涙は出すもの。我慢するものでなければ、止めるものでもない。
「それを私に言って何になるんだ? 私にじゃなく茶髪の子に言うべきだろ?」
「お前になんか言ってねぇよ。なに勝手に聞いてんだ」
「あぁそれはすまんな。ってあれ? 私が悪いのか?」
 アミが悪いのではない。悪いのは全てマモルの弱い心である。即ち無罪。
「言ったよな。近々俺の両親をあんな目にした犯人が俺の元に来るって」
「あぁ。言ったとも。なんだ? 私の言葉を信用していないのか? 神に誓って―――」
「誓わなくていい。お前の事は信用してないがお前の言葉は信用してる」
「君、失礼だなぁ。まぁ私は寛大だから気にしないがね」
 嫌味を言った筈なのに帰ってきた言葉が普通過ぎてマモルの気が狂う。
「近々ってのは明日かもしれない。明後日かもしれない。もしくは今日かもしれない」
「そうだね」
「それなのにずっとユミといてたら………、必ず巻き込むことになる。それだけは避けなきゃいけないんだ。だから今だけは―――。そしてこの件が片付いたら―――」
 ―――必ず、必ず。絶対に―――。
「告白するってか? それって死亡フラグだぞ」
「今お前が言わなかったらフラグ立たなかったのにな! なんで言うんだよ。あからさまに今俺その言葉避けたよな! 空気読めないのかぁ?」
「あーいや、すまんすまん」
 謝っているが、それは一応という意味が付く謝りだった。心も想いも籠もっていない。ただ言葉を並べただけのもの。
「で! なんでこんな所まで来たんだ? 探偵は暇潰すぐらい暇なのか?」
「いやいや暇じゃないよ。お金無くなったから君の家に一緒に住もうと思ってね。それにもう時期来る」
「で?」
「いや、で? じゃなくてだな。お金が無くなって住む場所がないんだよ」
「野宿すれば?」
「君は鬼畜か! もっと協力者に対して心を持った方がいいぞ。とっとと鍵をよこせ。はよはよ。協力する変わりだと思って」
 確かにアミには大きな借りがこれから生まれる。それを考えれば家を使わすのは借りを返す小さな一つにしか過ぎないのだ。
 そうして渋々マモルは家の鍵をアミに渡す。
「変なことしたら追い出すからな!」
「安心しろ。エロ本は探さんから。私だってちゃんとプライバシーを守るマナーくらいは持ってる」
「いやエロ本なんて無いからな」
 最後のマモルの一言を背中で聞いたアミはすぐにその場から去っていった。家の場所を教えていないにも関わらず、家の方角へ進んで行くのは女が探偵であるからだろうか。マモルの知るところでは無かった。
 授業へ途中から参加したマモルは、先生や生徒、特に山田エミは一番同様をしていた。
 授業は時間の流れと共に進み、ついに6限の終わりのチャイムが校内に鳴り響いた。すると生徒達は揃って歓喜の声をあげる。いつもの日常があった。だがその日常はみんなの日常であってマモルの日常ではない。
 ―――それはユミがこの場に居ないからだ。
「マモル君、ちょっといい?」
 帰ろうとお尻を椅子から離した直後、毎度聞き覚えのある声が後ろからやって来る。
「やっさ……エミさん、どうしたんだ?」
「今やっさんって言いかけたのはひとまず置いておいて、ユミちゃん見なかった? 保健室から一度も帰ってないから早退したのかと思ったけど、そと履き玄関にあるし、かばんもここにあるし、何処行ったと思う?」
「それなら多分帰ったよ」
「どうやって?」
「うち履きで」
「うち履きで!? えっ……と、それって何か深い意味があるジョーク? それとも浅くて単純な方のジョークかな?」
「うん、まずジョークから離れようよ」
 そうして一旦落ち着かせたマモルはアミに一つのプリントを渡す。
