「燐音くん、成人おめでとうっす!」
ニキが努めて明るい声色で言った。燐音はぼりぼりと寝起きの頭をかきながら、んー、とカレンダーを見る。祝日を示す赤色の日付。都会では成人式の日、らしい。ニキにこの間教わったばかりだった。燐音は大きな欠伸をひとつだすと、ふにゃふにゃと返事をした。
「んー、おはようニキ」
「おはようっす!さ、顔洗って!ご飯食べたら、お外出るっすよ」
「なんで」
「なんでって、んー、お祝い?」
「なんで疑問形なんだよ」
「ほら、神社とかお寺とか、とりあえず挨拶しましょ」
ぐいぐいと腕を引っ張られ、燐音はイヤイヤ起き上がった。テーブルには既に朝食が用意されている。ニキはにこにこと手を合わせた。それを横目に、燐音は洗面台へと足を向けた。
バシャバシャと顔を洗い、鏡を見る。ぼさぼさの髪に、すこしくすんだ肌。年末のSSからまだひと月と経っていない。減っていたアイドルの仕事はとうとうゼロになり、年明けからバイトを探す日々だった。上役の失脚により潔白の身である自分にもふりそそいだ『ソロアイドル』の絶滅活動は、ほとんど完了したと言っていいだろう。コズプロ内に息をしているソロアイドルはもういないはずだ。燐音はがしがしとタオルで商売道具の顔を拭うと、ニキが待つテーブルをみた。普段よりもちょっぴり豪華な朝食は、その『成人式』だからだろう。20歳が都会の成人の年齢らしい。お祝いだ、と明るく振る舞うニキが自分を気遣っていることなど百も承知だった。しかし、どうしても気が乗らない。何をやってもだめだった自分の行動にため息しか出ない。箸をもちながらここ最近の癖となったため息が漏れ、ニキがびしっと箸で燐音を指した。
「ニキ、行儀悪い」
「んもう、燐音くんこそ!僕の料理に不満があるってんですか」
「そんなことない。ニキの飯はいつだって美味しい」
「なら、笑顔で食べて欲しいっすね。無理して作らなくてもいいけど」
「悪ぃ」
「ね、今日くらい何も忘れて、ぶらっとしましょ。僕も休みなんすよ」
「ん」
「ほら、前僕がチェックした神社近くのカフェ、燐音くんも行きたいって言ったじゃないっすか。あそこ行こう」
「そうだな」
「もう、燐音くん?やっぱり布団の虫になる方がいいんすか」
「・・・そういうわけじゃないさ。そうだな、気分転換も大事だよな。ありがと、ニキ」
「んじゃ、さっさと食べて出発っすよ」
ニキがニカッと笑う。ぱしんと両手を合わせて空の器を片付け出す姿を見ながら、燐音はその笑顔に少しの癒しを感じた。
神社は着物を着た人がちらほらと見える程度だった。そこまで大きい神社ではないし、成人式なら街のホールにいくだろう。ここにいる人たちは多分、親に言われて挨拶にでもきた、くらいのノリだろう、と燐音は推測した。都会の人間は信心深くはない。勿論、例外はいるが。燐音は普段着のダウンジャケットにジーンズだ。隣のニキも同じような格好で、とてもじゃないが晴れ姿ではない。神様に挨拶するにしたって格好があるんじゃないのか、とニキに聞けば、そんなものまで一々気にしてないっすよ、とニキらしい答えが返ってきた。
両手を合わせて神殿へ手を合わせる。奥に祭られている鏡は、自分を写すには程遠い。燐音は薄目でじろりと神様を眺めて、やけに長いお祈りをするニキを待った。
「長かったな」
「神様にお願いしてたんす」
「何を」
「燐音くんにいいことがおきますようにって。成人のプレゼントくらい、神様もサービスしてくれてもいいと思うんすよね」
「何それ、神様はサービス業かよ」
「いやいや、ちゃんとお賽銭投げたんだから、その分の
サービスは必要だと思うっす」
「いくら投げたの」
「百円」
「百円の幸せかァ」
「なんすか!?コンビニのお菓子百円でも美味しいでしょ!?」
「あははっ」
ニキはぷんすかと燐音の腕を叩く。それを軽く受け流しながら、燐音は久々に青空の下で笑った。
・・・
五月
「燐音くん、誕生日おめでとっす」
「ありがと」
「もう21っすね。僕んち来てから、4年?長いようであっという間だったっすね」
「だな」
燐音はからからと缶ビールを揺らしながら、ニキが作ったショートケーキをつついた。ニキはそんな燐音の様子を気にすることなく、はいとラッピングされた袋を差し出す。
「はい、誕生日プレゼント」
「毎年飽きねぇなお前も」
「飽きるとか言うものじゃないっすよ。お祝いっす」
