。元々、勉強に関しては集中が続く方じゃあないから、せつ菜の声まで聞こえてくるようでは気が散って仕方がない。そうよ、悪いかしら。不機嫌を隠そうともせず、返事が割に手で払ってやる。事実として存在するのは、明日の小テストをクリア出来なければ同好会の活動の時間が向こう数日削れてしまうということ。
それだけは避けたいから必死をこいている。生憎、国際交流学科のカリキュラムには含まれていないためエマに手伝ってもらうわけにもいかない。クラスメイトに相談するにも朝香果林のブランドが邪魔をする。
「アメリカ、ですか」
「いちいちうるさいわよ、せつ菜。嘲笑いにきたのかしら」
「まさか、逆ですよ」
果林さんでも一応、勉強する姿勢を見せることがあるんだな、と。腹が立ったから太ももに手を伸ばしたらその手が思い切り机に叩きつけられた。「集中」。あなたのせいで出来なくなってるのよ。顔面真っ赤になるまでいじめ抜いてあげようかしら果林が資料集を閉じれば、今度は頭を叩かれる。「集中」。
「せつ菜、一回頭を叩くごとに脳細胞が五百個死滅すると言われているんだけど」
「無駄なところで博識ですね」
「私の田舎では常識よ。知らないの?」
「セブンイレブンが十一時閉店を守っている地域のことは関知していません」
そこまで田舎じゃないわよ。また太ももを狙ったけれども撃墜される。手が机に叩き落とされる音は存外派手だ。加減はしてくれないのだろうか。これでも全身商売道具なのだけれど。恨みつらみを言おうにも、突如乱入してきた部外者にペースを握られてしまっている。「集中」、ほら、また。
「できるわけないでしょ。バカはマルチタスクできないのよ。お喋りと勉強、両方は出来ないわ」
もう投げてしまえ。いつものようにペンを投げて伸びをすれば、思いっきりため息が吹きつけられる。「そんなんでよく進級できましたね」、「ライフデザインは進級緩いのよ。それを狙って入ったのよ。予習、ちゃんとしたの、私」。
その意欲を勉学にも向けてほしいものですがね。隣に座ったせつ菜を横目に果林は用済みになった資料集と教科書をたたむ。それを鞄に戻そうとしたところで、せつ菜にぶんどられてしまった。別に教科書も資料集もどうなっても構わない。代わりにポケットからスマートフォンを取り出して弄る。「果林さん、今の範囲は」
「そのページまでよ、アメリカの禁酒法」
「その単語だけは覚えてるんですね。その前後でまだ覚える内容は多いでしょう。世界恐慌とか、ルーズベルトとか」
「言葉が難しすぎるわ」
ため息の風圧大きくなる。「というか、せつ菜。二年なのによく知ってるわね」。普通科は大航海時代以降から習うんですよ。ダイコウカイの文字が脳内ですぐさま変換されず、せつ菜が右の拳を掲げてようやく引き出しが空いた。せつ菜は私に厳しすぎる。果林は参考書に視線を戻した彼女の横顔をじっと眺めた。
正直、あまり好きな造形ではない。もっとも、朝香果林が目指す顔は自分自身であるし、せつ菜の幼さの残る整い方は理想とは反する。それはそれとして可愛らしいとも美しいとも思うから、魅入ってしまうのだけど。巷ではニジガクのヒーローとかいう子もいるんだっけ。頬杖をついて顔を近づけてみたら、頬があまりに柔らかそうで、つっついてみた。「もうっ」、頬はオーケーらしい。太腿はだめなのに。
握り拳を作りもせず、果林の手に危害を加えることもなく、せつ菜は果林が先程開いていたページに折り目をつけた。
「しっかし。こんな簡単なもののどこが覚えられないんですか」
「世界史を簡単と言わないでもらえる?栞子ちゃんが踏む日舞のステップの方が五百倍簡単だわ」
「歴史なんて、殴って殴り返しての繰り返しなんですよ」
「いや……そんなファンキーなものじゃあないでしょ」。せつ菜の一言に口元を引き攣らせて、もう一度覚えるべきページを見る。このページの授業は睡眠学習だったからバッチリ忘れている。いや、そもそも覚えてもいない。「簡単なものから覚えましょう、禁酒法以外で」、「ルー……ルー」、「おお、その意気です」、「ルー大柴」、「しばきますよ」。今度はしばく前に予告が飛んできた、優しい。