「数学のプリント? それ私貰ってるわよ? まさかやってこいって? と、友達になる代わりに? ど、どうしよう……、友達になりたいのはやまやまなんだけど、そういうなり方はちょっと………」
「アミさんって勝手に話広げる癖あるよな。安心して、アミさんとは一生友達になる予定はないから」
「いや一生かはまだ分からないでしょ!」
 そうして出されたプリントを横に避けようとアミはするが、マモルは更に前に出してくる。
「これ、ユミのプリントだよ。数学の先生に持たされた今日の課題のやつ。良かったらこれアミさんがユミに届けてくれないかな? かばんと共に」
「やる! けど、マモル君も行かないの? 心配でしょ? うち履きで帰っちゃうし、それにそもそも私ユミちゃんの家何処にあるか分からないし」
「ユミの家はこれ見て行って。それじゃあ」
 ユミの家までの道のりが書かれた紙を渡し、マモルはそのまま教室を出た。その行動はあまりにも早く何かから逃げる動きと似ていた。
 マモルは自分の家の玄関まで来た時に、一度立ち止まった。普段ならそこで迷わず扉を開けて、一気に肩を撫でおろす。
 だが今日はそんな呑気な事はできない。何故ならマモルの家には人がいるからだ。しかも最悪な事に女。更に最悪な事に嫌な女。
 一度深呼吸をして扉を開ける。鍵はかかっておらず、不用心が感じられるがその事は、扉を開けて中に入ったマモルの頭から消えていた。何故なら―――。
「お帰りなさーい。お風呂にします? お夕飯にします? それとも……、な・ま・い・わ・し?」
 メイド姿のアミは意味不明な発言でマモルを出迎えたからである。格好からして何処から持ってきたものなのかまずツッコむべきだったのだろうが、マモルの頭にはそれよりも―――。
「なまいわしってなんだよ………」
「いや、なまいわしはまいわしだよ」
「それはそうなんだがな………、まぁいいか。じゃあ夕飯で」
「欲がかいなー。もう少し貪欲になってもいいと思うぞ」
 そう言いながらもアミは食卓に食事を用意する。どれも豪華と言える物で、自分の家で他人が料理を出してくる異様な光景が一歩後退って感じられた。
 何よりアミの料理は美味かった。どれも舌でくる美味しさではなく、腹に入ってからくる美味しさで、食べていると実感させられる物だった。
 きっとこのまま食事を思うがままに食べとければよかったのだろう。だがしかし、マモルにも聞きたいことはあった。
「なあ、なんで近々俺の所に犯人が来るってわかった?」
 無言の食卓の中、マモルの質問により、アミの箸が止まる。その後食べ物が喉を通る音がして、アミは静かに箸を食器の上に置く。
「質問を質問で返す所悪いが、君は何故両親が殺されたと思う?」
「………」
 あまりに食事中に似合わない切り返しにマモルは口の中にあったものを吐き出しそうな思いになった。それと共に怒りも湧いてくるが、始めを作ったのが自分だったので、その怒りをすぐに消す。
「俺が………子供だったからか?」
 出てきた回答はまさに珍回答。両親をあんな目にした狂人のような犯人がそんな恩情じみた行為に至らないと思った。だがその発想を思いついたのは子供の頃の記憶にあった。
 マモルと犯人は一度対面した。一瞬の出来事と、その犯人の異様な姿に一瞬でマモルは気絶したが、それはまさしく犯人で、アミが言った『吸血鬼』に似合う風貌だった。
 そして起きた時にはマモルの体には傷の一つもなかった。気絶した時に頭を強く打ったと思いきや、頭も普段通り。痛みすら感じなかった。つまりそれは―――。
「―――正解だよ」
「え?」
「ただしそれは不十分な正解。正しい回答じゃない」
 正解。だが不十分だと目の前の女は言う。正解なのか不正解なのか区別が付かない回答をした自覚がないマモルは訝しげに眉を寄せた。