「ありがとう、ニキ」
ふわふわとしたそれを受け取って、燐音はあけていいか、とニキに尋ねる。勿論、という返事を貰ってから、そのリボンをほどいた。
「お、ヘアバンドじゃん」
「燐音くんおしゃれさんだから」
「サンキュ、これあると落ち着くんだよな」
さっそく、とそれを頭につける。髪の毛をちょいちょいと整えて、表情をそれらしく作ってみれば、ニキはぱちぱちと手を叩いた。
「アイドル!」
「もう仕事ねぇけどな」
「今にいい事あるっすよ、百円のお返しまだだし」
「もうきてるかも」
「まだっす、僕が認めてないんで」
「なんだそれ」
それもなにも、とニキがそれらしいことを語り始める。燐音はビールを煽って、うんうんと適当に相槌を売った。
「ちょっと、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
ショートケーキのいちごをフォークで突き刺し、くるくると回す。赤い色彩に、ふと思い出したくないものを思い出してしまい、ばくりとそれを噛み砕いた。
「怖い食べ方しないでくれるっすか」
「どう食べようと俺の勝手っしょ」
「かわいいころの燐音くんはどこいったんすかねぇ」
ため息をつくニキの頬をフォークで刺す。いたいというニキを無視して無意味に続き続けた。
「やめてぇ、いたい」
「気ィ抜けた声だな」
「はいはい、ほら、食べないなら冷蔵庫入れちゃうっすよ」
「どーぞ」
大人しく冷蔵庫へをしまわれるケーキを見ながら、燐音はピロリンとなったスマートフォンを見た。
・・・
「・・・燐音くん、」
「何も言うな」
書類を手に、燐音の手は震えていた。四人の履歴書と、ユニットの方針。与えられた曲と振り付けのデータ。Crazy:Bは、ESを掻き回す毒として生まれた。そしてその女王蜂に、燐音は選ばれたのだ。
「いいか、ニキ。これから俺とお前は不仲だ。お前は俺を年上のタダのヒモだって言い振らせ」
「え」
「外にいる時はそれを徹底しろ。いいか」
「・・・それが燐音くんがやりたいことなら」
「・・・ああ。そうだよ」
燐音はぐしゃりと書類を握りつぶした。こんなことなら、アイドルなんてならなきゃよかった、とは言わない。絶対に言ってやらない。SSの時だって、その言葉は飲み込んだんだ。やってみせるさ。俺は、君主として育てられたのだから、三人ぽっちくらい、守ってみせる。燐音は書類を捨て、ポケットの中に手を突っ込んだ。キャラ作りは今からだ。正統派じゃない、底辺を走り抜け。手に触れた百円玉は、神様に貢ぐものでは無い。恩を仇でかえされたのか、百円ポッチで幸せを選ぶなとでも言われたのか。燐音は神を信じない。頭の中でやるべき事をリストアップする。攻撃する対象、仕込むべき罠、ここの仕組みを適切に利用するためには。いくつもの道をつくりあげながら、燐音はどの道を選ぶべきか、百円玉を宙へ投げた。
・・・
「兄さん!」
それはやっとCrazy:Bが始動すると予定していた日に起こった。何年ぶりの、声変わりした低いその懐かしく新鮮な声は、確かに燐音を呼んだ。心臓がばくりと大きく振動し、全身が硬直する。熱い光を浴びる中で、たくさんの客席の中から見えた姿は確かに自分と同じ血をもつ弟だった。
なんて言ったかは覚えていない。Crazy:Bとして、ギャンブラーとしてそれらしい言葉は言えただろうか。ヘマなんかしないと信じているが、記憶が無い。しかし、しかし。燐音は焦った。どうやら弟もアイドルとして登録しているらしい。どうしたものか。燐音は冷や汗が止まらなくなった。弟は守らなくてはならない。弟だけは。ユニットメンバーについても調べなくてはならないし、三人の今後のこともある。予定していた作戦は今更変えることなどできない。燐音は頭を抱えた。どうして、どうしてここまで追ってきたんだ。
「一彩・・・」
燐音は考えた。弟を、どうするべきか。里にいた方が幸せはきっとある。しかし、せっかくここまできたのだ。洗脳を、解いてくれるかもしれない。自分ではどうにもならなかった一彩を新しいあのユニットメンバーならば。燐音はポケットから百円玉を取りだした。さぁ、神様よ、俺の幸せはどちらだ。
百円玉が、宙を待った。
・・・・
「アイドルに、僕もなる!」
光り輝くステージの上でそう言いきった弟の笑顔は、燐音の中で初めて見たものだった。心の底から、本心からそう言っている。本能が告げている。燐音はそれが嬉しくてたまらなくて、どうにも笑顔がやめられなかった。