「無理よ。私バカだから」
「じゃあ逆に禁酒法だけここは覚えてたんですか……」
「……起きたからねえ」
起きた理由も覚えている。果林は立ち上がり、窓際まで歩を進めた。相変わらずの冬空に手を伸ばしてみる。低い雲とはいえ、手は届きそうにない。
「禁酒法って、アメリカがフケーキになってやめられたらしいのよ」
「酒税のために、ですね。ピューリタンの戒律も銭には勝てなかったと」
「……ピューロ……何?」
「ごめんなさい、私が悪かったです、悪くないけど私が悪いことにしておくので」
きっとせつ菜は覚えておいた方がいいことを言っていた。ピューなんとかおいうものがあることだけ覚えておいて、果林は寝起きで聞いた言葉を思い出す。あの幸薄そうな世界史教師の声は、風邪を引いた日の粥みたいに鼓膜に浸透する。「お金の問題もありましたけど、結局人間は――」、振り返った。
「何かに酔っ払ってなきゃ、やってられないのかもね」
「……果林さん?」
「先生が言ってたのよ。禁酒法の時に、だから覚えてる」
果林は両手を広げて、首を傾げる。「あなたもそうでしょ、せつ菜。人である以上、何かに酔ってる。私に授業をしてくれるつもりがあるのなら、教えて頂戴。あなたは何に酔ってるのかしら」
また変なことを言い出した。せつ菜の呆れ顔は相変わらずだが、ため息まで吹き出はしなかった。資料集と果林の顔を数度見比べた後にせつ菜も席を立つ。そしてそのまま果林の隣に立ち、窓際のロッカーに両腕をついてやたら青い空を瞳に宿した。
「人、ですよ」
それ以上修飾もせず。後に何か付け加えることもせず。せつ菜は果林を一瞥した。視線がぶつかった途端、ニヤリと口元をあげられた。カチンときて頬をつねれば、やけに幸せそうに笑いやがる。
「ドマゾなの?」
「いひゃい……そうかもしれませんね」
指を離せば、穏やかに笑う。下がった眉尻と視線。彼女の言わんとしていることがまだ理解出来なくて、頭を出来うる限り回転させる。「じゃあ、果林さんはなんですか」。せつ菜が拳を突き出して。
「あなたが酔っているものは」
「……私」
拳が鳩尾にめり込んだ。綺麗に入ってしまった、膝から崩れ落ちて床を転がり回る。やりやがったわね、あのバカ。涙でてきた。醜態と痛みの中で思いっきり睨んでやったら、せつ菜は口を大きく開けて笑っていた。性格悪すぎるわよ、腹を抑えていた手を自由にして、せつ菜を押し倒してやる。それでもせつ菜は大型犬にじゃれつかれた飼い主の如く白い歯をみせて破顔するばかり。
「ほんっと……いい性格してるわ」
「ああ……!ごめんなさい、悪気はないんですよ……!どっちかといえば、果林さんに謝ってほしいぐらいで!」
「言ってる意味が、分からないわ」
「言わせるつもりですか」
拳を作ったら、せつ菜が手首を握った。「私は、大好きが大好きなんですよ」。「回りくどいわ」、「真似事ですよ、誰かの」。せつ菜の口が、もう一度開く。
「人に酔ってしまえるんですよ、私は。好きな銘柄まで答えた方がいいですか?」
あまりに挑戦的に犬歯をちらつかせるから、果林は息を飲んだ。「それでいいんですよ」。今日一番、せつ菜の口元が果林の好みに曲がったから、右手が伸びる。
撃墜は、されない。
「ちゃんと飲めましたね」
「……たまに。私と中身入れ替わってるんじゃあないかと思うわ、あなた」
「かもしれませんね。殴られたら殴り返す。それが世の常、人の常ですから」
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せつかりと酒の話
初公開日: 2021年01月13日
最終更新日: 2021年01月13日
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