「そもそも君は犯人の動機を知らない。それが君の回答が、不十分な正解止まりになっている要因だよ」
「その動機、お前に聞いたよな。けどお前は俺に教えなかった。知っているのに」
 実際マモルはアミと出会った日に犯人が家族を襲った理由を知っているか、聞いた。アミは知っていると即答した。だがそこまで言ってアミは口を噤んだ。
 その記憶を思い返している中、目の前の女は大きくため息を付く。まるでくたびれたように。
「この際だ、はっきりと君に言っておきたい事がある」
「犯人の動機をか?」
「違う。知識の重みについてだよ」
 またしても、意味不明な事を口にするアミであったが、その表情は出てきた言葉とは真逆の真面目な顔だった。初めての会った時、初めて名前を呼ばれた時のそれと同じ表情だった。
「知識は時間なんだよ。時間共に知識は膨らみ大きく成長する。時間こそが知識の栄養食といっても過言じゃないくらいね。じゃあ何故私みたいな数十年しか生きていない者が吸血鬼の存在を知っていると思う?」
「数十年っていうか、俺にはお前が同い年に見えるけどな。見た目からして。まぁそんな事は置いておいて。知人から教えてもらったからじゃないのか?」
「またしても半分正解。後見た目で判断するな。失礼だ」
「そりゃ悪かったな。で、また半分正解って何だよ? また勿体ぶって教えない気か?」
「安心しろ。今回は教えられる。そうだな、一言で言うなら………、条件付きで一瞬にして膨大な知識を受け取った。一瞬っていうのは一秒も満たない時間だよ」
 だから何だ。そうツッコみたい所であったが、まだ話が続きそうであったので、マモルは黙る事にした。
「一つ。楽をして知識を得る故の条件。一つ。その条件により君にその過程で得た条件を教えられない。つまりその条件の内容は―――」
「―――他者にその知識を伝える事を不可能にさせるものか?」
「正解! まぁほぼ正解のような事を私が言ってたけどね。そういう事なんだよ。大目に見てくれ」
 つまりアミは条件付で膨大な知識を得た。そういう事になる。そこまでして知識に貪欲になるアミの気持ちも分からないまま、マモルは不可解な事が頭をかき混ぜる。
「ちょっと待て。そうなるとなんで吸血鬼の事は俺に教えられたんだ? その知識を教えられるって事はつまり―――」
「ああ、知っていたよ。もともとね。だが犯人が君を襲わなかった理由は条件付きの知識と私の考察によって導き出された答えだ。故にだ………な―――」
「お前一体何者なんっ………、おい。どうした?」
 吸血鬼という空想じみた存在を元から知っていたアミを不思議に思うマモルであったが、アミの緊張に似た強張った表情により、その不思議は一時的に姿を消す。
 傍から見れば何ら疑問も持たない顔であったが、先程の得意げに話していた影が根本から消えたのだ。疑問にならない筈がない。
「―――来てしまった………」
「何が?」
「最悪な時間に最悪が現れたんだよ………。立て! 『吸血鬼』が現れた。今すぐ! 急ぐぞ!」
 そうして箸を乱雑に食器の上に置くアミであったが、マモルはたいして急ぐ気配を見せようとしなかった。そもそもである。
「なんでそんなに急ぐ事がある? お前が現れたって言ったら現れたんだろうな。けど、だからこそ、作戦を立てるべきじゃないのか? 無鉄砲に行った所で勝てる程弱い相手じゃないんだろ。俺の父さんを………、同じ『吸血鬼』である父さんを………、殺した相手なんだぞ」
「ああ! そうだな! 私だって作戦を立てて向かい打ちたい所だったよ! けど、そんな悠長な状況じゃ無くなった」
「どうゆう意味だ? ちゃんと説明しろ!」
「ここで説明したら取り返しの付かない事になりかねん。走って話す。それでいいな?」
「あぁ、わかった」