アイドルの世界を掻き回して消えるだけだった燐音を、ひっぱりあげたのはアイドルだった。アイドルが一彩に心を持たせた。弟の、本心を見せてくれたのはアイドルだった。燐音はそのことに深く感謝し、そして自分が唯一間違っていなかった選択だったのだ、と確信した。四年の歳月は、燐音にとって苦しみばかりだった。幸せを願って宙を舞った百円玉は、まだ自分の手の中にある。ステージの上で燐音はポケットに手を突っ込み、その百円玉をぎゅと握った。神様、これがあんたのお返しか?それなら、なんて素敵なものなんだろう。百円なんかで足りるもんじゃない。今度弟を連れていかなきゃな。俺の自慢の弟なんだ。眩しいものを見るように目を細めながら、燐音は弟の後ろ姿を見た。ステージから見える客席のペンライトは、光る草原のようだ。ターコイズとイエローで埋められた世界を、燐音は歪んだ視界で目に焼き付けた。
・・・
「兄さん」
「一彩」
レッスンルームを片付けて、ドアを閉めているときだった。後ろから声をかけられた燐音は、弟の普段とは違う声色に違和感を覚えながら振り返った。
「どうした」
「ちょっと話したいことがあって」
「おう」
「その、旧館でもいいかな。ここじゃ話しずらいんだ」
「あぁいいぜ」
もじもじとしながらもはっきりと視線だけは寄越す弟に、燐音は首を傾げた。何かあったのだろうか。背を向けて歩く弟の後ろを眺めて、思い当たる節を考えた。ユニットか?だがメンバー的にはアイドル経験のある風早巽がいるから大丈夫だろう。ダンスや歌の指導は礼瀬マヨイがいる。藍ちゃんと喧嘩したとか?それならユニットメンバーに聞けばいいだろう。ならば、学校?学費は確かに自分がこっそりと払ったが、まだ気づく段階ではない気がする。ええと、あと思いつくのは・・・。そう唸っていると不意に手を引かれて、意識を前へとやる。
「兄さん、考え事しながら歩くと危ないよ」
「悪ぃ」
「何かあったのかな?そんな急ぎではないから、無理しなくていいよ」
「いいや別に。お前の話したいことってなんだろうって考えてただけ」
「・・・」
「なァ、話したいことって何」
「・・・部屋に入ってからがいい」
「ふぅん」
ALKALOIDの寮部屋はすでに空になっていた。4つあるベッドの1つに腰をかけ、一彩は隣に座るように燐音に促す。大人しく隣に座ると、一彩は深呼吸した。燐音は一彩が言葉を発するのを待つ。膝でくんだ一彩の腕はたくましく、弟の成長を感じさせた。最後に見たのは四年前、12歳だ。鍛錬をきちんとこなしていたのだろう。燐音は弟の歌声を思い出して感慨深くなった。声変わりを終えた低い男性のテノールは、よく心に響いた。元より天性の才を持っていたことは分かっていたが、ここまでとは思わなかった。いや、ここまで開花することを諦めていた。そっとその腕に触れる。筋肉がしっかりとついた十代の肌は、やっぱり記憶の柔らかなものとは変わっていた。
「兄さん?」
不意に触れたからか、首を傾げた一彩が燐音を見やる。燐音は軽く笑って、「お前の話ってなんだよ」と切り出した。
「あ、あぁ。あの、その、」
「ゆっくり話せよ」
「うん、ありがとう」
一彩の手が、燐音の手を握った。ぎゅう、と幼い子供のように握られ、燐音はそれを握り返して答える。その手が指と指をからめだして擦り寄り始める。燐音の心がざわりと静かに騒ぎだした。おかしい。聞かない方が良い気がする。さりげなく手を離そうとしたが、握る力は強い。12歳の強さではなく、それはもう成人男性そのものだった。顔を伏せて、じっと絡めた指を見つめながら一彩は口を開いた。
「兄さん、愛しているよ」
「・・・、あぁ、ありがと」
「兄さん」
「俺も愛してるよ一彩」
「それはどういう意味だい」
青い瞳がこちらを向いた。きらりと光る虹彩は、確かに燐音を映している。その青い瞳に閉じ込められるようで、燐音は顔を前へそむけた。
「深い意味は無いさ、俺たちは兄弟だろ」
「そうだよ」
「お前のこと、生まれた時から愛してるって言ったろ」
「そうだね」
「そのまんまさ。お前もだろ?」
燐音は肯定を促すようにたずねた。頼むからそうだと言え。じりじりと焼き付けられるような視線が怖かった。一彩はこちらに来てまだ数ヶ月のはずなのに、どうしてそんな事にまで気づいたんだろう。