 普段であったらアミの事を素直に聞くことは無かった。だが今この状況だけは素直に聞いてしまった。それはきっと、いつも以上に二人の空間がピリピリしており、そしてアミの口調や表情が鬼気迫るものであったからだ。
 普段からおおらかとしており、余裕のある表情を保つアミが、これ程までに豹変したのだ。そのギャップがマモルから断るという選択肢を消した。
 食べ残した食器をそのままに、マモルは黒のフード付きのパーカーを身に纏う。そして玄関の鍵を閉めずに、マモル達は外に出た。
 出た後、アミは有言実行するように、走りながら話を始めた。
「吸血鬼が現れたのは君の家から600メートル離れた所だ」
「それがどうした?」
「私は結界を張っていたんだ。半径1キロのな。吸血鬼がその結界の中に入ったら私に信号が入るんだ。だがさっき来たやつの信号の位置は600。この意味わかるか?」
「分かる訳ないだろ! 端的に要件だけ話せよ! 走りながらだと………疲れるんだぞ!」
 今街中を走っている速さはマモルの全速力。それなのに、それを余裕で着いてきて、さらに顔色一つ変えないで長々と喋るアミをマモルは化け物と思う。
「つまりだよ―――。一つ、やつは人間に擬態できる………。そして私の結界が反応したということはやつが吸血鬼に戻ったわけだ。何故態々吸血鬼に戻ったと思う?」
「―――まさか!」
「そう、そのまさかだよ。この上で、人が襲われてるんだ」
 そうして一度立ち止まるマモル達の目の前には、長い長い、終わりの見えない階段が立ちはだかっていた。
 それはマモルが住んでいる街唯一の神社に続く入口で、マモルも何度もお世話になっている階段の入口であった。だが今は違和感という塊がマモルを酷く突っついてくる。
「おい。この階段おかしいぞ。鳥居が………、終わりの鳥居が見えない………」
 長い階段と言えど、普段なら一番下の入口から一番上の鳥居まで見える程の距離しか無かった。だが現在マモルの瞳には、長く永遠に続くと思わせる階段しか、視界に入って来なかった。
「おかしい? だろうな……。これは結界だ。私が張った結界と別のだがな。まったく………、結界の中に結界を張るとは………、化け物めが………。飛ぶぞマモル」
「は? と、飛ぶって何処おわっ―――!」
 アミに首根っこを掴まれたマモルはアミの大胆な行動に一瞬驚く。だがしかし、そんな驚きは些細な物で、本当の驚きと言うものは―――。
 首根っこを掴まれたと思ったら、今度は声がけもなく落とされる。体制を確保できなかったマモルはそのまま尻もちを付き、痛い思いをした。
 だがその痛い思いも、アミの大胆な行動も、後ろの光景によってかき消される。
 尻もちを付いたマモルはそのまま顔を後ろに向ける。そんなマモルは少し遅れて目を丸くする。そしてまた遅れて―――。
「―――鳥居!?」
 マモルとアミの後ろにはある筈のない赤く塗りつぶされた鳥居が堂々と立っていた。
「え? な、なんで? 俺達階段の前にいたよな? それがどうして今は後ろに鳥居があるんだよアミ! なあ………。おい………どうした?」
「考えられる中で最も最悪な事態になってしまったよ………。前を確認するか否かは君が判断してくれ………」
「判断? 何言って…………………」
 少し絶望の色を含ませたアミの横顔を見ていたマモルはそのままなんの躊躇も、なんの心構えもせずにアミが言う前方を確認した。
 目の前に映るのはいつもと変わらぬ神社。だが現在は日が既に姿を消し、光という光は生い茂る木々の隙間から伸びる月明かりの薄明光線のみであった。
 その薄明光線は神社全体を照らすのではなく、ある一点、神社の屋根瓦の一部分をピンポイントで照らす。
 その照らされた所の光景がマモルに世界一の絶望と世界一の最悪を齎す。
「ユ………ミ………」
 顔が分からぬ影の膝の上に、ユミという少女は音も立てることなく静かに眠っていた。いや、これは『いた』ではなく、『された』に当たる物。
 月明かりはユミの全体を照らす。ユミの体は傷一つなく、ただそこに眠っているだけに見えた。
 そんなユミの顔を紫がかった爪が一撫でする。月明かりはその爪の持ち主の首までしか照らさず、マモル達の場所から顔を確認することはできなかった。だがマモルには一瞬で誰なのかがわかってしまった。
 そこに居るからではない。その爪が紫の禍々しい色をしているからではない。
「まさか貴様からこちらに来るとはなぁ。半魔のガキ。それと隣は………、フッ! 竜人か! いいな! いいぞ! 楽しくなってきた! さぁやろう! 今すぐやろう! やろうやろう! 殺し合おう!」
 ―――声。―――雰囲気。―――周りに漂う重たい空気。―――そして、存在。
 その全てが、子供の頃にであった犯人の像と一致したからだ。
 二人が目の前の現状を受け止めようとしていた時だった。放心状態に近い二人に異種の力が降りかかる。
「挨拶代わりだ。『炎海』」
 謎の単語と共に月影に顔を置く吸血鬼は指を鳴らす。
 その瞬間だった。無の空間から一つの光が生まれる。その光は徐々に形を変え、色を赤くし、マモル達を襲う物になった。
 それを一言で表すならば、『炎海』。
 ―――まさしく炎の海。波を打つようにマモル達に遅いかかり、水の様に滑らか進む。だがそれは炎。呑まれれば焼死は不可避であることは確実である。
 その一瞬の出来事に、アミの優秀な脳は情報処理に体のエネルギーの大半を使い、硬直する。故にその状況を打開したのは、目の前の現実と直面し、考える事をやめたマモルの右腕だった。
 肉体には限界がある。人はそう言い、機械を造った。
 しかしどうだろうか。マモルは炎の海をかき消す為に、機械という力を使わず、己の力のみでそれを成し遂げた。
 なんの揺らぎも見せずに、マモルは地面を右拳で殴る。それで生まれた土煙はマモル達に襲いかかる炎らを次々とかき消して行く。そしてマモルは、そのまま尽くせる全力で地を蹴る。
 その無駄の無いマモルの動きとは裏腹に、硬直を保っていたアミは―――。
「私は………なんの為にここに来たのだ? 見学をする為か? 彼の復讐を見届ける為か? ………違うだろ……。私は―――」
 ―――戦う為。その言葉はアミの本心。だが言えなかった。何故らな―――。
 地を蹴ったマモルはそのまま神社の屋根まで、吸血鬼が立つ土俵まで、飛んだ。
 空中を舞っている最中も、考える事は標的の位置と体をよじる事。
 より力を加えられる体制。よりダメージを与える姿勢。そしてイメージ。吸血鬼を殴るというイメージ。
 その全てがマモルの無駄の無い動きに繋がる。
 だがしかし、マモルの右腕は吸血鬼の頬に届く一歩手前で止まった。
 理由は簡単で複雑。簡単なのはそれが『止められた』というわけだからだ。複雑なのはそれを止めたのが『マモル』というわけだからだ。
 無論マモルは目の前の敵に一瞬にして捕まる。
「何故止めた? 貴様の目的はなんだったんだ? 左手腕が右腕を止めるとは……貴様の左脳と右脳は仲が悪いなぁ! クックックッ……。心底呆れた奴だ!」
 そう言い、吸血鬼はマモルの首を掴みながら一歩前に出る。それは月明かりがその吸血鬼の顔を照らした合図となる。
「マモル………君ってやつは………。だから言っただろ。君の考えは甘いのだと」
 月明かりに照らされたその容姿は『女』。
 吸血鬼である事は先程の、人間という生物の能力を軽く超えた力によって明らかとなっている。
 だがそれを除けばそれはただの女性。月明かりに照らされる容姿は美を一層際立たせ、何も知らぬ者ならば、思わず振り向いてしまう程の物だった。
 それが原因では無い。マモルにとってその容姿は美しいと思っても好意やそれ以外の感情を抱く事はない。問題はそこではない。
 本当の問題は敵が女である事。故に今もなお、マモルは自分の右腕を左手で必死に抑えていた。
「貴様………まだやるか………。心底呆れた。いや、幻滅だ。私はこのような腑抜けの為に遠回りをしたというのか………。なぁ!」
「―――うっ………」
 吸血鬼は怒りをそのままマモルの首を掴んいる手に力を入れる。それに流石のマモルも苦しみを声に含ませ、徐々に右腕を抑えていた左手に力が入らなくなる。
 絶体絶命の危機に迫るにも関わらず、マモルは未だに吸血鬼を蹴ったり殴ったりして逃げようとはしなかった。
 そしてマモルが感じる時間は徐々にゆっくりとなり、死へのカウントダウンが始まろうとしていた。だがそれは始まる前に阻止される事となる。
「吸血鬼。お前を殺しに来たのは私もだ。目を反らすと……こうなる!」
 吸血鬼の腹に蹴りを入れ、緩んだ手からマモルを奪還したのは、先程まで硬直を貫いていたアミであった。
 その動きはぎこちなさを少々含ませた物であったが目的はマモル奪還ただ一つだった為、結果から見て良い行動と取れる。
「ほぉう。そっちは殺る気かぁ。いいなぁ。………まぁ、根性だけだがな―――」
 既にアミが最初の位置に、マモルが素手で破壊した地面に、舞い戻った後、吸血鬼は独り言を語り、口元をゆっくりと上に持ち上げる。
「何故攻撃しなかったんだ! 君は、君は何がしたい!」
「俺は………」
 端から止まっていた思考が答えを出すはずが無い。本能で動いていたマモルにとってこの質問も本能のまま答えていた。
 故の、『俺は』止まりの回答である。
「君は、君の両親の仇を取るんじゃなかったのか? 君はあれを殺すんだろ! それに今! 君の大切なユミという少女が奪われようとしてるんだぞ! 良いのか? なあ!」
「俺の……大切な……ユ…ミ―――」
「そうだ。君は奴を殺して大切な存在を―――ぁ―――」
 ―――敵に背を向ける事は死に繋がる。
 常識である事を、アミは目の前の腑抜けたマモルによって一時的に忘れる。
 だからこそ現在後ろから押しつぶされるくらいの大きな殺気によって、声から体は勿論のこと、眼球まで身動きが取れなくなる。
「つまらんなぁ。さっきの蹴りも、貴様らの行動も………。さっさと、終わらせるか。『切断・毒』」
 不気味な声色がアミの耳元で発せられる。その言葉により、アミの眼球は辛うじて動く様になる。
 だがその眼球も、対象である吸血鬼に届く前に再び硬直する事となる。何故なら―――。
「おい………、アミ………。お前、腕が………」
 先に口を開いたのはアミの正面に座っていたマモルであった。だがマモルが発した言葉は、目の前の最悪を敢えて触れないでおいた発言。
 だがマモルの判断ももっともであろう。触れずに避けるのも無理はない。
 アミの右腕は根本近くから綺麗に切断され、血が大量と言えるほど流れていたからだ。
 誰のせいかと聞かれたら、間違えなく吸血鬼のせいである。
 だが、誰がその状態に近づけたかと聞かれたら、それは間違えなくマモルのせいである。
 そして、十年前の悪夢がマモルの脳に降りかかる。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――」
 謝罪や心配、罪悪感。その全てのアミに対する思いが頂点までに達し、マモルは完全に思考を、外界の状況の全てを、遮断した。
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